ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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四十五話

 選抜が終わったその夜、それぞれがそれぞれの反省を思い返していた。

 色々な思惑が交錯していた波乱の選抜戦だったが、そもそも此処は料理人としての腕を磨く遠月学園である。

 恋の退学騒動、美作の食戟二連、そして最後の恋の暴行騒ぎ、様々なことが起こっていたからこそ意識が散漫になっていたところだが、この選抜で発生した勝利も、敗北も、それぞれがきちんと受け止めなければならない問題である。

 決勝に進んだ葉山と恋はまだしも、予選で敗退した者、本戦で敗退した者、その全ての結果が現実となって生徒達を襲う。悩み、苦しみ、自身の皿と向き合う精神力が必要になってくるのだ。

 

 そんな中、試合後に倒れ、一旦は保健室に放り込まれたものの、今はえりなの屋敷の一室に移動させられた恋。

 ベッドに横たわる恋の横には、座するえりなと後ろに控えて立つ緋沙子がいた。

 つい先ほどまでは創真達極星寮の面々も居たし、アリスや黒木場、葉山、美作もいたのだが、恋の状態も落ち着いているし、夜も更けたことで一先ずは全員がそれぞれの宿へと帰っている。

 

「……とりあえず、何ともなくて良かったわ。美作君の手当てが早かったから傷跡や後遺症も残らないらしいし、三日も安静にしていれば、完全には治らないでしょうけど、普段通りに動き回れるようになるみたいね」

 

 疲労と負傷によって気絶しただけだと医師が判断したことで、とりあえずは安堵の息を零すえりなだったが、後ろに控えていた緋沙子の表情は浮かなかった。

 

「……えりな様」

「? 緋沙子……どうかしたの?」

「恋も退学せずに済みましたし、選抜も無事終了したので……しばらく、お暇をいただいてもよろしいでしょうか」

「え……どうして?」

「私では……えりな様の傍にはいられません……!」

「ちょ、緋沙子っ!?」

 

 突然部屋を出て行った緋沙子に驚いた声を上げるえりなだったが、あまりに差し迫ったような雰囲気を纏っていた緋沙子を見て、追いかけることが出来ない。

 恋を放っておくことも出来ず、緋沙子を追いかけることも出来ず、立ち尽くすことしかできなかった。遠ざかっていく足音を聞いて、肩を落としながら椅子に座る。

 

 恋は暴行に遭い、緋沙子は屋敷を出て行ってしまった。

 静かな部屋に一人取り残されたえりなは、眠っている恋がいることも分かっているが、それでもモヤモヤとした孤独感を抱いてしまう。恋に恋愛感情を抱いているというアリスや、人生のパートナーに勧誘している司、憧れを抱いているという美作、此処まで恋に対して興味を抱いている者がいるという事実もまた、その孤独感を増大させていた。

 恋は幼馴染で友人ではあるし、自身に恋慕の情を抱いてくれているが、それでもえりなのものではない。

 緋沙子も、えりなの付き人であって真に友人足りえているわけではない。

 

「……複雑ね、人間関係って。料理のことしか考えてこなかったから、私には分からないわ……人とどうやって友達になるのか、どうやって仲良くなればいいのか……貴方に、どうやって好きって言えばいいのか……私には分からないのよ、恋君」

 

 一人になると考えてしまう。

 料理人として完全無欠を体現してきた自分には、人との付き合い方が分からない。人の上に立つことは出来ても、対等に向き合うことが出来ない。下々の人間と見下してきた者達の気持ちなど、出来ない者の気持ちなど、えりなには理解出来ないのだ。

 

 だからこそ恐ろしい。

 

 完全無欠だからこそ、失敗することが恐ろしい。人の気持ちを理解出来ないからこそ、人と打ち解けられる自信がない。自信がないからこそ、勇気も出ない。

 

「このままじゃいけないって分かってる……分かってるのよ……このままじゃ、貴方を取られちゃう……」

 

 アリスと一緒にいる恋。

 司と料理をする恋。

 美作に付き合う恋。

 創真や極星寮の面々と仲良くしている恋。

 黒木場や葉山と楽しそうに勝負をする恋。

 

 ……置いてけぼりの、自分。

 

 そんなイメージが頭に浮かんだえりなは、不意に椅子から腰を上げて、恋の顔の横に手を突いた。覆い被さる様にして恋の顔を覗き込む。目に掛かる前髪を掻き分けて、恋の頬に手をそっと添えた。

 こうすれば自分の手の中に恋の身体がある。この瞬間だけは恋の全てがこの手の中にある。けれど、その心にはけして手が届かない。

 

