前回の書類署名欄の部分、名前の順番を変更しました。
◇ ◆ ◇
「……なるほどな。つまり美作は俺達に、退学にした黒瀬を戻す書類に署名しろと言うんだな?」
「ハハッ! 叡山の奴がなんか言い出したかと思ったら、密告者ってお前かぁ!」
選抜予選が開始される一週間前、選抜運営の為に学園に登校していた二人の生徒に対し、美作昴は交渉を行った。
その二人というのが、十傑評議会第一席である司瑛士と第二席である小林竜胆。共に現時点でこの遠月の頂点たる人物達だった。彼らは三年であり、一年である美作の持ってきた話を聞く義理もなかったのだが、美作にはこの交渉に対する勝算があった。
書類を見てうーんと悩む様子を見せる司に対し、竜胆はニマニマと成り行きを見守っている。
そう、美作はこの二人に対しても綿密な調査を行った。夏休みという十分な時間を費やして、二人の関係性や性格、損得勘定、料理人として求めていることは何か、調べ上げたのである。
結果、今回の交渉で説得しなければならないのは司瑛士唯一人だと考えていた。小林竜胆は自由奔放な人物であり、面白そうなことには寛容だ。司瑛士さえ頷けば、小林竜胆はきっと乗ってくると確信している。
だからこそ、その為の準備を整えてきたのだ。
「……うーん、だがどんな理由であれ黒瀬は一度退学になっている。それはつまり学園にとって彼を在籍させる意味がないという決定だ……現に俺達も、味覚障害を持つ彼が料理人として成功する可能性は限りなくゼロに近いと思ったからこそ、賛同したわけだからな」
「うんうん、確かにそーだな」
「お前がどう思っているのかは別として、俺達も意地悪で辞めさせたわけじゃない。人一人の人生を左右する以上、公平な視点で判断させて貰ったまでだ。進路を考える学生時代、やり直しを図るなら早いに越したことはないだろう?」
至極正論。
司達の主張は非の打ち所がないほどに正当で、十傑評議会として公平な判断を下したという事実だけを主張していた。あくまで黒瀬恋という人間の今後を考えて、早い内での再起が可能になる今退学にしただけ。それが学園にとっても、黒瀬自身にとっても、最適な判断だと思ったから。
しかし美作はその意見に対し、交渉カードを切る。
「でも、その黒瀬が選抜を優勝するほどの実力の持ち主であったなら……どうすか?」
「! ……確かに、仮にそれほどの腕の持ち主であれば、逆に彼の退学は遠月の損失だな……だが彼が優勝出来る保証がどこにある? 彼が選抜に選ばれていたとして、予選を勝ち抜き本戦に出場出来る確信は? その上で本戦を勝ち抜き優勝するという確証は? それをどうやって証明するつもりだ?」
ここだ―――美作は此処で最大の勝負に出る。
「俺が選抜本戦まで勝ち進みます。その俺に黒瀬が勝ったなら、可能性は低くないでしょう?」
司と竜胆はその主張に目を見開いて驚愕する。
この時点で美作が提示した条件は、美作と黒瀬恋の食戟を認めるということだけ。詳しい契約内容の書かれた書類は未だ渡していなかった。だからこそ司も竜胆も、その首を縦に振ることを良しとしなかったのだ。
美作は本当の書類を渡す。
そこに書かれている内容に目を通し、司も竜胆も正気かと思った。
「……つまり美作が本戦第一回戦を勝つこと、当の黒瀬が会場にいて食戟を承諾―――つまり復学の意思を見せること、そして俺達の十傑の過半数が同意することを条件に、この食戟を行わせて欲しい……そういうことだな?」
「はい、その中のどれか一つでも満たせなかったのなら……今回の話は無かったことにして貰って構いません」
「……一つ目はともかく、二つ目……黒瀬の意思についてだが、事前にこの書類内容のことを知らせれば達成出来る条件じゃないか?」
「いえ、黒瀬には一切知らせません」
「! ……つまりお前は何も知らせず選抜本戦会場に黒瀬が来ると? そしてこの内容を知らせずに食戟を挑む旨だけを伝えて、彼がそれを承諾すると言うんだな?」
この時点で、美作は掛かったと思った。
即座に却下しないということは、司自身もこの話を受け入れる余地があるかどうかを考えているということ。そこが美作が唯一突ける隙であった。
その為に此処まで苦しい条件まで付けて話を持ってきたのだから。
「はい、こう言っちゃなんですが……これは俺のプライドの問題っす。黒瀬恋は一年の中でもトップクラスの腕の持ち主……そんな奴に勝たずして遠月の頂点を獲ったなんて到底思えない。奴から逃げたなんて事実自体、俺にとっちゃ到底認められたものじゃないんスよ」
