ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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四十六話

 あれから三日が経って、ようやくまともに動けるようになった恋。

 痛みが引いたことで歩き方がぎこちなかったのも治り、パッと見た感じでは特に平常通りの様に見える。まぁそれでも多少手当した部分が見えているが、既に料理をするのも問題なく出来ていた。

 療養の為に授業に出席することは出来ていなかったので、復帰は今日から。合間にある体育などは見学になるだろうが、三日も料理をせずにいたので、鈍った感覚を叩き直す必要があるだろう。

 

 一先ずは教材や調理用具を取りに行くため、早朝の内にえりなの屋敷を出て、極星寮へと向かっていた。この三日間えりなや使用人に介抱して貰っていたので、一人になるのは久しぶりである。

 早朝ということもあって、また生徒の姿もない。

 

「っ~~~……っはぁ……一時は動くのもしんどかったけど、随分マシになったな」

 

 グイッと身体を伸ばしながら、肩を回して自分の身体の調子を確認する恋。

 右腕も多少重さはあるものの、動かすことに痛みはない。身体で青痣になっていた部分も既に激しい痛みはなく、少し負荷が掛かった時に鈍く痛みが少しある程度だ。

 

 もうすぐ秋も深まるという時期だからか、学園内の木々にも多少の変化が起こりつつある。葉の色も少しずつ変わろうとしており、青い内に落ちる葉も多くなってきていた。

 残暑はまだまだ暑いものの、それでも季節の変わり目を感じさせるようなものが視界に入るようになっている。 

 

「にしても、アレは一体……」

 

 そんな中、恋は思い出す……自分が暴行を振るわれた時のことを。

 厨房を出て意識を失った恋が目覚めた時、そこは見知らぬ小屋の中だった。遠月学園の備品倉庫だろうか。色々な物が置いてあったが、薄暗く、どこかに繋がれてはいなかったが、両手は縛られていた。

 そして目を覚ました恋が目の当たりにしたのは、学園の生徒かどうか分からない黒い衣装に身を包んだ数人の男性。体格的に女性はいなかったと思うが、彼らは顔をマスクで隠していた。

 

 一切声を発することはなく、既に決めてあったのか静かにその拳を振り抜いてきたのである。淡々と殴る、蹴るを繰り返す男達に、恋は足を動かして抵抗した。小屋の中を逃げ回り、時にタックルや両手の振り下ろしなどで反撃もした。

 それでも両手が縛られていたことが枷となって上手く動くことが出来ず、複数人で同時に襲い掛かられればひとたまりもない。

 結局は袋叩きにされ、最後には木材か何かで右腕を思いきり殴打された。折れはしなかったものの、走る激痛に蹲ってしまい、それからまた意識が飛ぶまで暴行を加えられたのである。

 

 そこから先は美作が語った通り。

 発見後に治療を受けて、そのまま試合に臨んだわけだが……恋もまた今回の暴行事件が叡山の仕業とは思っていなかった。

 

「……明らかに俺を目の敵にしている奴がいるな」

 

 心当たりはない。

 けれど叡山枝津也に恨みを買った覚えもないし、仮に彼の仕業だったとしても、美作の話を信じるとすればもっとスマートなやり方を行使してくる筈。恋の中ではこの時点で、学園内外問わず、自分に対して非常に敵意を抱いている人物がいるという確信があった。

 だとすれば、その人物にとって恋がこの学園にいることは非常に邪魔だということになる。

 

 自分に都合のいい生徒以外に遠月の頂点を獲られては不味い? ―――ならば恋以外の生徒にもその可能性がある者は多い。

 

 味覚障害者が遠月にいるのが気に食わない? ―――ならば叡山がやろうとしたように、妨害工作をして退学にさせる方が理に適っているし、暴行に走るほどの憎悪にはなりえない。

 

 そうではない、そもそも根本の話だ。

 黒瀬恋という人物が遠月学園でやろうとしていることが、その人物にとって非常に許せないことなのだ。味覚障害や遠月の頂点に関してはおまけのようなものだろう。

 だとすれば、他の生徒にはない、彼個人がこの学園で取る行動にその憎悪を抱く原因があるのだ。

 

「原因はやっぱり……彼女かなぁ」

 

