ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。
今回少し暴力的な表現があります。


四十二話

 そして数日が経ち、両者ようやく自分の作る品の形が見えてきた頃。

 秋の選抜決勝に対し、期待、興奮、緊張といった様々な感情が集中する中で、とある場所では別のことが進みつつあった。生徒、講師、選手、遠月学園内のあらゆる意識が選抜に向いた今だからこそ、誰にも気付かれない状態で。

 

 十傑第九席叡山枝津也が動いていた。

 

 折角退学にしたというのに戻ってきた黒瀬恋。それに協力し、己を裏切った美作昴。己の提案に乗ったくせに、戻ってきた恋に執心し始めた第一席司瑛士。全て黒瀬恋という生徒を中心に遠月第一学年が動いているとでも言わんばかりの、急激な変化。

 自身の策やそこに含まれた意図、今後に繋げるための方策、その全てを台無しにされた叡山の胸中は決して穏やかではなかったのだ。

 

 無論黒瀬恋が彼にとって金になる可能性を持った人材であることは、今も変わらない。けれど彼にとって黒瀬恋が好ましい存在かどうか、己の邪魔になる存在になり得るかどうか、それは別の話だ。

 

「ええ……黒瀬恋が戻ってきました。選抜への参加権も手にし、選抜決勝に出場することになっています」

 

 電話で誰かと話しながら、叡山は不愉快な心情を隠すことなく表情に浮かべている。

 受話器の向こうで何を言われているのか、それは分からない。けれど料理よりもあらゆるコンサルティングを成功させ、金にすることに夢中な彼にとっては、けしてこの状況は良いとは言い切れない。

 黒瀬の退学とは、この電話の向こうにいる人物たっての依頼だったからだ。

 その依頼に対し適切な処理を済ませた叡山の手は、手駒であった美作に裏切られるという形で台無しにされ、その恋が戻るだけに留まらず秋の選抜決勝まで進んでいる。

 それは依頼主からすれば到底認められるようなことではなかったらしい。結果的に叡山枝津也に対する信用問題に関わってくる。

 

「……分かりました。今度こそ、完全に黒瀬を潰します」

『―――』

 

 そしてその信用を取り戻すための最後の機会が与えられた。

 電話を切った叡山は、少しの間目を閉じて何かを考えると―――どす黒い闇を感じさせるような鋭い瞳を浮かべながら立ち上がる。策は決まったのだろう、メールで数人に指示を出しながら歩き出した。

 

 そしてそれが終われば別の場所へと電話を掛け始める。

 

 十傑評議会第九席にして、『錬金術士(アルキミスタ)』と呼ばれるこの男。その手腕は本物であり、蛇の様に獲物を刈り取る策が、黒瀬恋に襲い掛かろうとしていた。

 彼の言う、黒瀬恋を潰すという言葉は―――一体何を始めるのか。

 

「……」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 とうとうやってきた決勝前日。

 葉山アキラは、明日の決勝戦に向けての準備を整えていた。

 と言っても今は傍には汐見潤もおり、料理の完成形も見えているので、料理の食材や調味料、調理器具のメンテナンスをしているだけ。

 

 考えるのはやはり、明日の決勝戦のことだろう。

 恋がどのような品を出してくるのか、自分の料理に懸ける想い、優勝への執念、色々な感情が浮かんでは葉山の中で闘争心へと変わっていた。既にやることは変わらず、今はもう恋を一人の強敵として認めているのだ―――葉山は全身全霊を懸けて勝利を捥ぎ取ろうと考えている。

 

「遂に決勝戦だね……葉山君がこんなに成長して、私も嬉しいよ」

「何を大人ぶってんだ潤……まぁ見てろよ、明日は俺の最高の品で黒瀬に勝ってみせるさ」

「うん、頑張ってね。確かに彼は強いけど、葉山君だって負けてないよ」

 

 葉山アキラは、元々スラム出身の孤児だった。

 その日の食事にも必死にならなければ生きていけないような汚いゴミ溜めで、子供ながらに必死に生きていた。優れた嗅覚を持っていても、己には世界を変える力が何もないことを、毎日の様に思い知っていた日々。廃棄された食材にありついては、店の人間に殴打され、逃げるように残飯を食らっていたみじめな人生。

