「はい、みんな先生の話を聞いてねー。次は、みんなに跳び箱を飛んでもらいます!」
その事件は、二時間目の体育の時間に起こった。
「ここで踏み切って……思いっきりジャンプ! ――はい、今の先生のお手本見た?
じゃあ男の子から先に立って、さっきの先生みたいに跳び箱に挑戦してみてー」
大事件と言えども、被害を受けたのは僕一人で、他の人からすると大事件とは呼べないような事かもしれない。
「すごい! みんな跳び箱ちゃんと跳べたね、えらいぞー」
「先生は俺たちの事甘く見すぎー」
「そーだよな! 三段ぐらいらくしょーらくしょー!」
「先生、まだみんなじゃないでーす」
「あ、ホントだ。何やってるの? 次は織部君の番だよ」
「――はい、飛びますっ!」
――それでも、僕にとってそれは重大なことで、大事件と言ってもいいほどの事だった。
「うそ……?」
僕は自分の目を疑う。
でも、何度見ても現実は変わらない。
飛び箱の上で、お尻をついてぺたんと座っている今の自分という現実は、全く変わってくれない。
……そう。僕は、体育の時間でクラスの男子が全員飛び箱が飛べた中、1人だけ跳び箱を飛ぶことができなかったのだった。
「あははははっ!! 織部ダッセーー!」
僕が呆然としていると、飛び箱に成功した男の子の中で一番太った大きな男の子が、僕に向かって指を差しながら笑う。
ああ……またアイツだ。
僕はそう思って、笑われた悔しさで歯を食いしばる。
今僕のことを笑ったコイツは、僕のクラスの中では“ガキ大将”的な存在だ。
自分勝手で、そして気に入らない奴をすぐに殴る乱暴者で、先生も手を焼く存在でもある。
僕は小学二年生のクラス替えで、初めて一緒のクラスになってから、このガキ大将にずっとからかわれ続けているのだった。
だから、僕は正直コイツのことは嫌いだ。大嫌いと言っても良い。
いつもなら、くやしい思いをグッとこらえて何も言わずに耐えるんだけど――今日の僕はそうする事が出来なかった。
「ううっ……も、もう一回!」
僕は、負けじと飛び箱にもう一度チャレンジする。
でも、また僕は跳び箱の上に座ってしまう。
すると、そんな僕の失敗と同時に、今度はガキ大将だけでなく、周りの男子からも笑い声が上がる。
「織部弱っちいーー!」
「こんな簡単な事が出来ないなんてうっそだー!」
みんなからの言葉のナイフがグサグサと僕の胸を刺す。
それでも僕は諦めずにもう一度飛び箱にトライする。でも、結果はどうしても同じだった。
それを見た男の子達から、また笑い声が爆発する。
「ううっ……どうして……?」
僕は何度やっても飛び箱が飛べない自分に、悔しさよりも悲しい思いの方が強くなっていった。
すると、さっきから笑ってばかりいたガキ大将が、僕に向かって聞こえるような大声でこう言った。
「やーい! お前本当に男かよー! なさけねぇぞー!」
「―――っ!?」
僕にとってその言葉は……その言葉だけは、言って欲しくなかった言葉だった。
「う、うううっ……! わぁぁーーん!」
僕はついに、こらえ切れずに飛び箱の上に座りながら泣いてしまう。
「あはははははっ!! 泣いた~~おいおい、織部のやつまた泣きやがったぞ~!
あっはははは! おっもしれ~! や~い、泣き虫~~!」
そんな僕を見て、ガキ大将はさらに僕に向かってそう言う。
そんな言葉に、僕はもっと情けない気持ちになって涙が止まらなくなった。
なんで……僕ばっかりこんな目に……
僕がそう思った―――その時のことだった。
「正ちゃんをいじめるな!」
そう言うと穂乃果ちゃんは立ち上がって、もう我慢出来ないといった風に、僕をからかい続けるガキ大将を睨みつけた。
「うぅ……穂乃果ちゃん……?」
自分を庇ってくれる穂乃果ちゃんの声に、僕は涙で潤んだ目を輝かせる。
見ると、穂乃果ちゃんの後ろにいる海未ちゃんとことりちゃんも普段はあまり見せないような怒った顔で、ガキ大将や他の男の子を見ていた。
この二人も穂乃果ちゃんと気持ちは同じなんだろう。
僕はさっきとはまた違う理由で泣きそうになる。
「なんだよ! 女がしゃしゃり出てくんじゃねーよなー!」
そう怒ったように言うと、ガキ大将が立ち上がり穂乃果ちゃんの所へズンズンと音を立てながら歩みよる。
「なにをー!」
そのガキ大将の威圧感に負けじと、穂乃果ちゃんはガキ大将に向かって歩き出す。
まさに空気は一触即発だ。いつケンカが始まってもおかしくない。
「みんなやめなさい! 織部君だって頑張ってるんだから!」
と、ここで先生がケンカに発展しそうな雰囲気を感じて、堪らず仲裁に入った。
「…ちぇ、つまんねーの」
ガキ大将は、熱が冷めたとでも言いたげに、元いた自分の位置に戻る。
「ううー! 正ちゃんに謝れー!」
「ね? 穂乃果ちゃんも落ち着いて」
先生の諭すような声に、しぶしぶといった風に穂乃果ちゃんは自分の位置に戻る。
「―――みんなを止めるのが遅くて、ごめんね織部君」
「ううん、大丈夫です……」
申し訳なさそうにそう言う先生に、僕は少し俯きながらそう返した。
その後、先生にコツなどを色々教えてもらった僕だったが、結局その日の体育では飛び箱を飛ぶことが来なかった。
結局飛べなかったな……そして、また穂乃果ちゃんに助けられちゃった。
いや、穂乃果ちゃんが助けてくれたのは嬉しかったんだ。
だけど……
――――やーい! お前本当に男かよー! なさけねぇぞー!
