「ふぅ…………」
「らしくないですね。そんな顔するなんて」
「そりゃそうだろ、トラウマレベルの作戦だぞ、これ」
大本営での作戦会議を終えた朝霧は、会議室の前で資料を握り締めながら溜息を吐いていた。
肩を竦めながら歩み寄ってきた墨田は、手に握っていたコーヒーの缶を朝霧に手渡す。それを受け取った朝霧は一言お礼を言いながら蓋を開ける。
「あの時よりも参加する艦の数は遥かに多い、それでも不安よ。姫級がわんさか居るんだぞ」
LE海域、深海棲艦は其処から沸いて出ているとも言われており、日本から見て東方にあるそこを統治すれば、日本が持つ海域が圧倒的に広くなる。現在深海棲艦を完全に根絶する事は不可能と言われている為、そこの海域を奪還する事が最終目標といわれている。これを成功させれば、深海棲艦が出現する前とさほど変わらない範囲の海を手にする事が出来る。そうなれば軍備も縮小される事となり、国内の船舶の渡航であれば艦娘による護衛も必要なくなる。押し込めたままその付近の防衛を固めれば、深海棲艦が此方へ進行するルートは無くなる。実質海域を深海棲艦から取り戻す事となる。
「それに、俺の鎮守府の第一艦隊、ありゃ意趣返しかよ」
「似合ってると思いますよ?」
会議の主題でもあった艦娘の編成。各鎮守府の提督により念入りにそれは組まれ、その結果として、横浜鎮守府の第一艦隊はあの当時と全く同じ編成に決定していた。
「……まあ、やりやすくていいな」
不思議と気負う事も無く、あの面々とまた作戦が出来る日が来るとは夢にも思っていなかった朝霧は、この編成を推した墨田に内心感謝しながらコーヒーを飲み干す。
「赤城さんと加賀さんには直ぐにそっちへ向かってもらいます。飛鷹さんと翔鶴さんにも早めに此方へ向かって貰うようお願いします」
「はいよ」
作戦は二週間後に予定されており、それに備え現在より艦娘達の鎮守府の異動が行われる事となっていた。東方作戦の主要鎮守府として横浜、横須賀の鎮守府が選抜され、主な機動部隊はこの二つの鎮守府に集まる事となるほぼ全戦力が投入されるこの作戦は当然失敗する事が許されず、国民の不安や反対勢力の事を考えると、二度目の失敗は有り得なかった。
「……やれる事をやるさ」
「ですね」
墨田と別れた朝霧は、帰りの車の中で資料を睨み付けながら他艦隊の編成を考え続けていた。
戦力が偏らない様に他鎮守府の編成と見比べながら、比較的戦艦の多い横浜の戦艦をどう振り分けるかや、潜水艦をどう使うか等、考える事が山積みになっていた。普段なら何かを読もうものなら車酔いしてしまう朝霧だったが、それを全く感じない程集中し続け、気付けば横浜鎮守府に到着していた。
運転手に一言礼を告げると、車から降り横浜鎮守府の門を潜ろうとするが、その寸前で足が止まる。あの時門を潜ってからおよそ半年が経ち、激動の時を過ごしていた事を思い返す。あの時は潜った瞬間目が眩んだが、門を潜った今、視界が鮮明に映っている。そして司令室へ向かう道中、廊下を歩きながらこの半年間の数々の思い出を振り返っていく。
龍驤が訪れ、不知火に連れられ戻ってきた鎮守府。電達を助け、レ級と白兵戦をした。鎮守府が奇襲されたり、ケッコンについて多々悩んだ。本当に多くの出会いと出来事があり、様々な人間に支えられてきたと実感する。司令室の扉を開けると、其処には変わらぬ光景が広がっていた。瑞鶴がデスクに向かい合い、鈴谷と北上がソファーに寝ている。この光景を胸に刻んでおこうとしたが、また見る事が出来ると思うようにし頭を横に振った。
「あら、お帰り」
「おう」
瑞鶴に資料の内容を説明する為に北上と鈴谷を追い出した朝霧は、ソファーに腰掛け資料を机の上へ放る。お茶を淹れた瑞鶴は湯呑みを朝霧に差し出すと、向かいのソファーへ腰を下ろし朝霧の放った資料を手に取る。
「いよいよ、ね」
「…………ああ」
「にしても、第一艦隊にあの時の編成を使うなんて」
「俺じゃねえよ、墨田に言え」
「いや、良いんじゃないの。やっぱりあんたに似合ってるわよ、あの艦隊は」
「……そりゃどーも」
「にしても、これから忙しくなるわね」
「ああ……頼むぜーずいずいー」
「そこらへんは任せてよ。伊達に運営能力育ててないわ。今だったら大淀さん並よ」
「頼もしい」
「……あんたこそ、大丈夫なの」
「俺か?」
朝霧はどう答えたものかと頭を掻き、目を泳がせていたが、素直な気持ちを答える事に決める。
「気にしてないと言ったら嘘になるけど、不安じゃねえよ。何故なら俺の第一艦隊は最強よ」
「らしいわね」
瑞鶴は笑みを漏らすと一息入れ、勢い良く立ち上がる。これから艦の異動や、二週間後に向けての綿密な作戦の計画や、演習が必要になる。そうなると必然的にそれをまとめる艦が必要になるが、瑞鶴程適任な艦も居らず、これまでの大規模作戦とは一線を画す規模になるものの、経験を積んだ今の瑞鶴からすればさほど問題のあるものではなかった。
「じゃ、やるわよ。提督さん」
「……やっと呼んでくれたな、覚えてるぞ、あの時皮肉で一回言われたっきりだそれ」
