ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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先日十一年間という長い間続いた珱嗄シリーズが完結いたしましたが、無論こちらも完結まで走るつもりですので、今後ともよろしくお願いいたします!



十二話

 ほんの少しずつではあるが、確かに恋とえりなの間に生まれた絆が育まれた夜を越え、強化合宿二日目を迎えた恋達一年生は、初日同様、各卒業生のグループに分かれて課題を与えられていた。

 恋は今日、和食料亭の料理人である乾日向子のグループにて課題である。同グループ内には新戸緋沙子がおり、彼女が常に一緒に付き従っていた薙切えりなは残念ながら別グループだ。

 お互い幼少期からの知り合いであり、今もえりなを通じて親しくしており、また彼女自身も好ましく思っている恋と同グループであれば、移動時に一緒に連れ添って歩くのも必然だった。

 

「昨日はえりな様と話したようだな」

「うん? ああ、そうだな……他愛ない雑談だったけど、久々にゆっくり話したよ」

「そうか……」

 

 そして今は日向子の引率でバス移動している最中。

 自由席だったので自然と隣に座った二人は、これから訪れる課題に緊張する様子もなく他愛ない話をしていた。話題はやはり、互いにとって共通の知り合いである薙切えりなとのこと。最も、緋沙子からすれば二人が互いを想い合っているのは明白なので、その辺りの進展を聞きたいという野次馬的感情もなくはなかったが。

 

 昨晩、先に夕食の課題を終えた薙切えりなを追うべく、出来るだけ早く課題を終わらせた緋沙子。だがえりなを探して彼女が見つけたのは、手を繋いでしっとりとした雰囲気の中星を眺める恋とえりなだった。

 時折言葉を交わしているようだったが、二人の間に交わされる言葉はほんの僅か。

 星空に包まれて、繋がれた手と手の僅かな力の強弱で十分な幸福を感じられていることが、緋沙子にも見ただけで伝わってきた。思わずため息を吐いて、世界一素敵な光景だと思うほどに。

 

「……黒瀬と再会してから、えりな様はとても楽しそうだ」

「そうか……なら、嬉しいな」

「ははっ、お前は謙遜しないんだな」

「そりゃ俺と違って長い間ずっと薙切と一緒にいた新戸のお墨付きだからな」

「……全く、お前は変わらないな……自分の気持ちに素直というか、なんというか……えりな様が惹かれるわけだ」

 

 緋沙子が恋のおかげでえりなが楽しそうだと言うと、恋はそれを否定しなかった。彼自身に確信があるわけではないが、恋は悪戯に笑いながら緋沙子を認めるような発言をする。

 自分自身がえりなに一番近い所にいる、なんて驕るつもりはなく、緋沙子がえりなにとって黒瀬恋が大切な友人だと評するように、恋もえりなにとって緋沙子は特別な人だと認めているのだ。

 そんな人の言葉が間違っているとは、恋には思えなかった。

 

 逆に緋沙子は、そんな恋の素直な評価に少し言葉に詰まり、少し頬を赤くしてぼそりとそう言う。

 

「え、今なんて言ったんだ?」

「聞くな……全く」

 

 自分の気持ちを隠し、人に素直になれないえりなと、人の気持ちを察し、人に素直に接する恋。これで相性最悪というのなら、世の中に相性なんてものはないと緋沙子は思った。

 つまり、お似合いの二人であると。

 

「こほん……言っておくが、私はお前のサポートなどしないからな! あくまで私はえりな様の味方だ」

「? よく分からないけど、分かった」

 

 とはいえ、緋沙子にとって一番はえりなだ。

 彼女が彼女らしく、彼女の求める道を進むことを望んでいるし、その為の助力は惜しまない。此処までのことを見て、恋が料理人として高い実力を持っているのは認めているが、その上で考えても、彼がえりなに相応しいかどうかは別の話だ。

 えりなが彼に惹かれていても、彼がえりなの為に全霊を尽くしていても、現実問題薙切えりなは料理界のトップに君臨する王の血統であり、黒瀬恋は一料理人でしかない。

 

 そして二人が食というもので繋がっているからこそ、黒瀬恋という、料理人としてハンデを抱えた存在が彼女と釣り合うかと言われれば―――現状、否という他なかった。

 

 新戸緋沙子は誰よりも現実を見ている。

 薙切えりなが伸び伸びと動けるように、新戸緋沙子は誰よりも冷静かつ現実的に物事を見ている。己の感情は二の次、事実を鑑みて最適の道を用意するのが秘書としての仕事だからだ。

