彼は再び指揮を執る   作:shureid

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ケッコンの証

その日の龍驤は終始不機嫌であった。

向かいの席で夕食を取っていた飛鷹は、言われずともその理由を察していた。右方向から漂う甘い雰囲気に、飛鷹自身も少し機嫌を斜めにする程で、翔鶴は惚けた顔をしながら一日中左手薬指に輝く指輪を見つめ続けていた。一方戦艦のテーブルで扶桑にちょっかいを出し、山城と金剛に噛みつかれている朝霧は何時も通りといった様子だった。

 

「えー、まあ……艦娘の練度の限界を超えることの出来る指輪が送られてきました。ので、この鎮守府で一番練度の高い翔鶴に渡しました。他意は結構ありますが、気にしないで下さい」

 

今朝、朝霧からケッコンカッコカリの説明がなされ、練度が限界に達している艦娘の能力を引き上げる効果があり、他意も含まれているそれは、どう見てもそれは愛情の証にしか見えない。周りからは驚きの声が上がり、飛鷹自身もそれは龍驤に渡すものとばかり思っていた。

 

(練度が足りなかったのかしら……)

 

練度が足りていないのであれば渡しても無駄になるだけなので、その効果を発揮する翔鶴に渡すのは道理と言えよう。しかし、その瞬間から龍驤は眉を吊り上げ、口をヘの字に曲げながら乱暴に食事を頬張り始めた。

 

「ちょっと、行儀悪いわよ」

 

「…………」

 

飛鷹の忠告を無視し、さっさと食事を終えた龍驤は日課の整備に工廠へと向かった。それ以降工廠から出てきておらず、夕食に顔を出したと思えばその顔は今朝と変わらず不機嫌であった。何時も賑やかで笑いが絶えない第七駆逐隊のテーブルは今朝からお通夜状態であり、談笑の中心となる陽炎は一言も喋っておらず、不知火は何時も通り無口であるが、その表情は非常に渋いものだった。夕立達は苦笑いを浮かべながら陽炎達を励ますが、その表情は浮かばれなかった。

 

「ほら、夕立達は空母の先輩達と違って練度が上がりにくいっぽい!」

 

「そうだよ。陽炎達だって練度が上がれば――」

 

「大丈夫よ……覚悟はしてたし、ね?不知火」

 

「不知火は元から気にしてないわ」

 

とは言ったものの、二人の表情は浮かばれないものだった。

 

(んー……と言っても……何か悔しいなー)

 

食事を終えた陽炎は一人で食器を片づけると、そそくさと食堂を後にし、その後を不知火が追う。朝霧は陽炎達の後ろ姿を確認し、そろそろ山城から殺されかねないと察すると、テーブルから逃げるように食器を返しその日の秘書艦だった羽黒に所用があると伝えた。

 

「えっと、じゃあ先に戻って書類整理をやっておきますね」

 

「おう、すまんな」

 

食堂を後にした朝霧を見送っていた翔鶴は、再び視線を指輪へと落とすが、その心には少しの不安が含まれていた。自分が朝霧にしてやれたことなど何一つ無いにも関わらず、指輪を貰えたのはやはり練度が高まっていたという理由だけではないのかと。やはり、練度が足りずとも朝霧に会いに行った龍驤が貰うべきではないかと。指輪を貰い、舞い上がっていた翔鶴は愛の告白とばかり考えていたが、ケッコンカッコカリの特性のみで自分に渡されたのではないかと、心の隅にもやもやとした感情が渦巻いていた。それでも指輪を貰えたのは事実であり、今だけは朝霧のパートナーになれることを喜んでいた。そんな翔鶴は知る由も無かったが、朝霧は翔鶴に対し非常に感謝の念を抱いているのは事実であった。鎮守府に戻った時、瑞鶴を初めとした昔の自分を知っている者が快く迎えいれる訳もなく、軽蔑の眼差しを向けられていた。そんな時、翔鶴は変わらず朝霧を受け入れた。それが朝霧の心にどれだけの安息を与えたかを。

 

「翔鶴姉?あんまり気にすることじゃないわよ」

 

「え?ええ……」

 

「あんな男と翔鶴姉は釣り合わないわ。この戦いがもし終わったら、翔鶴姉に相応しいもっといい男探すわ」

 

