ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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三十九話

 まるで食戟でも終えたかのような熱気の中、恋は会場を後にする。

 次は黒木場と葉山の試合が始まるのだ。

 恋と創真の戦いとは違い、優れた資質の持ち主同士の戦いだ。それはきっと洗練され、鮮やかに彩られた美食が作り出されることだろう。観客はそれを心待ちにしているし、それに応えるだけの実力を持った二人なのだから。

 

 出口から退場する際、対面から黒木場リョウが歩いてくる。おそらく創真が出て行った出口の方には葉山がいるのだろう。向かい合って歩く黒木場と恋は、お互いの姿を視認して一旦足を止めた。

 普段アリスの傍に居る時とは全く雰囲気の違う黒木場に、恋はなるほどと思う。アリスの付き人であれば相応の実力を兼ね備えていると思っていたが、このマグマの様な闘気を目の当たりにすれば納得出来た。

 

「勝ったみてぇだなァ、黒瀬恋」

「まぁね……黒木場は随分雰囲気が違うな。火傷しそうだ」

「ハッ!! 余裕こいてられんのも今の内だ……決勝で待ってやがれ」

「余裕なんてないよ。お前も葉山も、とても強い料理人だからな……結局どちらが勝ちあがってきても、俺のやることは変わらない。だから余裕そうに見えるだけだ」

「フン……まぁ見てろ、葉山も、お前も、俺の料理で食い破ってやる!」

 

 黒木場はこれから戦う葉山だけではなく、勝ちあがった先で戦う恋に対しても闘志を剥き出しにして、会場に歩いていく。結果がどうなろうと、恋のやることは変わらない。全力で戦うだけだ。

 歩き去る黒木場は、己の闘志を受けてこれほど気持ちのいい相手がいるのかと、密かに笑みを浮かべる。葉山と戦うことは当然だが、その先で戦う相手が恋だというのなら、勝敗がどうこう以上に自分自身が戦ってみたいと思えた。

 

 勝つ―――葉山アキラに。

 

 己も間違いなく、料理人として頂点を目指す者の一人なのだから。

 

 

 ◇

 

 

 出口である通用口から会場外の通路に出た恋を待っていたのは、先程の勝負を見ていた薙切えりなであった。特別室から降りてきて、恋のことを待ち構えていたのだろう。

 嬉しそうな笑みを浮かべながら、出てきた恋を出迎えてくれた。

 

「お疲れ様、素晴らしい品だったわ……恋君」

「はは、わざわざ下りてきてくれたのか、えりなちゃん」

 

 今は葉山と黒木場の勝負に皆が注目しているので、この外通路には人気はない。今は恋の手前、素直な自分自身を曝け出すえりなの姿があった。

 ツンと張り詰めたような雰囲気は柔らかく解れ、身体の前で手を組むえりな。

 頬には赤みが差しており、柔らかく細められた潤んだ瞳は恋のことだけを見つめている。緩やかに弧を描いた口元は、自然とそうなってしまったような笑みを作り上げていた。

 えりな自身は自覚していないのだろうが、傍から見ればそれはまさしく恋する乙女そのものの姿である。

 恋はそんな彼女の姿を魅力的だと思うし、またそんな風に自分を見てくれるえりなを素直に愛おしいと思えた。

 

 これで付き合っていないという事実だけが、この状況にミスマッチしている。

 

「けれど、冷や冷やしたわ……まさかこの土壇場でアレンジに挑むなんて……」

「俺も、今のままじゃダメだと思ったからな。でも、上手くいって良かった」

「そう……でも貴方という料理人の進化を見ることが出来て、私も嬉しかったわ」

「ああ、おかげあと一勝で一年最強らしいぞ」

「ふふふっ……まるで他人事ね。まぁ、私がいる以上は永遠に二番手ですけれど」

 

 クスクスと笑い合う二人だが、おそらく現時点の一年の中ではトップクラスの実力を持つ二人だ。その会話の内容はあながち冗談ではない。

 とはいえ今この瞬間にも黒木場と葉山の料理が始まろうとしているのだ。あまり長話もしていられない。次の相手がどちらになるのか、恋達と同じテーマで料理する以上二人がどのような品を作るのか、それを見る必要がある。

 

 それを察してか、一頻り笑った後、えりなが自分の特別室へと恋を誘った。

 人混みを気にせずにゆっくり試合を観戦出来るのなら是非もない。恋もその誘いを喜んで受けいれた。

 

「じゃあ―――」

「やぁ、黒瀬」

「司先輩」

「えっ……」

 

 そうして移動しようとした瞬間、そこへ十傑第一席である司瑛士が声を掛けてきた。

 どうやらえりなと同じく恋に会いに来たらしい。今来たばかりなのでえりなの普段見られないような姿を見てはいないらしいが、それでもえりなと恋が一緒にいる光景を見れば、多少なりとも察するものがあるようだ。

 