ガキ大将の言葉が頭から離れない。
このままじゃ僕……『カッコいい男』になんてなれないよ……
僕は結局、この日の学校が終わってすぐ、ランドセルを急いで背負って勢いよく教室からとび出したのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
『おとーさん……どうやったらぼくはおとーさんみたいに、カッコよくなれるの?』
――それは昔、僕が穂乃果ちゃんと出会って間もないころの話。
僕のお父さんがやっている楽器屋さん――『
『ああ? 俺がカッコいい? 馬鹿言え……一流のギタリストになるっていう捨てたはずの自分の夢を引きずって、こんなしがない楽器店やってるような、女々しい男だぞ?
それに、自分のヨメさんより稼ぎが少ないような、そんな男だぜ俺は? カッコ悪いだろ?』
そう言ってお父さんは、店のカウンターに頬杖をついた。
『ちがうもん! おとーさんはカッコいいもん!』
そう言うお父さんに、僕はムキになってそう言った。
お父さんは、いつだって僕やお母さんを一番に考えてくれるし、それにギターを弾いている時のお父さんは、テレビで見る他のどんなスターよりもかっこいいと僕は思っていた。
そう、お父さんは僕にとって一番『カッコいい男』だった。
だから僕はお父さんの事を真剣に見つめる。
こうして諦めずにいたら、お父さんの『カッコよくなる為の秘訣』を教えてくれるって、僕は思ったからだった。
『はぁ―――まったく、そんなキラキラした目で俺を見やがって、そういう所は本当に母さんに似たなお前は……良いぜ正也。
今からカッコいい男になる為には、大切な事は何かっていう事を教えてやる』
お父さんは仕方ないと言った風にため息をついた後、ニヤリと笑って僕にそう言った。
『うん!どうやったらなれるの!?』
僕はワクワクした。
きっとそれを聞いて、僕がそれを参考にして頑張ったら、きっと父さんみたいにカッコいい男になれるって思ったからだ。
僕は父さんの次の言葉を待った――
しかし、そんな父さんの口から出たのは、全く意味の分からない言葉だった。
『それはな……頑張らないことだ』
『……え?』
僕は、お父さんの言っていることの意味が分からなかった。
頑張らなくても……いいの?
『言い方が悪かったか、外見は努力が必要だしな……まぁ、これは持論なんだが、“本当にカッコいい男”ってのは、なろうと思って頑張るもんじゃなくて、勝手に
『…………??』
言い直されても分からなかった。
勝手になってる? どういう意味なのか僕にはさっぱりだった。
『ま、正也にはまだ早い話だったかもな。……大丈夫、俺はカッコいいんだろ? だったら、そんな俺の息子であるお前も、きっと将来カッコいい男になれるぜ!』
そう言って僕の髪をわしわし撫でてくるお父さんに、カッコいい男になれると言われて嬉しくなった単純な僕は、結局その後その言葉の意味を聞けずにいた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
僕は教室を出た後、穂乃果ちゃんたちといつも遊んでいる公園のベンチに、ぼんやりと座っていた。
「お父さん………本当に僕は『カッコいい男』になれるの?」
思い出すのは昔、お父さんから大切なことを教えてもらった記憶。
「勝手になってるって……なんなの……?」
じゃあ、いつまでたっても『カッコいい男』になれなかったらどうすればいいのだろう。
そもそも、具体的にどうやってなればいいのかもわからないのに、よくもそうなろうって思えたな僕って……
そう思って僕は落ち込んだまま、顔を上げられずにいた。
「はぁ……はぁ……正ちゃんみーっけ!」
「穂乃果ちゃん……」
その声に反応して僕はベンチに座りながら俯いていた顔を上げると、そこには息を切らせた様子の穂乃果ちゃんがいた。
気づけば時間帯はもう夕暮れ時で、僕がこのベンチに座ってから相当時間がたっているのに僕は気が付いた。
「穂乃果ちゃん……もしかして、ずっと僕を探して?」
「そうだよ正ちゃん! 今日は穂乃果達とドッチボールして遊ぶ約束だったでしょー!」
