リトルバスターズ! ~理樹くんの異世界モンスターハンター奇譚~ 作:九十九足一
その日も『王』は、遥か高度を単独で飛行していた。
ふと地上を見下ろすと、一匹のリオレイアが歩いている姿が視界に入った。
『王』には、それが以前出会ったリオレイアであるとすぐに判った。リオレウスの持つ優れた視力は、相変わらずみすぼらしい姿をした片翼の雌火竜をしっかりと視認していた。
高度を落とし、リオレイアの近くに降り立つと、彼女に問いかけた。
“あの子供は死んだのか?”
リオレイアの傍らには、あのときの幼竜はいなかった。
最後に見たときも、長く生きるとは思っていなかった。だから死んだのかと尋ねたのである。
雌火竜はゆっくりと首を振った。
“あの子なら、一月前にこの山を旅立ちました”
“なに、どういうことだ?”
“この数年で体も大きくなり、空も飛べるようになったため、出て行ったのです。もうあの子にとって、この山も私も必要なくなったので、私はあの子の旅立ちを見送りました”
『王』は驚いた。
最後に見たときのあの幼竜は、明らかに衰弱しきっていた。生まれつきなのか身体も小さく、歳を重ねたところで満足に空を飛べるほど成長できるかどうかも疑問だった。
少なくとも――『王』の育った山なら、真っ先に淘汰されるような存在だっただろう。
それが回復して、なおかつ空を飛べるまでに成長できた事が、俄かに信じられなかった。
まあ、それ自体も驚きであったが――なにより『王』にとって衝撃的だったのは、目の前のリオレイアの様子である。なぜ、そこまで大切に育てた子供がいなくなって、そう平然と受け入れているのだろうか。
“なぜ、一緒にこの山を出なかった? 実の子ではないとはいえ、それでも今まで育ててきたのだろう”
雌は、やはり薄く笑って言った。
“この体では、一緒に飛んであげる事もできません。私が付いていっても、お荷物になるだけでしょう。だから、私はあえてこの山に残りました。――それに、子はいつまでも親と一緒にいるべきではありません。あの子の幸福を思うなら、子が一匹で巣立つことは、寧ろ喜ばしいことなのです”
“幸福――だと?”
雌火竜は、はい、と答えた。
“私が一緒に居れば、確かにこの先もあの子を守ってあげる事はできるでしょう。ですが、それだと逆にあの子の可能性をつぶしてしまいます。あの子がこの先困難に直面して、あの子自身の力で乗り越える事ができるようになってくれるのならば、それだけあの子の将来の選択肢も増えるでしょう。それはきっとあの子の幸福にも繋がっているはずですから”
淡々と語る雌火竜。
その姿は、心から我が子を信頼しているように思えた。
『王』には――衝撃だった。
目の前の雌の言葉の内容は理解できる――しかしそれは、『王』には今まで考えた事もないことだった。
他者の幸福のために、そこまで考え、行動できる事――今までずっと崇められ、独りで生きてきた彼には、及びもつかない価値観だった。
『王』と比べて、あまりにも脆弱で、みすぼらしい姿をしたリオレイア。だが、彼女の言葉を、くだらないと切り捨てる事は、『王』には――彼自身にも説明が付かない理由で――どうしてもできなかったのである。
そうやって、『王』が内心打ちのめされていたときだった。
「――おかーさん」
物陰から、小さな人間の女の子が飛び出してきた。
その幼女は、まっすぐにリオレイアの元にやってくると、彼女の足にしがみついた。
“――人間!?”
驚く『王』に対し、雌火竜は落ち着いた声で答えた。
“あの子とは別の、私の子供です”
“まさか……人間の子供を育てているのか!?”
『王』の問いに対し、雌火竜はやはり落ち着いた声で、はい、と答えた。
“しばらく前に、山で一人いたところを見つけたのです。訳があるのか、見つけたときには全身怪我をしておりました。それ以来、私のことを母と思っているようなのです”
“馬鹿な……”
『王』は今度こそ言葉を失った。
仮にも火竜の一族にあるものが、人間を育てられるはずもない。それは天空に生きる者と、地上に這い蹲るしかない者との絶対的な差によるものだ。生活も違うし、ただの『餌』に過ぎないような生物を、我が子のように育てることなどできるものではない。
ところが、その人間の子は、リオレイアをまるで実の母のように懐き、雌火竜もまるで実の子のように慈しんだ視線を向けている。その様子は、まるで仲睦まじい母娘のような――いや、母娘そのものであった。
“……どうせすぐに上手くいかなくなって、死なせることだろう”
『王』はそのように言い捨てて、逃げるように飛び立っていった。
その後、『王』は時々その山へと様子を見に行く事を続けた。
どうしてそうしたのかは、彼自身にも解らなかった。
ただ――その母娘のことが、どうしても気になって、気が付けばその山へと降り立っていたのである。
最初は、上手くいくはずもないと思っていた。
ところが――数週間経ち、一月、数ヶ月、半年、一年と母娘を続けている一匹と一人に対し、『王』次第に馬鹿にする事ができなくなっていった。
“餌はどうしているのだ? お前のその身体では、子供に満足に餌を捕ってきてやることもできないのではないか?”
