ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。
前話の感想にて叡山先輩の能力や人格に理解が深い方が多く、嬉しかったです。
諸々違和感を感じられているかと思いますが、今後の展開にご期待ください。


四十三話

 選抜決勝戦が始まった。

 黒瀬恋が傷だらけで現れたことに、会場内の動揺は大きかったものの、恋と葉山がそれを承諾して試合を開始したことで一旦は収まる。歩き方は多少ぎこちないものの、それでも動けないほどではないらしい黒瀬の動きから、多少心配はあるものの、次第に試合への興味へと感情が移り変わっていく。

 葉山の料理から漂ってくる香りや、ペースこそ落ちているものの変わらぬ恋の正確無比な調理姿は、白熱した料理人同士の戦いを想起させた。

 

 だが右腕を負傷した恋が、左手で尚も普段と変わらぬパフォーマンスを保てているのは何故なのか。それが気にならない者はいなかった。

 

「恋君……一先ず大丈夫みたいね。でも、左手で大丈夫なのかしら?」

「……まぁ、元々彼は左利きだもの」

「えっ!?」

 

 必死になって恋を探していたえりな達は、恋の姿を確認してホッとしながら、試合の行く末を見守る。アリスは左手で万全の料理が出来るのかと心配したものの、えりながそこに衝撃の事実を告げた。恋の利き腕は右ではなく、左だというのだ。

 えりなの方に驚いた顔で視線を送ると、えりなは未だ心配そうに恋を見つめながら過去のことを語る。 

 

「私も気が付いたのは最近だけれど、幼い頃の彼は左手で包丁を握っていたわ。おそらく大抵の厨房が右利きに優しく設計されているから、無駄な手間を増やさない様に両利きになる訓練を積んだんじゃないかしら」

「なるほど……じゃあ左で作った方が上手く作れるってこと?」

「いや、彼の調理姿をみてきた限りでは、どちらも同じくらい自在に使えるんだと思うわ。おそらく左手で作ったところで右と然程変わらないでしょうね」

「じゃあ……不利な状況は変わらないのね」

 

 応援しているだけに、恋の身体に見える負傷が痛々しく見える。おそらくは少し動かすだけでも鈍い痛みが走るだろうに、恋はアドレナリンが効いているのかそれを無視していつも通りの動きを保っている。あとから反動が酷くならなければいいが、全てはこの試合が終わってからの話だ。

 すると、えりなとアリスの下へ緋沙子が駆け寄ってくる。

 

「えりな様、アリスお嬢……! 今、会場ロビーで美作昴に話を聞こうと、幸平達が……お二人もいらっしゃいますか?」

「! ええ、行きましょう……この勝負自体に意味はないもの」

「……恋君が負けると思うの? えりな」

「大事なのは勝敗ではないわ、アリス。死力を尽くした勝負であったかどうかよ……恋君の負傷を見れば、どちらが勝っても遺恨が残る。葉山君が勝ったとしても、恋君の負傷がなければ……恋君が勝っても、葉山君が恋君の負傷に集中力を乱されなければ……会場の観客や審査員以上に、本人達ですらそう考えられてしまう以上、この試合で優劣は付けられないのよ」

 

 えりなの言葉に噛みついたアリスだったが、えりなの正論に言葉を返すことは出来なかった。優劣の付かない無意味な試合……それでも全力を尽くして戦う二人の料理人。哀れと思うか、それとも無様と思うか、それとも――その答えはアリス達以上に、恋達が感じていることだろう。

 えりなが先行し、緋沙子がそれに続く。

 アリスは唇を噛んで悔しそうにしながら恋と葉山を見るが、もどかしい感情を押し殺し、遅れて二人のあとを追いかけた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 えりな達がロビーに辿り着いた時、美作昴に対して黒木場や創真が詰め寄っていた。

 黒木場はいつものぼんやりした姿ではなく、怒り心頭といった様子で巨体の美作の胸倉を掴んでいるし、創真もまた眉間に皺を作りながら静かに美作から話を聞こうとしている。

 その後ろには極星寮の田所や吉野、榊、伊武崎、丸井、一色といった面々もおり、そこから少し離れたところには司や竜胆、久我の姿もある。えりな達も合わせれば、随分な人数が恋に何があったのかを知りたがっているのが分かった。

