『秋刀魚』が題材になり、一週間後の本選に向けた試作期間へと入った。
葉山も恋も、それぞれ己の出せる全てを尽くすべく様々なアプローチを始めており、魚河岸に赴いては鮮度の良い秋刀魚を購入し、試作料理の制作に入っている。
完全な真剣勝負。
彼らは常時張り詰めた緊張感の中にいた―――筈なのだが。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……いや多すぎるでしょ!」
極星寮の厨房で試作を作る恋の周りには、何故か人が多かった。
極星寮の寮生でもないのに、調理をする恋の背後、邪魔にならない所に座って見ているのは薙切えりな、新戸緋沙子、アリス、黒木場、幸平創真、田所恵、美作昴の七名。
恋は別に周囲の環境や人の視線で集中を乱されるようなことはないので、試食してくれるなら別に良しとしているが、妙に人口密度の多い空間である。
元々は恋が一人で料理をしていたのだが、最初に創真と恵が様子見にやってきたのが始まり。そこで恋が二人に試食を手伝ってくれと頼み、二人とも快く了承してくれたのだ。
そこへアリスが黒木場を連れて差し入れにサンドウィッチを持ってきたのだが、創真達が試食をするということを知ると、ならば私も、俺もとその場に居座ることになる。
そして更に緋沙子を連れたえりなが様子を見に来て、アリス達が試食をするということを知って、それなら自分が一番最適だろうと主張してその場に座した。
この時点で試食係六名という大所帯となったのだが、では美作はというと?
彼はそもそも最初からこの場に潜んでいたのだ。恋という料理人に憧れを抱いた彼は、より一層彼に近づくためにストーキングを続けていたらしい。全員にドン引きされたものの、妙に堂々と言い放つ彼に、創真達もまた何も言えなかった。
そういうわけで恋一人の試食係が七人になってしまったわけなのである。
「急にどうしたんだよ薙切」
「どうしたじゃないわよ、試食に七人も必要ないでしょう」
「つっても黒瀬に最初に試食を頼まれたのは俺と田所だぜ?」
「なんならえりなが最後に来たんだから、そう言うならえりなが帰ればいいじゃない」
「この中で試食役に一番適した人材は私以外にいないでしょう。アリスこそ、差し入れを持ってきたなら帰ればいいじゃない」
「まぁ、酷い。リョウ君も何か言ってやってよホラ!」
「……俺は決勝行けなかったんで、一回黒瀬の料理を食ってみたいっス」
「ホラ!」
「今の何処に貴女の正当性があったのよ!」
ぎゃーぎゃーと言い合いを始めるアリスとえりな。
こんなにうるさくしても恋の集中が乱されないのは流石と言うべきなのだろうが、すぐ後ろで繰り広げられている修羅場に気付かないというのは、それはそれで追々面倒くさいことになりそうな気もする。
とはいえ誰も引く気がないのは、やはり我の強いメンバーだからだろうか。
「つーかさ、俺が準決勝でビーフシチュー作った時試食頼みに行ったら断ったじゃんお前。この私に試食を依頼するには幾つもの審査を越えて、それなりの報酬を用意しないといけないのよ、とか言って」
「創真君、薙切さんに試食して貰おうとしてたの!?」
「おう、でも突っぱねられちまってさぁ。まいったわー、まぁなんとか形に出来たから良かったけど」
「えりな? じゃあどうして今回はそこまで試食に協力的なのかしらー?」
「っ……別に、恋君は幼馴染なのだし……それくらい協力したっておかしいことじゃないでしょう!」
「へー、ふーん、ほーん? 本当にそれだけかしら?」
背けられたえりなの顔を執拗に覗き込みながらアリスはえりなを問い詰める。えりなの気持ちを知っているアリスとしては、此処でそんなおためごかしを述べるえりなに少し冷たい気持ちが生まれた。
とはいえそれならそれで、アリスも勝手に攻めるだけの話である。えりなが委縮しているのなら、都合が良いのも確かだった。
「なによ、じゃあアリスはどうしてそこまでこだわるのよ」
「あら、知りたいの? 私が恋君の為に力を貸そうとする理由が知りたいの?」
「ちょ……な、なによ」
すると、不意に仕返しとばかりに質問を返してきたえりな。
アリスは詰め寄って既に近かった距離を更に近づけた。アリスの口がえりなの耳元に近づくと、えりなにしか聞こえないような声でコッソリとその理由を告げる。
「―――私が、恋君を好きだからよ」
「ッ!?!?」
これは、アリスだけが一方的にえりなの気持ちを知ってしまったからこそ、対等な条件にするためにあえて教えたのだ。驚きにアリスの顔へバッと視線を向けるえりなに、アリスはにっこり笑って距離を離す。