「……このまま少し近づけば、唇が触れてしまうわね」

 

 額がくっつくほどに近づいて、恋の唇に自分の吐息がぶつかるのを感じる。

 そのままキスをしてしまおうかと考えてしまうが、それでもそんなことが出来るはずもない。えりなの読んだ恋愛漫画の様にはいかないのだ。

 

 それでも、このまま少し近づけば、恋を感じられる。

 

 えりなは少し息を飲んで、その唇に……―――

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 屋敷を出て行った緋沙子もそうだが、恋のいない極星寮では創真もまた敗北の悔しさを飲んでいた。準決勝で敗北したのは一週間前。けれど決勝戦で恋と葉山が作った料理を目の当たりにした時……もしも決勝に自分がいたのなら――そう考えて、おそらく勝てなかったと思ってしまう。

 料理人の顔が見える料理、その料理人にしか作れないような唯一無二(オンリーワン)、料理人としての誇りもプライドも全て載せた究極の一皿。

 

 ―――"必殺料理(スペシャリテ)"

 

 恋に敗北して、自分が料理をする意味を考え始めた創真。

 きっとその答えを出した先にあるのが、自分だけの必殺料理(スペシャリテ)なのだと、決勝戦を見て確信した。

 

 だからこそより悔しさが燃え上がる。

 今の自分では辿り着けない領域に、恋と葉山はいる。それがどうしようもなく自分の無力さを思い知らせてきたのだ。

 

「ちくしょう……このままじゃダメだ」

 

 極星寮の厨房で、創真は自身の秋刀魚料理をイメージしては、やはり届かないステージに歯噛みする。

 定食屋で漠然と城一郎の腕を盗んできた創真には、その技術を裏付けするだけの知識も、経験も足りていない。時折薙切えりなや競ってきた者達に指摘されてきたように、己の無知が此処にきて今の自分の限界を告げていた。発想力では越えられない、地道な研鑽の壁が立ちはだかっている。

 このままでは上にはいけない。

 今の自分の殻を打ち破らなければ、これ以上は進めない。

 

 ましてや、誰かの一番になんて到底なれやしない。

 

「創真くん」

「はぁ……悪いな田所、準決勝では応援してくれたのに」

「う、ううん……それは気にしなくていいけど……大丈夫?」

 

 そこへやってきたのは、やはりというか田所恵だった。

 恋の無事を確認した後から、自分のことを考える余裕が生まれたことで、少し曇った表情を見せ始めた創真を心配していたのだろう。

 創真の謝罪に首を横に振って気にしなくていいと言う恵。逆に創真を心配して声を掛けるが、創真もまた苦笑して返した。

 

「まぁ、結構凹んだけど……やることは変わんねぇ! これからは俺の、俺だけにしか作れない料理を形にしてやる! これまでの俺の料理に、新しい光を当てるんだ!」

「! ……うん! そうだね!」

 

 しかして、創真は今まで何百回と敗北を積み重ねてきた料理人だ。

 今回の敗北を経て尚、折れることなどありえない。寧ろ、自分が至れないステージを垣間見たことで、更なる成長を遂げることを決意する。

 必ず至る、その場所へと。

 そしていつかは必ず、遠月の頂点へと辿り着くのだと。

 

 二ッと笑った創真に、恵もまた明るく笑った。いつも通りの創真の姿に、心配の色も消え去ったのだろう。

 

「見てろよ田所、俺はもう二度と……お前の前で負けねぇから」

「え……う、うん」

「じゃあ、おやすみ! 俺ももう休むわ……明日は黒瀬の見舞いにでも行こうぜ」

 

 そう言って去っていく創真の背中を見送りながら、恵は創真の言葉を反芻して、その意味を理解していく。

 二度と負けない―――創真ならば言いそうな言葉ではあったが、そこに自分が見ている前で、と付けた意味は何だろうか。それは、田所恵の存在が特別ということではないか? 普段料理にしか興味がないような向上心の塊のような男が、田所恵という少女に特別な感情を抱いている? それは、それはつまり。

 

 恵は心臓の音が段々と大きくなっていくのを感じる。

 顔が熱くなっていくのもまた、止められなかった。

 

「……創真君……期待してもいいのかな……私」

 

 もしもその期待が、当たっているのだとしたら。自分の考えてしまうイメージが現実のものになるとしたら。そう考えただけで、恵の心に喜びが生まれてくる。

 

「私も、頑張るよ……ふふふっ」

 

 淡くときめく感情は、果たして恵だけの感情なのか、それとも二人だけの感情なのか。

 膨らむ期待と、ときめきに、恵もまた、成長しようと思う。

 

