ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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三話

 編入試験が終わり、薙切えりなと別れた恋は帰路についていた。

 隣を歩いているのは同じく編入試験を受けた赤い髪の少年。名前は幸平創真というらしい。先の試験を見る限り、類稀な発想力と丁寧かつ迅速な調理技術を持っているようだ。

 偶然にも彼は恋と同じ寮に入るらしく、道中様々な話をしながら親交を深めている。

 

 彼の実家は大衆食堂の定食屋らしく、有名料理店の人間ではないらしい。あの場にいるにしては雰囲気が違った故に、恋もなんとなく納得した様子。

 ちなみに恋の実家はそこそこ名の知れた店だ。えりなと出会ったあの日は、元々えりなに味見してもらうために出向いていたらしい。まぁ床に伏せっていたので、挨拶程度に終わったようだが。

 

 恋と創真は編入試験にて、見事薙切えりなから合格を言い渡された。創真を合格にするのはえりなも若干躊躇ってはいたけれど、恋に免じて料理の腕は認められたらしい。おそらく、創真だけなら意地で落とされていただろう。

 それを創真に話したら、もう薙切を下手に煽るのは止めようと、彼は溜め息を吐いていた。その様子がなんだかおかしくて、恋はハハと軽く笑ってしまう。

 

「そういや、黒瀬は薙切と知り合いなのか? さっきはあっつい台詞を言ってたけど」

「そうだなぁ……幼い頃に短い間だけど彼女から料理を教わったんだ。色々あってその間以外は会ってなかったんだけど……一応幼馴染で、友達だよ」

「ふーん……深くは聞かない方が良い感じ?」

「ハハ、別に重い話じゃない。想い話ではあるけどね」

 

 なんだそれ、とツッコむ創真。

 だが創真も気になってはいたのだろう。あの編入試験の会場で、黒瀬恋という少年は薙切えりなに殆ど告白のようなことを言っていたのだから。恋愛話というのは古今東西老若男女盛り上がれるテーマだ。

 それに、創真もまだまだ恋愛話に興味があるお年頃だ。薙切えりなが自分の料理の全てとまで言ってのける黒瀬の想いは、色々聞いてみたくなるものである。

 

「あの固そうな薙切が、目に見えて狼狽してたからな。良ければ色々聞きたいな」

「壮大なドラマを期待されても困るが、まぁ簡単な話だ。俺は彼女に"料理"を教えてもらって、その時彼女を笑顔に出来る料理を作りたいと決めた。それだけだ」

 

 料理を教えてもらった。その言葉には色々な意味がある。

 勿論技術もそうだし、知識も教えてもらった。それでも恋にとって一番大きいのは、料理という概念を教えてもらったこと。料理をすることの意味、料理を振る舞う時の緊張感、料理を食べて貰う幸せ、料理が楽しいということ、色んなことをえりなは教えてくれた。

 だから恋はソレを教えてくれたえりなを、自分の料理で笑顔にしたいと思った。

 

「黒瀬は薙切のことが好きなのか?」

「好き? ……どうなんだろう、俺は恋愛経験はないからな。ただ、彼女には感謝してるし、尊敬もしてる。俺の人生を全部彼女にあげても良いと思えるくらいには、大切に想ってるよ」

 

 それは最早好きを通り越して愛の域じゃないのか、と創真は内心思ったが、そっかと短く相槌を打ってそれ以上は聞かなかった。これ以上は無粋だと感じたのだろう。

 恋愛感情に疎い黒瀬は、自分の抱く感情をひたすら料理にぶつけてきたのだろう。そしてそれが全て薙切えりなへの愛であることに気付いていない。

 

 自分もいつか、黒瀬の様に大切に想える相手が出来るのだろうかと少し感傷に浸る創真。料理しか知らないというのは、なんとなく共感を覚える。

 だが自分よりも背が高い黒瀬の横顔は、同年代とは思えない程大人びていて、とても格好良く見えた。

 

「なんか、良いな……そういうの」

 

 創真はふと笑顔を浮かべながら、黒瀬には聞こえないようにそう呟いた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 一方、薙切えりなは編入試験の結果を二人に言い渡した後、すぐに家に戻ってきていた。祖父に合格者の報告を電話で済ませる約束だったが、それを緋紗子に任せてすたこらと自分の部屋に戻ってきたのだ。