その笑顔にえりなはうすら寒い気配を感じ、同時にアリスがとんでもなく強大な存在に見えた。料理人としては格下と思っていたが、女としては世間知らずのえりなより何枚も上手だと思わされたのだ。
アリスが恋のことを好き―――そしてそれは友達としてとか、そんな甘い表現ではない。一人の女性が、一人の男性を好きになったということ。
先日、自分と恋の関係を崩しかねない
えりなの中にあった焦燥感や不安感が一気に大きくなる。
「なんだ、随分賑やかだな……ほら、とりあえず幾つか作ってみたから試食を頼むよ」
するとそこへ丁度恋が数品秋刀魚を使った料理を作って持ってきた。両手が皿で塞がっているが、危なげなく持っているあたり器用さが伺える。手を貸さずともテーブルに皿を置くことは出来るだろうが、えりなが動く前にアリスが恋に近づいていった。
「恋君、手伝うわよ♪」
「ああ、ありがとう」
恋の手から皿を受け取り、テーブルに並べるアリス。恋も二枚皿を受け取って貰えば幾分動きやすくなり、残りの皿もテーブルへと並べていく。
そんな二人の姿は妙に息が合っており、慣れたような空気すら感じられた。デンマークに行ったときにも同じようなことをしていたのだろうか―――そう思うと、えりなは胸がきゅうっと締め付けられるような気持ちになった。
切ない、苦しい、そんな感覚。
「おお、結構色々作ったんだな……いただきます……んーッ!? 凄ぇ美味い!」
「このアクアパッツァも美味しい……口の中で秋刀魚の身がほろほろ解れて、噛まなくても味が舌に染み渡るみたい!」
「コレは秋刀魚本来の香りに加えて、数種のスパイスでより香ばしくなってる。葉山の香りを扱うセンスは一級品だが、黒瀬も決して負けてねぇ」
「ッ!! 俺がこのお題で作るなら選んでいたかもしれねぇな、このカルトッチョも相当レベルが高ぇ……」
各々が試食しては高評価を口にする。
だがえりなはその光景を呆然と見ていた。緋沙子が心配そうに声を掛ければ、ハッとなって我に返るも、少しの間動くことが出来なかった。
恋を見れば、それに気づいた恋が首を傾げてくる。
えりなは自分の中に浮かんだ嫌な気持ちを気付かれたくなくて、必死に取り繕った。創真達同様恋の料理に箸を伸ばして試食する。そして神の舌から感じ取れる情報から、いつも通り自分なりの評価を述べた。
何を述べたかはあまり覚えていないが、それでもおかしなことは言っていなかっただろう。恋もなるほど、と頷いていたから、きっと力になれた筈だと思った。
「ねぇねぇ恋君、こっちのはなぁに?」
「っと、それは……」
するとアリスは恋の腕に自分の腕を組んで、品の説明を求めだす。
引っ張りながらも、恋の腕に自分の身体を密着させている。えりなにはそれが破廉恥な行為に見えるが、それでも恋愛漫画などでもそういったアプローチは有効に作用していた。
恋の顔を見ると、特に嫌がっている様子はない。アリスのそんなスキンシップにも慣れた様子で苦笑している。
色っぽい空気には見えないが、それでも二人の親密度が高いのはよく分かった。
「……えりな様?」
「……帰るわ。行きましょう、緋沙子」
「えっ、は、はい!」
「ごきげんよう」
えりなはそんな二人をこれ以上見たくなくて、自分の中の嫉妬心に気付かれたくなくて、気丈に振舞いながらその場から逃げた。
辛い、苦しい、切ない、そんな痛みを覆い隠しながら、恋を取られたくないクセに、アリスの行動から目を背けて逃げることしかできなかったのだ。
そんなえりなに少し驚きながらも、見送る恋達。元々様子を見に来てくれただけだったので、この場に留まる意味も確かにないのだが、突然のことで少々呆気に取られた。
しかしアリスだけはそんなえりなを見て、ムッとした表情を浮かべている。
まるで何もせずに逃げていくえりなに不満を抱くように、勇気の出ないえりなに苛立ちを覚えるように。
「……何か様子がおかしかったけど、何かあったのか?」
「……さぁ? えりなも忙しいんじゃない?」
何か勘付いたような恋の言葉に、アリスはしらを切った。
「(えりなの馬鹿……いつまでもそんなんじゃ、本当に私が取っちゃうからね)」
恋のことは大好きだ。
でもアリスはえりなのことだって大切に思っている。
自分が幸せになることでえりなを傷付けることは、彼女としても良しとしていなかった。正々堂々、後腐れなく、恋と結ばれたいと思うからこそ、えりなというライバルにも相応の勇気を求めている。
えりなが結ばれようが、自分が結ばれようが、きちんと納得したいし、してほしいと思うからこそ、アリスはえりなの臆病さに不満を抱いているのだ。
「……ねぇ恋君」
「ん?」