 いずれ高みに立つであろう幸平創真という料理人に、負けないように。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 そして、そうして苦悩する生徒達の中で、暗躍していた叡山枝津也もまた頭を悩ませていた。自室のデスクで髪を掻き上げ、苦渋の表情で歯噛みしている。

 それもそうだろう……黒瀬恋を退学にするべく行動したのは確かだが、それでもこの状況は一切想定していなかったのだ。美作に邪魔をされ、結局自分の作戦は全て阻止された以上、黒瀬恋への暴行は完全に想定外。

 

 けれど、叡山はその暴行を加える企てを誰が考えたのか分かっていた。そもそも、黒瀬恋を退学にするという計画は、その人物が叡山を通してやろうとしたから生まれたことだ。ならば今回のことはその人物が差し向けたことに違いない。

 結果的に黒瀬恋の退学は結局白紙。

 暴力にまで手を伸ばしたその人物が、この結果に満足するはずがない。

 

「くっ………クソがッ! 俺を嵌めやがったってのか!」

 

 それでも現状、叡山の立場が危ういのも確か。

 美作が阻止したことで未遂とはなっているものの、叡山が恋の妨害工作をしようとしたことは確かな事実。それが発覚すれば、恋に暴行を加えたことも叡山の指示として判断されてしまう可能性は高い。

 そうなれば、最悪退学……最低でも十傑の座を剥奪され、停学処分が通達されるだろう。

 しかも時間は既に残されていない。

 恋の負傷に関する事実確認は既に行われているだろうし、明日明後日には全ての事実が明らかになって叡山は終わりだ。たった一日足らずで、自分と暴行事件との関連性がないことを明らかにするのは流石に不可能。

 

 さらに暴行事件が叡山の手によるものだと確定された場合、今後のコンサルティングや今抱えている案件にも多大な影響を齎すし、これまで携わってきた案件にも信頼を失うという意味で損害を与えることになる。発生する賠償金は想像するだけで気が遠くなるほどの高額になるだろう。

 叡山の資産的に払えないわけではないが、それでも叡山の積み重ねてきた全てを崩壊させかねない事態だ。

 

「いや……最初から、そのつもりだったってのか……?」

 

 焦りと憤りを感じながらも、流石は『錬金術士(アルキミスタ)』というべきか、一先ず冷静に考えてその事実を考える。

 黒瀬恋を退学にしろ、という指示を受けた時から、少しおかしいとは思っていた。味覚障害を槍玉に揚げて退学を通告するという強引な手段を取ったことも、戻ってきた黒瀬恋に妨害工作を施すという手段を取ったことも、叡山がそうするように誘導されたことだったのだ。

 

「くっ……だが何故ここまで黒瀬に執着する……? 奴が学園に居ようが居まいが、大局には何ら関係ない筈。何故……!」

 

 叡山を此処まで陥れた流れの中心にいるのが、黒瀬恋だ。

 叡山も今後のことを考えて色々な所で行動していたし、裏で手を回したことも多い。けれど黒瀬恋のことに関してだけが、想定の範疇を越えていた。

 

 何故、何故ここまで黒瀬恋に執着するのか、叡山には分からない。

 

 だがきっと、そこにこそ現状を打破する方法があると考える。

 黒瀬への暴行を企てたその人物が、唯一無理を通してまで押し通そうとした事案が黒瀬恋の排除だというのなら、きっとその人物にとって最も邪魔な存在が黒瀬恋なのだろう。

 

「良いぜ……良いだろう……ならば徹底的に邪魔してやる……! この俺様をコケにすることが何を意味するのか、分からせてやる……!!」

 

 ドン、とデスクを叩いて叡山は唸る様にそう言う。

 断崖絶壁に片手でぶら下がるようなこの状況で、叡山枝津也は己を利用し貶めた人物への敵対を決意した。

 十傑第九席の意地? 『錬金術士(アルキミスタ)』のプライド? そんなものは最早今の自分には必要ない。ただ全ての地位や肩書を捨て去って一人の叡山枝津也になったところで、無力ではないと証明するのだ。

 

 このままで終わる、叡山枝津也ではないのだと。

 

「思い知らせてやる……! 今に見ていろ……!!!」

 

 

 ◇

 

 

 そして翌日……叡山枝津也に学園から通告が下される。

 全校生徒にも周知するようにその通告は全掲示板で掲載された。

 内容は以下の通り。

 

 

 【通告】

 

 下記の者、重大な校則違反により十傑評議会第九席の座を剥奪し、また罰則として二週間の停学処分とする。

 

 ・遠月茶寮料理学園 第二学年 叡山枝津也

 

 

 

 




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