彼は再び指揮を執る   作:shureid

26 / 52
孤独な戦い

「何処よ!もう!」

 

睦月の身を案じ駆け出したものの、手がかりは無く目星となる場所も思い浮かばなかった。只でさえ時間が無い状況に加え、ショックと混乱が鬩ぎ合っている陽炎は先程から目元付近を流れ落ちていく汗に苛立ちを覚え始めていた。その時、鎮守府内放送を告げる甲高いチャイムが鳴り響き、陽炎は体を震わし思わず廊下の陰に身を潜める。

 

「駆逐艦陽炎、早急に司令室へ来なさい」

 

それは確かに翔鶴の声だったが、何時も通りの優しい音色では無く、苛立ちを含めたような低い音声だった。陽炎は下唇を噛み締めると、再び艦娘に見つからないように腰を低く保ちながら宿舎の廊下を駆け出した。三階へと戻ると付近の部屋を隈なく探すが、それらしき姿は見当たらず更なる焦りが陽炎を苛む。それに追い打ちをかけるように、二度目の放送が鳴り響く。

 

「駆逐艦陽炎を発見した艦娘は確保した後、司令室へ同行させて下さい」

 

これで猶予は無くなった、自分を見つけた艦娘は捕えにかかるだろう。どれだけ弁解したところで意味を成さない、その間に更に犠牲者が増えるかもしれない。転がり落ちる勢いで二階へと降りた陽炎は、その場で立ち止まり視線を前方へ固定させた。二階の廊下の突き当たり、何かを引き摺った様な血の跡が続いている事に気付いた。まだ日が落ち切ってない今、日差しに照らされた事により気付いたそれは、不運な陽炎に唯一味方した。その先の扉は、普段使われていないシーツ等が保管されている物置と化している部屋だった。辺りを見渡し、人影がない事を確認すると物置部屋へと駆け寄る。

 

「無事でいてっ……」

 

意を決し、扉を開けた先には、如月同様ぐったりと項垂れている睦月の姿あった。深海棲艦に閉じ込められた後移動したのだろうか、血を引き摺った跡が壁際まで続き、その壁に背を預けている睦月に駆け寄る。

 

「睦月ッ……!」

 

肩を揺するが反応は無く、夥しい量の出血が床を血で染めていた。普通の人間なら確実に手遅れになるが、艦娘の生命力、そして入渠ドックへと入る事さえ出来れば睦月は助かる可能性が大いにある。此処で陽炎は頭を更に回転させる。もし睦月を連れおめおめと入渠ドックへ行ったとしたなら、自分が確実に終わる。腹癒せに睦月までと言われるのが落ちであろう。傷つけた相手をわざわざ入渠ドックへ運ぶのかと反論した所で、かつての仲間に手を出してしまった罪悪感からだろうと言われてしまうのではないだろうか。今の自分は傍から見れば気のふれた駆逐艦娘のレッテルを貼られている。何を言っても無駄になるだろう。此処で自分が捕まってしまえば全てが終わってしまうかもしれない。

 

「いや……でも……もし信じてもらえたとして……」

 

陽炎の話が事実なら、隣に居る艦娘がもしかしたら深海棲艦かもしれない。それを確かめる術も無く、疑いが疑心暗鬼を呼び、確実に鎮守府内は混乱の嵐であろう。

ならば。

 

「上等よっ……」

 

陽炎は睦月を抱きかかえると、今艦娘達が持っている全ての疑い憎しみを自分に集める事を決意し廊下へと飛び出す。悪役が居れば、人はそれを悪と決め立ち回る。この事実を変に信じさせるより、気の触れた艦娘を演じ続けるのが現時点の最善策ではないかと陽炎は考えた。震える手で睦月を抱きしめながら、宿舎を出た陽炎は入渠ドックへと走り出す。

 

「っ……不味っ!」

 

