ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。
今回はいつもより少し長いです。


三十二話

 ◇ ◆ ◇

 

 

 ―――遠月学園に入学してから、今年は編入生が二人入ったことを知った。

 

 名前は幸平創真と黒瀬恋。

 俺が奴らの顔を見たのは、入学して最初の全校集会でのことだった。間の抜けた顔をした幸平と、物静かに姿勢よく佇んでいる黒瀬。まるで対照的に佇む二人を見た時は、正直大したオーラも感じなかったし、中等部から上がってきた奴らに比べれば実力的にも大したことなさそうな印象を受けた。

 何事も慎重かつ入念な準備をする俺としては、それだけで放っておくわけでもなかったが、パッと見た時の第一印象はそんな感じだったわけだ。

 

 けれど、そんな第一印象を即座に打ち壊したのが、黒瀬恋という男の挨拶だった。

 

 編入生を異物として受け入れない視線を送る俺達を前に、奴はただただリスペクトを語った。自分という料理人を誰よりも才能のない人間として認識し、その場にいる全員を素晴らしい料理人だと認識していた。

 

 

 "―――俺もそうだ"

 

 

 奴が俺達に宣戦布告するのに使ったのは、文字にすればたった五文字のその言葉だけだ。純粋なリスペクトを述べて、媚を売るわけでもなく俺達を格上と認めた上で、奴はそう言って俺達の緩んだ意識を正確に撃ち抜いた。

 全く覇気もオーラも感じなかったその身から、空間を食い破るような闘志を剥き出しにしてきたのだ。そしてそれだけで、俺達全員を一瞬とはいえ恐れさせた。

 

 それからだ―――俺が黒瀬恋という料理人を注視するようになったのは。

 授業でも、強化合宿でも、二年との食戟でも、俺は奴の活躍を間近で観察し続けた。見ているだけで溜息を吐かされるほどに無駄のない調理技術。何の工夫もないレシピでも、アイツが作るだけで高級料理のソレに匹敵する純粋な基礎力。そして他人のサポートをさせれば、メイン料理人の腕を百二十パーセント引き出し最適解へと連れて行く力。

 

 観察すればするほど、黒瀬恋という料理人の実力は頭一つ飛び抜けていた。

 

 勝てるのか? 俺のやり方で、アイツの料理を下せるのか? そんな疑問が頭を過った瞬間、俺はきっと奴に敗北感を抱いていたのだろう。

 それから俺は本腰を入れて奴のことを調べ上げた。

 奴が遠月に来てからどんな料理を作ってきたのか、どんな生活をしているのか、交友関係は、どんな人物なのか、どの程度の知識と技術を持っているのか、苦手料理や得意料理は、好きなことは、嫌いなものは、ありとあらゆる情報を調べ上げて、自分自身にトレースしようとした。

 

 ―――出来ねぇ……!?

 

 だが、出来なかった。

 何度やろうとしても奴と同じことが出来なかった。あらゆる食材に対して、理想的な場所を理想的な角度で、理想的なリズムで切ることが出来なかった。カットを済ませた料理を焼く時も、煮る時も、蒸す時も、炒める時も、奴には見えている理想的な火入れと余熱への移行のタイミングが分からなかった。

 どれだけの努力、どれだけの反復、どれだけの意思があれば身に付けられるものなのか、嫌でも思い知らされた。

 

 俺は才能に恵まれた―――けれど、ひたすらに努力だけを積み重ねた怪物がいることを思い知った。

 

 奴は平凡だ。

 薙切えりなや葉山アキラのような神の舌や優れた嗅覚も持っていない。幸平の様な突飛な発想力もなければ、アルディーニ兄弟の様に長年店で厨房を任されていたわけでもなく、薙切アリスの様な最先端の研究環境があったわけでもなく、黒木場の様に幼い頃から死に物狂いで現場という修羅場を生き延びたわけでもない。

 もう一度言おう、奴は平凡だ。

 ただひたすら、"料理をする"というアクションを身体に叩きこんだだけの凡人だ。

 

