先の美作との食戟で黒瀬の料理を見た時―――彼の腕に俺は期待した。
なるほど確かに無駄のない調理、それを支える基礎を突き詰めた高い技術力、迷いのなさから感じ取れる知識量とその応用力、時には全く視線を送らずに調理器具に手を伸ばす姿を見れば、彼の視野がどれほど広いのかが伺えた。
黒瀬の料理は一種の理想形だ。スタイルで言えば、俺のスタイルにとても近い。
調理の過程や目指す理想は違うのかもしれないが、結果的に俺とほぼ同質の料理を生み出している。皿の上で食材が調和し、一種の芸術的世界観を生み出していた。
だから美作の言葉を聞いて期待していた俺の心は、思いっきりぶん殴られたような衝撃を受けたのだろう。
俺は自分の料理をどこまでも理想に近づけたい。極上の美食として、俺の料理が高みに至れるように。美食の代名詞に俺の料理が選ばれるくらいに、俺は自分の料理が最高の物であって欲しいと思っている。
だから彼なら―――黒瀬なら、俺の目指している料理に辿り着かせてくれるのではないかと思った。
今まで出会ったどんな料理人よりも純粋で、そして芸術とすら思える技術力を持ち、そして俺と同質の料理を作り上げるスタイル。運命というものが存在するとしたら、これこそがまさに運命の出会いだと思う。
俺はそれほどに、黒瀬恋という料理人に焦がれたのだ。
「黒瀬」
「はい」
調理を始めてどれくらい経ったのだろう。
調理開始と言った瞬間から、十秒も経てば俺の意識は今までにないくらいに料理に没頭した。なんて料理しやすいのだろうと、瞬時に感じさせられたからだ。
指示を出さずとも、全て伝わっている感覚。俺の思考が僅かなラグもなく、黒瀬に理解されているような錯覚を覚えるほどに、欲しい物が欲しい形で欲しいままに傍に現れるのだ。
黒瀬の存在を忘れるほどに、俺はただただ料理に集中することが出来た。
食材の声というものがあるのなら、俺は今それを聞いていると思う。今までにないくらい、不安や心配という感情が払拭されている。ただただ、目の前の食材と対話することが出来ていた。
無駄なものが入ってこない――無駄な時間も、無駄な手間も、無駄な音も、一切俺の意識から除外されているのが分かる。
そこには黒瀬という存在がいるのに、それを邪魔に思えないほど自然に存在していた。楽しい、そう思う以上に快感だった。
「ハハッ……!」
なんだこの感覚は。俺は今本当に料理をしているのか? 無駄な工程が全て黒瀬のサポートで省かれて、俺が通りたい道がクリアに開かれていくような感覚。俺はただ、そこを歩くだけでいい。目の前にある食材を、あるべき自然な状態へと昇華させることだけに集中すればいいんだ。
「―――」
「―――」
俺がどこを意識しているのか、今どの工程をやっているのか、黒瀬には全て見えている。なんて広い視野を持っているんだ、黒瀬は。
こんなこと、誰にも出来やしない。
"黒瀬のサポートは、メイン料理人の実力を十二分に引き出す"
美作の言う通りだな。
黒瀬は並外れた広い視野と、複数のことを同時に進められる高い
例えば、図書室で友達と試験勉強をする時……友達が深く集中している姿を見ると、自分も自然と集中出来るということがある。黒瀬はサポートに付いた時、それを意図的に引き出せるんだ。
黒瀬の広い視野と並列処理能力でメイン料理人の煩わしい作業を全て省き、ひりつく様な集中力を感じさせることでメイン料理人の感覚を研ぎ澄ましている。これを意図的にやっているのかどうかは分からないが、彼がサポートに入った料理人は、その実力を百パーセント以上に発揮することが出来るということだ。
どれだけ調子の良い時でも、雑念や無駄を感じることで人は大体八割程度の実力しか出せない。
だが黒瀬がサポートに入れば、どんな料理人も自分の持つポテンシャルを全て発揮することが出来るんだ。
「―――ハッ……?」
気が付けば、俺の目の前に五品の料理が完成していた。
俺は料理をした実感すらなく、目の前の料理が今まで俺が作ってきたどの料理をも凌駕する出来だと確信する。俺に、此処までの品が作れたのかと自分で驚愕するほどだった。
振り向けば、そこにいた黒瀬は少し疲れた様に指を交差させてぐいーっと伸ばしている最中だった。あれだけのサポートをしておきながら息切れもなく、多少筋肉が熱を持った程度らしい。
「なぁ司、食べてもいいか?」
「あ……あぁ、食べてみてくれ―――っとと!?」
「おいおい、大丈夫か司?」
不意に竜胆が話しかけてくる。
瞬間、時間を越えて動いていたような感覚が現実に引き戻され、同時にたたらを踏んで椅子に腰を落としてしまった。じんわりと汗が滲み出し、自分がどれほど集中していたのかを理解する。
