ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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十四話

 高級ホテルの朝食に相応しい品―――何を作るのか、それを考える生徒達。

 五日間の強化合宿の丁度折り返しにもなる四日目の課題だからか、そこに求められるレベルがグッと上昇しているのを感じていた。

 何を作るべきか、卵料理の朝食に相応しいものはなにか、それを試行錯誤しながら懸命に模索する。疲労した頭で考えると、果たしてこれがベストなのか、まだ何か出来ることはないのか、そういう思考に陥っておちおち眠ることも出来ない。精神をガリガリと削っていく極限の状況だった。

 

 故にこの状況下で眠ることが出来る者は、よほど自分の料理に自信があるということになる。そんな中、恋はこの状況下で早々に体力の回復に努めていた。温泉に入って、大きく息を吐いている。

 

「はぁー……今日は少し疲れたな」

 

 というのも、今日の緋沙子と組んで取り組んだ課題で、慣れないサポート役を務めたことが原因だ。普段から視野を広く持ち、人の些細な変化に気が付く恋にとっても、アレだけのサポートをするのは正直かなり集中力を要したらしい。体力は問題ないが、脳の感じる疲労は大きかったようだ。

 とはいえ、明日の課題について考えなければならないのも事実。露天風呂のお湯を顔にバシャッと掛けながら、恋は何を作るのかを考えていた。リラックスしながら考えるのが一番良いアイデアを出せると考えたのかもしれない。

 

「ま、なんとか頑張ってみるか」

 

 恋はお湯を掛けた両手で顔を覆いながら、一分ほど考えたあとそう言って顎が付くほどに湯船の中へ身体を沈める。たった一分程度で明日作る料理を決めたらしい。

 といっても、恋はそもそもそのハンデから即興で新しい料理を生み出すことは出来ない。となれば、彼は今までの人生で収集した料理の知識とレシピの中から作る料理を選択するしかないということだ。今回彼は既に自分の中にある引き出しから一つを選んだだけ。

 手抜きと言われればそうかもしれないが、それでもこれが彼のベストである。

 

 これがベストだと言えるように、彼は今までの長い人生を料理に捧げてきたのだから。

 

「上がったら一回作って微調整……んで、諸々準備してから寝るかな」

 

 そう言うと、恋はざばっと立ち上がり、露天風呂を後にした。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 翌朝合宿四日目、六時前。

 各生徒はそれぞれ割り当てられた調理スペースへと移動し、そこで各々の料理の準備を始めていた。材料、食器、調理器具など、それぞれの考えた料理に必要なものは違ってくる。誰が何を作るのかは不明だが、それでも自分と違う者が周りに多くいる光景は不安を煽った。

 隣の芝生は青く見えるというわけではないが、考え尽くした自分の品よりも他の生徒の品が新鮮に見えるのは当然の現象だろう。

 

 恋が割り振られたのは創真達やえりなとは別の会場だった。会場のグループはE、各会場ごとにアルファベットが割り振られて別々になっている。遠月リゾートというだけあって、やはりその客の数は普通のホテルの倍どころではない。

 

「ん?」

「あら、恋君じゃない。奇遇ね」

「アリスか、おはよう」

 

 すると、恋が割り当てられた調理スペースに着いた時、その隣のスペースには二日目に会ったばかりの薙切アリスが準備を進めている姿があった。

 どうやら隣同士で料理を振舞うことになったようだ。妙な縁もあったものだと思いながら、恋は挨拶もそこそこに準備を始める。食器や事前に下拵えを済ませておいた食材を並べていき、調理しやすい環境を整えていく。

 

 アリスの方は既に準備を終えているのか、恋の邪魔にならない場所に立ちながらジッと恋の様子を伺っていた。準備が終わるのを待っているらしい。

 

「……はぁ、昨日はよく休めたか?」

「! 準備は終わったのかしら?」

「別に口を動かしながら準備出来ないわけじゃないからな」

「そ、なら良かった。ちゃんと休んだわよ、そもそも私は色々準備の方が面倒くさいから、そんなに試作するつもりはなかったしね」

「へぇ……確かに色々見慣れない機材を持ち込んでるんだな」

 

 気になって視線を向けてみると、アリスの調理スペースには調理器具の他に見慣れない機械なども置いてあり、まるで理科の実験でも始めるかのような雰囲気すら感じられる。

 