 俺は俺のやり方では、黒瀬恋には勝てないことを悟ってしまった。

 奴が怖かった。今までの俺の人生を否定されたような気がしたから。他人の積み重ねたものをトレースし、ほんの少しのアレンジさえあれば勝てると確信していた俺の中の方程式を、奴の存在が粉々に打ち砕く気がしたから。

 

「味覚……障害、だと……?」

 

 だから奴が味覚障害を持っているという事実を知った時、俺は余計に黒瀬に対して恐怖心を抱いた。味も分からねぇ奴が、あれほどまでに完成された料理人の域に達することが出来るわけがないと、俺の中の常識が叫んでいたんだ。

 そして同時に、畏怖を覚えた。

 黒瀬恋は、俺と正反対だ。

 料理人として圧倒的な非才の身でありながら、それ以外の全てで料理人の領域にまで上り詰めてきた男。黒瀬だからこそ、アレだけの料理を作り出せるという現実が奇跡だ。

 

 俺が今まで見つめてきた奴の料理の全てが、奇跡だったんだ。

 

 だからこそ黒瀬の障害について、叡山先輩に密告した。

 あの奇跡をこのまま学園に残しておけば、いつしか誰にも手を付けられない料理人になるとすぐにわかったからだ。黒瀬がいずれ、俺自身の人生を崩壊させかねない衝撃となって襲い掛かってくるのが怖かったからだ。

 少しでも奴の足を引っ張る枷を作ってやりたかった。

 味覚障害者と発覚すれば、多少なりとも奴の肩身は狭くなるし、人が偏見で奴の料理を見るようになる。そうなればいいと思っていたんだ。

 

 それがまさか―――即退学になるなんて、思いもせずに。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 

 タクミと美作の戦いは、美作の宣言通りのことが起こっていた。

 選抜第四戦、タクミと美作の勝負テーマは『デザート』。

 そのお題に対してタクミと美作の回答は全く同じ品であった。厨房に立った段階で、両者の用意した食材も調理器具も全く同じ。調理台の上の食材の配置まで、完璧に一致する状態で調理がスタートしたのだ。

 観客もそうなれば美作のストーキングの精度がどれほど高いのか、嫌でも理解できる。

 

 全く同時に調理が開始される。

 練習したかのように、お互いの料理工程は全く同じタイミング、同じペースで進んでいく。

 

「『セミフレッド』――俺とお前がこれから作るスイーツの名前だ」

「!」

 

 そして調理をしながら、美作は余裕の態度を崩さずにタクミに話しかける。先程の挑発に加えて、精神的にも揺さぶりを掛けるつもりなのかは分からないが、それでも両者の手に淀みはない。

 

「イタリア語で半分(セミ)冷たい(フレッド)という言葉で、アイスクリームのような冷たさとケーキのふわりとした食感を併せ持つ。今回作るのは三層のタイプ……当たったか?」

「ハッ、それが二週間前から嗅ぎ回った成果か? ご苦労なことだ」

 

 美作の言葉にも動揺せず、タクミは自身の調理に集中していく。

 同じ食材、同じ品を作る―――そう言うのは簡単だが、料理とて人が変わればその在り方も変わるものだ。タクミはアルディーニの名に誇りを懸けて、同じ品を作ったところで自分が劣ることなどありえないと、強気に調理を進めていく。

 

 だが、美作昴の実力は確かだった。

 

「アルディーニの調理ペースにぴったりくっついていってやがる!? 美作、口だけの男じゃねぇぞ!?」

 

 上から俯瞰的に見ることが出来る観客には、タクミの効率的な調理スピードは圧巻に映る。だがそれ以上に、タクミのスピードに美作は余裕で付いていっていたのだ。

 完璧なトレースをするには、相応の技術力がなければ話にならない。美作昴の実力は、トレース以上に確かな技術に裏付けされたものだった。幾ら突き放そうとも付いてくるその姿は、まさしくこの瞬間にもタクミの身体を縛り上げる鎖の様。