自分のポテンシャルを全て引き出されたことで、料理をしている最中は気付かないほどに疲弊していたらしい。別に動けないほどではないが、ずっしりと身体が重いのを感じる。
「俺も食べていいですか?」
「黒瀬……ああ、構わないが……お前は……」
「確かに味はわかりませんが……何も感じないわけではないので」
「……そうか、じゃあ是非食べてみてくれ。お前のおかげで最高傑作だからな」
俺がただ疲労しただけなのを理解したからだろう、竜胆はキラキラとした目で俺の作った料理に手を伸ばし、黒瀬もまた一口、口に入れた。
俺も自分がどれほどの料理を作ることが出来たのかを知るために、遅れて一口食べる。
瞬間―――俺の目から自然と涙が零れていた。
「あれ……?」
見れば竜胆も、いつも美味い美味いと大きなリアクションをするのに、ただただ静かに咀嚼して、ほろりと一筋の涙を流している。黒瀬だけは、味覚障害のせいだろうか、いつも通りだが。
ああ、でも分かる。
自分で作った料理だけれど、自画自賛のようだけれど、この料理は俺が今まで作ってきたどんな料理よりも遥かに――食材が生き生きとしているのが分かった。
あるがままの自然に生きていた彼らの生の躍動を感じる。種も生きていた場所も、その在り方すらも全く違った生き物達が、一つの料理の中で調和していた。
この地球上のどこにだって存在しない理想郷―――その光景を幻視するほどの感動がある。
だからこそ、俺の身体と心が感じた感動が……そのまま涙となって流れたんだ。
涙を流すことを躊躇する感情も無かった。ただただ自然に涙が流れた。そうすることが当然の様に、心と身体がまさしく一致した瞬間を味わったんだ。
「……はぁ……美味しい」
そうして長い間感動に浸った後、あの竜胆が呟くように、陶酔するように静かにそう漏らした。美味しいと、人は此処まで心から言葉にすることが出来るのだと思った。
「ああ……美味しいな」
自分の料理で、此処まで感動できるなんてな。
「黒瀬……お前は俺の想像以上だった。こんな感動を味わえるなんて、思っていなかったよ」
「そうですか……俺はあんまり実感ないので、申し訳ないですけど」
「ハハ、だろうな。だが俺はお前の力に感動したよ」
それもこれも黒瀬恋という料理人の力あってのことだ。
彼の腕があれば、俺の料理はまだまだ高みへと昇ることが出来る。この人生でたった一度あるかないかの感動の、その先へと俺を連れて行ってくれる気がした。
だからだろう、俺は彼を心から尊敬し、そして欲したのだ。
「なぁ黒瀬……俺の懐刀になる気はないか?」
「……司先輩の?」
「そうだ。俺が卒業してからも、この先のお前の料理人としての人生を俺にくれないか? 俺はお前と一緒に、生涯ずっと料理がしたい」
心からの言葉だった。
俺は黒瀬と共に、どこまでも、どこまでも羽ばたいていきたい。俺と黒瀬でなら、きっと見果てぬ高みへと到達出来ると確信出来たから。
俺の人生に、黒瀬恋がいないなど最早考えられない。
「……まるでプロポーズみたいなことを言いますね」
「ハハ、確かにな……だが気持ち的にはそれくらいの想いでお前を口説いているつもりだよ」
「けど、司先輩が欲しいのは俺のサポートであって、俺の料理ではないでしょう?」
「ああ、そうだな。黒瀬の料理は素晴らしいが、俺が欲しいのはお前のサポートとしての腕だ」
「なら、その話は胸に仕舞ってください。そんな我儘な口説かれ方では、承諾出来ません」
黒瀬は俺の誘いを断った。
どうして――そう思うが、言葉の内容を汲み取れば黒瀬も料理人。俺がそうであるように、自分の料理にも相応の誇りや価値があるのだろう。俺の懐刀になることでソレが蔑ろにされるのならば、確かに承諾しかねるのも分かった。
けれど、黒瀬はそこで言葉を止めずに、更にこう続ける。驚くべき発言は、俺も竜胆も度肝を抜かれた程大胆だった。
「それに―――俺は遠月の頂点を獲るつもりなんで、それを言うなら司先輩が俺の懐刀になる方が正しいでしょう?」
その言葉は、黒瀬の中で第一席である俺や竜胆にも負けないという強い意思があることを物語っていた。まさか一年の黒瀬に、お前が下だと言い切られるとは思わなかったな。だが不思議と嫌な気分ではない。寧ろ、今までずっと自分自身と料理だけだった俺の世界に、初めて好敵手と呼べるような存在が出現したことを喜んでいるような気分だった。
そうか、確かにそうだ。
俺が美作に言ったことだったな……食戟を行うだけの実力を黒瀬が持っていると証明しろと、でなければ認めないと、俺は言ったじゃないか。それと同じことだ。
俺が黒瀬恋を懐刀に出来るほどの料理人だと、俺は未だ証明していない。
「……そうか、なら然るべき場所でいずれもう一度口説かせて貰おう」
「諦めるという選択はないんですね」
