彼は再び指揮を執る   作:shureid

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睦月型駆逐艦の戦い 終結

 

水面から漏れる太陽の光が段々と遠くなっていく。その先は何も無い、暗闇が支配する深海であり、艦娘の墓場でもある。沈みゆく如月は体がまるで石化していると錯覚する程、体に自由が無かった。意識だけが朦朧と残っており、轟沈の恐怖よりも仲間との思い出が強く浮かび、その一つ一つが水面に上がっていく泡に映り込んでいる様に見えた。

最期に考えるのは睦月の顔であり、ついに如月は指一本も動かす事が出来ず、ゆっくりと目を閉じる。次に目を覚ますと自分はどうなるのか、もうあの陽の光を浴びる事は叶わないのか。

 

(如月の事……忘れないで……ね……)

 

その時、意識が飛ぶ寸前の如月は妙な感覚に襲われた。

瞑っていた瞼の上から容赦無く差し込んでいた光が消えていった思えば、再び瞼の上に光が点り始める。そして体が急に浮上する感覚に襲われると、次の瞬間には日差しが照り付ける海面へと飛び出していた。

 

「だぁっ!……ッハァ!……ハァ……!」

 

海上に浮いた浮き輪から垂れ下がるロープを手繰り寄せながら、如月を引っ張り上げた青年は、そのまま浮き輪にしがみつくと失われた酸素を補給しようと息を荒げる。考えるより先に体が飛び出していた。こんな自分を命を懸けて助けてくれた女の子が、目の前で沈んでいくのを黙って見ていられなかった。突然海面から顔を出した如月と、それを支えていた青年に驚き一瞬戸惑ったが、青年に引っ張り上げられた如月を見た睦月は必死の形相で駆け寄ると、膝を海面に突き首に手を回す。

 

「如月ちゃんッ!」

 

「大丈夫なのか……意識が無いみたい……かな……」

 

「……うん、艤装の一部分でも残っていれば……でも早く、ドックに入渠させないと……」

 

如月にばかり注意を寄せていた睦月だったが、決して潜水艦の存在を忘れた訳では無かった。

ソナーが無い今の睦月では潜水艦に対しての砲撃の命中率は遥かに落ちる。弾は最初に装填されていた数発のみの今、無闇に爆雷を投射するのは得策とは言えなかった。

 

「深海棲艦の……潜水艦か……」

 

「数は一だけだと思う……如月ちゃんのソナーはもう壊れちゃってるみたいだし……」

 

如月が装備していたソナーに目を移すが、艤装の殆どがその機能を失っており、生命を最低限維持する為の働きを行っているだけだった。残る策は潜水艦が此方に魚雷を撃ち込んだ瞬間を狙うのみであった。しかしその策には危険が伴う。睦月はその事を理解しながらも冷静に、そして残酷に判断を下す。

 

「……深海棲艦は船舶より艦娘。それに被害が大きい艦娘をより狙いやすい習性があるの。このままいけば君と如月ちゃんに魚雷を撃ってくる」

 

「…………船に戻る暇はない、か」

 

「うん……でも睦月の爆雷なら絶対に一撃で沈める事が出来るの。だから――」

 

「いいよ。信じる」

 

「……ごめんね」

 

「自分で蒔いた種だし。やるよ」

 

「爆雷を撃ち込んだら、絶対に助けるから」

 

睦月は青年から受け取ったロープを体に巻き付け、背を向け立ち上がると、流れ落ちる汗を腕で払いのけながら全神経を集中させる。このまま逃げ回るのも手ではあったが、確実に自分の周りに潜水艦が居ると分かっている今、叩いておかなければ後々厄介になる。もし失敗すれば、如月だけでなく一般人のこの青年も確実に命を落とす。それだけはあってはならない。強烈なプレッシャーに苛まれながら、高まる鼓動を何とか落ち着けようと深呼吸する。これは苦肉の策と言えた、全方位を睦月一人でカバー出来る筈も無く、もし死角からの魚雷に反応が遅れてしまったらその時点でこれまでの努力は水の泡となる。しかし、穏やかな波のお陰で見晴らしは良い。潜水艦に対する砲撃は何度も訓練した、それが今の睦月の支えになっていた。

何時来るか分からない魚雷に神経をすり減らしながら海面に立ち続ける睦月だったが、極度の緊張から限界まで高まっていた集中力はその時間に反比例して落ちていく。

故に睦月は気付かない、既に如月達に向け魚雷が発射された事に。

 

 

「……艤装の……妖精さん」

 

体を密着させている青年にも聞こえない程の声量で呟いた如月は、苦痛を通り越して何も感じなくなったその体を無理矢理動かそうとするが叶わない事を受け、代わりに目線だけをソナーへと落とすと、再び消え入りそうな声で呟く。

 

「……ほんの一瞬で……良いの……映して……ッ」

 

睦月から見て七時の方角、真っ暗だったソナーにほんの一瞬、敵影が映ったのを如月は見逃さなかった。如月は肺に吸えるだけの空気を送り込むと、振り絞る様に声を上げた。

 

「七時の方角ッ!距離三十ッ!」

 

「ッ!」

 

睦月は考えるより先に体が動いていた。その如月の叫び声通りの場所に爆雷を撃ち込むと、艤装を発進させその場から全力で駆け出す。白い泡を立てながら水の中を進んでいた魚雷は、如月と青年のほんの数十センチ横を掠めると、水平線の彼方へと消え去っていく。投射された爆雷は潜水艦に命中し、跡形も無く消し飛ばしていた。急に海面を引き摺られたものの、浮き輪と如月を決して離さなかった青年は、顔を浮き輪の上へと預け溜息を吐く。如月に目を移すが、既に意識は無く青年に体を預けていた。

