彼は再び指揮を執る   作:shureid

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曙と朝霧提督

胸倉を掴み上げられた朝霧は表情一つ変えず、怒りに震える曙を見下ろしていた。そのまま朝霧のシャツを引き千切ってしまうのではないかと錯覚する程、強く掴み上げた曙は、自身を見下ろすその目を見てかつての艦としての記憶がフラッシュバックする。この時点で朝霧は、まだ頭の片隅に居座り続けていた曙を見限る選択肢を消去し、睨み続ける曙の目をじっと見据える。本当にドライでどうでもよければ、こんな紙切れ一枚を見せられた所で何を感じないだろう。しかし、根は真面目で誰よりも艦として誇りを持っていた曙にはそれを見過ごす事など出来なかった。

 

「私は用無しって訳!?」

 

「郷に入っては、ってな。排他的な艦は此処には要らねえよ」

 

「ああもう、ほんっとクソ提督が!」

 

曙はそこで言葉を切ると、事の成り行きを傍観している艦娘達に視線を移し、込み上がって来た物を全て吐き出すように罵倒を並べた。それはずっと曙が抱えていた疑問であり、謎であり、受け入れ難い事実だった。

 

「あんた達もよッ!どいつもこいつも口を開けば提督提督ッ。気持ち悪いったりゃありゃしないわ!そんなにこいつが好き!?」

 

「そうなんだろうよ」

 

「艦娘として生まれた瞬間提督好きになるように脳みそ書き換えられてんじゃないの!?」

 

恐らく日本中の艦娘の中で、提督たる資質を得ない者を除き、提督の事を嫌っている艦娘は曙以外は存在しない。かつて勝手に役回りを押し付けられ、全ての責任を押し付けられた曙は憎しみの感情が強く、艦娘として生まれた時全てが憎かった。それは深海棲艦として生まれたのではないかと錯覚する程だった。だが周りはどうだろうか、飼い主に尻尾を振る犬が如く、提督に擦り寄り曙から見ればただ媚を売っている犬ばかり。唯一心を開けたのは共に戦った潮達だけであり、前述の事が起因し曙は自然と排他的で内向的な性格になっていった。次第に提督に近しい者に嫌悪感が沸き、かつての艦としての記憶を経て、自分達が死地に向かう中のうのうと陸地で胡坐をかいている提督を非常に嫌うようになっていった。

まるで今まで塞き止めていた物が決壊し、全ての心を吐き出してしまうように、次々に曙の口から罵声が漏れる。

 

「解体したいのならすれば!?大好きな提督に尻尾振ってるだけの連中と仲良くね!」

 

こんな事を此処で言って何になるのか、今日出会った此処の面々にそれをぶつけてもただの八つ当たりにしかならない。ならば言葉を引っ込めようか。しかし、一度零れてしまった物を器に戻す事は出来ない。

 

「あんただって何で戻ってきたの!?そんなに戦果が欲しくなったの!?一度は逃げ出した負け犬がッ!」

 

止めてくれと、頭の中で曙が叫ぶ。頭の中はぐちゃぐちゃで、完成したパズルのピースを引っ繰り返した様に思考がまとまらなくなっていく。

 

「私みたいな駆逐艦存在する理由なんてないわよねッ!あんたもそう思ってるんでしょ!?」

 

朝霧はその間も何も言わず、ただ哀れみもせず、同情もせず曙を見つめていた。

 

「ッ……クソ提督!」

 

その態度が癪に障り、曙は胸倉を掴んだまま突き飛ばすと、勢い良く踵を返し食堂の出口へ駆け出していく。

 

「曙ちゃ――」

 

 

吹雪が慌てて席を立ち、曙を追いかけようとするが、朝霧は手でそれを制す。やれやれと言った表情で煙草を咥えた朝霧は、曙の背中を見つめながらゆっくりと後を追った。

 

何処まで走って来たのだろうか、見覚えのある道を我武者羅に走り回っていると、気がつけば朝霧と初めて出会った堤防まで来ていた。そこで足を止めた曙は、肩を落とすと鎮守府から漏れる光に照らされた堤防に腰を下ろし水平線を見つめた。言ってしまったと、今まであんな大勢の前で啖呵を切った事は無かった。それも着任して一日も経っていない中で、あんな事を言ってしまったのだ。熱した鉄に氷水が被せられた様に、曙は冷静さを取り戻し、迫り来る後悔の念に苛まれる。

 

「本当……何やってるんだろ私」

 

見限られ続けた曙は、鎮守府を転々とする度に自身の記憶と重なり心にもやもやが降り積もって行った。かつての提督達は確かに優秀だった。人と人との不毛な戦争は終わり、理解の出来ない理由でいがみ合う上層部も居ない。提督は艦娘を信頼し、艦娘は提督に期待に応える。

曙には素直に出来ず、容易くやってのける周りが非常に眩しく見えた。

 