 制服のままベッドに飛び込み、うぬぬーと唸るえりな。布団を両手で握り、何か堪え切れないようにじたばたする。

 

 原因は一つ、黒瀬恋だ。

 

 えりなは自分が高嶺の花であることを知っている。小学生の頃とは違って、自分の価値を実力を正しく認識し、その上で薙切えりなという存在は高貴な者であることを理解しているのだ。自信もあれば、確信もある。

 だからこそ容姿だってそれなりに磨いてきたつもりだし、立ち居振る舞いやマナーもそれ相応に身に付けた。

 

 故に彼女は恋愛経験など全くない。告白されたこともだ。同年代の男子はえりなに告白することなど畏れ多くて出来ずにいたのだから、仕方のないことだろう。

 なのに、黒瀬恋はあんなにも純粋でまっすぐな好意をぶつけてきた。えりなにとっては、恋が料理を続けてくれていたことの喜びもあったのだ。そこへ更に今まで受けたこともない大きな好意による追撃。正直、えりなの初心な心の許容量を大きく超えていた。

 

 嬉しい、とは思う。自分の料理の全てが薙切えりなの為だと言い切ってくれたのだ。顔が熱くなってしまうのは、仕方のないことだと思う。

 まるで少女漫画の様な展開。あの日出会った時から今日までずっと、恋が自分のことを想い続けていたなんて、胸がきゅんきゅんし過ぎてどうにももどかしい。

 ベッドの上を頭でも打ったかのようにジタバタ転がるえりなは、枕に顔を埋めて唸らずにはいられない。

 

「~~~~ッッッ……!!」

「え、えりな様?」

「ふぁっ!? 緋紗子!?」

 

 そこへやって来た緋紗子の声。えりなは顔を真っ赤にしながら顔を上げ、変な声を上げた。

 一部始終を見ていた緋紗子は、えりなのそんな姿が凄く可愛いと思ってしまった。顔を真っ赤にして柄にもなく狼狽えて、どうしようもないもどかしさに軽く涙すら浮かべている。いつもの高貴でクールなえりなとのギャップが、緋紗子の胸にグッと来た。

 

 だが、その原因も知っている緋紗子はえりなの近くに近づいて、懐かしい光景を見るように言う。

 

「……なんというか、凄く成長されてましたね」

「……うん」

「正直、もう彼は料理をしないものと思っていましたが……男の子というのは分からないものですね」

 

 緋紗子は苦笑しつつ、ベッドの脇にある椅子に座った。今日のスケジュールは消化している。こうして会話に花を咲かせるのもまた良いだろう。

 緋紗子の言葉にえりなはいそいそと体育座りになり、自分の膝に顔を埋めるようにしてぽつぽつと言葉を紡いだ。

 

「私だってそう思っていたわ……でも、まさか料理を続けていたなんて本当に予想外よ……もう」

「その理由がえりな様ですもんね」

「や、やめてよ……まだ受け止めきれてないんだから」

 

 本当に可愛い人だと笑う緋紗子。

 緋紗子にとって、黒瀬恋とは自分とえりなを近づけてくれた少年だ。料理を教えるという約束を果たす為、えりなと恋は毎日の様に厨房で色んな料理を作っては失敗や成功を繰り返していた。

 そんな二人は薙切だとか、神の舌だとか関係なく、子供らしく見えた。だから緋紗子も不思議と歩み寄ることが出来たのだと思う。

 

 気が付けば、えりなと一緒に恋に料理を教えるようになっていた。

 

 自分の得意な薬膳料理の知識を惜しげもなく教えてあげたり、ミスをした恋に手とり足とり調理器具の使い方を教えてあげたり、包丁で指を切った恋の手当てをしたり、まるで弟が出来たようで、当時の緋紗子にとってはおそらく――充実した毎日だっただろう。

 だが、えりなの優しさが彼を傷つけ、気付けば彼とは疎遠になってしまっていた。

 彼のおかげで十分にえりなのことを知り、歩み寄れた故に、それ以降もえりなとはそこそこ気兼ねなく話せるようにはなった。しかしやはりそこには何かが欠けていたように思う。