怒ったようにして僕にそう言う穂乃果ちゃん。
でも、その顔は約束を破って怒っているっていうより、僕を見つけて安心しているというような表情をしていた。
そうか……穂乃果ちゃんは、教室を飛び出した自分を心配して、自分のことをずっと探してくれていたんだ。
そう思うと、僕は嬉しい気持ちと、申し訳ない気持ちで一杯になった。
「穂乃果ちゃーん! 正ちゃんいたのー?」
ことりちゃんがそう言いながら僕の元に駆け寄って、その後には海未ちゃんが続く。
どうやら二人も穂乃果ちゃんと同じように、僕を心配して探してくれていたみたいだった。
「みんな……僕なんかの為にごめんなさい」
「正ちゃんは悪くないよ! 悪いのは他の男の子達なんだから!」
あまりに申し訳なくてつい謝ってしまった僕に、穂乃果ちゃんが怒った様子で言い返す。
「そうだよ……正ちゃん、あんなに頑張ってたのに」
穂乃果ちゃんの言葉に同意するように、ことりちゃんは悲しそうな顔をしてそう言った。
「私もそうだと思います……努力している人を笑うなんて最低です…!」
海未ちゃんに至っては、いつもの大人しい様子からは考えられないような強い口調でそう言う。
「みんな……ありがとう……」
僕はみんなの言葉を聞いて、嬉しくてまた泣きそうになった。
だって、その言葉からみんなが僕の事を本当に大切に思ってくれている事が伝わって来たから――
「だから正ちゃんは気にする必要なし!さぁドッチボールしよう!」
すると穂乃果ちゃんはそう言って、そんな湿っぽい雰囲気を払うかのように、勢いよく両手を上げる……しかしその手には何も無かった。
「穂乃果ちゃん……ふふっ……ボール忘れてるよっ」
ことりちゃんが耐え切れないといった風に笑う。
「ありゃ? ホントだ! ボール無いよ~!」
「穂乃果……ボールはたぶん学校に置いたままだと思います……ふふっ」
海未ちゃんもそう言った後に、クスクスと笑う。
「―――あはははは! 穂乃果ちゃんはしょうがないね!」
みんなが笑うにつれて、僕もさっきまで落ち込んでいたのが嘘のように笑った。
「もー! みんな笑わないでよー!」
僕達に笑われて恥ずかしくなったのか、穂乃果ちゃんはそう言って怒りだした。
ああ……やっぱり、みんなと一緒に居るのは楽しいなぁ。
僕は怒った穂乃果ちゃんを見て、そんな事を思いながら思いっきり笑ったのだった。
――その後、結局ドッチボールはまた明日ということになり、とりあえず今日は他の遊びをすることになった。
「じゃあ今日はなにして遊ぼっか?」
「穂乃果ちゃん、でももうこんな時間だから遊ぶ時間もあまりないよ?」
ことりちゃんの言うことはもっともな話で、今はもう夕暮れ時。
そろそろ帰ってもおかしくはない時間で、今から遊ぶとなっても時間は限られるだろう。
「うーん……そうなんだよね……なにしようかな……?」
穂乃果ちゃんはそう言って考え始めた。
そして、考え始めてしばらくした後、僕の顔を見て閃いたようにして言う。
「そうだ、みんなこっち来て!」
そう言って穂乃果ちゃんは走っていってしまう。
「え? 穂乃果ちゃんどこ行くの!?」
「いいからこっち来てー!」
穂乃果ちゃんが何がしたいのかわからなくて、穂乃果ちゃん以外の僕達三人は顔を一瞬見合わせたが、結局穂乃果ちゃんについていった。
そして、穂乃果ちゃんの目的の場所に意外とすぐに到着する。
――突然だけど、ここで僕たちがよく遊んでいるこの公園の特徴を説明しよう。
この公園は僕たちの住むこの町ではなかなかの広さを誇っていて、遊具があり子供が遊ぶための広場がある。
でも、この公園の一番の特徴を上げるとするなら、その広場の真ん中にまるで大ボスのように植えられている大きい木があることだと、この公園を知る子供たちは口々に言うだろう。
そう――ここまで言ったら分かると思うけど、穂乃果ちゃんが僕たちを連れてきたのは、まさにその木の所だった。
その、とっても大きい木の根元に立ち、穂乃果ちゃんは僕たちにこう言ったのだった。
「みんな! この木に登ってみようよ!」
今回はここまでです。
また次回は明日更新する予定ですので、もし良ければ、また読んで頂けると嬉しいです!