彼は再び指揮を執る   作:shureid

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恋するヲ級

意識が一瞬飛んでいた。

右半身の感覚が無い。今分かるのは少しの波に抗う事も出来ずに海上を成すがままに漂流している事だけだった。まだあれの気配はある、しかし追撃してくる様子も無い。恐らく自分は既に死んでいると思っているのだろうか。まあそうだろう、自分でも驚いている、これでまだ死んでいない事に。このままやり過ごそうとヲ級は考える。右腕が無いのは不自由だが、此処を乗り切れば回復し生き長らえる事は出来るだろう。ヲ級は波に身を任せ、完全に気配を殺し、防空棲姫がこの場を離れる時を待つ。

 

さてどうしたものかと、防空棲姫は自分の眼前で仰向けに力無く海上をたゆたっているヲ級を見下ろしながら考えに耽っていた。右腕は跡形も無く吹き飛び、右脇腹はごっそりと抉り取られ、右目は完全に潰れ辺りを蒼色の血で染め上げているヲ級は先程からピクリとも動かない。

これがあの鎮守府で余計な事を洩らしている可能性は非常に高く、それが浸透する前に決着を付けに行くべきだと考えていた。盾として下位固体を大量に投入すれば後は自分一人で何とかなるだろう。本当は上位固体をつけるのが万策だろうが、生憎この裏切り者のせいで火急となってしまった。ヲ級に背を向け、下位固体を呼び寄せ始めた時、一瞬何かの気配を感じ振り向くが、そこにあるのはヲ級の死体だけであった。

 

「気のせいねぇ」

 

あれは自分に背を向け何をやっているのだろうか、その疑問は次の瞬間には晴らされる事となった。下位固体を呼び寄せている。つまり鎮守府に襲撃を仕掛けると言う事なのだろう。

 

(…………あそこにあの人は居ない、どうでもいいや)

 

ヲ級の記憶では朝霧は鎮守府にはまだ戻っていない筈である。あの出来事から今まで数時間程しか経っていない。鎮守府が落とされても朝霧に危害が加わる訳ではない。自分には関係の無い話だ。

 

(…………関係無い)

 

防空棲姫は桁外れの強さを誇っている。恐らく鎮守府総出で討伐に当たっても、勝てる保障は無い。数艦は必ず海の底で眠る事になるだろう。自分は深海棲艦だ、個人的好意で朝霧を好いているが、艦娘と馴れ合うつもりも無い。第一瀕死の自分に何が出来るのだろうか、足止めにしても数秒も持たないだろう。その事実にかえって冷静になったヲ級は漠然と考えていた。何故自分はあれに敵わなかったのだろうと。同じ深海棲艦でも当然固体差があり、性能の差がある。だがこれ程通用しないものなのだろうか。

艦娘にも同じ事が言える。何度か追い詰められた場面はあった、しかしそれは全て痛み分けで終わっていた。何故だろうか。

 

(関係、無い)

 

こんな場面で、まさかこんな哲学じみた事を、自分が考える事になるとは思わなかった。だがその答えはあっさりと出た。あそこに行かなければ一生辿りつかなかったであろう答え。生きるものの義務であり権利である。皆自分の命を優先させるからだろう。艦娘は此方が幾ら弱っていようが、隊に轟沈の危険がある者が出たら惜しみなく撤退していく。だが例外が多少あった。確かあの鎮守府近くのもう一つの鎮守府、一時期あそこにこっぴどくやられた記憶がある。何故だろうか、それは我が身を優先せず、轟沈覚悟で攻めてきたからだった。ならばもしかすれば。その時、朝霧の一言が脳裏を過ぎる。

 

「まあなんだ、この鎮守府に艦として入った時点で俺の部下だ」

 

(…………だったら、――すれば褒めてくれるかな)

 

だがそれをしようと思えば、確実に自分は朝霧に褒められる機会を得る事も無く、海の底に沈むだろう。朝霧が不知火や金剛を撫でていた光景を思い出す。褒められた事は一度も無い。どんな気分になるのだろうか。不知火も金剛も非常に嬉しそうだった。