「あら瑞鶴、私はあの人のことをお慕いしているわ」

 

「じゃあ瑞鶴と提督、どっちを取る?」

 

「どっちも大切よ」

 

「ずるいー!」

 

自然と笑みを浮かべられていた翔鶴は、瑞鶴に感謝すると食器を返却し、明日に備え宿舎へと向かった。一方の朝霧は食堂を出た陽炎の姿を探し、廊下を駆け回っていた。そして、一人で入渠ドックと併設されている浴場へと向かっている陽炎を発見し、後ろから駆け寄る。足音に気付いた陽炎は振り返ろうとするが、そのまま陽炎に向かい手を広げ飛び込んだ朝霧に阻まれる。

 

「かーげーろーうー!」

 

「ちょっ、何よ!」

 

「何一人でしょぼくれてんの!」

 

「うっさい離れて!誰か!憲兵さんー!襲われるー!」

 

陽炎は否定の発言を取っているが本心から拒絶している訳では無く、本気の艦娘の力で振りほどかれれば、只の人間の朝霧などひとたまりもない。しかし、その手が胸付近に忍び寄っているのを見た陽炎は、肘を鳩尾に打ち込み朝霧を引き離す。

 

「痛っ!」

 

「あんまり調子に乗らないで!」

 

「ったく、良い物あげようと思ったのによ」

 

「へ?」

 

朝霧はジーパンのポケットから、長方形の手に収まるサイズの白い紙袋を取り出すと陽炎に手渡す。それを受け取った陽炎は怪訝な表情を浮かべながら紙袋を頭の上に掲げ、透かして中を見ようと試みる。

 

「開けていいぞー」

 

「ホント?」

 

陽炎は言われるがまま紙袋の封を開け、中に入っていたものを左手の上へと滑り落とす。それはケッコンカッコカリの指輪同様、何の装飾も無い白銀のブレスレットだった。明石のメガネを使ったその日、外出した際に購入していたものであり、渡すタイミングを計っていたが、朝霧は翔鶴と同様場所と雰囲気は考えずに渡すことを決意した。

 

「わ、何これ」

 

「ま、指輪の引換券みたいなもんかな、練度が高まったらそれと交換してやるよ」

 

「へ、へえー……」

 

「それなら海に出てる時でも付けられるだろ」

 

「そうね……でもいいの、これを私に?」

 

「旗艦で頑張ってるご褒美みたいなもんだよ。要らない?」

 

「いるいるいる!ありがと!」

 

「大切にしてくれよ」

 

「まっかせてー!」

 

陽炎はそのブレスレットを嬉々としてポケットにしまうと、笑みを浮かべながら踵を返し、浴場へと足を踏み出した。

 

「さてと……ん?」

 

スキップしながら浴場へ向かう陽炎を見送った後、背後に人の気配を感じすぐさま振り向くと、物陰から此方を覗いていた不知火が慌てて身を潜めた。

 

「ぬーい!」

 

「…………」

 

「しーらぬい!」

 

「……何ですか?」

 

不知火は観念したのか物陰から姿を現し、朝霧の前に歩み寄る。その表情は何時も通りの鋭い三白眼に無表情だったが、前に立った不知火はまるで餌をお預けされた犬の様にそわそわと忙しないものだった。

 

「何してたの」

 

「何でもないです」

 

朝霧は不知火の本心を察したが、悪戯心から少し遊ぶことを考えた。

 

「そう、じゃあまた明日」

 

「え?…………はい」

 

その言葉を聞いた不知火は小さく頭を下げると、捨てられた子犬の様にとぼとぼと浴場へと歩き始めた。朝霧は流石に罪悪感が生まれ、背後から不知火を抱きしめる。前のめりになりかけた不知火は朝霧を睨み付け、腕を振り解く。

 

「あー!冗談だって!」

 

朝霧は不知火から体を離すと、ポケットから同じ紙袋を取り出し、不知火に手渡す。

 

「そう言えば此処に来る一番のキッカケは不知火のお陰だったっけ。今更だけど礼を言うよ。ありがとう」

 

「……大したことはしていません」

 

「いやいや。で……不知火の練度が達したら指輪貰ってくれるか?」

 

