背中の矢筒には既に矢は無く、右腰に装着した矢筒は矢を使い切ったため既に放り棄ててある。左腰の矢筒ももう僅かだ。Moonが吹き飛ばされた光景を見たSaiは頭に血が上り矢を乱射した。リオレウスから引き抜けばある程度補充は出来るかもしれないが、ラージャンがそのような隙を与えるはずもなく。そんなことをした場合、ややもすれば無防備な那由多を標的にされかねない。ラージャンの傍に落ちた矢は、矢尻が完全に潰れており、使い物にはならない。ならば、自分が今すべきことはラージャンを釘付けにするしかない。
Saiは少しでもダメージを与えるために矢を射続けた。
JUNも同様、ティガレックス亜種の視線を逸らさせないために弾を打ち続けるが、決定打には欠ける。ベルトリンクに嵌めた弾丸も既に底をついている。本来ならばアカムトルムを討伐後、またはラージャンとティガレックス亜種の戦闘中に隙をついてベースキャンプに戻り置いてきた弾丸や矢を補充するはずだったが、今はそんな隙も余裕も無い。那由多をMoonと同じような目に遭わせないためにも、今は撃ち続けるしかない。弾が尽きたなら、最悪の状況那由多が置いた大剣を握ってでも彼女達を守るしかない。そう考えていた。
そして、その時は来た。軽弩の弾が尽きた。
大剣の位置も把握している。自分の後方20メートル。そこにあるはずだ。JUNは軽弩を投げ捨てると、後ろを振り返り大剣をその手に取るために全速力で走ろうとした。その時。
「あ゛ァ゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
ふいに那由多の叫び声が響く。あのおっとりとした口調の彼女が発狂した。
そこには笑顔は無い。悲しみに満ちた顔も涙も無い。怒りに身を任せたような、怨嗟がとぐろをまくような怒りの顔も無い。無表情だった。彼女の普段の振舞いを知る者には到底考えもつかない冷たい視線の那由多は歩いてきた道を振り返ると、走る。
転がっていた大剣を握りしめた。
「……殺す。」
口の端が吊り上がる。だが、その顔には生気は無い。
大剣をズルズルと重く鈍い音を引き摺りながら、目についたJUNとティガレックス亜種を見据えた。
「那由多君っ!大丈夫か!?」
「ヒーロー。まずはそいつを殺すから、どいて。」
「な、那由多君…?」
「その後は、あのサルの肢体を裂いて、血だまりの中でウネウネと動いてる様を指差しながらいーーーっぱい笑った後、内臓を引き摺り出して、それから、それからね。Moonの前に連れて行っていっぱい『ごめんなさい』させるの。だからまずはその黒いの先にやる。邪魔されるの嫌だから。」
冷たく言い放つと、無表情のまま大剣を引き摺りながらティガレックス亜種目掛けて走り出した。
体が痛い。
肋骨が肺に刺さっているのか、呼吸をするのがこんなに苦しいとは思わなかった。
指を少し動かすだけで激痛が走る。
空は赤い。胃から込み上げてきた物を吐き出した。それは空よりも赤かった。
「…(このまま死ぬのかな)」
言葉にしたつもりだったが、言葉を発することも出来なくなっているようだ。
Moonは笑ったつもりだったが、ちゃんと笑えているのかさえひょっとしたらもう出来なくなっているのかもしれない、と思った。
視線を少し動かすと青いアイテムボックスが見える。
ベースキャンプだ。
あのアイテムボックスの中に作戦に必要な物が揃っているというのに。
また込み上げてきたものを吐き出そうとしたが、口の端からゆっくりと零れた。
(血ってこんなにあったかいんだな。)
死期が近いとこんなにも冷静になれるのか。Moonは不思議にそう思った。
目を閉じたらきっと、もう開けることが出来なくなる気がして必死に重い瞼だけは閉じないように意識を集中した。
そんなとき何か懐かしい声が聞こえた気がした。ナルガの声だったと思う。
走馬灯というものは音までちゃんと聞こえるのか、少しおかしな気持ちになった。
そこで静かに瞼は閉じられた。
Moonは口の中に温かい物を感じる。
その液体を飲み込むと、みるみるうちに体の痛みが取れていった。
流石に今いきなり立ち上がることは難しい気もしたが、この感覚をMoonは知っていた。
この液体は、秘薬だ。
「おい!!おいっ!!」
Moonは左腕に柔らかい二つの感触を覚える。Moonが視線を移すと漆黒の猫が自分の腕を必死に揺さぶっているところだった。
「ナ、ナルガ…なのか?」
「あぁ…間に合ったニャ…。」
ナルガはヘナヘナとその場にへたり込み、しばらくすると俯き涙をポタポタと落とす。
Moonは感覚が戻りつつある左手の指を微動させてちゃんと動くことを確認すると、ナルガの頭に手を置く。
「お前、どうやってここに…?」
「…!」
頭に置かれた手を思い切り振り払うと、ナルガはMoonを睨みつけた。
「そんなことどうだっていいニャ!!」