「黒瀬は薙切と仲が良いんだな。そういえば、幼馴染なんだって?」

「ええ、まぁ」

「恋君……司先輩と交友があったの?」

 

 それなりに親しげに声を掛けてきた司に恋が自然の返事を返したことで、えりなは二人の関係に興味を示す。

 

「あー……なんというか」

 

 だが恋は司との関係をどう説明したものかと少々困ったような顔をする。

 その隙に、空気を読まない司が何も考えずにあるがままのことを口にした。

 

 

「ああ、俺が黒瀬の人生をくれって言って口説いてる最中なんだ」

 

 

 空気が凍る音がした。

 司の言葉に恋は何言ってんだこの人は、と顔を抑えて天を仰ぎ、えりなは呼吸を忘れたようにぽかんと口を開けて唖然としている。そんな二人の様子を見て、司は何か問題でも? みたいな表情で首を傾げていた。

 そして数秒の後、我に返ったえりながバッと恋の方を見て、パクパクと口を動かしだす。どういうことだ、と言いたいのだろうが、謎なことが多すぎて言葉が出てきていない。

 

「な、ど……っ……!」

「あーあー、落ち着いてくれ、深呼吸」

「すー、はー……ど、どういうこと!?」

 

 そして恋に言われて深呼吸をした後、どうにか疑問を言葉にするえりな。

 ぐいっと恋に詰め寄って、司の言葉の意味を問いただす。

 だがその疑問に答えたのは、詰め寄られた恋の方ではなく、これまた司の方だった。自分自身にこれといってやましい気持ちがないからだろう。淡々と事実のみを語り出す。

 

「実は美作との食戟のあと、黒瀬にサポートして貰って試しに料理を作ったんだ。そしたら今までにない完成度の品が作れてね……俺は感動したよ、黒瀬の腕に惚れた……だから、黒瀬には生涯俺の副料理人として一緒に料理をして貰いたいと思ったんだ」

「しょ、生涯……恋君はそれを承諾したんですか!?」

「いいや、残念ながら振られてしまったんだ。けど俺は諦めていない……俺の料理の為にも、必ず黒瀬を俺のパートナーにするつもりだ」

 

 司の説明に動揺するえりな。

 料理人として、恋の腕を第一席である司が買っているというのは、まだ分からない話ではない。けれど、生涯彼のサポートとして黒瀬が料理をするというのは、少々いただけない話であった。

 恋は元々えりなに美味しいと言って貰いたいがために料理人となり、今もその気持ちは変わっていない。それにあの夜、涙を流す自分にあんなにも情熱的な愛を伝えてくれたのだ。

 

 だからこそ、えりなはこれから先もずっと恋と一緒にいられると勝手に思っていたし、そこに邪魔が入る余地などありはしないと考えていた。

 

 けれど、司瑛士という男が現れたことでその認識は一気に瓦解する。

 えりなと恋がずっと一緒にいられるという淡い考えは、所詮はえりなの思い込みでしかなかったのだ。将来がどうなるとか、具体的なことは何も考えずにいたことが仇になった結果である。

 

「れ、恋君は、私の幼馴染です!」

「? ……ああ、恋人とかそういう話なら別に構わない。黒瀬が誰と付き合おうが、結婚しようが俺には関係ないからな……ただ、俺が料理人として生きていく限りは、黒瀬の時間は俺が貰う」

「それってつまり、司先輩が料理をする時はずっと恋君と一緒にいるってことですか?」

「まぁそうなる。薙切が黒瀬と恋人になりたいならそうすると良い。まぁ俺に付き合ってもらう以上、薙切と一緒にいる時間はかなり少なくなるだろうが、仕方ないことだ」

「どういう思考をしたら恋人より仕事が優先されるって言うんですかっ?」

「ええ……でも、俺はそのつもりで黒瀬を欲しているんだ。そうなった場合、黒瀬の恋人には我慢してもらうしかないだろう?」

 

 恋の目の前でえりなと司が水掛け論の問答をし始めた。

 恋と恋人になるとか結婚するとか、そういった話をすっ飛ばして会話しているあたり、えりなも冷静ではない。だが司も、恋をパートナーに出来た暁には恋人を放置してでも自分の料理に付き合ってもらうと言い切っているあたり、大分自己中心的な発言をしていることに気が付いていないのだろう。

 えりなの剣幕にやや押され気味になりつつも、言いたいことはハッキリ言う司。押し問答はどこまでも平行線だった。

 

「そもそも……薙切は何をそんなに怒っているんだ? 薙切は黒瀬の幼馴染なだけだろう?」

「な……」

「黒瀬のことを大切に思うお前の気持ちは素晴らしいことだと思うけれど、黒瀬の人生は黒瀬の物で、これは俺と黒瀬の問題だ。薙切が口出しすることじゃないと思うが」

「それは……」

 

