ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。

今回準決勝戦までいけませんでした汗


三十六話

 黒瀬が戻ってきた夜、極星寮は大いに盛り上がった。

 別に目的があったけれど、条件付きとはいえ、美作の行動のおかげで黒瀬が戻ってきたんだ。後々帰ってきた黒瀬が連れてきた美作も、極星寮の奴らは快く迎え入れた。それくらい嬉しいことだったんだろうし、実際俺もやるせない気持ちがようやく晴れたような、そんな清々しさを感じている。

 

 皆すげぇ良い奴らばかりだ。

 内心では凄く悔しい気持ちがあるだろうに、それでも折れずに俺達の準決勝進出を喜んでくれた。秋の選抜は、一年の中での最強を決める戦い―――美作との食戟の前、そう言ったのはタクミだったかな。

 今ならその気持ちもよく分かる。

 この学園に入る前は、今更料理学校で何を学ぶんだって思っていた。俺はガキの頃からずっと『ゆきひら』の厨房で客を相手にしてきたし、これからも現場で腕を磨けばいいだろうって思っていたから。

 

 けど、いざこの学園に入ったあの日……いや、編入試験を受けたあの日、俺は初めて同年代で俺以上の腕を持つ奴を見た。思えば薙切もそうだったんだろうけれど、その実力を間近で見たのは、黒瀬恋が初めての奴だった。

 表情には出さなかったけれど、正直凄ぇって思った。同年代で、こんな奴がいるのかって、俺自身の自惚れを打ち砕かれた気分だったな。

 

 俺は一週間後、その凄い奴と戦う。

 

 あとから聞かされたことだったけれど、美作の代わりに準決勝に上がった時点で、俺はそのことを感じていたのかもしれない。黒瀬が勝った瞬間、ああ、俺はアイツと戦うんだなってそう思っていた。

 

 この学園に入って良かったと思う。

 あのまま『ゆきひら』に籠っていたら、知らなかった世界が、人が、こんなに沢山いたことも知らなかった。薙切、黒瀬、田所、にくみ、タクミ、葉山、薙切の従姉妹、美作、極星寮の皆、十傑の先輩達、卒業生の人達……皆それぞれのやり方で自分らしい料理を作ろうとしている。

 

 ―――俺は彼女に"料理"を教えてもらって、その時彼女を笑顔に出来る料理を作りたいと決めた。それだけだ。

 

 あの日、編入試験のあと、並んで歩いていた時に黒瀬はそう言った。

 薙切の為に料理人になったと。それだけが自分の全てだと言い切ることが出来ていた。

 あの時点で、黒瀬はきっと俺よりもずっと先を走っていたんだと思う。味覚障害を抱えているという事実を知った今となっては、その覚悟と意思の強さが良く分かる。

 

 ―――黒瀬は薙切のことが好きなのか?

 ―――好き? ……どうなんだろう、俺は恋愛経験はないからな。ただ、彼女には感謝してるし、尊敬もしてる。俺の人生を全部彼女にあげても良いと思えるくらいには、大切に想ってるよ。

 

 俺の単純な質問に、黒瀬はそう答えた。

 そう、それが全て。俺は恋愛とか、好きとか、まだよく分からないけれど、それでも黒瀬のその言葉を聞いた時、目の前にいるコイツは俺とは違う世界の人間だな、なんて思った。誰かを心から愛おしく思っている奴を、初めて見たから。

 

 ―――なんか、良いな……そういうの。

 

 だから、黒瀬にも聞こえないくらいの小さい声でそう呟いたのはきっと、俺がアイツを羨ましいと思ったから。

 恋愛がしたいわけじゃない。好きな人が欲しいわけでもない。ただ単純に羨ましかったんだ。漠然と料理をするわけじゃなく、食べさせてやりたい人がいて、その為にどこまでも努力出来る姿が。

 眩しくて、キラキラしていて、幸せそうで、強くて、そんな黒瀬の在り方を羨ましいと思ったんだ。

 

 コイツに勝ちたいと思った。

 同じ編入生、同じ年齢、けれど俺よりも腕の立つ料理人。第一印象がそうだったからかもしれないけど、俺は黒瀬を内心ライバル視していたと思う。そりゃそうだろ、入学して最初に出会ったのがアイツだったんだ。競い合う立場になる以上は、誰より負けたくないと思う。

 出会い方が違ったなら、こうは思わなかったかもしれないけどな。

 

「……創真くん」

「! 田所、起きてたのか」

「う、うん……ちょっと水を飲もうと思って。そしたら創真くんの姿が見えたから」

「そっか……」

 