 薙切えりなが黒瀬恋と恋仲になることが、薙切えりなの人生に問題を引き起こす可能性は十分考えられるのである。

 

「(私個人としては……えりな様と黒瀬がそうなることを祝福したいくらいなのだがな……)」

「ホテルから出て移動するなんて、どんな課題なんだろうな?」

「……さぁな」

 

 窓の外を見て呑気にそんなことを言う恋に、緋沙子は苦笑してそう返す。

 

「(黒瀬……お前が本気でえりな様と共にいたいというのなら、そこに立ち塞がる障害は多い。出来ることなら、折れてくれるなよ……)」

 

 心の中で、そう祈りながら。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 それから恋達がやってきたのは広範囲の自然環境を柵で囲った会場。

 課題内容は、二人一組になり、その会場内の動植物を食材として収集し、制限時間内に合格点の品を出せというものだった。当然恋が組んだのは共にいた緋沙子である。

 当然というべきか、ペアを組んだ二人は早々に合格を勝ち取った。

 常に鍛えて高い身体能力を持ち、食材知識に関しても十分な勉強をしていた恋が食材を集め、緋沙子が得意の薬膳料理でそれを形にする形での合格だった。

 

 その中で意外というか、驚きだったのは、恋が緋沙子の薬膳料理に的確なサポートをしたことである。

 

 元々恋が調理技術において機械染みた正確さを持っていることは知っていたが、それがサポートという役割においてこれほど機能するとは思わなかった。

 まるで最も良い状態で用意された食材と対面するような感覚すら覚える、非の打ちどころのない下拵え。それを緋沙子が用意して欲しいタイミングで差し出してくる協調力。そして緋沙子の行動を阻害しない動線の確立。

 緋沙子は調理中一人で作業しているような感覚すら覚えるほど、恋のサポート能力の高さには舌を巻いた。

 

「新戸・黒瀬ペア、合格です!」

「ありがとうございます」

「ふぅ……」

 

 合格を言い渡された後、二人は会場内で大人しく時間が過ぎるのを待つことに。

 恋はかなり集中力を使ったのか、目を閉じて眉間を揉んでいた。その様子を見て緋沙子は、先ほどの恋のサポートはやはり、よほどの集中力を使うのだろうと判断する。一見して消耗している、というわけではないようだが、それでも多少の疲労はあるらしい。

 

「大丈夫か?」

「ん、問題ない。基本一人で作ることが多かったからな、誰かと合わせて作るのは慣れてないんだ」

「! ……そうなのか? それにしては随分……いや、正直今までで一番やりやすかったぞ」

「それは嬉しいな……知っての通り、俺の調理スタイルは基礎技術と知識を追求したものなんだ。そして料理や食材にはそれぞれに適した調理法があって、それは誰が調理しようと変わらないだろ? 俺は今回それを踏まえて、新戸の調理速度や工程を見て、その"最適"を合わせにいっただけだ。だからやりやすかったって言うなら、それはそれだけ新戸の調理に無駄が少なかったってことだよ」

 

 恋の言うことを理解して、緋沙子はその事実に内心驚愕していた。

 食材や料理にはそれぞれに存在するレシピと、最適な調理法、最適な調理工程があり、恋は今回緋沙子の調理がその"最適"になるようにサポートしたというのだ。

 それはつまり、恋の事前の下拵えの準備から始まり、調理場の環境を調理工程に沿って随時変化させていく働きが、緋沙子を最適へと導いたということ。

 

 そしてそれが示すことは、黒瀬恋のサポートは他者の調理クオリティを一段上に引き上げるという事実である。

 

 それは今までの人生において料理の知識を貪欲に収集し、それを活かす高い技術を研鑽してきた恋だからこそできることだった。

 

「副料理長に向く能力だが――逆に料理長を食い破る能力でもあるな……」

「?」

 

 恋に聞こえないようにぽそりと呟いた緋沙子。

 それもそうだろう―――こんな真似は、サポートする対象よりも高い技術を持たなければ出来ない芸当だ。

 

「まぁ……知っての通り、俺はこんなだからな。料理の終盤はほとんど見てるだけだったけどな」

「確かにな……だが確実にお前の働きが結果に出ていたぞ」

 

 とはいえ恋は味覚の問題もあって、自分ではなく緋沙子の創造しようとしている味をイメージできない。それはつまり、調理の中盤から終盤にかけて……味付けの段階では力になれないことの証明であった。

 無論、緋沙子の調理工程にあった無駄を最大限消す働きは、料理の質を一つも二つも引き上げる働きだ。味覚というハンデを補って余りある能力である。

 