「そんなことって…お前…」
「どんニャ気持ちで血まみれで倒れてるアンタを俺が見たのか知ってるニャ!?死にたくニャるくらい心が痛くニャったんだニャ!!」
「…わりぃな。」
「……。」
「悪い…。ごめんな…。ごめん。」
自然と涙が零れた。
Moonは上半身を起こすと、嫌がるナルガを無理矢理引き寄せると力いっぱい抱きしめた。
懐かしいナルガの匂いがふわりと鼻腔をくすぐる。
ナルガが身を案じてくれたことが嬉しかったのか、不甲斐無い自分が悔しかったのか、おそらくその両方だろう。Moonはきつくナルガを抱きしめながら「ごめんなさい。」と小さく言うと声を上げて泣いた。
ナルガはその短い腕をいっぱい広げてMoonを抱き返した。
しばらくするとナルガはMoonを優しく引き離す。
Moonは目を真っ赤にしながら不思議そうにそのナルガの顔を見つめる。
「『ハンターたるもの、手足をもがれてもモンスターに食いかかる』のがアンタの信条ニャんだろ?アンタをぶっとばした奴をブッ飛ばしてやれニャ。」
「ナルガ…。」
「もしアンタがぶっ殺されたら、俺が命に代えてでもそいつを必ずぶっ殺すから…。行ってこいニャ!!」
ナルガなりの最大級の激励だった。
再び涙腺に込み上げるものを必死に止め、立ち上がるとMoonは空を見上げる。
これ以上、愛すべき相棒に涙を見せたくなかった。
「バ、バッカじゃねぇの!私に喧嘩で勝てねぇ、おま、お前みたいによわっちぃアイルーが…勝てる相手じゃねぇよ!」
「それでも俺は戦うニャ。アンタを傷付ける奴は俺の憎き敵ニャ。」
「お、お前に怪我なんてさせたら、あとでブーブーうるせぇからさ…」
「ニャ?」
「私が必ずブッ飛ばしてくるからさ…。そこで待っててくれよ、あ…相棒…。」
「期待してるニャ。ご主人サマ。」
涙をボロボロ零しながらMoonは鼻声でもう一度相棒の名を呼ぶと、両手で頬を力強く張る。
全てが吹っ切れた気がした。
すぐさまに辺りを見回す。粉々になった銃槍のパーツが転がっているだけで、とても武器としては使えそうもない。
アイテムボックスを開き、JUN達が使いそうな弾や矢、アイテム数点を背負ったりアイテムポーチに入れる。アイテムボックスの中を見たが武器として使えそうな物はやはり無い。
腰に差したハンターナイフを一本手に取る。武器はこれ以外には無さそうだ。
それでもやるしかない。
守るべき者がここにいる。
守りたい者がここにいる。
「行ってくるぜ、相棒。」
「ご主人サマ。俺の代わりにこいつを持っていけニャ。」
「それって、お前の…」
ナルガは背中に背負っていた「猫刀・暗夜月」を差し出した。
「狩りの原則は最大四人らしいけれど、想いくらいは連れていってほしいニャ。」
「ありがと。」
これ以上ナルガと話していると涙はきっと止まらなくなる。Moonはそう思い、言葉短くその刀を受け取った。人が持てばハンターナイフよりやや刃渡りが長い程度だが、武器としては十分過ぎる代物だ。
ハンターナイフと猫刀を顔の前で十字に構えると、Moonは雄叫びを上げた。
「旅団【Hero】所属、Moon!!お前の想いをもって、この戦いに勝つ!!」
崖を勢い良く飛び降りた。
守るべき者たちの元へと。
守りたい者たちの元へと。
背中越しにMoonを見ていたナルガは笑っているだろうか。それとも泣き出しそうな顔で心配しているのだろうか。それとも誇らしげな顔をしているのだろうか。見ることは無かったが、きっと誇らしげに微笑んでいるのだろう。Moonが誇らしげに微笑んでいるのだから。
那由多の動きを見てJUNが感じたそれは、筆舌し難いと思えたふとそれに相応しい言葉を思い浮かんだ。
「鬼神…。」
JUNが描いた戦略などでは到底発揮しえない那由多という存在に、JUNはただただ呆気に取られていた。本来ならばもどり玉を使ってベースキャンプへ戻り、Moonを捜索してすぐにでも治療しなければならないはずなのに。頭ではそう思っているのだが、体が動かない。恐怖に支配されていると言ってもいい。那由多という目の前にある恐怖は、JUN自身に向けられているわけではないのだが、それでも目を逸らしてしまったらJUN自身にも那由多が襲い掛かってくるのではないかと思えた。
彼女の心はこんなにも脆いのだ。だが、こんなにも、これほどまでも恐ろしく強いのだ。
ティガレックス亜種の一挙手一投足に対して無駄の無い動きでそれを避け、重々しい大剣を太刀のように軽々と連撃を繰り出す。既にティガレックス亜種の手足は血まみれになっており、動きに疲れも見える。
左袈裟斬り、右銅払い、左切り上げ、上段からの叩き落とし。
ティガレックス亜種の顔面からはみるみる内に血が吹き出し、凄惨極まる悲鳴を上げている。既にティガレックス亜種の戦意は喪失しているらしく那由多を見据えながら血まみれの両手両足を引き摺りながら後ずさっている。
