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四十七話
それから数日が経ち、秋の選抜の興奮も段々と落ち着いてきた頃に、一年生の中には一つの話題が挙がっていた。
此処まで授業での課題に加え、地獄の強化合宿、数々の食戟、そして秋の選抜と、多くの壁を乗り越えてきた生徒達。だが、それはあくまで前提として食べてくれる講師や審査員がいることや、本物の客への対応やサービスに触れない課題であったことなど、個々人の料理スキルを測る課題が殆どだった。
つまり現在一年生達の中には、創真やアルディーニ兄弟の様に、現場で客を相手に料理を作るような経験をした生徒は少ないのだ。
そこで、秋の選抜を終えて明確な実力差を認識し、更なる競争意識が高められたこの時期に、新たな試練が立ちはだかってきたのである。
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日本に存在する、遠月とコネクションを持った料理店へと期間限定で生徒を派遣し、現場での仕事を経験させる試験である。その料理店のレベルは一般の大衆料理店から、高級レストランまで様々。店舗によってそれぞれやることは違うし、問題を抱えていることもあるが、ある程度実力を付けた生徒達を現場へと放り込むことでその空気を経験させるのだ。
無論、役に立たなければ遠月の看板を傷つけたとして退学。
また、何か一つ目に見える実績を残せなくても退学だ。
生徒達は現場でプロから何を学び取るのか、そして店のクルーとして店に何を出来るのかを考えることが求められている。
「スタジエールねぇ……最近汐見ゼミに入り浸ってるかと思えば、そんな話が出てたのか」
「へへ、まぁな。葉山には色々デカいこと言っちまった手前、ちょっと気まずかったけど……選抜でアイツが作ったカルパッチョ、食ってみたくてよ」
「でもここの所毎日行ってるよね、創真君」
そして此処極星寮でも、話題はスタジエールのことで持ち切りだった。
選抜が終わり、恋が復帰するまでの三日間、創真はどうやら優勝者である葉山の下へと赴いては、自分だけの料理について色々と模索していたらしい。恋が戻ってきてからも毎日の様に汐見ゼミに赴いては、帰ってきた後、恋に色々質問してくるようになったので、彼なりに殻を破ろうとしているのだろう。
今日はそんな慣れたルーティーンの中でスタジエールに付いて汐見潤から聞いてきたらしく、それを恋にも共有していた。
寮の厨房でメモを片手にする創真と話しているのは、恋、恵の二人である。
「黒瀬、この野菜の切り方のアッシェ、シズレ、コンカッセの違いってなんだ?」
「アッシェは繊維に関係なくみじん切り、シズレは一定方向に形を揃えて刻む、コンカッセは粗く刻む粗みじん切りだ」
「なるほど、え、じゃあこのジュリエンヌってのは?」
「千切りのことだな」
「ふむふむ……てか、スタジエールではなんか、目に見える実績を残さなきゃいけないってのが気になるよなぁ」
メモには何処かで集めてきたのか、フレンチの調理技法の名称や香辛料の名前など、選抜が終わってから勉強してきたことが書いてあるらしく、それの詳細を恋に聞いている創真。恋が復帰してからは、毎日こんな調子で恋に自分の知らないことを聞いては、新たな技を身に付けようとしているのだ。……
その吸収力も非常に高く、恋としても教えたことを少しずつ身に付けていく創真は、教えていて気持ちがいい生徒である。
スタジエールの話に戻り、創真の言葉に恋は少し考える素振りを見せた後に、口を開いた。
「まぁ合宿の時の延長なんだろう。一つの店のクルーになる以上は、店に何が出来るのかが大事……自分がその店に不可欠な要素足りえるか、また与えられるかを証明することが、実績ってことなんじゃないか?」
「んー……なるほど」
「な、なんだか自信なくなってきちゃうなぁ……不安になってきたよ」
「田所なら大丈夫だろ、普段通り、自分が良いと思ったことをやればいいんじゃね?」
「創真君……うん、頑張るよ!」
創真の言葉に表情を緩ませる恵。
復帰してから随分と距離が近くなったな、と思う恋だが、そこに無駄に足を突っ込むつもりもない。ただ微笑ましいものをみたとばかりに笑みを浮かべるばかりだ。
そしてスタジエールに付いて考える。