「ねぇねぇ貴方! 見てたけど凄いのね! あそこまでのサポートなんて誰にでも出来ることじゃないわ!」

「お嬢……距離近すぎて引かれてますよ」

「あら失礼ね! これくらい挨拶の範疇でしょ?」

「ん、と……君達は?」

 

 するとそこへ、雪の様に白い髪と肌に赤い瞳の女生徒が近付いてきた。後ろには付き人なのかそれとも今回ペアになっただけの相方なのか、目元にクマを浮かばせ、ぼけーっとした男子生徒がいる。

 女生徒がやや興奮した様子で近づいてきたことで少し身体を引いた恋だったが、よく見ればかなり整った顔立ちの少女だ。外国人らしさは見た目からも理解出来るが、そのせいかかなり距離が近い。先程も、気が付いたら鼻と鼻がくっつくかと思うほどに近づかれていたくらいだ。

 

 恋が誰かと問いかけると、少女はニッと笑みを浮かべながら名乗る。

 

「私は薙切アリス……キミたちの頂点に立つ者の名前よ!」

「薙切……?」

「そう! 私は薙切えりなの従姉妹なの……だ・か・ら、最近えりながご執心の貴方にはちょーっと興味があるのよねぇ」

 

 すすす、と恋の顔を覗き込むように近づいてくるアリスに、恋はむ、と困惑しながら距離を取る。それによりつんのめったアリスは、おっとと、とふらついた。

 少し滑稽な姿を見せてしまったからか、アリスが恋をジト目に睨む。

 

「む……こーんな美少女に近づかれたのに普通距離を取る?」

「薙切が綺麗なのは認めるけど、だとしたら不用意に異性に近づかない方が良い。此処にいる以上料理人としての研鑽に努めるつもりだが、俺も男だ……邪な感情を抱かないとは限らない」

「え……と……私、口説かれてるかしら……?」

「そんなつもりはないけど……」

「…………ふふん♪ まぁいいわ」

 

 恋に詰め寄ったアリスだったが、恋の言葉に少し動揺したらしく言葉に詰まった。だが恋が紳士にアリスを扱ったということを理解したのか、一気に上機嫌になる。その影響なのか、アリスは恋の指摘通り、一歩恋から距離を取った。

 此処までの振る舞いからかなり子供っぽい一面を持つアリスだが、恋の様に対応されたのが新鮮だったらしい。後ろの男子生徒が少し意外そうにする程度には、素直に人の言うことを聞く姿は稀の様だ。

 

「私のことはアリスって呼んで♪ 薙切じゃえりなと被るでしょ? 私も恋君って呼んでいい?」

「ああ、好きに呼んでくれ。じゃあアリスで」

「なっ!?」

「なーに? なにか不都合でもあるの?」

「い、いや……」

 

 そしてアリスがそれっぽい理由で互いを下の名前で呼び合おうと提案し、恋がそれを素直に受け入れると、緋沙子が声を上げた。アリスがその声に対して笑顔で圧を掛けると、緋沙子も何も言えずに押し黙るしかない。

 えりなは恋と苗字呼びなのに、アリスは恋と名前呼び―――その状況が少し、緋沙子には少々焦りに繋がる。現実的には厳しい関係と分かっていつつも、個人的にえりなと恋の仲を応援している緋沙子からすれば、ここでアリスの登場は強力なライバルの登場に他ならない。

 

 初対面で此処までぐいぐい距離を詰めるアリスが相手となれば、また先程恋がアリスを綺麗だと認めたことを考えれば、非常に不味いと考えざるを得ないのだ。

 

「(いや! まだだ! そもそも幼少期は名前で呼び合っていたのだから、きっかけさえ与えれば名前呼びに戻せる筈だ……何かきっかけを……そうだ!)」

 

 緋沙子は思いつく、えりなの為にこの状況を覆せる一手を。

 

「黒瀬、わ、私も名前で呼んでいいか? 今日はお前と久々に料理出来て、懐かしかったし、む、昔みたいに呼びたい気分なんだ」

「え? ああ、良いけど……どうした? なんか顔赤いけど」

「なんでもない! ごほんっ、気にするな……ああそうだ、私だけお前と名前で呼び合うのはえりな様を仲間外れにしたようで気分が良くない……お前から、お前から! えりな様と名前で呼び合うよう声を掛けておいてくれないか!?」

「む!」

「な、なんだ急に……わかった、次会った時にでも聞いてみるよ」

「よーし!!」

「ぐぐ……やるわね……」

 