 死ぬほど悔しかったし、辛かったし、涙を流した回数など数えきれない。

 

 けれどそんな人生を変えてくれたのが、この汐見潤という女性だった。

 

 ―――君の嗅覚は、世界を変えちゃうかもしれない。

 

 偶々葉山の居た国を訪れていた日本人の女性。スラムにいた彼女を少し助けてやっただけの、そんな他人同然だった彼女だけが、あの汚い世界から葉山アキラという存在を救い上げてくれた。

 優れた嗅覚。それだけで世界を変えることが出来る可能性を示して、葉山を料理人の道へと誘ってくれた。

 

「どうしたの? 葉山君」

「……なんでもねぇよ」

 

 だから積んだ。

 彼女の為に積んできた。勉強も、技術も、知識も、なんだって我武者羅に努力してきた。己の可能性を信じてくれた女性(ヒト)の期待に応えるために、この鼻で世界を変えてやろうと思った。

 

 あの時の彼女の選択こそが、この料理人の世界に一石を投じる選択だったのだと、証明するために。

 

 そしてその成果を目に見える形で証明出来る日が、遂にやってきた。遠月学園秋の選抜決勝戦……ここで優勝を果たすことが出来たのならば、葉山は胸を張って汐見潤という女性の期待に応えたと言いきれる。

 

「……黒瀬は俺とは全く方向性の違う料理人だ」

「そうだね、あんな料理人はきっとそういない」

「何の力も才能もない状態で、それでもアレだけやれる奴なんて正直驚いた。こんな奴もいるんだって思ったよ……俺だったら、アイツと同じ条件でアイツの様にやれたかは自信がない」

「うん、彼は本当に頑張ったんだと思う。誰よりもマイナスからスタートして、私達が当然の様に持っているものを身に付けるための努力をしてきたんだから」

「だからこそアイツに勝つ。俺と正反対な黒瀬を認めているからこそ、俺の全力でアイツに勝ちたい」

 

 葉山アキラという人生に意味をくれたのは汐見潤だ。

 葉山はこの嗅覚に誇りを持っているし、彼女と繋げてくれた運命にすら感謝する。今までこの鼻と共に成長してきたし、彼女の為にどこまでも素晴らしい料理人になる努力をしてきた。

 そして選抜決勝、最後に立ちはだかったのは味覚障害の料理人。

 なんて数奇な運命だろうか。

 優れた感覚を持って生まれ、そこに意味を見出されてここまで来た自分の決勝の相手が、それを持たざる者。

 

 であれば、優れた嗅覚や味覚障害なんてものは最早勝負において関係ない。

 

 どこまでも対等だ――だからこそ勝ちたい。

 互いの持つ全てを尽くして競い合いたい。まさしく最後に相応しい相手だと思うから。

 

「最高の一日になりそうだ……」

 

 無論負けるつもりなど欠片もないが、勝っても負けてもきっと、最高の瞬間が待っている。葉山の言葉に、潤は笑みを浮かべる。

 二人は共に、明日の決着の時を待っていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして恋もまた、己の作り上げる料理を完成させ、その仕込みを行っていた。

 新鮮な秋刀魚は用意してあるが、勿論念のため当日の朝にも魚河岸にて選ぶつもりでいる。それ以外の食材や仕込みは必要だ。調理自体は翌日の会場で行わなければならないので下拵えは最低限であるが、それでもそれがあるかどうかで恋の料理のクオリティが大きく変わってくる。

 食材を用意し、明日への準備を整え、集中力も気力も最大限まで高めていく。恋のコンディションはとてもいい状態だった。

 

 緊張感と高揚感が入り混じり、頭もすっきり冴え渡っている。全てが恋の身体に力を漲らせる源となっているような、そんな気分。

 

「うん、良い感じだな」

 

 大きく深呼吸をしてからそう呟く恋。

 準備は終わり、あとは明日の早朝に魚河岸に向かって出来ればより質の良い秋刀魚を調達するのみ。その為には少しでも休息をとる必要がある。

 恋はもう寝ようと考えて、誰もいない厨房から出た。決勝戦は明日の正午からなので、十分余裕をもって挑むことが出来るだろう。

 