「決勝戦のことをお母様に伝えたのだけど、お母様、決勝の審査員でこっちに来るらしいわ」
「そうなのか。案外早い再会になったな」
「ええ、決勝が終わったら一緒に挨拶にいきましょ♪」
「ああ、そうだな」
アリスはそれでも手は緩めない。
確かに、えりなに勇気を出して欲しいとは思う。
けれど―――いつまでも待ってはあげるほど甘くはないから、恋愛は甘酸っぱいのである。
◇ ◇ ◇
その夜、極星寮の厨房で未だに試食を繰り返す恋。
他の面々は既に帰るか部屋に戻っており、この場には恋の他に創真だけがいた。美作も残ろうとしていたけれど、空気を察してか今日は帰った様だった。
静けさの広がる厨房で、恋の調理する音だけが響く。
トントントン……包丁の小気味いいリズム。
カチ、シュボッ……コンロの火がうねりを上げて。
パチッパチッ……脂が跳ねる音が耳を叩いて。
普段自分が料理をする時にも聞いている何気ない音が、ブレずリズミカルに空間で音楽を奏でている様だった。恋の無駄のない調理が生み出すそのメロディが、聞いていてとても落ち着くのを感じる。
創真は恋の調理風景を見つめていた。
準決勝、そこで自分が負けた相手……恋の料理にあって自分の料理にないものを学ぼうと。
「……なぁ黒瀬」
「ん? なんだ、幸平」
料理中に悪いと思いながらも声を掛けた創真に、その手を止めることなく恋はそう返した。サポートに入る時に比べれば使う
流石だな、なんて思いながら創真は続けた。
「俺、お前と勝負して、お前の料理を食べて……少し思ったことがある」
「……なんだ?」
「黒瀬の料理はさ、なんつーか……すげぇ安心するんだよな。邪念がないっつーか、純粋に食べる側のことを考えて作ったんだろうなってのが凄く伝わってくる……まぁ、薙切の為にってのがあるんだから当然なんだろうけど」
「へぇ、自分じゃ分からないけど、そうなのか」
「だから思ったんだ。俺に足りなかったのは……何のために料理を作っているのかってことじゃねぇかなって……漠然とゆきひらで最高の料理を作りたくて、誰よりも美味い料理を作る料理人になりたくて、親父を超えたくて、今まで我武者羅にやってきたけどさ……俺の料理を食う奴のことはあんまし考えてなかったんだ」
創真は準決勝で敗北してから、ずっと考えていた。
自分の料理に欠けている物はなんだったのか。そしてこの先進化するためには何が必要なのか。恋を見ていれば、恋の料理を食べれば、それが分かる気がしたのだ。
あの夜、自分だけを見て応援してくれた田所のことを思い出しては、その応援に応えられなかった自分が許せなくて。
だから思ったのだ。
自分は、自分の料理を食べさせてやりたい人はいるのかと。
客に料理を出すのは店として当然のサービスだ。けれどそうではない……恋の様に自分の料理で笑顔にしたい人はいるのか、それを考えたことはあるのかということを、考えるようになったのだ。
料理が上手くなる、良い料理人になる、それはあくまで手段でしかなく、目的ではない。料理人の本懐は、その先―――食べた客の笑顔にある。
月を背に柔らかく笑った田所恵の姿が浮かぶ。
「俺、もっともっと、美味い物を作れるようになりてぇ……でも考えたらさ、それ以上に俺の料理が一番美味いって言ってほしい奴がいるって気付いた」
「……そうか」
「絶対黒瀬の影響だぞ」
「視野が広がったってことだろ? 料理に熱中できるのは幸平の良い所だが……それで見落としていたものに気付いて、それを大切だって思えたなら、それは幸平にとって必要なことだったんだよ」
確実に恋の影響だと言う創真に、恋はハハッと笑ってそう返した。
それが成長となるか、停滞となるかは創真次第。恋はえりなを笑顔にしたくて料理人として努力を積んできて、結果ソレが成長に繋がったが、誰もがそうなるとは限らない。
時にその想いが足を引っ張ることだってあるし、時にその想いが大いなる躍進を遂げさせることだってある。
全ては自分次第だ。
「で? 田所に告白はしたのか?」
「ッ!? な、なんでわかんだよ」
「違うのか?」
「ちがッ、くねぇけど、恋愛感情かどうかはまだ分かんねぇじゃん」
「ハハハッ! 田所にお前の料理が一番だって思ってほしいんだろ? そんなの、好きだからに決まってるじゃないか」
恋の言葉に、創真は息が詰まる。
「お似合いだと思うよ、お前も田所も、良い子だからな」
「ぐぎぎ」
普段から大人びた恋にそうからかわれ、創真は悔しそうにそう唸った。
料理と恋愛の比率は4:6くらいのバランスで行きたい本作です。
感想お待ちしております✨
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