 

「生地作りに入ったぞ!卵と砂糖をふんわりと泡立てていく!」

「くっ……! 突き放せない」

「動きに迷いがなくて細やかだ……分量計算が少しでも狂ったら味が台無しになっちまう。それぐらいの繊細さがいるのが菓子作りだからな」

 

 作業が進んでいく。

 セミフレッドの生地作り。タクミが作ろうとしている三層の生地を完璧にトレースし、美作の手元でも同じものが同タイミングで仕上がっていた。

 

 しかし、美作の本領が発揮されるのは此処からだ。

 

「ここからアレンジだ―――突き放すぜ、アルディーニィ!!」

 

 同じ品をトレースし、そこからもう一つだけアレンジを加える。より良くなるように、より美味しくなるように、美作のセンスを少しだけ加えることで品のクオリティを一段階引き上げるのだ。

 それは生地作りの過程で現れた。

 全く同じ工程で作られていたそれに、変化が訪れる。卵の泡立てに使う技法が『共立て』なのに対し、美作は『別立て』になったのだ。どちらも卵を泡立てることに変わりはないが、前者は卵白と黄身を分けずに泡立てる方法で、後者は別々に分けて泡立てる方法。

 どちらが良いというわけではないが、それでもたったこれだけでも確かな違いが生まれるのが料理だ。

 

 美作のアレンジが続く。

 

「さぁて、次はシロップを作るんだよなァ? このリキュールで!」

「(……リモンチェッロまで!?)」

「トラットリア・アルディーニにはこれをふんだんに使った看板料理がある。これ目当ての客が州中から押し寄せる人気メニューらしいなァ? お前なら必ず使ってくると読んでたんだ!」

 

 シロップを作るのにメジャーなリキュールは、ラムやアマレットといったものが定番ではあるが、完璧にタクミの全てを調べ上げた美作はそれを選択しない。タクミの店で使われているリモンチェッロまでしっかり用意していた。

 タクミの胸中に、幾ばくかの焦りと不安が生まれる。此処まで自分と同じものを作り、こうして自分の思考が完全に読まれているなど、到底あり得ない。

 

「(本当に…全部読まれてるのか…!?)」

「嬉しいぜェ……お前が、俺の思うままのお前でいてくれて! やはりお前はこの選抜にいるべき奴じゃなかったなァ!!」

「くっ……! ならば……この場で俺のレシピを超えるだけだ!!」

「出来るのかお前に? この場に用意した食材は元々の品を作るためのもの――ここから新たな要素を創造する余地はねぇと思うがなァ!?」

 

 しかし、タクミは諦めない。

 此処まで読まれているというのなら、この場で美作とは違うアレンジを生み出せばいいと考えたのだ。自分の店と名に懸けて、そして己と己の弟の名誉に懸けて、それが出来ない自分ではないとタクミは知っている。

 

 そうこうしている間に美作のアレンジが更に進む。

 使用する生クリームにマスカルポーネチーズを加えることで、より深いコクを生み出すことに成功している。これは予選のカレー課題に対し、タクミが行った技法でもあった。

 何もかも相手の培ったものから掠め取っていく美作の品は、下衆なやり方と分かっていてもそのクオリティをより高みへと引き上げていく。

 

「……この勝負、アルディーニの負けだな」

「どうして? 確かに劣勢かもしれないけれど、彼がやろうとしているように何か別のアレンジがあれば、可能性はなくもないとおもうのだけど」

 

 そんな戦いを見て、恋がぽつりと結論を出した。

 えりなはその結論に対して首を傾げざるを得なかったが、恋はえりなの疑問に対してスッとタクミの食材の置いてある場所を指差した。

 

「アルディーニの持ってきた食材の中で、唯一アレンジに使用できる物があるとすれば……あのオリーブオイルを使って生地に新たな層を作り出すことくらいだろう。現時点で卵の泡立て方が美作と違うことも相まって、一見それが最善の策に見えるし、事実そうだ」