 しかし流石は三年生というべきなのだろうか、えりなの言葉の弱点を突いてあくまで正論で黙らせてくる。えりなも、痛い所を突かれて言葉に詰まってしまった。

 そう、えりなはあくまで恋から想いを告げられただけで、それに返答をしていない。まだ彼と明確に恋人になったわけではないのだ。

 

 けれど、その返事は恋の退学が正式に消えた時にすると決めている。今その返事をして恋と恋人になったところで、彼が優勝を逃して退学になると考えると不安でたまらなくなるのだ。

 別れが苦しいことは、えりな自身が既に体験してしまったことである。

 それに、えりなの返事を先送りにしたのだって、恋がえりなの恐怖を察したからだ。

 あの告白のタイミングでえりなが返事を出来なかったのは、恋人となってしまえば訪れる別れに、より強い悲しみを感じてしまうことを確信していたからだ。

 彼女の心は、大切な人と離れ離れになる孤独には耐えられなかったのである。

 

 これこそが、ここまで言われても尚、恋と恋人になる一歩を踏み出せない理由だ。

 

「その辺にしておいて貰えますか、司先輩」

「……そうだな、まだ黒瀬に了承して貰えた話ではないし。いずれは認めてもらえるよう、俺も日々腕を磨くよ」

「食戟の件、本気なんですね」

「当然だ。お前なら選抜を優勝することも出来る筈だ……まずは頑張ってくれ」

 

 押し黙ってしまったえりなを見て、恋は流石に止めに入る。

 司も別にえりなを攻撃するつもりはないのか、恋の言葉に素直に引いてくれた。そして一言応援の言葉を残して去っていく。

 互いの人生を賭けた食戟の件は、けして冗談なんかではないと、その背で語りながら。

 

 すると恋は、己の勇気の無さを間接的に指摘されて俯いたえりなの手を取った。その感触にゆっくり顔を上げたえりなの頭を、恋は苦笑して撫でる。

 

「気にしなくていい。今は目の前のことに集中すればいい」

「……そうね、もう調理は始まっているでしょうし、早く行きましょう」

「ああ」

 

 通路の途中にある階段を登っていき、えりなの特別観戦室へと向かう二人。

 繋がれた手はそのままに、少しだけモヤモヤした気持ちを抱えながらえりなは恋の少し前を歩いた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「……」

 

 そしてそんなやりとりを、陰から聞いていた人物がいた。

 黒木場リョウを通用門まで見送りに来ていた薙切アリスである。

 ついでに恋におめでとうの言葉の一つでも言おうかと考えていた彼女だが、えりなが現れてつい身を隠してしまったのだ。どうしてここにえりなが居るのかと思って覗き見していたら、出てきた恋を見て嬉しそうに歩み寄る彼女の姿に全てを察してしまう。

 

 あれほどまでに無防備に笑うえりなを、アリスは見たことがなかった。

 幼い頃、一緒に住んでいたこともあるアリスでも、えりながあんなにも自分を隠さずに話している姿を見るのは初めてのことだったのだ。

 衝撃だった。

 

 そしてだからこそ分かりやすかった―――えりなは恋に恋心を抱いているのだと。

 

「……そっか」

 

 その後現れた第一席の言葉に噛みつくえりなに、アリスは自分の胸の中に生まれた黒い感情に気が付いた。黒瀬の人生に関する話に、そこまで必死に噛みついていることが何を意味しているのか、えりな自身は分かっているのだろうか。そう思いながら。

 モヤモヤした黒い感情を自覚して、アリスはそっと恋の顔を覗き見る。

 そこにはいつも通り苦笑する恋の姿があって、えりなを見る恋の瞳に、少し特別な色があることを理解した。

 

 ―――そう、恋君もえりなが大切なのね……。

 

 アリスはえりなと恋がお互いを大切に思っていることを理解した。

 おそらくは両想いなのだろう。このまま放っておけば、何もしなくても恋人になって、お互い料理人として幸せな人生を送っていくのだろう。それが確信出来るくらいに、アリスにとって二人は素敵な人物だったし、それが可能なくらい二人は優れた料理人だった。

 

 けれど、それでもアリスは自覚してしまった。

 

「嫌なのね、私……恋君を取られるのが」

 

 自分の心の中にも、えりなと同じ感情があることを。

 そしてそれを諦められないくらい、自分が我儘であることも、彼女は知っている。

 

 えりなと恋が恋人ではないらしいことは、司との会話で察することが出来た。

 ならばまだチャンスは残されている。えりなに勇気が出ないというのならば、それでもいい。そんな軟弱な意思で、恋に応えられないえりなに恋のことは渡せなかった。

 

「ごめんねえりな……私、こっちでも負ける気はないから」

 

 料理人としても、一人の女としても、薙切アリスは負ける気はない。

 恋のことが好きだと自覚した以上は、司にもえりなにも、他の誰にも彼のことを渡すつもりはない。

 

 特別室へと去っていく二人の繋がれた手をジッと見つめながら、アリスは静かに覚悟を決めていた。

 

 

 




試合の決着は次回です。
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