「そう?もう認めてるわよ、提督さんの事。じゃ、やる事あるから」
瑞鶴はそう言い残すと異動の旨を各艦に伝える為に司令室を後にする。残された朝霧は腰を上げると、居ても経っても居られず、既に此方へ向かって居る筈の赤城と加賀を迎える為に門へととんぼ返りし始めた。比叡は帰る寸前に大本営から報せを受けており、大規模作戦が展開されればどの道此方へ来る為、此方へ留まっておいた方が良いと判断され横浜鎮守府で待機していた。門前へと向かった朝霧は、背中を門に預け煙草を咥え二人の到着を待つ。煙草を一本吸い終わった瞬間見えた車に、思ったより早く到着したなと思いながら吸殻を灰皿へと押し込む。車から降りた赤城と加賀に手を上げ軽く会釈し、それを受けた二人も頭を下げる。
「お久しぶりです」
「おっす、赤城とは一応初めましてだっけ」
「はい。噂はかねがね。本日よりよろしくお願いします」
挨拶を軽く済ませた朝霧は、司令室へ案内しようと踵を返す。後に加賀、赤城が続き、初めて入る他の鎮守府に目を輝かせた赤城は辺りをキョロキョロと見渡す。道中すれ違った龍驤を捕まえ、司令室へ戻った朝霧は府内放送で金剛、比叡、北上を召集する。元気良く廊下を駆け抜け司令室へと飛び込んできた金剛に、比叡が続く。そして後から眠そうな北上が司令室に入り、そこにはあの時の第一艦隊の面々が揃っていた。
「楽にしていいよー」
背筋を伸ばし、微動だにしなかった赤城と加賀だったが、その言葉に反応しソファーへ寝転んだ北上につられ少し体勢を崩す。龍驤は向かいのソファーに座り、その横に金剛が腰掛ける。比叡は金剛の膝の上に腰を下ろすと、頭を預ける。その様子を見た赤城と加賀は顔を見合わせ、緊張していた顔を緩ませると、二人は北上が寝転んだソファーの横に腰掛ける。
デスクから見るその光景は、まさにあの時のものであり、あまりの懐かしさに話す内容を忘れ呆けてしまう。
「キミー。そのまま寝るんちゃうやろなー」
「っおう……まあそうだな」
朝霧は作戦概要について話そうと考えが、自然と自身の胸の内を語り始めた。
「赤城と加賀、金剛は詳しく分からないと思うけど。俺はこの面々が揃う事になるなんて夢にも思ってなかった」
その言葉に、北上、比叡、龍驤は同感し、深く頷く。一方の三人はあの作戦の話だけは聞いていた為、その意味を理解していた。
「先ずはお礼かな。皆ありがとう……そして赤城!」
「はい?」
「この艦隊の旗艦はお前に任せる。色々負担が大きくなると思うけど……頼んだ」
「お任せ下さい」
「加賀、一航戦としての戦い期待してるぞ。それと赤城の事も支えてやってくれ」
「ええ。期待していて」
「金剛、お前がこの艦隊を引っ張ってやれ、旗艦だけが艦隊を任される訳じゃないからな。それと皆を頼れ」
「オッケー!目を離しちゃノンノンヨー!」
「比叡も金剛を支えてやってくれ、厳しい戦いになるからな」
「はい!比叡の戦い見ていて下さいね!」
「北上!最近魚雷撃ってなくて溜まってるだろ。好きなだけ撃っていいぞ」
「おっ!しびれるねえ。りょーかい」
「龍驤……色々世話になりっぱなしだったな。お前と会えて本当に良かったよ」
「何やぁ、こんな時に告白かいな」
満更でもない龍驤はにやけながら次の言葉を待つ。
「茶化すなよ。頼りにしてるぞ、この作戦の成功にはお前が絶対不可欠だからな」
「何やプレッシャーかけるなぁ……了解や。任せとき!」
改めて面々を見渡した朝霧は、ようやく此処まで戻って来れたと実感する。これが正真正銘最後の戦いであり、朝霧はこの作戦がどう転ぼうが、これで手打ちだと考えていた。
自身に出来る事は指揮だけであり、後は艦娘達にかかっている。毎度見ているだけの自分がもどかしくなる。今もそうであった。こうして激励する事しか出来ない悔しさを胸に抱えている。その事が顔に出ていたのか自然と俯いてしまい、それを見た龍驤は仕方が無いと立ち上がると、朝霧の両手に自分の手を重ねる。
「あんな。誰もあんたが陸の上に居る事を責めたりせえへんよ。……まあ、こんな時やからな。その……言うんやけどな」
顔を上げた朝霧と目を合わせた龍驤は、こっぱずかしそうに顔を真っ赤にすると、決心し口を開く。
「安心するんや、キミが待っててくれるとな。他の連中もそうやと思うで、大切な人が居るから頑張れるんや。やからそんな風に悲観的になるんは徒労って奴や」
「……大胆だな」
「うるさい!この際やからなんでもええねん!やからキミは何時も通りそこでふんぞりかえっとったらええんや!」
「りょーかい」
「ほな……今から二週間しかない!皆!忙しくなるでぇ!」
龍驤の声に反応し、面々は声を上げる。この場をどう締めようか考えていた朝霧だったが、龍驤に感謝しながら今この瞬間を迎えられた幸せを噛み締める。自分の提督人生を締めくくる最後の大舞台に胸を高鳴らせ、かつ冷静にその瞬間を待つ。
二週間はあっと言う間に経ち、冬が終わり春の陽気に包まれ始めた中、作戦当日を前にした深夜、朝霧は宿舎へと出向いていた。