 

「生きてる……のか……」

 

「……うん、ごめんね……怖い思いさせちゃって」

 

「いや……本当にありがとう、君等が居なかったら俺は今頃……」

 

「……どういたしまして」

 

「……その子にも、言っておいて」

 

「うん……それじゃ、帰ろっか」

 

睦月は完全に意識を失った如月を抱き起すと、浮き輪にしがみついている青年が振り落とされない様に速度を調整しながら海の上を滑走する。自分の腕の中で眠る痛々しい相棒の姿に、胸が張り裂けそうになる。

 

「……如月ちゃん」

 

如月は強い。あの事件の時もそうだ、深海棲艦が化けていたとはいえ、姿形が同じ睦月に殺されかけたのに、何も心配いらないと何時もの笑みを浮かべていた。今回もそうだ、如月が居なければあの船はどうなっていたか、自分は見ている事しか出来なかった。そして最後の力を振り絞り、如月は自分を助けてくれた。悔しさから涙が出そうになるが、唇を噛み締め堪える。

 

「……もっと、もっと強くなるにゃ、だって睦月はお姉さんにゃしぃ」

 

次に如月が目を覚ましたのは、見覚えのある入渠ドックの天井だった。まだ朦朧としている意識の中、五体満足な事を確認すると体を起こし辺りを見渡す。

 

「よ、ご苦労様」

 

この浴場には不釣合いな恰好の男が、背を向けながら浴槽の淵に腰かけ林檎の皮を剥いていたのを目撃し言葉を失う。器用に繋がった皮を銀のボールへと落としていくその男は、紛れもない如月の上官であり、司令である男。

 

「あなた?」

 

「おう」

 

朝霧はそう言いながら剥き終わった林檎を等分に切ると、その一つを齧り旨そうに咀嚼する。

艤装を装備したままの如月は服が修繕されていることを確認すると、浴槽から立ち上がり朝霧の横に腰かける。

 

「良いかしら」

 

「食うか」

 

「ええ」

 

如月は林檎を咀嚼しながら、事の顛末が気になり朝霧に問いかける。

 

「……作戦は、どうなったのかしら」

 

「んー。轟沈者無し、成功したよ。もう少しで主力部隊が帰ってくる」

 

「……終わったの?じゃあ如月は――」

 

「大変だったんだぞ、睦月が泣きそうな声で電話してきて如月がやばいだの。急いで近くの鎮守府でとりあえず一命を取り留めて、こっちに運んで貰った。そしたら三日丸々入渠だってよ」

 

「そんなに?駆逐艦で……」

 

「轟沈して生身の人間に引き上げられるなんて前例無かったからどうなるか分からなかったけど、修復にとんでもない時間はかかるみたいよ」

 

「……そう。睦月ちゃんは?」

 

「小破止まりだったし、あのまま呉行ってるよ。もうすぐ帰ってくるんじゃない」

 

如月は林檎を食べ終えると腰を上げ、最も信頼する相棒を出迎えようと出口へ歩み寄る。朝霧はその背中を見つめながら林檎を齧り、それともう一つと付け加えた。

 

「お前が助けた青年、感謝してたよ。今度また改めてお礼を言いに来るって」

 

「待ってるわ」

 

「伝えとくよ」

 

「……ねえあなた」

 

「ん?」

 

「……いや、何でもないわ」

 

如月は最も信頼する上官に心の中でお礼を言うと、入渠ドックを後にした。その後、作戦報告を纏め終えた朝霧はとある事情から工廠を訪れており、その場には龍驤、瑞鶴、翔鶴に川内型の三名と、かつての朝霧を知っている面々が集まっていた。面々の前に置かれている艤装は、その場に居る全員に見覚えがあり、当然ながら朝霧にも見覚えがあった。その五連装酸素魚雷はかつての主力部隊に居た北上の愛用していた艤装であり、それは今作戦中に敵姫級を撃破した時、回収したものだった。今回の大規模作戦は複数のドロップが確認されており、現在各鎮守府の提督はその艤装を使った建造に臨んでいた。朝霧もその一人であったが、その北上の艤装を前に戸惑いを隠せなかった。

 

「北上が沈んだのが東方で、これ拾ったのが南方か」

 

「まあ、もしかしたら思て回収して来たんやけど……」

 

「姫級なら移動するのも確認されてるし、もしかしたら、ね」

 

「…………ああ」

 

一同から向けられる視線を受け止め、深呼吸すると、明石により修復が終えられたその艤装の前で腰を落とす。各面々が固唾を呑んで見守る中、朝霧は右手をゆっくりと翳すと、その手で艤装に触れる。

 

 

「へえー、私を秘書艦に?まーよろしくー」

 

 

「提督ー、眠そうだねー。あたしも眠いよ」

 

 

「あー!間宮アイスずるーい!」

 

かつての北上との想い出が朝霧の脳内でフラッシュバックする。朝霧が初めて会話した艦娘であり、朝霧の最初の秘書艦。そして朝霧が初めて恋焦がれた相手。飄々として掴みどころがないその艦娘に散々手を焼かされた。

もし、これがお前なら。もう一度、帰って来てくれ。

 


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