 極星寮の玄関前、色々と考えながら階段に座って空を眺めていたら、そこに田所がやってきた。寝間着姿だから、言葉通り寝ていたんだろう。

 ふと、田所は眠くないのか俺の隣までやってきて、一人分のスペースを空けて隣に座ってきた。どうしたのかと思って田所を見ると、照れくさそうに笑ってくる。

 

「え、えへへ……ちょっと眠れなくて。そうだ、創真くん、準決勝進出……改めておめでとう」

「おう……サンキューな」

「…………創真くんも、眠れないの?」

 

 そう、田所はこういう奴だ。

 誰かが悩んでいたり、不安を抱えていたりすると、こうして傍に寄り添って力になろうとしてくれる。凄く優しくて、良い奴だと思う。

 きっと今も、俺が何か思い悩んでいるんじゃないかと思って、話を聞いてくれようとしているんだろうな。そういえば、この学園に来て田所が一番一緒にいる時間が多いかもな。

 

「いや、ちょっと遠月に来てからのことを考えてた」

「遠月に?」

「知ってるだろうけど、俺さ、元々『ゆきひら』で料理してて、今更料理学校なんて……そう思いながら遠月に来たんだ」

「……うん」

「そしたら、意外にもとんでもねぇ奴らがいっぱいいてさ……同年代でこんなにすげぇ奴らがいるんだって思った。お前もだぜ、田所。だから、もっと、もっと強くなりてぇって……今はそう思ってる」

 

 空に浮かぶ月を掴む様な、途方のない話。

 この遠月で頂点を獲るってことはそれくらい難しい。それでも誰か一人が必ずその頂きに立つ。俺が来たこの遠月学園は、そういう奴らが必死に競い合っている世界だってこと。

 俺も、そこからの景色が見てみたい。

 

「……私ね、創真くんに初めて会った時、関わりたくないなぁって思ってたんだ。編入生で、皆からあまり受け入れられていない時期から目立っていて、丼研代理で食戟もしちゃうし、色々滅茶苦茶で、私なんかとは全然違うタイプの人だなって思ったから」

「そ、そうか?」

「うん……でもね、創真くんはいつだって自分が良いと思ったものにまっすぐだっただけ。そして、私や極星寮の皆、水戸さんやアルディーニ君達みたいに一度は険悪だった人とも仲良くなって、時には支えてくれて……創真くんに会えて良かったって、今はそう思ってるの」

「……田所」

 

 田所が恥ずかしいことを言ったと思ったのか、立ち上がって一歩前に出ることで顔を見せないように移動した。けど、そんなことを想っていてくれたのかと思うと、俺自身も少し照れくさくなる。

 こんなにまっすぐに人に感謝を伝えられるのも、きっと田所の良い所なんだろうな。堂島先輩も言っていたっけ、田所の料理には人に寄り添い、食べる者の心を温かく持て成そうとする『心遣い(ホスピタリティ)』があるって。

 

 こういう所なんだろうな。

 

「聞いたよ、次の準決勝……黒瀬くんと戦うんだよね」

「……ああ、そうだな」

 

 田所から不意に次の試合のことを聞かれて、また少し不安が戻ってくる。

 どうしたら黒瀬に勝つことが出来るのか、たった一週間の間に俺に出来ることは何か、それを考えても今は何も浮かばない。黒瀬は既に、料理人としてとても高い領域に立っている。何のために料理を作るのか、その意思がはっきりしているから。

 技術以上に、まっすぐブレない精神が強い。

 

「っ…………あ、あのねっ、創真くん!」

「!?」

 

 けど次の瞬間、田所が急に大きな声を上げた。

 

 驚いてパッと顔を上げると、いつのまにか目の前に立っていた田所が俺の両手をその両手で包み込んだ。座っていた俺は月明かりを背にした田所を見上げる形になる。

 よくそうなっているけれど、一段と顔を赤くして、羞恥心からか潤んだ瞳が俺の目をしっかり見つめていた。

 

「私ねっ……創真くんを応援してるよ! 黒瀬くんも大事な極星寮の仲間だけど……私は、創真くんに勝って欲しいって……そう思ってるからっ……!」

「―――た、どころ……」

「このおまじないね……創真くんが教えてくれた時、凄く肩の力が抜けたの……予選の時もそれを思い出して、凄く力が沸いてきたんだよ。だから……創真くんも緊張した時は、私がこうして手を包んだことを思い出して? きっと、頼りないかもしれないけど、きっときっと……私は信じてるから」