その角を曲がれば入渠ドックと言う所で、ドック前から喧噪が漏れてきていることに気付く。それは不安を煽る放送に加え、如月の容体を案じた艦娘達がドックの前で人だかりを作っていたのだ。体を建物の角に押し付け、顔だけを出し様子を伺っていた陽炎は、背後に気配を感じ咄嗟に振り返った。

 

「陽……炎……?」

 

今の自分を見たらどう思うだろうか。艤装は睦月の血で塗れ、顔は汗と疲労で塗れている。

擦り減った精神が苦悶の表情を浮かべさせていた。

 

「夕立……」

 

唖然と立ち尽くしている夕立を尻目に、陽炎は睦月をそっと地面へと降ろすと、踵を返し全力で宿舎へと駆け出した。一方の夕立は我に返ると、睦月へと駆け寄りドック前の人だかりへと声を上げる。

 

「ッハァ……ハァ……」

 

再び宿舎の資料室へと戻った陽炎は、壁に全体重を預け首を垂れる。あの夕立の怯えた表情が更に自分の精神を削る。このままでは本当に気がふれてしまいそうだ。訓練の疲労とは比べ物にならない疲労が陽炎を襲い、思わず目を瞑ってしまう。もしこのまま眠り起きた時全てが夢ならどれ程安堵するだろうか。

 

「嫌っ……嫌!嫌!」

 

陽炎は両手で頭を抱えると、膝に顔を埋める。それ以降思考することが出来ず、陽炎はそのまま意識を手放した。

日は完全に沈み、鎮守府に夜が訪れていた。陽炎は意識を取り戻した瞬間跳ね起きると、辺りを見渡し何も変わりのないことを確認する。血に塗れた手と艤装が今までの出来事が夢ではないことを物語る。

 

「寝ちゃった……馬鹿……」

 

一瞬あの深海棲艦の手によってまた犠牲者が出ているのではないかと勘繰ったが、事実を確かめる術は無く、陽炎は更に苦悶の表情を浮かべながら資料室のドアの取っ手を握る。しかし、陽炎が取った苦肉の策により、艦娘達は難を逃れていた。気がふれた陽炎が鎮守府の何処かに潜んでいるかもしれない、そう伝えられていた駆逐艦や軽巡は固まって宿舎の部屋で待機しており、重巡や戦艦が陽炎の捜索にあたっていた。陽炎の目的は逃げることだろうと読んだ翔鶴達は、鎮守府の周辺を捜索しており、その深海棲艦は艦娘と二人きりになるタイミングを計れず攻めあぐんでいた。その事実を知らない陽炎はこれからどうすればいいかわからず、全てを投げ出してしまいそうになる。あの深海棲艦を見つける術は無い、何とか睦月と如月はドックへと運ぶことに成功したが、根本の問題は解決していない。司令室のある建物の裏手、背の高い木々が生い茂る林を見つめながら、陽炎は建物に背を預け途方に暮れていた。寂しい、辛い、負の感情ばかりが陽炎の脳裏を過る。

 

「っ……陽炎!」

 

人気の無いその場所に突然響いた声に、陽炎は体を震わせ立ち上がる。その聞き覚えのある声に陽炎は目を見開きながら、声のした方向に視線を向ける。月明かりや一階建物から漏れる光に照らされ、その姿を確認する。

 

「司令……」

 

陽炎は安堵の余り思わず涙を流しそうになる。この男なら事情を話せば絶対に分かってくれる。此方に歩み寄ってくる朝霧に陽炎は飛び込もうとも考えたが、ある疑惑が生まれその足を止める。

「止まってッ!」

 

突然の陽炎の怒号に朝霧は思わず足を止める。冷静に考えてみれば、何故この男が此処に居るのだろうか。疑惑が疑惑を呼び、陽炎の脳内を疑心が支配していく。

 

「司令は出張中だったわよね……」

 

「陽炎の事が心配だったから飛んで帰ってきた」

 

「…………」

 

陽炎は朝霧を睨み付けながら一歩ずつ距離を取る。朝霧はそれに合わせて一歩ずつ陽炎との距離を詰めていく。

 

「証拠……見せてよ……」

 