 その原因になり得る可能性が一番高いのは、やはりというか、薙切えりなだった。

 恋が彼女に関わること、親しくすることを不愉快に思う者は、生徒の中にもいた。実力を証明した今でこそ受け入れられつつあるが、二年の周藤怪も元々は熱心な彼女のファンだったからこそ、恋に喧嘩を吹っかけてきたのである。

 

 神の舌を持ち、食の眷属の血統である完全無欠の料理人……それが薙切えりなという少女。

 

 しかもそれに加えてあの美しい容姿に、研鑽を忘れぬストイックさ、多少の傲慢さが許されるその在り方までもが、多くの人々を惹きつける。

 であれば料理人業界にとって至宝とされるその存在に、黒瀬恋という汚点があることが許せない人々も一定数いるのは当然だ。

 

「…………彼女を一方的に知っている程度の美食家や出資者、料理人では此処まではしないだろうし……ならより彼女に近しい人物の仕業か?」

 

 恋はそこで今回の暴行事件を企てたのが、薙切えりなが恋と親しくすることを恨んだ者の犯行だと仮定して、その犯人は薙切えりなに近しい人物だと推測する。もっと具体的に言うのであれば、親族や兄弟が最有力。次点で親友や付き人が挙げられるが、そもそも友人がいないえりなと、その付き人が緋沙子である時点で、それらの犯行である可能性は低かった。

 そこで恋は、えりなの両親については全く知らないことに気付く。数ヵ月程度一緒に料理を作った幼い時期も、ついぞ彼女の両親の顔を見たことはなかった。

 

「……そういえば、彼女の言葉に逃げ出したあの日以降……何故か彼女と会うことは出来なかったな」

 

 恋は今更ながら疑問を感じ始める。

 恋がえりなの嘘に傷つき、屋敷を飛び出していったあの日以降、恋はえりなに会おうとしなかったわけではなかったのだ。えりなが会いに行ったこともあったし、恋がえりなに会いに行ったこともあったにも関わらず。

 

 この学園で再会するまで、二人は一度だって面会することは敵わなかった。

 

 これは果たして偶然だったのだろうか? 

 

「……まさか、あの頃からずっと俺を彼女から引き剥がそうとしていた?」

「よぉ、黒瀬ェ……」

「! ……叡山先輩」

 

 すると、そこへ叡山枝津也が姿を現した。

 九席の座を剥奪され、停学中だと聞いていたが……早朝のこの時間だからこそ、誰にも見られずに外に出てくることが出来たのだろう。その姿はかなり憔悴しているらしく、オールバックにセットしていた前髪は重力に従って垂れ下がり、目の下にはうっすらとクマが出来ていた。

 この状況で恋に会いに来たということは、十中八九暴行事件に関することなのだろう。恋はそう考えて現れた叡山の前で足を止めた。

 

「随分やつれましたね……誰かに陥れられでもしましたか?」

「ハッ……その言い方からして、テメェを襲った奴は俺の指示じゃなかったってことくらいは分かってるみたいだな……あるいは、その黒幕が誰なのかも見当がついてんのか?」

「具体的に誰か、とはわかりませんが……怪しいのは薙切えりなの親族ではないかなと思ってます」

「ハン、その根拠は?」

 

 叡山は恋を試すように、恋の推測を訊く。

 それは恋自身の推測が当たっているのかどうかよりも、黒瀬恋という人物がどれほど出来る人間なのかを確かめるための質問のようだった。そもそも彼はこの一連の流れの全容を把握している……必要なのは、自分が扱える手札を把握することである。

 

 恋は叡山が現れた目的を考えながらも、自分の推測を語り出した。

 

「そうですね……第一に、俺に対する敵意が強いことからして、俺を狙うのは俺個人の行動に関することが原因だと考えました……中でも他の生徒と違う行動。可能性が高いのは、薙切えりなに近しい人物であることでしょう」

「ほぉ」

「第二に、俺への干渉は全てこの遠月学園内で起こっている。つまり少なからず学園に関係する人物が犯人です……卒業生か、学園運営か、生徒の親族か、講師か……まぁその辺でしょうけど、学園運営や講師であれば、俺を退学にするためにこんな周りくどい手段を取る必要はないし、わざわざ十傑を動かす必要もない。となると残るは卒業生か親族……先の条件も踏まえ、『薙切』という家柄を考えれば親族が最有力でしょう。同時に卒業生であれば、学園内のことも知っている分やりやすい」