不知火は少しの間考える素振りを見せ、先程のお返しと言わんばかりに首を横に振る。

 

「嫌です」

 

「おいいいい!」

 

「冗談ですよ」

 

不知火は穏やかな笑みを浮かべると朝霧の目を見据え、はっきりと首を縦に振る。まさか自分が朝霧から何かを貰えるとは思ってもおらず、少し目頭が熱くなる。目付きが悪い、戦艦並の眼光だとか、無表情だとか、色々言われるがそれ以前に自分も女だ。慕っている異性からプレゼントを貰えるのは非常に嬉しい。

 

「そか、んじゃ大切にしてくれよ」

 

不知火は両手でブレスレットを包み込むと、頭を深々と下げ踵を返した。

 

「さて、後は……」

 

最後に渡す人物の場所は見当がついており、そこから直ぐの工廠へと足を向けた。最低限付けられた照明に照らされただけの薄暗い工廠内に入った朝霧は、艦載機を呆けながら眺めている龍驤の姿を確認する。扉が開けられた音に気付いた龍驤は顔を上げ、朝霧の姿を認めると艦載機を床に置き、立ち上がる。

 

「何やこんな所に」

 

「んー、ムードもへったくれもない場所だけどいいか」

 

「……何の話や?」

 

「これ受け取ってくれ」

 

照明に照らされた朝霧の手の上を見ると高価そうな小箱が開かれており、中には先程陽炎達に渡した白銀のブレスレットとは違い、小さなダイヤが散りばめられた本物の指輪が収められていた。

 

「わ!え?」

 

龍驤は突然の朝霧の行動に戸惑い、素っ頓狂な声を上げる。

 

「龍驤の練度はもう少しで達するからその時はケッコンカッコカリの指輪を貰うけど。それとは別に」

 

「これをうちに……?」

 

「まあ何だ、長い付き合いになるな」

 

「そやなあ」

 

「感謝してるよ、凄く」

 

「うちもや」

 

「艦娘と正式な婚約は結べないから、形だけになるけど」

 

「ええよそれでも。めっちゃ嬉しいわ」

 

「えーあー。軽空母龍驤、貴女の事が好きです」

 

「はい、私も貴方の事が好きです」

 

自分で言っていて可笑しな標準語に龍驤は苦笑いしながら指輪を受け取ると、両手の中に箱を収める。すると朝霧は龍驤の前に歩み寄り、両手を腰へと回す。察した龍驤は視線を泳がせながらも、震える手で指輪をポケットへしまい両手を朝霧の腰へと回した。何度も瞬きし、心臓の鼓動が最高に高まる。口の中の水分が全部無くなったのではないかと錯覚する程喉が渇く。

 

「あー!えー!うちこう言うの初めてなんやけど!」

 

「俺も」

 

「えっと、んじゃ……」

 

体格差から見下ろす形になり、朝霧の顔が龍驤の口元へと迫る。龍驤は息を呑み今にも爆発しそうな心臓を無理矢理抑えつけると、目を瞑る。

 

 

「わっ!きゃっ!」

 

その瞬間工廠の隅から何かを盛大に崩したような、金属音が鳴り響き、朝霧と龍驤は思わず体を離すと、その場所に視線を移す。すると崩れた鋼材と共に、明石が地面へと転がり込んできたのが映る。

 

「……何してんの?」

 

「あ!お気になさらず!続けてください!」

 

「……台無しすぎるやろ」

 

朝霧と龍驤は顔を見合わせると、思わず笑いを漏らし、タガが外れた様に笑い声を上げる。

二人の様子を伺い続け興奮した明石がもっと近寄ろうと思った所、姿を隠すために薄暗くしていた為足元にある機材に気付かなかったのだ。そのまま転げ、鋼材の山に激突していた。

 

「あれー……私のせいでした?」

 

明石は恥ずかしそうに頬をかくと、崩れた鋼材を片づけ始める。朝霧は踵を返すと、右手を振りながら工廠を後にした。龍驤は再びポケットから指輪の箱を取り出すと、蓋を開け中を確認し見つめ続ける。

 

「羨ましいですねえ」

 

「やろー?」

 

翌日、上機嫌の三人に対し、翔鶴がふくれっ面を浮かべ続けたのは言うまでもなかった。

 

 


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