 そうして己の部屋へと戻ろうとした―――瞬間、何者かによって殴打された。

 

「ッ―――!?」

 

 後頭部に固いものが叩きつけられ、不意打ちだったのもあって恋の意識が一瞬でブラックアウトする。最後の瞬間に恋が見たのは、何者かの人影だけだった。

 

 

 ◇

 

 そして訪れた決勝当日。

 会場には次第に人が集まってくる中、審査員も生徒も、数多くの出資者や美食家達の姿がちらほらと現れる。まだ開始時間には余裕があるというのに、これだけの人が姿を現しているということが、この戦いの期待値を証明している。

 葉山アキラも既に会場入りしており、厨房に調理器具や食材を運び込んでいた。彼に対する注目も凄まじく、それは時にプレッシャーとなって料理人に襲い掛かる。それに慣れるために早く入るという意図もあったのだが、不思議と葉山はそのプレッシャーすら心地よく感じていた。

 

 これから黒瀬恋という強敵と戦うのだ。

 ならば、この震えはきっと武者震いだろう。

 

 自分の全力を以て打倒したい相手。自分の全力を尽くすに相応しい相手。これ以上ないくらいに、彼との勝負を心待ちにしている。

 だが、正午まで残り二時間、一時間と時間が経つにつれて会場内がざわつき始めた。

 

 

 ―――黒瀬恋が現れないのだ。

 

 

 前回の準決勝では、かなり余裕をもって会場入りしていた彼が、残り一時間になっても姿を現さない。

 会場の観客だけではなく、葉山自身もそれに疑問を抱く。アレだけの強い意思を持つ男が、敵前逃亡など考えられない。であれば、何かトラブルでもあったか、此処に来られない事情が生まれたかだろうが、葉山にはそれを知る術はない。

 

「何やってんだ……黒瀬の奴」

 

 ぼそっと呟く葉山の胸中に、早く来いと焦りが生じる。

 こんな不本意な結末を、彼は望んでいなかった。

 

「このまま黒瀬恋が姿を現さなかった場合……当然不戦勝として、秋の選抜は葉山アキラの優勝となるぞ」

「ッ……そんな!?」

 

 そんな彼に、薙切仙左衛門が残酷な事実を突きつける。

 葉山は動揺の声を上げると、ギリッと歯を食いしばって苛立ちを露わにした。こんなふざけた結末で、自分の実力を証明したなんて到底言えるはずがない。ましてや汐見潤への恩返しなど、出来たなんて言えるわけがない。

 早く来い、何をしている黒瀬、と内心で焦りと苛立ちを募らせる葉山は、無駄だとわかっていながらも会場内に恋の姿を探してしまう。

 

「っ……?」

 

 すると会場、観客席の後方で慌てたように動き回っている生徒を数名見つけた。

 

「あれは……幸平……それに黒木場、薙切アリスまで……何を……まさか……!」

 

 そこにいたのは、必死な表情で何かを探し回っている創真達の姿だった。その様子からただならぬ気配を感じた葉山は、黒瀬の身に何かがあったのだろうことを察する。おそらくはこの場に来られないほどの何か―――彼らが探し回っているということは、事故にあったなどのアクシデントではなく、恋の姿そのものが消えたとみて間違いない。

 何らかの妨害があった……そう考えるのが一番自然だった。

 

「(この状況で黒瀬の邪魔をしてメリットがあるのは誰だ……? 黒瀬が決勝で優勝すると都合が悪い……黒瀬が優勝出来ないとどうなる―――そうか、美作の誓約書類!! 狙いは黒瀬の退学か……!!)」

 

 ハッと気付いた葉山は、黒瀬の妨害をした存在の目的を察する。

 ならばこの状況を作り上げたのは、黒瀬の退学を最初に提案した者。美作の密告を受けてそれを利用し、黒瀬を退学に追い込んだ人物に違いない。

 

 そう、十傑第九席叡山枝津也だ。

 

 だがそれに気付いたところで、この場に恋が現れなければその目的が果たされてしまう。だからこそ創真達が探しているのだろうが、時間は刻一刻と迫ってきている。

 ならば、葉山に出来ることはなにか。

 