 

 とどのつまり、緋紗子も彼のことを大切に思っていたのだ。大切な友人として、自分とえりなを繋いでくれた人として。

 だから恋愛感情というよりは、まだ出来の悪い弟といった感情が強いが、逞しく成長してくれていたことは素直に嬉しいと思う。

 

「男子三日会わざれば括目して見よ、とは良く言ったものですね」

「……そうね、凄く成長してたわ。背も私より大きくなって、声も落ち着いて低くなって、手も私の頭を掴めるくらい大きくなってた……まるで別人みたい」

 

 でも。えりなはそう言って一呼吸。

 

「前と一緒の部分もあったわ。手は大きくなってたけど、温かかった……相変わらず金色の眼が綺麗だった……格好良くなってたけど、笑顔が可愛いのも変わらない」

「ええ」

「私の知ってる、黒瀬君だったわ」

 

 えりなは頬を少し紅潮させたまま、嬉しそうに目を細めながら優しげな笑みを浮かべる。

 自分が言った言葉で料理を奪ってしまったと思っていた少年。その子が今日、自分の勘違いを覆すように素晴らしい料理を作って見せた。そしてその全てが自分の為に磨いたものだと言う。

 

 嬉しくない、訳がない。

 

「今度、また一緒に料理がしたいわ」

「ええ、そうですね」

 

 たった数ヶ月の時間が繋いだ絆。停止していた時間。雪解けの様にゆっくりと動き出した薙切えりなと黒瀬恋の時間は、二人の関係が変わらないことを教えてくれる。

 過去には色々あっただろう。勘違いもあっただろう。思うこともあっただろう。

 

 しかし二人は今も――友達だ。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 極星寮――遠月学園に存在する寮の一つで、かつてこの学園に存在する十傑評議会と呼ばれる生徒間の最高権利者、その十の席を勝ち取った生徒が多く住んでいた寮だ。黄金期には十傑の内約半数は極星寮出身であった時代もあったそうな。

 創真と恋は今日、その極星寮に入ることになっている。無論この遠月に存在する寮だ、普通に入寮することは出来なかった。

 

 課題はこの場に存在する食材で、寮長である大御堂ふみ緒さんを満足させること。

 

 まぁそこは薙切えりなを唸らせた腕を持つ二人だ。なんとか突破して入寮することが出来た。

 奇抜で奇想天外な発想から思いも寄らない料理を生み出す創真と、基礎と基本に忠実で、己の中にあるレシピを最高の仕事で芸術の域にまで仕上げる恋。真反対な料理スタイルではあるが、確かな実力がある二人である。

 

 だが薙切えりなと新戸緋紗子以外、この学園にいる人間は知らない。この黒瀬恋という男が、味覚障害であることを。圧倒的なハンデを抱えながら、料理人として高みに這い上がってきている人間だということを。

 

 彼が目指すのは料理人の頂点。

 薙切えりなに心の底から美味しいと言って、笑顔になってもらうこと。それすなわち料理人の頂点と相違ない。

 

「やっとここまで来れた……綺麗になってたなぁ、彼女。でも、昔とちっとも変わらない所もある」

 

 極星寮の一室、部屋の窓から星空を眺める恋は嬉しそうに笑う。

 

「『料理は人を想って作るものなのよ』――そうだったよな、えりなちゃん」

 

 えりなの教え。あの日厨房で最初に彼女が教えてくれたこと。

 そして黒瀬恋の料理の根底に刻み込まれた信念でもある。彼はえりなを想って料理を作る。彼女を笑顔にするために料理を作る。それだけで良い。

 

「また、一緒に料理がしたいな」

 

 奇しくも、いやこれは必然だろう。

 えりなと恋、友達である二人は、長い空白の時間を埋めるように――同じことを思っていた。

 

 これは、やがて『料理界のベートーヴェン』と呼ばれるようになる料理人の物語。

 彼の作る料理は世界中の誰よりも想いが籠った料理。味覚障害という運命を乗り越え、ただ一人の少女の為に作られるその料理に――人々はこう言うことになる。

 

 

 ―――これは、"初恋の味"だと

 

 

 


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