「……それで、結論は?」

「今回の暴行事件を引き起こしたのは、薙切えりなの父親か母親……もしくは両方ではないかと」

 

 恋の結論を聞いて、叡山は疲れた目を閉じて少し深呼吸をした。

 そして楽しそうにクツクツと笑いだす。目を掌で覆い、嬉しそうに笑っている。

 

「クックック……クハハハハハッ……!! ああ、最高だ……黒瀬、お前が使える奴で良かったよ」

「……どういう意味ですか?」

「正解だよ。まぁ正確には彼女の父親が黒幕だがな……そして、俺を陥れた張本人でもある」

「……復讐でもする気ですか?」

「っ当たり前だァッッ!! この俺を誰だと思ってやがるッ!! 散々利用されて、コケにされたままで黙っていられるか!!」

 

 叡山が言うには、恋を襲った黒幕の正体は、薙切えりなの父親だった。

 恋はその事実を受け止めながらも、叡山の瞳に沸々と燃える憎悪と憤怒の感情を汲み取る。復讐に燃える叡山枝津也にそう問いかければ、癇癪を起こしたように叡山は怒鳴り声を上げた。

 

 傷つけられたプライド、貶められた地位、失った信頼、その全てが怒りと憎しみとなって叡山の復讐心へと変貌している。やつれていても鬼の様な形相は、彼自身が冷静ではないことを証明していた。

 

「安心しろよ黒瀬……今後俺がテメェに危害を加えるつもりはねぇ。どころか、お前を狙う黒幕を倒す手伝いもしてやるよ……だから、力を貸せ」

 

 今の叡山には、薙切えりなの父親に復讐することだけしか頭にない。

 そして恋にとっても都合のいい話だと言わんばかりに、叡山は恋に協力を要請してきた。自分を貶めた人物への復讐の為に、恋の力を利用しようというのだ。

 無論、協力することは別に問題ないし、恋とてこれからも何か妨害をしてくるのであれば、早いうちにケリを付けたい事案ではある。けれどここで叡山に力を貸すことが、事態を解決へと導く手になり得るとは到底思えなかった。

 

 復讐に囚われた男の手を取れるほど、恋は冷静さを欠いてはいないのである。

 

「お断りします……それに、今の先輩にはもう俺に危害を加えるメリットがない。であれば、協力を約束しなくても、俺には一切の損得勘定が発生しません……それに、いずれはぶつからなければならない相手です―――俺は堂々と立ち向かいますよ」

 

 叡山の横を通り過ぎていく。

 叡山は一瞬怒りの表情を浮かべたが、自分が今情緒不安定なことは分かっているのだろう。怒鳴ったかと思えば冷静に話し出すような、そんな状態が普通だなんて到底言えない。こんな話の持ち掛け方も、けして普段やってきた交渉とは天と地の差があるくらい稚拙だ。

 恋に断られることも、何処かで冷静な自分が分かっていた。

 

 だから項垂れ、その場で膝を突く。

 

「……薙切薊……それが名前だ」

「……ありがとうございます……まずはゆっくり休んだ方が良いですよ、叡山先輩。心も、身体もね」

「ハ……お前こそ、どんな恨みを買ったのか知らねぇが……精々気を付けることだ」

 

 最後に歩き去っていく恋の背中に、えりなの父親の名前を告げる。

 そして恋に気遣われたことでより惨めになったのか、最後は今までのような強気で冷静にそう返した。憔悴し切った自分では、碌な考えなど出来はしないと分からされてしまったのである。

 復讐心は燃えている―――だがあくまで冷静に、いつも通りに、策略と謀略と裏工作を張り巡らせて、少しずつ相手を追い詰め圧し折るのが彼のやり方だ。

 

 恋は去り際に叡山に言われた言葉を思い返す。

 

 

「どんな恨みを買ったのか……確かに、どんな恨みを買ったんだろうなぁ……」

 

 

 えりなの父親が黒幕だとしても、恋にはその恨みを買うだけの心当たりがなかった。

 

 

 

 




次回からスタジエール編に入ります。

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