 

 顔を真っ赤にして、恥ずかしそうにそう言う田所の言葉は、素直に俺の心を打った。田所の小さな手に包まれた両手が温かい。この温もりが、どこまでも俺に勇気と力をくれるような気がした。

 凄く嬉しいと、そう思う。

 黒瀬のことも仲間だと思っている。けれど、それでも田所は俺を信じて、俺に勝って欲しいと思ってくれていると、思うだけではなく言葉にしてくれた。

 普段はこんな大胆なことなんてしない田所が、こんなに力強く応援してくれるなんて、滅茶苦茶背中を押される気がした。

 

 そして同時に、田所から貰った勇気のせいか、心臓の鼓動がドクンと脈打つ。身体が胸の奥からじんわりと熱くなるのを感じた。でも嫌な感じではない―――寧ろ、身体中に力が漲っている。

 

「……創真くん……顔、真っ赤……」

「え……?」

 

 見つめ合う田所の潤んだ瞳に、顔を赤くした俺が映っていた。

 思わず田所の手を握ってしまう。包んでくれていた両手を、それぞれの手で取っていた。

 

「そうま……くん……?」

「わ、悪い田所……でも、凄く力湧いてきた。ありがとな」

「あ……うんっ」

 

 田所に名前を呼ばれて、急に湧き上がるような妙な感情を抱く。むず痒いような、照れくさいようなそんな感覚に、俺も立ち上がって田所の手を放す。そして何かを誤魔化すように田所にそう言った。

 俺が一体何を誤魔化したのかも、俺には分からない。

 けれど、田所が優しい笑顔で頷いた時、俺は妙にその笑顔に見惚れた。

 

「(なんでだろうな―――田所から、目が離せない……)」

「じゃ、じゃあ……私もう寝るね、おやすみなさい」

 

 沈黙が生まれたからだろう。田所がいつもの様に照れくさそうに笑うと、そう言って俺の隣を通り過ぎていこうとした。

 

 それを、俺は何故か反射的に止めてしまう。

 田所の手首を握った手がやけに熱かった。妙に敏感になった俺の手から、田所の脈を感じる。俺は、なんで田所を引き留めたんだ?

 けれど、焦った俺の口は、絞り出したように声を出す。

 驚いた様子の田所がこちらに振り向いた。

 

 

「あ……と、俺、絶対勝つから……見ててくれよな、田所」

 

 

 普段から強気に突っ走ってきた俺にしては、少し勢いに欠けた言葉だったと思う。

 けれど、田所は目を丸くしたあと、ふと柔らかな笑顔で頷いた。

 

 

「うん―――……ずっと、創真くんを見てるよ」

 

 

 その言葉が、今まで送られたどんな言葉よりも嬉しかった。

 田所の応援が、俺の中にあった不安も弱気も全部吹き飛ばしてくれた。いつも通りの俺を、いつだって傍で支えてくれていた田所だからこそ、今の俺を奮い立たせてくれたんだと思う。

 これも、遠月に来なければ無かった出会いなんだ。

 田所は俺と出会えて良かったと言ってくれたけれど、そんなの俺だってそうだ。

 この遠月に来て黒瀬を始めとするライバルに出会って、極星寮の仲間に出会って、田所に出会った。俺の方こそ、田所に出会えて良かった。こんな風に応援してくれる奴、滅多に得られるものじゃない。

 

 黒瀬にどうやったら勝てるのか―――そんなことを考えるのは俺らしくない。

 俺はいつも通りやればいい。

 俺が良いと思ったものを、俺らしく作ればいいんだ。そうやって作り出した品を、黒瀬にぶつけてやればいい。結果なんて後から付いてくるもの……その良し悪しで悩むなんて、無駄なことだった。

 

 田所が寮の中へと姿を消す。

 俺も部屋に戻ろうと扉に手を掛け、もう一度夜の月を見上げた。

 

「……うん」

 

 手を伸ばし、その月を掴もうとしてみる。

 遠月の頂点を手にすることは、夜空の月を掴む様なものだと思ったけれど。途方もない話だと思ったけれど、今はそうは思わない。

 

 空に伸ばした手をグッと握りしめ、月を手にする。

 

「……負けねぇぞ、黒瀬」

 

 今ならほんの少しだけ、月を掴めそうな気がした。

 

 

 




ここにも甘い空気を感じますね!
恋とえりなの影響でしょう。

感想お待ちしております✨




自分のオリジナル小説の書籍第②巻が発売となりました!
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