「なら、彼がそれに気が付けば……まさか」

「そう、これでは美作の品には勝てない」

 

 調理が進む。

 同時に生地を焼き上げた両者の品に、明確な違いが生まれていく。美作は生地にアーモンドパウダーを小麦粉と置き換えることでより香ばしいスポンジ生地を作り上げていた。タクミの品とどんどん差が開いていくのを、本人も観客も明確に感じ取っていく。

 だが美作の用意してきた最大のアレンジは、即興のアレンジでは到底出すことは出来ない時間を掛けた"下準備"にあった。

 

「この場においてあれほどのトレースを見せた美作昴が、何故かアルディーニの持ってきたあのオリーブオイルだけはこの場に持ってきていない……俺からすれば、それこそが罠に見える」

「ということは……美作君の品には、まだ何かアレンジがある?」

「十中八九、セミフレッドに使用しているあの塩レモンだろうな。アレなら事前準備で工夫を凝らすことが出来る」

 

 恋の示した答えに、えりなは息を呑む。

 調理は進んでいく。

 タクミは、恋の言った通りにオリーブオイルから発想を飛ばし、第四の層にオリーブオイルを使ったレモンカードの生地を作り上げた。この場で出来る最善のアレンジに辿り着いた実力は確かなものだが、やはりその策は美作の予測の範囲内。

 

 完成したそれぞれの品を実食する審査員。

 

 その反応が、タクミが美作の術中にハマっていたことを明確にしていく。

 美作のやり方に嫌悪感を露わにしていた審査員もいたが、それでも認めざるを得ないほどに両者の品に明確な差があることに気付いてしまう。

 

「信じてたぜアルディーニィ! お前がそのお守りのオリーブオイルを使ってレモンカードを作ってくることを!!」

「な、に?」

「だから俺は隠し味として、事前にレモンを塩漬けにした調味料にアレンジを加えた! そう、全てはお前がレモンカードに辿り付くと踏んでの策だよォ! お前は何も知らず、俺の手の中で走り回っていたんだ、全部全部読まれているとも知らずになぁ!!!」

 

 恋の読み通り、美作はタクミのアレンジの方向性まで読み切ってその対抗策を用意していたのだ。この場の即興では出来ない、事前準備の段階で用意された塩レモンへの工夫は、熟成された味を生み出すようにより強い深みとなって品に現れている。

 

 結果、タクミの品は全てをトレースされたことで―――敗北したのだ。

 

「くっ……勝者、美作昴! 食戟により、アルディーニのメッザルーナの所有権は美作昴へ移譲される」

「頂くぜェ……お前の誇りって奴」

 

 そしてタクミの料理人としての誇りである包丁、メッザルーナをぞんざいに奪い取っていく美作昴。膝を突いたタクミにそれを止める力はなく、呆気なく己の料理人としてのプライドをズタズタにされてしまった。

 不意に美作が恋の方へと顔を向ける。

 どうやら先ほどの視線からも、恋がこの場にいることは気付いていたらしい。これも美作のトレースとやらで知られていたのかもしれないが、美作は誰も気づいていなかった恋の存在を明らかにするように、恋を指差した。

 

 観客の視線が恋の方へと向く。

 浮かんだのは、動揺と困惑――当然だ、退学に陥れた美作と陥れられた黒瀬恋がこの場にいるという事実に、動揺しないわけがない。

 

「なんと言われようがこれが俺のやり方だ……黒瀬、文句があるなら下りてこいよ。おっと、退学になったんだったか?」

 

 美作の黒瀬に対する挑発に、会場の視線が恋に向いた。

 審査員として座していた薙切仙左衛門も、試合を見守っていた十傑評議会の面々も、観客も、あまりの事態に黙って黒瀬の反応を伺うことしかできない。隣にいたえりなも、何故美作がこんな行動に出たのかを理解出来ずにいる。