内心では関わりを欲している曙だったが、先程曙の事を考え皆に自然と紹介しようとした朝霧を拒絶した。積もり積もった鬱憤が爆発してしまったのだ。すればどうだろうか、清々しいものだ。言いたい事をぶちまけるのがこれ程気持ちの良いものなのだろうか。今ままでの提督に対して罵倒していたものの、心の中まで暴露した事は一度も無かった。例えるならば会社で上司への鬱憤が溜まりに溜まり、全く関係無い取引先の社長率いる役員の前で暴言を吐き散らして会社を飛び出してきた気分だった。そんな事をすればクビになるのは火を見るよりも明らかであり、これでもう此処での生活も終わりだろう、解体の事を本気で考える。

 

「なんで……こんな事」

 

言うつもりは無かった、言って解決する問題では無いと曙は思っていたからだ。一度も吐露した事無かった心中を簡単に吐き出してしまった理由を漠然と探っている最中。自分が走ってきた道から、微かに足音が聞こえてくるのが分かった。それは段々と近付いて来ており、やがて顔が露になるとそれが今最も会いたくない人物だと分かり、曙は顔を引きつらせる。

 

「よーぼの。頭冷えたか」

 

「どう言う神経してるの?」

 

思わず頭の中で思った言葉がそのまま出てしまった。まるで何時もの朝の挨拶を交わすが如く、朝霧は普段通りの口調で曙に歩み寄ってきた。間髪入れず曙の隣に座り込むと、咥えていた煙草の火を消し、携帯灰皿の中へと押し込んだ。

 

「曙が俺の事そんなに信頼してたとは、一目惚れか?」

 

「……意味不明すぎるわよ。頭の中どうなってるの?」

 

何をどう繋げれば信頼と言うワードに辿り着くのか。本気で分からなかったが、朝霧が来る直前まで考えていたものの答えを自覚し、喉まで出ていた次の罵倒を飲み込む。

 

「……怒ってないの」

 

「怒ってるように見えるか」

 

「全然」

 

「ならそういうこった。まあ強いて言うなら曙を此処までほっといた連中に怒ってるよ」

 

最後の最後、曙は天運に見舞われた。不幸続きな前世、艦娘としての人生の中で、ようやく報われたと言ってもよかった。

 

「心配しているの?」

 

「だから見に来た。吐き出せばすっきりしたろ?」

 

「……私にその気は無かったわ。だけどあんただからこそ、何か吐き出す気になった」

 

人間も艦娘も、誰しも何かを背負い、気負いながらそれを消化して生きている。消化しきれない分は、何かしらの方法で積もり行く前に晴らしていく。しかし相談出来る相手が居らず、それを溜め込み続けていた曙は溜まった鬱憤を晴らすのが非常に下手であった。降り積もった鬱憤は曙の心を蝕むが、それを内向的に処理し、更に悪化させる。

しかし、朝霧との出逢いこそ曙の天運だった。その提督らしからぬ男は曙の心中を察し、その問題を解決する手助けをした。曙はその男を無意識に信頼し、その手助けを受け取った。この男なら大丈夫と、初対面で曙はそれを感じ取っていた。だからこそ朝霧に全てを吐き出し、心の中を曝け出す気になったのだ。

 

「陸でのうのうと見てるだけのクソ提督。大嫌いだった」

 

「なら俺がボートで曳航しようか?」

 

「引っ張ってあげようかしら」

 

「面白そう」

 

「邪魔なだけよ」

 

「……あの戦争は終わった。今いるのは明確な敵。くそったれの深海棲艦」

 

「……そうね」

 

「過去を顧みるのは良いけど、前向かねえと一生進まんぞ」

 

「……分かってるわよ」

 

「にしても犬ねえ。犬っぽい、ぽいのは居るけどな」

 

「……私を怒らせる為にわざとあんな真似したの?」

 

「不器用で悪かったな」

 

「……お互い様よ」

 

曙はさて、と一息吐くと腰を上げ、スカートについた砂を払い落とす。先程まで見つめていた水平線がやけに鮮明に映った。こんな感覚はかつて無かった、曙には分からなかったが、世間一般で言う吹っ切れた状態であった。そのまま朝霧に背を向けると、元来た道を歩き始める。やがて歩く速度が上がり、次第に駆け出したその背中を見つめていた朝霧は、煙草を咥えると灰に煙を流し込み、空へ吹き上げた。

 

「ああいうかっこええ事はすらすら言えるのに。なんで告白になったら途端へたれるんやろなあ」

 

「……覗き見とは趣味が悪い」

 

龍驤は曙が走っていった反対方向から顔を出すと、腰を下ろしている朝霧の横に座り込み、体を密着させる。朝霧の腕を掴み、両手で握り締めると、肩に頭を預け猫なで声を漏らす。

 

「つよなったなあ」

 

そっと目を閉じた龍驤の頭を撫でた朝霧は、曙の事を案じたが、根はしっかりしている曙の事を信頼し、もうしばらく二人の時間を楽しむ事を優先した。

 


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