 

 美作は葉山に問いかけられた時は詳しく語らなかったが、これだけの面々がいるのであれば黙するわけにもいかない。

 幸い司の計らいで人払いはされているらしく、この場にはえりな達しかいなかった。

 

「美作ァ……どういうことだ! 黒瀬をやったのは何処のどいつだ!」

「落ち着けよ黒木場……俺だって、黒瀬の負傷には腹が立ってんだぜ」

「リョウ君、落ち着きなさい」

「……チッ!」

 

 美作の言葉を聞き、アリスに窘められたことで一旦は胸倉から手を放す黒木場。料理人として、また己に勝った葉山や決勝に進んだ黒瀬の勝負を尊重していたこともあって、黒木場はそれに水を差した人物に心底腸が煮えくり返っているようだった。

 だがそれはこの場にいる全員が思っていることだ。

 一番荒れていた黒木場が一旦牙を収めたことで、全員に多少の冷静さが戻る。

 

 それを感じ取ったのか、胸元の皺を正しながら美作は静かに語り出した。それは決勝カードが決まった日から、四日が経った頃のことだった。

 

「俺は黒瀬に負けてから……今一度自分を見つめ直すため、また黒瀬という料理人から学ぶために、黒瀬のことを追いかけていた。以前までやっていたトレースに比べれば、ただの追っかけの様なレベルだったがな」

 

 創真達はカードが決まった翌日、恋の料理を試食する場に美作が居たことを思い出し、確かにそんなことをしていたと頷く。

 今回恋の危険に気が付いたのも、美作がそうして恋の周囲を追いかけていたおかげなのだろう。その点に関しては、今回美作がいてくれて助かったという思いもあった。

 

「だが同時に、俺はあの食戟で叡山枝津也を裏切ったことになる。その影響が黒瀬に及ぶのは避けたかった……だから俺は同時に叡山枝津也の周囲のことも探っていたんだ。そこで、三日前……奴が電話で黒瀬を潰す話を何者かとしているのを偶然聞いたんだ」

「なっ……じゃあ今回の件は全て十傑九席の仕業ってこと!?」

「仮にも十傑ともあろう者が、こんなクソみたいな手段に出たってのか……!」

 

 美作の言葉に吉野が大きく反応し、物静かな伊武崎も怒りに語気が荒くなる。

 だが、美作はその言葉に対して軽く首を横に振った。その認識には語弊があると、そう言って、自分が知っている限りのことを話す。

 

 美作がその日、恋の危険を察知して叡山の周囲を探った結果、叡山枝津也のやろうとしていることを知ることが出来た。彼が本気のトレースを以ってすれば、そのくらいのことは簡単に知ることが出来たのである。

 故に美作は先回りして、その策を台無しにするべく動いていたし、その為の準備も万全に整えていた。

 

 そして彼は言う―――その対策は間違いなく、成功したのだと。

 

「どういうことだ? テメェの叡山対策が成功したなら、黒瀬はあんな目に遭ってねぇだろうが」

「そこが間違ってるんだよ、黒木場……お前らは叡山枝津也について全く知らない。奴は十傑第九席の座にいる実力者だぞ。しかも数々のコンサルティングを成功させ、『錬金術士(アルキミスタ)』とまで呼ばれる男だ……黒瀬を潰すって言ったって、暴行を加えるような愚策に出るほど、奴は馬鹿じゃない」

「……美作君、叡山先輩の策の詳細を教えてもらえるかしら?」

 

 黒木場の言葉に、美作はそこが違うと説明する。

 そもそも今回、恋を襲った暴行が叡山枝津也の策であるのならば、あまりにもお粗末な策だとしか言いようがない。彼は前回の退学騒動の時ですら、リスク管理を考えてもかなり強引な手段を取ったと言っていたのだ―――きちんと自分の行動を客観視出来る能力を持つ叡山が、一歩間違えば……否、事態が発覚すれば確実に自分の首を絞める策を決行するとは思えなかった。

 

 だからこそ、危機を事前に察知していた筈の美作が止められなかった事態でもあったのである。

 

 そしてその言葉を聞いて、えりなが美作の知った叡山の策を問う。

 美作は順を追って説明し始めた。

 