「逃げられるわけないでしょ。ねぇ。」
ついにティガレックス亜種は全身を捻るように後方に振り向いて逃げようとするも、血を失い過ぎたその手足は主の意のままには動けるはずもなく。途中何度も躓いては重すぎる足取りを運んでいる。
「ほんっとにバカなんだから。」
無表情のままつまらなそうに吐き捨てると、那由多は助走を取り大剣を上段に構えたままティガレックス亜種目掛けて飛び掛かり、背中に大剣を突き刺した。
大剣は胴体を貫通し、大地に突き刺さる。
断末魔をあげ、その場を必死に逃げようとするティガレックス亜種だが、貫いた大剣はティガレックス亜種にその自由は与えない。ジタバタとその場でもがきながら口から大量の血を吐き出すとやがて力無く頭や手足を地面に垂れると微動することもなくなった。
那由多は大剣を引き抜くと、ラージャンをその視線に捉えた。
Saiは既に矢を射きったらしく、回避に専念していてティガレックス亜種の惨状には気付いていない。
「あとは、あのサルだね。待っててね、Moon。」
ティガレックスの背中から飛び降りると、刃毀れで切っ先がボロボロになった大剣を引き摺りながらラージャンに向けて歩き出す。その歩調は段々に速くなり、やがて走り出した。
その時だった。
那由多が走ることを止め、ゆっくりと歩むことも止め一点を見上げたまま大剣を落とす。
那由多の異変に気付いたJUNも那由多の視線が追う場所を見上げた。
「あれって、まさか…」
「Moon…」
今まで無表情だった那由多の顔は氷山が瓦解するかのようにその冷徹さを崩し、今にも泣き出しそうな顔をして、那由多はその場に座り込んだ。その視線は威勢よく崖を走り下りてくるMoonを見続けていた。
「Moonさんっ!!」
「っしゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!真打登場っ!!!」
足場を蹴り、空高く舞いながら叫ぶMoon。
那由多は泣きながら四足の手足で這うようにMoonの元へと向かう。
JUNもMoonの元へと走る。
「待たせたね、ヒーロー。作戦は…変更だね…ごめん!!」
「いや、いいんだ。そんなことよりMoonさん体は…」
「そんなことよりSaiさんを助けねぇと、だぜ!」
MoonはSaiの方へと視線を流して、アイテムポーチから弾丸を取り出すとJUNに渡す。
「ありったけの弾丸を持ってきたぜ、ヒーロー。」
「あ、あぁ、ありがとう。」
にんまり微笑むMoonを見て、しばらくしてからJUNも微笑む。
立ち上がった那由多がMoon目掛けて思い切り走り出し、そのまま跳ぶようにして抱き付いた。
「Moon!Moon!Moon!!Moonだぁっ!!」
「うわっ、ちょちょっちょちょ…」
体勢を崩してそのまま倒れるMoonとその上に覆いかぶさり胸元で泣きつく那由多。
Moonは乾いてきた返り血でどす黒くなった那由多の頭を撫でた。
「相当無理させちまったみたいだな。愛してるぜ、もう一人の相棒。」
那由多のおでこにキスをしギュっと抱きしめるとすぐさま離れようとしない那由多を無理矢理引き離す。
「んなことより、Saiさんの救援!!行くぜっ!!那由多はもうボロボロだからとりあえず、回復薬でも飲んでろ!!」
アイテムポーチから回復薬Gを取り出して那由多に渡し、Saiの方を向くとMoonは走り出した。JUNは放り投げた軽弩を手に取ると弾を装填するとラージャン目掛けて発射する。
弾はMoonを追い抜きSaiに飛びかかろうとするラージャンの脇腹に突き刺さり、その視線をJUNへと向けた瞬間だった。
「お返しだ、この野郎っ!!」
Moonが手に持った二刀を飛び掛かりながら上半身を捻り回転するように斬りかかる。
ラージャンの顔面を五線譜のように刀傷が走り、血が噴き出す。
回転しながら着地すると低く構えて足を蹴り出しラージャンの懐に潜り込むと目にも止まらぬ速度で縦横無尽にその後ろ脚を斬りつけた。小さな悲鳴をあげ、すぐに後ろへと飛び退いたラージャンを確認すると、Moonは背中に背負っていた矢筒をSaiへと投げる。
きょとんとしてその矢筒を一度受け取り損ねそうになったSaiは何度か空中に跳ねたその矢筒を必死に抱きしめるようにして受け取った。
「Moonさん!!」
「話は後だぜ、Saiさん!!やっちまえぇ~っ!!」
「はいっ!!」
矢筒から矢を一本引き抜くと、落ちていた弓を手に取り金獅子の頭部に照準を定める。
「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!!!!!!」
両手を上げ怒り狂ったラージャンの頭に矢は突き刺さり、そのまま絶命する。
第一のクエスト「覇たる日輪に見ゆるは羅刹か黒き咆哮か」初の成功旅団が生まれた日だった。