「ええ、デンマークにいた頃に色々使っていたものをこっちに持ってきたのよ」

「デンマーク……てことは薙切インターナショナルにいたのか?」

「あらご存じ?」

「料理界に関して目立った場所は大抵頭に入れてるんだ……そうか、じゃあアリスは分子ガストロノミーに精通してるんだな」

「へぇー! そこまで知ってるんだ! 勤勉なのね……もしかして貴方も?」

「いや、ある程度齧った程度でアリスみたいに料理に活用出来るほどじゃない。でもそうか、なら面白い品が見られそうだな」

 

 恋は幼い頃から今日に至るまでの間、多くのことを学んできている。それは料理に関することだけでなく、料理に精通する施設や研究についても同様だ。まして自分の味覚と他者の味覚の誤差を正しく再認識するためには、科学の力を用いるのが手っ取り早かったのだ。

 だからこそ、彼は料理を分子レベルで科学的に分析し観察する『分子ガストロノミー』という分野に対し、早い段階で手を伸ばしている。辛さや旨味、酸味、甘味、そういった味を数値として観測出来る技術を使えば、己の味覚との誤差を感覚で理解できると考えたからだ。

 

 恋が美味しい料理を作ることが出来たのは、そういった理由もあるからである。無論、その分野を料理に活かせるほどの勉強が出来る環境にいたわけではないので、あくまでそういった知識と技術の使用経験があるだけだが。

 

「そうなのね、でもそうね……確かに私の料理は最先端の理論に基づいたアプローチで構築された、最早芸術品! 貴方にも見せてあげるわ、あのえりなを超えて遠月の頂点に立つ者の仕事をね」

「それは楽しみだ―――俺も負けないように頑張るよ」

「♪」

 

 自分の得意とする分野にある程度精通している者の出現に気を良くしたのか、アリスは恋の言葉を受けて余計にやる気を燃やす。

 恋としても、分子ガストロノミーを使った化学による料理構築など、滅多に見られるものではない。隣でそれが見られるというのなら是非もなかった。料理に関する全ては、恋にとって学ぶべきもの――希少な技術であれば尚のこと学び取ろうという意識が強く出る。

 

 とはいえ、恋も料理を作らねばならないのは同じ。

 元々の狙いもあったが、アリスの様な普通とは違った料理人が隣にいるというのは、恋にとって僥倖でもあった。彼が今回作ろうとしている料理は、人の目に付かねば意味がないのだ。

 

《時間になった! これから課題の詳細を説明する》

 

 すると、そこへ堂島の声が放送を通じて流れる。どうやら課題の詳細を説明するらしい。

 

《各自、料理を出す準備はできたな?これより合格条件の説明に入る。まずは審査員の紹介だ》

 

 その放送が流れた瞬間、会場の扉が開いて外で待っていたらしい一般客が大量に入ってくる。おそらくは現在遠月リゾートに宿泊しているほとんどの客が此処へ流れ込んできているのだろう。中にはこの強化合宿の為に食材の提供をしてくれているスポンサー関連の人々もいる。

 年代はバラバラ――老若男女、国籍も職種もバラバラに様々な人がいた。

 

《この課題の合格基準は、今から二時間以内に二百食を達成すること! 以上を満たした者を合格とする!》

 

 その中で堂島の放送は続く。

 一般客がいる中で流しているということは、おそらくこの一般客全員に強化合宿についての説明はされているということだろう。ならば客の評価も普段よりやや辛口になると見た方がいい。

 つまり、一人の客の不評がそのまま客を遠ざけることだってあり得るということだ。そんな中二時間で二百食―――とてもじゃないが、過酷な課題と言えた。

 

《それでは――審査開始!!》

 

 そして開始される課題。

 生徒達は一斉に料理の提供、随時作成のループの中へと身を投じる。

 恋も早速、用意していた料理を一般客が手に取るための提供テーブルへと並べながら、追加の制作へと移った。

 

「わぁ!! 綺麗!」

「本当だ! これ、見たことないなぁ」

「これ写真撮っても大丈夫ですか?」

「ええ、どうぞお手に取って見てください」

 

 すると、早速恋の料理に引き寄せられた一般客がいた。

 恋の出した料理が珍しかったからか、または恋の容姿に惹かれてか、主に女性が多い。だがその反応は恋の予想していたものであり、想定通りに客を掴むことが出来たことに内心ガッツポーズをする。