常識的にその証拠を示すことは不可能である。しかし陽炎自身はもはや歯止めが効いておらず、一種の錯乱状態に陥っていた。限界まで擦り減った精神と疲労は、知らずの内に陽炎の心に疑心暗鬼の種を蒔き、それを実らせていた。朝霧は何も言わず、陽炎に向かい一歩ずつ、ゆっくりと近付いていく。

 

「止まって……」

 

「おーおー、そんなに睨むなよ、可愛い顔が台無しよ」

 

「うっさいッ!止まりなさい!」

 

しかし朝霧はその足を止める事をせず、手を伸ばせば届く距離まで陽炎に詰め寄った。どうしたものかと朝霧は溜息を吐いた瞬間、その溜息と共に吐瀉物を吐き出してしまうのではないかと錯覚する程、強い衝撃が腹部を襲う。体がくの字に折れ曲がり、朝霧は思わず膝を突き嗚咽する。それに追い打ち、陽炎の振り上げられた右足が朝霧の左腕に突き刺さる。折れはしなかったものの、余りの激痛に悶えてしまう程の威力のそれは、更に朝霧の脇腹に叩き付けられる。地面を転がっていく朝霧に対し、錯乱し続けている陽炎は止めを刺すと言わんばかりに朝霧に詰め寄る。

 

(不味ッ!流石に死ぬぞこれッ!)

 

朝霧はふらつく足を地面に突き立て、陽炎と距離を取るが、その距離を一歩で詰めた陽炎は朝霧の胸倉を掴む。

 

「あんたを殺せば終わるのよね……全部ッ!」

 

「陽炎ッ!」

 

頬に打ち付けられた陽炎の拳は朝霧の頬を切り裂き、歯が突き刺さった口内には血の味が広がる。朝霧は血反吐を吐くと、その変わらない表情を陽炎へと向ける。

 

「あの人にまで化けるなんてッ……絶対許さないっ!」

 

頭に血が上り切っている陽炎は更に頬骨付近へと拳を振り抜く。意識が飛ぶ寸前だった朝霧はそれを頬へ受けると同時に歯を食いしばる。

 

「なあッ……陽炎ッ!」

 

「うっさいッ!」

 

朝霧は意を決すると、次の拳が振り上げられた瞬間、陽炎の首へ両手を回す。

 

「むっ――」

 

それと同時に体を全力で抱き寄せると、その唇を陽炎の唇へと重ねる。余りの突然の行動と、奇妙な感覚に陽炎は目を見開き、振り上げた拳を静止させる。やがて熱した鉄を氷水へと浸した様に、頭に上っていた血が徐々に下りてくる。幾秒の間そうしていただろうか、完全に脱力しきった陽炎は朝霧の腕の中から地面へと滑り落ちる。

 

「ッハァ……ハァ……わ……私……」

 

冷静に考えてみれば、自分に嬲られている時点でこの男は本物の朝霧だったのだ。もし深海棲艦だとすれば、弱っている自分など一撃で葬り去ることが出来ていただろう。尻餅をついた陽炎の横に腰を下ろした朝霧は、陽炎の頭を優しく撫でるとそっと抱き寄せる。

 

「怖かったろ、まー俺が来たからには安心よ」

 

その言葉にどれ程救われただろうか、陽炎の目からは決壊したダムの様に涙が溢れる。朝霧のシャツに顔を押し付けると、声を押し殺しながら嗚咽する。陽炎が泣き止むまでの間、虫や蚊に襲われながらもその場から動かず、優しく背中を撫で続ける。

 

「落ち着いたか?」

 

「……うん」

 

「あれ、俺の初めてだったんだけど」

 

「……私も」

 

「ならおあいこか」

 

「……うん」

 

朝霧はゆっくりと腰を上げると、痛む体の節々に顔を歪ませながら背伸びをする。

 

「そいじゃよっと」

 

「ひゃっ!」

 

そして陽炎から事情を聞く為に陽炎を抱きかかえると、司令室へと足を踏み出した。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。