「確かに……お前の持ってきた話を鑑みれば、食戟を行って優劣を付けることだけが目的だな……けれど仮に黒瀬が本戦準決勝進出を決めたお前に、大観衆が集まっている中で勝利したのなら、遠月学園としてはそれを無視することは出来ない……彼の退学を取り消さざるを得ない、か……なるほど、美作自身にとっても、遠月にとっても利があるよく考えられた書類だ」
司は美作の書類内容を今一度確認して、良くもまぁ考えてきたものだと感心する。
要約すれば、美作の要望は黒瀬との食戟を行うことだけだ。
しかしその勝敗に付随する遠月学園のメリットデメリットをしっかり考えた上で、これだけの条件を用意してきている。
これらの条件を満たせば、美作は黒瀬恋と食戟を行うことが出来る。
その食戟で黒瀬が勝利した場合、実力主義であると謳っている遠月が不当な退学を行ったという不名誉が生まれるが、それもこの食戟を通せば、在校生徒の主張を聞き入れ復学の機会を与えたということで消失させられる。同時に遠月学園にとっても優秀な料理人の確保が出来るのだ。
最初から此処に話を持っていくことが、美作の交渉だったのだろう。
司は頷きながら美作の執念を感じ取った。
「けどよー、それもあたし達が認めなきゃ実現しないんだろ? 当日は秋の選抜真っ只中なんだし」
けれど、そこで小林竜胆が口を挟む。
そう、食戟が実現した場合の美作、遠月学園双方に与えられるメリットに関しては良く考えられていると思うが、そもそも食戟の実現が為されなかった場合は意味がない。根本的な話、この書類が成立しない以上は美作の持ってきた話は帳消しだ。
それに、大前提の話がまだクリアされていない。
「そうだな……確かに食戟を行って選抜本戦出場者である美作に勝利すれば、黒瀬の実力を証明することが出来るが……現時点で黒瀬の実力は美作が主張しているだけのものだ。秋の選抜は大勢の出資者や美食家が見に来る神聖な祭典……その本戦会場も本来は十傑同士の戦いでしか使用が認められない、重要施設なんだ。黒瀬本人に、そこを使って食戟するだけの実力があるかどうか……その証明が此処で出来ないのであれば、この話は認められない」
「さぁ美作、その証明を此処で見せてみろ」
流石は十傑第一席と二席、勢いと流れでは認めては貰えない。
しっかり大前提の話を提示して、それを証明出来なければこの話を受け入れることは出来ないと言ってきた。黒瀬恋の実力がこの書類を認めるに値するものであるかどうか、それを証明出来なければ、神聖な秋の選抜本戦会場を使った食戟など到底認められるものではない。
司は淡々と、竜胆は期待をするように、美作を見た。
―――此処が美作が決定的な一撃を出すべきタイミングだった。
「これで、その証明になりますか?」
美作が取り出したのは、複数のエアメール便箋だった。
そして便箋から取り出された複数枚の書類が司と竜胆に手渡される。
「これは……!」
「うはっ!」
一枚、また一枚とその書類を全て確認していくと、まさかこの食戟の為にここまでの物を用意したのかと驚愕を隠しえない。
美作は改めて、その書類の正体を口にした。
「それは――遠月卒業生の方々の、黒瀬恋復学に対する署名です」
美作が用意したのは、遠月学園卒業生の力を借りた書類だった。到達率一桁の超実力者であり、今はそれぞれがそれぞれの店を持つスター料理人達の名前と意思表示が、直筆で書かれていた。
四宮小次郎、乾日向子、水原冬美、堂島銀……名前を確認していくと、おそらく今年の強化合宿に来ていた卒業生達に協力を仰いだことが分かる。エアメールの便箋から、美作が連絡を取ってすぐにこれらの署名書類を書いて送ってきたということも証明される。
美作は恋のストーキングをしていたから知っていたのだ。四宮達が黒瀬恋という料理人を認めていたことを。だからこそ協力を仰げば応えてくれると思っていた。とはいえ、協力して貰えるのかどうかは賭けでもあったが。
これだけの物を揃えれば、認められると確信して。
「お、どろいたな……まさか卒業生に此処までさせる料理人なのか、黒瀬は」
「てかこれがあれば単純に退学を取り消すことだって出来るんじゃねぇの? なのに食戟をすることがお前の目的なのか?」