「俺が調べた限りでは、奴の目的は黒瀬を決勝で優勝させず、再度退学にさせることだった。その為に、出来る限りの妨害工作を取ろうとしていたんだ」

「それが……あの暴行じゃないってこと?」

「ああ、叡山はあくまで裏で手を回して黒瀬が決勝で良い品を作れないようにする策を練っていた。策は大きく三つ、まずは黒瀬の調理器具に細工をすること、次に決勝前日、黒瀬の用意した食材を使えなくすること、そして黒瀬が早朝魚河岸へ行けないように邪魔をすることだ」

「あくまで恋君の料理のクオリティを下げる方向で妨害工作をしようとしていたってことね?」

「その通りだ薙切アリス。まぁそれらに関しては俺が事前に察知していたこともあって、黒瀬にも話を通して、黒瀬が休んだ後に俺が別の場所に移動させて守ることが出来たんだ……現に、今黒瀬はそれらを使って料理をすることが出来ている……だが」

「そこで誤算が起こったのね?」

 

 美作は事前に叡山の策を全て恋に伝えていた。

 その結果、恋が食材の仕込みを終えて休んだ後、美作がそれを別の場所へと保管することで妨害工作を阻止することになっていたのだと言う。

 決勝前日の夜……美作は恋が一人で集中するということで、指定された時間まで恋の部屋で待機していた。そして時間になったところで厨房に下りていったのだが、そこに恋の姿はなかったのである。

 

 怪訝に思ったものの食材や調理器具は無事だったので、美作は約束通りそれらを別の場所へと移動させて保管した。

 しかし、それが終わった後も恋は姿を現さなかったのである。叡山がどのようにして早朝の魚河岸に恋を行かせないようにするのか、それもきちんと把握していただけに、前日の夜、このタイミングで恋が姿を消すのは想定外の事態だったのだ。

 

「俺はそのまま黒瀬を探した……ついさっきまで厨房にいたんだ、そう遠くには行っていない筈だと思ってな。だが一晩中探しても黒瀬は見つからず、明るくなってきた頃にようやく見つけた時……黒瀬は極星寮の裏、畑の隅でボロボロの状態で気を失っていたんだ。灯台下暗しとはよく言ったものだが……気付けなかった俺自身が間抜けだった」

「そんな……」

「俺はすぐに保健室へ運んで手当を施した。明らかに暴行を加えられた傷が多かったが、幸い骨折はなく、打撲や擦り傷ばかりだった。おそらくは黒瀬自身が抵抗した結果だと思うが……アレだけの負傷だ、おそらくは数人掛かりで襲われたと見て間違いねぇ」

 

 美作の話を聞いていけば、熱くなっていた黒木場も段々と事態を飲み込んでいく。

 美作のトレース能力は折り紙付きだ。それはタクミを下した時に証明されているし、一時的にとはいえ恋の技術すらトレースしたのだから、信用出来る力だろう。

 その美作が調べて知ったことなのだから、叡山の策は間違いなく予測出来ていた。その上で恋に暴行を加えるといった策は無かったと言っているのだ。

 

 であれば、恋への妨害工作を企てた叡山の策に隠れて、別の何者かが恋への暴行を企てたという事実が浮き彫りになってくる。

 

「……なるほどな、だがそれでも状況証拠的に叡山が仕出かしたことだと言われてしまえば、否定することが出来ないぞ? 会場で詳しく語らなかったのは美作、お前も物的証拠を持っているわけではないからだろう? 誰が企てたことか分からない以上、あの場で話すのは現状崖っぷちの叡山を即刻突き落とすようなものだ」

「まぁ確かに叡山の柄の悪さを見れば、ぱっと見やってもおかしくねー雰囲気あるしなぁ」

 

 だがそれを理解した所で証明出来ない状況が苦しかった。

 司と竜胆が美作の話を聞いて、苦しい事実を正確に突いてくる。その指摘通り、美作には叡山の策と今回の暴行が別々の問題であることを証明する物的証拠がなかった。それもそうだろう。美作としては黒瀬が万全の状態で決勝に挑めれば良かったのだから、それで叡山を貶めようとしたわけではない以上証拠など必要はなかった。