 美作が叡山枝津也と繋がりのある生徒であることは間違いない。

 ならばこの状況は、叡山の意思に背いた行動だ。黒瀬の退学という風化しかけていた一件を、よりにもよって選抜本戦で大々的に観客達に印象付けている。これでは、良からぬ勘繰りを生み出すことを避けられない。

 

 何故、美作が今この行動を起こしたのか―――しかし恋は、美作から向けられる感情と言葉からそれを察していた。

 

「……なるほど、そういうことか」

 

 観客席の後方にいた恋は、一つ頷いて階段をゆっくり下りていく。

 会場に設置された巨大スクリーンに、恋の姿が映し出された。どうやらカメラが恋の方を向いたらしい。そして観戦席最前列へと降りてきた恋の声は、ギリギリ収音マイクで拾われる。

 崩れ落ちて項垂れていたタクミの視線すらも、恋に向いた。

 

「別に否定するつもりもないよ、美作……まぁ、褒められたやり方ではないけれど、お前のやり方が必勝のスタイルというわけではない以上……それを上回れなかった敗者に文句を言う資格はない。単に実力が足りなかっただけだ」

「……ハッ、よく分かってるじゃねぇか」

「けど、アルディーニの敗北にも、俺の退学にも、納得がいっていない者が多いのも事実だ」

「ならどうする?」

 

 恋はあくまで美作のやり方を否定はしなかった。褒められた行動ではないし、料理人として下衆なやり方をしていることは確かだが、それも確かな実力で確立したスタイルである以上は否定することなど到底出来はしない。

 その言葉に観客は騒然としたが、そこから続いた恋の言葉にピタリと口を閉ざされる。

 そう、納得など行っていない。この場において、タクミの敗北も黒瀬恋の退学も、秋の選抜という由緒ある戦いの場に相応しくない不穏な出来事であることは、誰もが思っていた。

 

 そして他ならぬ美作が勝負の前に言ったのだ。

 こんな選抜に何の意味があるのか、と。誰もが納得した戦いを、誰もが認める勝者を、この学年の最強を決める戦いを、この秋の選抜で生み出す筈ではないのか。

 ならば何の憂いもない戦いをすべきだと、美作は言いたかったのだ。

 

 それを裏付けるように、次に放たれた恋の言葉で美作は不敵に笑った。

 

「用意してるんだろう? 他ならぬお前が―――俺との食戟を実現させる手段を」

 

 再度騒然となる会場。

 美作昴の今回の行動の意味……それは、黒瀬恋をこの戦いの場に引きずり出すための行動だった。自分が退学に陥れた黒瀬恋――だが彼自身は黒瀬恋を退学にしたかったわけではない。

 美作昴は最低のやり方で料理人の誇りを踏みにじる料理人だ。

 しかし彼とて一人の料理人。そこには確かなプライドと誇りがある。

 彼はただ黒瀬恋の足を引っ張る枷を作りたかったのに、何故か彼は退学になった。自分のやったことで、退学にしてしまったのだ。

 

 それは、黒瀬恋との勝負から逃げたことと同義ではないか?

 

「ああ、その通りだ……察しが早くて助かるぜ」

 

 美作はそれが認められなかった。タクミが言ったように、黒瀬との戦いから逃げたのだと、美作自身が一番分かっていたのだ。

 だからこそ、勝負の前にタクミに美作が言った言葉は全てこのための芝居だった。恋を退学にしたことで、美作昴は"自分自身"を戦いの土俵から引き摺り降ろしてしまったのだ。

 

 美作は振り返り、審査員席に座する薙切仙左衛門の方へと視線を向ける。

 

 

「薙切仙左衛門総帥……俺、美作昴は――秋の選抜本戦、俺のこの先の出場権を賭けて、あの黒瀬恋と食戟を行わせていただきたい!!」

 

 

 全ては黒瀬恋をこの戦いに連れてくるための行動だった。

 会場が更に騒然となる。

 前代未聞。秋の選抜中に、本戦出場者が本戦出場権を賭けて退学者と食戟を行おうというのだ。そんな暴挙、長い歴史の中でも初めての出来事であった。

 