 客の対応をしながら、恋は想定より早いペースで減る料理の補充をしていく。掴みは上々、味も良かったのかリピーターすら出てきた。

 

「やるわね恋君、それ『エッグスラット』ね?」

「ああ、その通りだ」

 

 恋が今回作ったのは、透明な瓶を食器とした『エッグスラット』である。

 アメリカの料理で、ガラス瓶の中にジャガイモのピュレと卵を入れて湯煎した料理だ。今回恋はジャガイモをマッシュポテトにしてパルメザンチーズなどの複数のチーズを加え、卵と共に蒸したもの。更に列を変えた隣には、マッシュポテトをジャーマンポテトに変えた少しスパイシーなバージョンも用意されていた。

 どちらもガラス瓶に入っているからこそ中の色味が映え、そこに二枚のミニトーストを添えることで朝食らしい見た目で提供されている。

 

「これなら冷めたとしても美味しく食べられるし、高級ホテルなら観光がメインの客が大多数だから、フォトジェニックな料理は思い出として映えるだろ?」

「なるほどねぇ、利用客の需要に幅広く応えるための料理ってことね」

「それにこの状況、折角なら色々なものを食べたいと思うのが人間の心理だろ? この料理なら胃に余裕を持たせつつ食べることが出来るから、終盤で腹が膨れてきても最後に食べてみようかなと思わせる狙いもある」

「ふふふっ♪ やっぱり見込んだ通りね」

「あと――アリスが隣にいるのも大きいな」

 

 恋とアリスは手は動かしているが、ある程度前もって準備していたからか会話する程度の余裕があった。

 アリスの言葉に恋は自身の狙いを説明し、次々捌けていく皿に狙い通りと笑みを浮かべる。写真映えのする料理だからか女性の需要が高いようだが、ジャーマンポテトの方は男性も手を伸ばしてくれている。男女の好みを考えて二種用意した恋の狙いは、見事に的中していた。

 

 そしてもっと言えば、薙切アリスの隣であることもこの結果に大きく影響している。これはまぁ、お互い様ではあるが。

 

「それ、『ポーチドエッグ』だろ? 分子ガストロノミーの分野では科学的に作られたレシピすら存在する料理だ……それをトマトリゾットと合わせたわけか、凄いな」

 

 恋が一瞥した先にあったのは、アリスの作った皿。

 白い平らな皿の上に適度に乗せられたトマトリゾットと、その上に乗せられた『ポーチドエッグ』が彩り豊かに盛り付けられていた。日本語では落とし卵とも呼ばれる料理だが、分子ガストロノミーの分野では科学的に必ず美味しく作れるレシピが作られているほどの品だ。

 卵は分子ガストロノミーの研究の中ではよく登場する食材なのだ。アリスが自信満々なのも理解出来る。

 

「その通り! 奇しくも貴方と同じで写真映えするような品になったってことね……おかげで客が集まってきて良かったわ♪」

「お互いにな」

 

 そうしてアリスと恋は次々と捌けていく皿に負けない速度で品を補充していく。

 恋はその広い視野で周囲の客を見て、二種のどちらを多く作るのかを考えながら作っている。その集中力と無駄のない動きは、客の需要に臨機応変に対応することを可能としていた。

 もっとこうしたら、こうすればより良く―――そうして作る度にブラッシュアップしていき、料理の質と需要の供給量を高めていく。

 

 時に匂いで、時に料理風景で、時に品の見栄えで、多くの客を集めては品を手に取らせた。

 

「――――!」

「……!!」

 

 そうしていく中で、アリスと恋はある種競い合う様な意識すら生まれていく。

 十皿、五十皿、百皿――二百皿。

 食べ終わった皿が次々と重なっていく。

 

《黒瀬恋、二百食達成!!》

《薙切アリス、二百食達成!!》

 

 だが彼らの動きは課題クリアのラインを越えても止まらなかった。

 客がいて、まだ作ることが出来て、隣にいる料理人と競い合う楽しさがあって、二人のテンションは高まるばかり。あれだけの余裕と自信を見せていたアリスも、楽しそうに料理を作っていく。

 

 より美味しく、より美しく、より鮮烈に、アリスの料理も作り続けるに連れてその質を向上させていた。まるで恋に引き上げられるように、心が燃えているのを理解する。

 