 美作も予測出来なかった事態が起こったからこそ、後悔先に立たず、後の祭りといった状況である。

 

 故にこそ、葉山から問われた時、美作は何も語らなかったのだ。

 あの場には薙切仙左衛門も含め、料理界における多くの重鎮達が居たし、何より遠月学園全校生徒や数多くの美食家達が観客として存在していた。

 その注目を浴びる中で、下手に叡山の首を絞めるような話をすれば、それこそ暴行を企てた者は全てを叡山のせいにして姿を眩ませただろう。状況証拠が全て、叡山にとってあまりにも不利になるように出来ていた。

 

「でもこのままじゃ黒瀬がそのせいで負けちゃうかもしれないじゃん! そうしたら……また、退学に……!!」

「いや、そうはならない」

「え……?」

 

 しかし問題は叡山や別の黒幕の話ではなく、今勝負をしている恋が負けたら再度退学になってしまうということだった。吉野が泣きそうになりながらもその話を出すが、それに対して否定を返したのは、これもまた司瑛士である。

 竜胆も司の横でニマニマと笑みを浮かべており、司の言葉の意味を分かっているらしい様子だった。

 

「どういうことですか? 司先輩」

「そもそもの話だよ、薙切。黒瀬の退学は叡山の提示した議案に対し、十傑の過半数が賛同したからこそ成り立ったものだった……だが、俺と竜胆はその議案に反対することした」

「ということは……」

「十傑の内、黒瀬の退学に反対したのは四人。賛成したのは六人だったから、俺と竜胆が反対することによってこの議案は覆される。まぁ、黒瀬が一時的とはいえ学園の生徒に戻ったからこそ、議案の賛否を差し戻しに出来たんだけどな」

「ようは、美作が黒瀬の奴を学園に戻さなかったら出来なかったってこった♪」

 

 司の言葉を受けて段々と理解し始めた吉野が、その表情を少しずつ明るい物へと変化させていく。

 美作の誓約書の通りならば、恋の退学は優勝出来なければ再度施行される予定だったが、司と竜胆はそもそも施行される議案そのものを破棄したのだ。これならば仮に恋が優勝出来ずとも、恋は今まで通り遠月学園の生徒として在籍することが出来る。

 

 安堵からか全員の表情が少し緩さを取り戻した。

 

「だが警戒は必要だろうな……美作の推測が当たっていたとするのなら、黒瀬本人に対して相当嫌悪……もしくは憎悪を抱いている人物がいるということになる。しかも叡山を利用するあたり相当頭も切れるんだろうし、暴力という手段を使う以上どんな形でも黒瀬を排除したい意思を感じる……今回の一件では終わらないと思うぞ」

「この由緒ある遠月でなんて下衆な所業……これは料理人に対する侮辱だわ……!」

「えりな様……」

 

 司がそう纏めると、えりなはあくまで冷静を保っていたものの、拳をグッと握ってそう呟く。恋が傷つけられたことも許せない事態だったが、料理人の利き腕を狙ったこと、料理ではなく暴力という手段で邪魔をしたこと、それが許せなかった。真剣に研鑽を積む遠月の料理人全員に対する侮辱だと。

 緋沙子はそんな怒りを露わにするえりなを見て平静を保てたが、己の中に燻る怒りを打ち消すことは出来なかった。

 

 そしてそれはこの場にいる全員がそうなのだろう。

 

「―――そろそろ……結果が出る頃だな」

「……葉山と黒瀬の勝負か」

「でも……」

 

 美作が会場の観客の声を聞き取り、決着の時が近いことを悟った。

 だがその結果を見るのが少し嫌だと感じてしまう。

 しかし、えりなは先行して歩き出した。この勝負では優劣は付けられない……そう言ったけれど、それでも二人の料理人が全力で戦っているのは真実だ。

 

 その結末だけは、同じ時代に生まれた料理人として、また遠月の覇を競う者として、見届けるべきだと思ったのだ。

 

「っし……行くか!」

 

 そのえりなの背中に動かされたのだろう。

 創真がそれに続き、その後に一人、また一人と続いた。

 

 秋の選抜決勝戦、その結末をその目でしかと見るために。

 

 

 




次回、秋の選抜決勝戦決着 選抜編終了
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