「……どこへ行く、葉山アキラ」

「不戦勝だなんて、ふざけた結末を俺は受け入れられない。だから、此処に黒瀬恋を連れてきます」

「……ここは神聖な戦いの場じゃ。数多くの者が時間を割いて此処にきておる……それを勝手な都合で予定を変えるなど、許されることではない」

「なら時間内に黒瀬を連れてくれば文句はないでしょう? まだ三十分ある」

「……良かろう、だが黒瀬恋を連れてくるにしろ来られないにしろ、貴様は必ず時間内に戻ってくるのだ……よいな?」

「……分かりました」

 

 この試合を不戦勝にしないこと―――つまり、葉山もこの場に居なければ勝負は成立しない。どちらの勝ちにも、どちらの負けにもならない。

 葉山も黒瀬を探しに行くことを選んだ。

 

 仙左衛門の言葉に頷きを返して会場から出て行こうとする葉山。

 だが、その向かう先から不意に声がした。

 

「その必要はないぜ、葉山アキラ」

「! 美作……ッ!! 黒瀬!」

「……や、遅れて悪いな、葉山」

「お前……何があったんだ……!?」

 

 現れたのは美作昴と、彼に肩を貸してもらう形で姿を現した黒瀬恋だった。

 だが恋の姿を見て絶句する葉山と、騒然となる会場。審査員達も目を見開いて彼の姿に驚愕を露わにする。

 

 治療こそ施されているが、恋はボロボロだった。

 

 右腕に巻かれた包帯、片足を負傷しているのか歩き方がぎこちなく、顔にも湿布や絆創膏があり、その奥に青痣などが見え隠れしている。口元も切っているのか、赤く滲んでいた。どう見ても、何らかの暴行を受けたような跡が多数ある。

 それでも黒い調理服に身を包んで現れたということは、そんな様でも勝負をする気で来たということなのだろう。

 

「お前、その腕……大丈夫なのか?」

「……ああ、コレか。まぁ、いつも通りではないな」

 

 だが葉山は、恋の右腕を見て心配する。

 恋が今まで料理している姿を見れば、右が彼の利き腕なのだ。その腕が満足に使えないというのは、彼の精密な調理技術をブレさせることに繋がるのではないかと思ったのだ。

 事実恋の掲げた右腕はプルプルと少し揺れていた。痛みがあるのだろう、恋の頬には少し汗が滲んでいる。

 

 そんな状態で戦うというのか―――この葉山アキラと。

 

「何があったんだ……美作」

「……俺も黒瀬に何があったのか、詳しいことを知ってるわけじゃねぇ。俺はただ、黒瀬に何かが起こることを事前に知ることが出来ただけだ……結局止められなかったけどな」

「……本気でやる気か、黒瀬」

 

 美作の言葉にグッと拳を握りながら、葉山は再度恋に問いかける。

 すると恋は美作の腕を離し、一人で立つ。そのまま少し歩きづらそうに前に出ると、美作の持っていたクーラーボックスを受け取って、自身の厨房台の上に置いた。

 調理用具を並べて、用意してきた食材も取り出していく。

 

 そしてカタン、といつもの包丁を手に取ると―――それを左手に持ち替えた。

 

「当然だよ葉山……この程度のハンデなんて、この舌に比べりゃ蚊に刺されたようなものだ」

 

 答えは決まっていた。

 金色の瞳に宿る闘志は以前変わらず燃えている。

 

「……なら、遠慮はしない。手加減なしで行くぞ」

 

 それを受け、葉山もまた覚悟を決めた。

 恋の身に何があったのかは分からない。しかし彼は今ここに居て、満身創痍でありながらも勝負をすると言っている。

 

 ならそれを受けるのが礼儀というものだ。

 

 時間はもうすぐそこまで迫っている。

 恋と葉山は厨房に付く。美作は会場から退場し、観客席へ。

 審査員達は二人の意志を尊重し、この時点では恋の身に起こったことは目を瞑った。

 

 

 そして始まる―――不穏な気配の渦巻く、秋の選抜決勝戦が。

 

 

 




次回、恋の身に起こったこととは。
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