ある日、『王』は尋ねると、雌火竜は教えた。
“この山には、様々な木々や川があります。例えば――”
そう言って、彼女は近くの木を、身体を使って軽く揺らした。しばらく揺らすと、ポトポトと木の実が落ちてきた。
それを見た人間の女の子は、わあ、と笑って木の実を食べ始めた。
“……なんだ、人間とはこんなものまで食べるのか?”
餌と聞けば、獲物を狩ることしか頭にない『王』には、とうてい信じられない話だった。
“はい、他にも川の魚とかですかね。食べさせるときには、私が焼いてあげなければならないですけど”
苦笑するリオレイアに対し、ふと、『王』は思った。
もしも仮に、自分がこのリオレイアの立場だったならば、ここまでできるのだろうか。
かつて、死にかけだった幼い竜を回復させたこと、そして今も、人間の子供を育てていること――
そうだ、自分は確かに絶大な力を持っている。だが、それは、『壊す』ことしかできない力だ。こんなふうに――命を育むことはできないし、それについても何も知らないのだ。
自分が絶対的な存在である――『王』のその認識が崩れ始めた、そのときであった。
それからも、『王』はその母娘の所へ通い続けた。
ある日は、リオレイアが川で捕った魚を口から火を吐いて焼き、娘に分け与えていた。
またある日は、リオレイアが娘を背中に乗せて、草原を走り回っていた。
そしてまたある日は、雨の中、リオレイアが残った片翼を屋根にして、娘を雨宿りさせていた。
来る日も来る日も――その母娘は平和に暮らしていた。
この頃には、『王』の中に一つの疑問が生まれていた。
彼女たちの境遇は、決して恵まれているとはいえない。
片や、片翼しかなく、空も飛べず、卵を産むこともできない、みすぼらしいリオレイア。
片や、実の親も知らず、山に捨てられていた人間の子。
『王』のような力を持たず、地べたに生きるしかない、ただの脆弱な存在。
なのに――どうしてそこまで幸福そうに生きられるのだろうか。
そうして、気が付けば、『王』はその雌と番になっていた。
ボロボロの、みすぼらしい姿をしたリオレイア。卵を産む事ができず、『王』の優秀な遺伝子を残す事もできない。
だけど――『王』にはそのリオレイアが、故郷の山にいる他のどの雌火竜よりも魅力的に思えた。自分の持つ『王』としての力に群がるしかない雌よりも、何一つ持たず、誰にも頼らずとも、他者を幸福にし、自分を幸福にする術に長けたその雌が、何よりも偉大に思えたのである。
そうして故郷の山を離れ、その小さな山での生活が始まった。
片方しか翼のない彼女は空を飛ぶ事ができない。
そうして彼女に合わせるとなると、必然的に生活の大部分が、地上での暮らしを余儀なくされる。
『王』の自慢の翼も、そうなれば形無しだった。
だが、そうすることで、多くのことを知ることができたのである。
山には、自分たち以外にも多くの獣たちがいた。どうやら、この山には『王』が思っていた以上に、多くの自然に恵まれた土地らしかった。
自分たち以外にも、そうした動物やモンスターたちにも家族がいて、それぞれが懸命に生きていた。その様子を、自分から他の命に触れ合う事で知ることができたのである。
この大地に生きる多くの生命。
時には種族すら超え、命が育みあい、生きている姿。
自分たちも含め、『生きる』こと自身に優劣などあろうはずもない。
互いが支えあい、生きている様、それが『王』にはとても眩しく思えた。
それは――かつて、天空から全てを見下ろしていたときの自分には、決して気付くこともないだろう事実だった。
高みから全てを見下ろして、すべてを詰まらないものであると決め付けて、世界を知ったつもりになっていた自分。その実、何も見てはいなかったのである。
そう気付いたとき、『王』の目には、世界のすべてが変わった気がした。
いや――世界は最初から何も変わってなどいない。
変わったのは、私だ。
変えてくれたのは、彼女だ。
『王』の目には、世界の全てが命で輝いて見えるようになっていた。
結果的にいえば、『王』は自分の国を捨てた事になるのだろう。
本来守るべき国を捨て、祖国を出た裏切り者。
だが、彼は後悔などしなかった。あるはずもなかった。
傍らにいる雌火竜は、故郷の火竜たちように彼を『王』として見ず、『彼』として扱ってくれた。
妻と娘と一緒にいるとき、彼は『私』になれたのである。
妻と娘がいてくれる、ほんの小さな飛竜の巣。
これだけが、『彼』の王国の全てだというのなら、何の矛盾も不満もありはしなかった。
――愛を知らずに独り死ぬ事は、寂しい事でしょう――
彼女がかつて口にした言葉、その意味が、ようやく『王』には解るような気がしていた。