「……俺は別に黒瀬を退学から救いたいわけじゃないんで……あくまで俺は俺のやり方で奴に勝てることを証明したいだけっす。その為に黒瀬の退学を取り消す必要があるから、条件に加えただけなんで」
「……なるほど、あくまで黒瀬の為ではなくお前自身の為というわけか……良いだろう、俺はこの書類にサインするよ。竜胆は?」
「……良いぜ、こいつがどんな料理を作るのか気になるしな」
サラサラと署名欄にサインする司と竜胆。
それを確認し、書類を受け取った時点で、ホッと溜息を吐く美作。黒瀬の為ではなく、あくまで自分の為であるが、此処まで労力を割いてようやく勝ち取れた食戟の権利。
微に入り細を穿つという性格をしている美作にとって、今回は賭けの要素が多すぎた。それに今後自分の選抜本戦勝ち抜きや、黒瀬自身の承諾を得るといった条件を満たす必要がある。
やらなければならないことはまだまだ沢山あるのだ。
「ああそうだ司先輩……黒瀬は他人のサポートに付けば、メイン料理人の腕を十二分に引き出す力を持った料理人っすよ」
「……そうか、良い話を聞いた」
最後に美作は司にそう言って部屋を去る。
去り際に見た、司の期待するような瞳を見て少し気分が良くなった。
黒瀬の為ではない――けれど、黒瀬のせいでこんな労力を割いているのだから、未来の黒瀬にちょっとした面倒事を押し付けてやったのである。
◇ ◆ ◇
食戟を行う宣言を仙左衛門がした直後、タクミと美作が使っていた厨房に食材が運ばれてきた。運んできたのは十傑評議会第一席である司瑛士だった。
突然遠月の頂点である司の登場に、会場全体が騒然となる。
司は美作の持ってきた話が実現したことに、強い感心を抱きながらその食材をそれぞれの厨房の横に配置した。用意された食材は全く同じ物。タクミとの勝負でも同じ食材同士を用意していたので、ほんの少しデジャブを感じる光景だった。
そして司は、十傑評議会代表としてこの場を取り仕切るべく口を開く。
「どうも十傑評議会第一席、司瑛士です。今回、十傑評議会代表として美作昴と黒瀬恋の食戟を取り仕切らせて貰います」
十傑評議会の決定で行われるこの食戟―――であれば確かに、第一席である司瑛士が出てくるのも理解出来る。会場のざわつきが抑えられ、司の言葉を聞こうとする意思が強くなった。
「審査員はこのまま、美食業界の碩学であられる皆様にお願いします。秋の選抜本戦の出場権を賭けた食戟である以上、この食戟も選抜本戦と同様の形式で行いたいと思います……既に四試合もの料理を食している審査員の皆様のことを考えて、テーマは『スープ料理』。この場に相応しい品を期待する」
美作が厨房に付くと、観戦席から下の会場へと黒瀬が現れた。
周藤怪との食戟でも見せた、黒い調理服に身を包んだ黒瀬恋。料理人としての姿を見せたからか、彼自身から感じられる闘志がひりひり肌を焼く。会場全体が、黒瀬恋という料理人に注目していた。
退学になってから約二ヵ月、知らず知らずの内にフラストレーションが溜まっていたのだろう。居たい場所に居られず、自分が居られない場所で素晴らしい戦いを繰り広げる同級生達を見て、彼の中で沸々と闘志が育っていたのだ。
そしてそれが美作の行動によって、解放されてしまった。
一年生達は黒瀬恋という料理人が何故退学になったのか、この場にいたならどんな品を作ったのか、頭の片隅で疑問を抱いていた。けれどその疑問の答えが今、この場で創造される。
知らず知らずの内に、期待という感情が膨れ上がっていた。
「感謝するよ美作……お礼に全力で相手を務めよう」
「……っ……望むところだ……お前が編入してから、誰よりもお前の全てを追跡し続けた……そして選抜準決勝まで来たんだ! 今の俺ならお前のトレースだって出来る!!」
「したけりゃすればいい、お前の全力で来いよ」
全ての料理人に対してリスペクトを持つ非才の料理人、黒瀬恋。
だが、一度厨房に立てば料理人として対等であると闘志を燃やす。己の障害はハンデではない。ハンデにする気も、言い訳にする気もない。やるからには対等な立場で、己の全力を以て勝つ。
恋も厨房に立った。
「……では、食戟―――開始!!」
そして司の宣言を以て、美作昴と黒瀬恋、様々な思惑を以て実現された大勝負が今火蓋を切った。
次回、決着。
感想お待ちしております✨
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