「当然だ、俺はもうお前のいない人生なんて考えられない」
諦める? それこそあり得ない。
遠月の頂点……第一席に座った段階で、そんなものに興味はなかった。俺はただ自分の料理とひたすら向き合ってきただけだったから。
だが黒瀬を振り向かせる手段が、遠月の頂点を証明することだと言うのなら、そうしよう。そして黒瀬自身を下して、俺は黒瀬を手に入れてみせる。
「―――いずれお前に、食戟を申し込む」
「……へぇ」
「俺が勝ったら、お前には俺の懐刀になってもらう。この先の人生を賭けて貰うぞ」
「俺が勝ったら、どうする?」
黒瀬の口調が変わる。
食戟を挑んだからだろう。今、この場にいるのは司瑛士という料理人と、黒瀬恋という料理人。そこに上下関係はなく、ただただ対等に競い合う好敵手だった。
黒瀬が勝ったら、そんなもの決まっている。俺は黒瀬の人生を賭けさせるのだから、俺もそれに見合ったものを賭ける。
「当然……俺の全てを賭けよう」
料理人を止めろと言われれば、止めよう。
腕を切り落とせと言うのなら、そうしよう。
一生召使をやれといわれれば、甘んじて受け入れよう。
俺の人生の全てを賭けて、俺はお前を手に入れる。
絶対に。
◇ ◇ ◇
司との食戟の件は一旦保留とし、今日の所は極星寮へと帰った恋。
空はもうすっかり薄暗くなっており、久々に極星寮へ帰ることに感慨深いものを感じていた。懐かしさすら感じるが、これも今は条件付きのことだ。この後の選抜で優勝しなければ、恋の退学は覆らない。
気を引き締めないとな、なんて思いながら極星寮への道を歩く。
すると、その道の途中で人影が一つ現れた。恋の足が止まり、その人影に向かい合う。
「……随分と暗い顔してるな、美作」
「よう……黒瀬」
其処に居たのは美作昴だった。
恋に食戟で敗北した彼は、意気消沈と言った表情で佇んでいる。気力も覇気も消え失せている。恋に負けたことで、何もかもを失ったような顔をしていた。
実際、彼は今まで信じていたやり方から逃げて敗北したのだ。その事実に対するショックは相当なものだろう。
だが恋はそんな美作に対して、苦笑して歩み寄った。
「料理人、止めるなよ? 美作」
「な……なんでそんなことを言うんだ……俺は、お前を退学にした張本人だぞ。それに、今まで大勢の料理人の包丁を奪ってきたような男だ……俺のやり方が間違っていたってんなら、料理人をやる資格なんざ……」
「会場でも言っただろ。お前のやり方が必勝でない以上、敗北は当人の実力不足だって。お前のやり方は確かに料理人としては失格かもしれないが……それでも確かな実力に裏付けられたお前のスタイルだろう? お前にしか作れない料理がきっとある……だから、お前が料理人を辞めるのは勿体ない」
「黒瀬……お前」
恋は美作が意気消沈している理由と、この場に現れた理由を察して、先んじてそれを止める。美作が料理人を辞めようとしているなど、恋は心から勿体ないと感じていた。
どんなスタイルであろうと、そこに費やした努力を否定される謂れはないのだ。
ストーカーして料理人の技術を掠め取る。それは裏を返せば、他人の技術を隅々まで学び取るということだ。模倣するだけでは勝てないのなら、学び取ったその全てを使って自分だけの料理を作ればいい。
美作昴には、それが出来る可能性が秘められている。
「まぁ、奪った包丁は元の持ち主に返した方が良いかもな。お前がこれから料理人になるなら、百本の包丁はいささか大荷物過ぎる」
「……ハッ……違いねぇな……」
恋が美作の肩をぽんと叩いて横を通り抜けていくと、美作は自嘲するように微かに笑ってそう言った。
料理人として生きるのなら。そう、美作昴がこれから料理人になるのなら、今までの自分とは決別しなければならない。今までの人生の価値観を破壊して、一からまた作り上げるのだ。
美作昴という、一人の料理人の人生を。
「ああ、そうだ……これから極星寮に帰るんだ。多分、幸平の準決勝出場のお祝いでもしてるだろうから、お前も来るか?」
「……おう、是非お邪魔させて貰うぜ」
通り過ぎて行った恋の言葉に、美作は素直に頷いた。
料理人として食戟で敗北した美作だったが、それ以上に黒瀬恋という男の器の大きさに改めて感服させられる。どん底に落とされた料理人失格の美作を、それでも価値ある料理人だと救い上げられる人間がどれほどいるだろうか。
「ありがとな……黒瀬」
「ハハ、感謝されることじゃない。お祝いは人が多い方が楽しいだろう」
「……そうだな」
完敗だな。そう思う。
―――美作昴は、黒瀬恋という料理人に憧れてしまったのだから。
次回、本戦準決勝戦とか
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