 幼馴染というポジションを利用した、名前呼びの自然な流れを作り出した緋沙子の一手。その上で同じ幼馴染であるえりなを巻き込むことで、名前呼びのハードルを越えさせる策へと昇華させた。しかも恋の方から持ち掛けることで、えりなが了承しやすくするという緋沙子の抜かりなさまである。

 恋は急に言葉に勢いを持たせる緋沙子に困惑するが、別段悪い話でもないのでそれを素直に了承した。

 

 対して、緋沙子の意図に気付いたアリスは少し不服そうに爪を噛んでいる。えりなが恋とよく一緒にいることは、一年生の間でもまことしやかな噂話になっていた。アリスはえりなをライバル視している面もあるようで、その噂から、恋に近づくことでえりなに牽制しようと考えていたようだ。

 

「ふんっ、まぁいいわ! じゃあね恋君、貴方ならこの合宿も生き残れるでしょうし……今後ともヨロシクね♪」

「ああ、こちらこそ」

 

 とはいえ今回は挨拶程度に収めるつもりだったのか、アリスは会話もそこそこに去っていく。背後の男子生徒はぺこっと軽く会釈してその背中を追って歩き去っていった。

 恋はこの場で起こっていたアリスと緋沙子のバチバチの意図に気付いていなかったようだが、新しい知り合いが出来たことを素直に喜んでいるようだ。

 

 色々気が利くし空気の読める彼であるが、自分のことに関してはややポンコツらしい。

 

「面白い奴らだったな」

「はぁ……どうして私がこんなに疲れなきゃいけないんだ……」

 

 新戸緋沙子は現実をちゃんと見ている……けれど世話焼きな彼女は一番現実に振り回されていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 恋達から離れていったアリスと男子生徒――黒木場リョウは、自分たちの調理場に戻ってきていた。既に合格を貰っているので、恋たち同様終わるのを待つだけの身だが、アリスは恋と話したことで機嫌を良くしたらしく、時折鼻歌すら聞こえてくる。

 

 黒木場はそんな彼女の姿に、少々気になったのか声を掛けた。

 

「なんか、嬉しそうっすね……そんなに気に入りましたか?」

「そうねぇ……うん、気に入ったかも。黒瀬恋君、えりながご執心だからいずれは接触するつもりだったけれど、確かにあのえりなが惹かれるのも分かる気がするわ。リョウ君はどう思った?」

「なんつーか……底知れないって感じっすかね。料理技術も並じゃないですけど……人柄っつーか、なんか、嫌な感じがしなかったんで」

「そうね、彼は多分他人を許容出来る心を持ってる。というより、この場にいる全員に対して誰一人例外なく、彼はリスペクトを持ってみてるって感じかしら……だからあれほどの技術を持っていても誰も見下さず、常に対等の関係で人と接している」

 

 アリスは恋が自分を見る目の中に、この場にいる全員と何ら変わらない色を見た。この場で脱落していく生徒に対しても、アリスに対しても、恋は同じだけのリスペクトを抱いているのが分かったのだ。

 それはプライドの高いアリスからすれば不服ではあるが、同時に恋がアリスを他と同列に見ているわけではないことも分かったのだ。他と同じだけのリスペクトを持ちながら、それでもきちんと個人を見ている―――それは、アリスにとって嬉しいことだった。

 黒木場も、アリスの後ろでボケッと立っている自分を、恋がしっかり認識していることを感じ取ったからこそ、去り際に会釈したのだ。

 

「案外、リョウ君に負けないくらい貪欲に努力するタイプなのかもね? あれだけの技術を持っているんだもの、目の前のどんなことからも学んできたんじゃないかしら」

「……」

「それに……ふふ、私のこと綺麗だって言ってくれたしね♪ あんなにストレートに邪な感情を抱くかもしれない、なんて言われたのは初めてだったわ」

「お嬢、それが本音でしょ」

「あ、バレた? うふふっ♪ 流石にドキッとしちゃったわ。いろんな意味で、魅力的な人だったわね」

「……修羅場っすか」

「どうかしら? でも、楽しくなりそうね」

 

 上機嫌に笑うアリスは、黒木場の言葉をはぐらかしながら楽しげだ。

 もしもえりなとアリスが料理以外の場所で火花を散らす時が来るとしたら―――そう考えただけで、黒木場は少しだけげんなりする。

 

「はぁ……考えたくもねぇ……」

 

 心の底から、漏れた言葉だった。

 

 




感想お待ちしております。
近々、黒瀬恋のキャライラストを挿絵で入れたいと考えています。
稚拙な画力での提供にはなりますが、ご期待ください!





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