「(楽しい……! でもそれ以上に、負けたくないわ!)」

 

 勝ち負けなどないし、競うような約束もしていない。

 だが強いて言うのなら、二人の皿の捌ける速度がほぼ同じで、二人の作った品の方向性が似ていたのが理由。自分と同じ速度で走る存在が隣に出てくれば、負けたくないと思うのが当然だろう。

 なにより黒瀬恋という男が薙切アリスを料理人として尊敬し、純粋に負けまいとしているからこそ、その勝負にはなんの悪感情がない。気持ちのいい競い合いが、純粋に楽しいという感情を抱かせるのだ。

 

 アリスはそんな恋の人柄を好ましく思うし、また料理を通じてこうまで通じ合える感覚が気持ちよかった。

 

「やるわねっ、恋君」

「ああ――俺も、頂点を獲るつもりだからな」

「なら競い合いましょう―――どちらかが倒れるまで!」

「望むところだ」

 

 そうして上がるテンションに連れて、二人の料理がどんどん捌けていく。

 とうとう二百食というクリアラインを大きく超えて、二人は三百食を越えた。

 

 そして、その勝負はアリスの用意した食材が切れてしまうまで続き、結局事前に準備した食材の量の差で恋がより多くの皿を捌けさせる。

 結果から言えば、薙切アリスが三百二十食、恋が三百八十食という記録となったのだった。

 

 

 ◇

 

 

 恋もアリスも、制限時間を残して食材を切らしてしまったので、課題はクリアしたということで自由の身になった。

 だがアリスは調理台に背中を預けるようにして座り込んで息を整えており、恋もより集中力を使ったからか腰に両手を当ててグイッと上体を反らしている。両者ともテンションに身を任せて全力を出していたので、少々疲労が溜まったようだ。

 

 だが表情はとても満足そうで、充実している。

 

「あー楽しかった! 食材が切れちゃったから記録じゃ負けちゃったけど、勝負は着いてないからね!」

「勿論、勝ったなんて思ってないよ。またどこかで一緒に料理をしよう」

「ふふふっ、その時は是非情熱的にお誘いして欲しいわねっ」

「なんでだよ」

「♪」

 

 熱い競い合いをしたからか、アリスと恋の間には一昨日初対面とは思えないほどの近しい距離感が生まれていた。友人として、またライバルとしてこれ以上ない熱さを共有することが出来たからだろう。

 アドレナリンが出てやや興奮冷めやらないからか、アリスの言葉も普段より少しテンションが高い。ほんのり大胆な発言すらしてしまうほどに、アリスは恋を良いライバルとして認めているようだった。

 

「リョウ君と勝負する時とは少し違う感覚だったわ」

「リョウ君? 昨日いた男子か?」

「そう、黒木場リョウ君。私の付き人よ。彼は私以上に負けず嫌いだから、もし勝負することがあったら別人っぷりにビックリしちゃうかもね」

「そりゃ楽しみだ」

 

 座っている状態で恋を見上げるアリスは含みのない笑顔でおかしそうに笑い、恋もまたそんなアリスのクスクスという笑い声に自然と笑みを浮かべる。

 すると制限時間を見てまだ時間があるなと思ったのか、アリスは恋にある提案をした。

 

「良ければ一緒にえりなや幸平君の様子でも見に行かない?」

「ん、確かに他の皆の様子は気になるな……行くか」

「じゃあハイ」

「……はいはい」

「♪」

 

 別会場の様子を見に行こうと誘ってくるアリスに、恋は確かに気になると承諾。

 するとアリスは座り込んだまま両手を広げてきた。恋はアリスが何を求めているのかを察すると、小さく溜息を吐きながら仕方がないなとその両手を取る。そしてグイッと引っ張って立ち上がらせてやると、アリスはよろしいとばかりにニコニコと満足気。

 

 そして立ち上がったかと思えば恋の腕に自分の腕を通してぐいぐいと引っ張って歩き出した。

 

「さぁ行きましょう! どんな感じか楽しみね!」

「元気じゃん……それにこの前言ったこと完全に忘れてるだろ」

 

 不用意に異性に近づくべきではないと言った恋の言葉をさっぱり無視してくるアリス。

 その天真爛漫っぷりを見て、流石の恋も諦めて振り回されることにしたらしい。

 

 

 




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