こいつを、こいつを沈めれば、それは朝霧にとって喜ばしい事である。それを実行すれば、朝霧は喜んでくれるだろう。ならば自分の身などどうでも良い、何故なら朝霧が好きだから。

 

「あらぁ?まだ生きてたのぉ?」

 

「………………」

 

防空棲姫は背後から不自然な飛沫が上がったのを受け振り向くと、恐らく立ち上がっただけでも奇跡であろうヲ級がそこに立っていた。

 

「あのまま死んだフリで良かったんじゃないのぉ?」

 

「お前を、殺すッ!」

 

依然隙だらけの防空棲姫の懐に踏み込んだヲ級は覚悟を決める。体は殆ど限界に近い、此処だ、此処で決めなければもう立ち上がることすら出来ないだろう。この時、唯一ヲ級に味方したのは、防空棲姫の慢心だった。万全の状態で挑んで全く歯が立たなかったヲ級が、最後の特攻に出ただけだった。全く脅威ではない。しかし、目の前のヲ級は先程までの保身で挑んできたヲ級ではない。思い人の為、深海棲艦としてでは無く、朝霧の部下として、艦娘としての意義の為。そして何より、自らの命を差し出した渾身の特攻。

残った左手を突き上げ、防空棲姫の首をそのまま握り潰す勢いで掴みあげる。防空棲姫は煩わしいと握った拳を、ヲ級の右脇腹へと突き出す。容赦無く抉れた箇所に拳が突き刺さるが、ヲ級は左手の力を緩めない。抉れた箇所が完全に空洞になるが、それでもヲ級は防空棲姫の首を絞め続ける。徐々に増していく力に、一瞬身の危険を感じた防空棲姫は、ヲ級を何とか引き離そうと、腹部を蹴り飛ばすが、それでもヲ級の手は離れない。

頭部と体が別れるのではないかと思う程強く握り締められた防空棲姫は一瞬冷や汗をかいたが、冷静に対処する事を選び未だに首を絞め続けているヲ級の左腕に狙いを定める。

これだけ張り付かれていては砲撃は使えない、自分に被害が出てしまうからだ。先程の魚雷も少々危なかった、回避行動を取っていなかったら少なからずダメージを受けていた筈であった。だが、瀕死のヲ級の何処にこんな力があるのだろうか、本当に握り潰されそうな焦燥感に駆られ、選択の余地は無いと判断する。これさえ何とかしてしまえば、後はただの達磨だろう、ヲ級の左腕に主砲を容赦無く撃ち込んだ。

強烈な爆風が周囲を襲う。主砲が直撃したヲ級の左腕は確実に跡形も無いだろう、その証拠に自分の首に掛かっていた圧力が消えた。視界は爆風に包まれ何も見えないが、もう死体を確認するまでも無い。我ながら自分の砲撃の威力に惚れ惚れする、少々視界が歪む程の威力だった。

 

「…………に」

 

なんだ、髪が引っ張られた様な感覚があった。

 

「……を――殺すッ!」

 

何が起こったのだろうか、目の前にあるのはヲ級の両足。

右腕も、左腕も完全に吹き飛ばされたヲ級は最後の力を振り絞り、吹き飛ばされまいとしたヲ級は、間一髪の所で防空棲姫の髪の毛に文字通り喰らいつく。血が出んばかりの勢いで歯を食いしばったヲ級は、両足を振り上げ、防空棲姫の首を挟み込むように絡ませる。それは艦娘にも、深海棲艦にも辿り着けなかった境地。純粋な殺意、そして純粋な好意の力。嘗て無い程力を込めた両足を、全身を捻りまるで鋏で物を切るように締め上げる。

防空棲姫は生命の危機を感じ、自分の中で鳴らされ続けている警鐘に従いヲ級を排除しようと拳を振り上げる。振り上げた拳はヲ級の顔面に突き刺さる、確かな手応えがあった。しかし自分を締め上げる力は緩まない。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!」