「……」

 

 仙左衛門はその申し出に対し、数秒黙して考える。

 

「この選抜戦は、由緒ある神聖な戦いである……その出場権を賭けた戦いを認めろと? それは君の意思であっても、儂一人の采配で決められる雑事ではない」

「―――では、貴方一人の決定でなければ?」

「なに?」

 

 当然の様にこの場で決定することなど到底出来ない案件――だが、美作はそれを読んで切り札を切る。

 懐から取り出したのは、一枚の書類だった。

 そこには、複数名の署名と共にこう書いてあった。

 

 ――――――

 

 秋の選抜本選において以下の条件を満たした場合、美作昴と退学者黒瀬恋の食戟を認める。

 

 一つ 美作昴が本戦に出場し、一回戦を勝利すること。

 一つ 黒瀬恋が選抜会場に存在し、食戟を承諾すること。

 一つ 十傑評議会過半数の認可を得ること。

 

 《備考》

 ・以上の条件を満たし食戟が行われた場合、この食戟の勝敗で両者間に発生する賭け品は、『美作昴の本戦出場権』と『黒瀬恋の包丁』以外を認めない。

 ・食戟の開催が決定した場合、秋の選抜運営の関係上その食戟はその日の内に行われるものとする。

 ・また、美作昴に黒瀬恋が勝利した場合、十傑評議会の意思の下、黒瀬恋の退学処置の一切を取り消すことを認める。但し、その後黒瀬恋が秋の選抜本戦において優勝出来なかった場合はコレを無効とする。

 

 

 《署名》

 十傑第七席 一色慧

 十傑第八席 久我照紀

 十傑第三席 女木島冬輔

 十傑第一席 司瑛士

 十傑第二席 小林竜胆

 

 ―――――

 

「なんじゃと……!?」

「十傑評議会の五名から既に認可を得ました。あと一名の認可が下りた場合、この食戟を取り行うことを認めていただきたい」

「……だが、その最後の一名はどうするつもりじゃ?」

「それは――今この場で、そこにいる十傑第十席、薙切えりな嬢に問います」

 

 美作が用意した策は、奇しくも美作が恋を退学にしたのと同じ手段だった。

 恋が退学を取り下げる認可を得るために動くのと時を同じくして、美作は別の手段を使って恋をこの場に呼び戻す策を練っていたのだ。

 意図せず黒瀬恋との戦いから逃げてしまった己を許すことが出来ず、叡山枝津也の繋がりを断つことを受け入れて行動に出たのである。

 

 改めて恋の方へと振り向く美作。

 

「お前が夏休みの間に色々と動き回っているのを知った時、こうすることを決めた……テメェを真正面からきっちり圧し折って、俺は憂いなくこの選抜に臨ませてもらうぞ」

「流石、バレない様に動いていたつもりだったんだが……退学して尚俺のストーカーを継続していたなんて思わなかったよ」

「……いいでしょう、お爺様―――十傑評議会第十席として、この薙切えりなもその食戟を認めます。この場で、美作昴と黒瀬恋の食戟を執り行わせていただけますか?」

 

 美作の策は天晴というべきだった。

 夏休みの間に恋が創真達に指示して行動して貰っていることを、おそらく選抜メンバーのストーキングをしている間に気が付いたのだろう。そして恋が戻ってこようとしていることを知り、ならばと密かに美作も行動していた。

 そして恋の策が芽を出すよりも早く、美作は全ての準備を整えたのだ。

 

「……良かろう、十傑評議会での決定は学園運営における最高決定権である。この場にて、美作昴と黒瀬恋の食戟を認めよう!! そしてその勝者が、秋の選抜準決勝に進出する者とする!!」

 

 そしてその策はえりなの許可を以て完成。

 薙切仙左衛門の宣言と共に―――黒瀬恋が遠月学園へと舞い戻ってきた。

 

 

 




次回 美作昴VS黒瀬恋 食戟
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