 

言葉を発する事も出来ず、ただもがくだけになった防空棲姫に、ヲ級は獣の様な雄叫びを上げながら。その頭部を捻じ切った。力無く崩れ落ちた防空棲姫に、受身を取る事も叶わずヲ級は海面に叩き付けられる。

 

「提督……私……やったよ……褒めて……くれるかな」

 

褒めて欲しいと両手を空へと伸ばそうとするが、その両手は既に失われている。痛みなどとっくに感じておらず、今は心地の良い気分だけがヲ級を包み込んでいた。やっと分かった。人の為に、何かを成し遂げると言う行為が。何故あの時不知火は自分の身を危険に晒して朝霧を助けたのか。

穏やか波に揺られながら、夜空を見上げたヲ級は瞳から一筋の粒を落とすと、その目をゆっくり閉じる。

 

「でも……やっぱり……寂しいな……」

 

そのヲ級の遺言を聞き届ける者は居らず、それは夜の潮風に掻き消されていった。

 

 

 

「もしもーし」

 

「先輩ですか?」

 

「おう」

 

そこは何時もと変わらない昼下がりの司令室。一日の入院を経て病院を抜け出してきた朝霧は、デスクでその日秘書艦であった山城をどうからかってやろうかと画策していた所に、墨田からの電話を受けていた。

 

「今から上に報告する所ですが、近隣の哨戒にあたっていた青葉さん達が防空棲姫の死体を見つけたと報告がありました」

 

「防空棲姫ッ!?」

 

これには流石の朝霧も声を上げて驚いていた。防空棲姫と言えばまさに深海棲艦最後の砦とも言って良い最強の上位固体であった。山城は突然声を上げた朝霧に驚き、体を震わせると同時に落下したペンを拾いながら不幸だわと呟く。

 

「ええ……かなり不可解な状況みたいです。胴体と首がまるで捻じ切られたように離れた防空棲姫と、近くに両腕と右目の無いフラヲ改の死体も発見されています。仲間割れの線がありますが」

 

朝霧は墨田の言葉を受け、言葉を詰まらせると胸を締め上げられた様な気分に陥る。

 

「……ああ、分かった」

 

「ですがこれで、LE攻略にかなり近付いたんじゃないでしょうか。あの防空棲姫と、フラヲ改が同時に居なくなったんですから」

 

「……そうだな」

 

「……先輩?」

 

「いや、何でもない。報告よろしくっ」

 

「はい」

 

朝霧は受話器を置くと、山城に少し出てくると言い残し司令室を後にする。

 

「司令?」

 

道中朝霧とすれ違った不知火は、朝霧の様子を不審に思い声をかける。朝霧は着いて来いとジェスチャーすると、不知火を待たずに足を進めて行った。防波堤まで一言も言葉を発さず辿り着いた朝霧は、その場に座り込むと容赦無く照りつける日差しに顔を顰めながら水平線を見つめる。冬の潮風が朝霧に吹き付けるが、意に介した様子も無くただただ呆けている。

 

「……俺は間違っていたかな、不知火」

 

その時点で不知火は朝霧の真意を察し、寄り添うように腰を落とした。

 

「……あの時、ヲ級を帰した不知火の判断が間違っていました」

 

「いや、どうせ翌日には帰してた、それが少し前になっただけだよ」

 

「……やはり此方側に懐柔させれば」

 

「……そうすべきだったのか、分からん。あそこであいつを追い返していたらあいつは死なずに済んだかも知れない。だけど、そうなったとしてもどうせ何処かの艦娘があいつを沈める」

 

「………………」

 

「……お前はそれで良かったのか、ヲ級」

 

少なくとも、ヲ級が鎮守府を訪れなかったらこの話は始まる事無く、何時も通りの日常として過ぎ去って行っただろう。その問いに答える者は居らず、ヲ級と同様、その言葉は潮風に掻き消されていった。

 


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