恋としても、料理技術にはそこまで不安はないし、店のレシピがある以上遅れを取るつもりもない。
だが味覚障害者、という肩書が店に不信感を与えないだろうか、という一点に付いては少々気がかりである。
「……ま、なるようになるか」
「それにしても、黒瀬って何でも知ってるなぁ。フレンチ、イタリア料理、中華、和食、スパイス……ここ数日色々聞いてきたけど、全部スラスラ答えてくれるから恐れ入ったわ」
「う、うん! 遠月にはそれぞれ得意な分野に特化した人は多くいるけど、ここまで高水準でオールマイティに知識と技術を身に付けている人はそういないと思う!」
「まぁ……我武者羅に身に付けてきたからな。それに、どんな料理でも料理の基礎は変わらないからな……切る、熱する、冷やす、混ぜる……そういった一つ一つはどんな料理でも一緒だから、基礎を突き詰めれば万事に通用するんだ。知識は後から幾らでも詰め込めるしな」
「はー、言ってることはわかるけど、実際にやるってなったら随分難しいぞそれ」
「そこは俺の努力の賜物だよ、ハハハ」
笑う恋に、創真と恵は改めて目の前にいる料理人の格の違いを思い知る。
才能ではなく、狂気染みた反復練習と努力で殻を破った料理人。包丁を握れば、何か作りたいと工程をすっとばして料理に入るのが普通なところ、恋は料理を作る前に包丁の握り方一つから積んできたのだろう。
幼い頃からやんちゃだった創真からすれば、当時それが分かっていても到底真似することはできなかったと確信出来た。
「おしっ! ……もっと教えてくれ、黒瀬!」
「ああ、いいよ」
「このポシェってのは―――」
創真は更に気合いを入れて恋に質問していく。
聞いても分からなかったことは実際に実践で教えてもらうことで、着実に身にしていく。恋のお手本の様に完璧な仕事でやって見せて貰えれば、嫌でも理解していく創真。恵も中等部で習ったことを復習しながら、恋がやって見せることで更に知識を深めることもあった。
研鑽は続く―――そして、スタジエールが始まろうとしていた。
◇ ◇ ◇
そしてスタジエール当日、生徒達は配布された書類に記載された店に向かう。
最初の店舗だからか、まずは単独ではなく二人一組で挑むらしく、まずは現地の最寄駅で待ち合わせをしてから、揃って料理店に向かう形となっていた。
恋も事前に配布されていた店へと向かうことになっており、現在その最寄り駅で待機している。その他の面々から個人的に聞いた話では、どうやら創真と緋沙子が同じ大衆料理店へ、えりなと恵も同じレストランと、意外にも近しい人物同士でペアが組まれているらしい。実力のある生徒がない生徒と組んで足を引っ張られた結果、退学……そんな事態を避ける為の組み合わせなのかもしれない。
葉山や黒木場、アリスに関しても、少なくとも選抜予選に選ばれていた生徒がペアになっているらしい。まぁ二店舗目からは一人でスタジエールに向かう以上、同じ境遇の生徒が他にもいることは緊張感を和らげる効果を期待しているのかもしれない。
「緋沙子あたりは今頃驚いているかもな……幸平のことは認めてないみたいだし」
くつくつと小さく笑いながら、スマホに送られてきた友人たちからのメッセージを見る恋。すると、そこへ恋のペアになる人物がやってきたらしく、ガラガラとキャリーバックを引く音が恋の傍に近づいてきた。
視線を向ければ、そこには恋も顔を知っている人物が立っている。恋の姿を見て、少し驚いているようだった。
「や、話すのは初めてだよな。黒瀬恋だ、よろしく……アルディーニ」
「……ああ! タクミ・アルディーニだ。タクミでいい……君とペアになるとは驚いたが、嬉しいよ。こちらこそよろしく頼む!」
やってきたのは、タクミ・アルディーニだった。
本戦第一回戦で美作に敗北した彼の姿を恋は見ていなかったのだが、顔付きを見ると吹っ切れているらしく、敗北を引きずっている様子はなかった。寧ろ恋とペアになったということで、よりやる気に満ち満ちている様子だ。
握手を交わして自己紹介をすると、タクミは少し真剣な表情になる。
「……選抜の後、美作からメッザルーナの返却があった。君から返すように言ってくれたらしいな……ありがとう」
「俺は美作に助言しただけで、包丁の返却は結果的にそうなっただけだよ」
「それでもだ……だが、俺は美作に敗北して己の未熟を思い知った。だからこそ、俺は己が納得する成果を上げるまで、メッザルーナは使わないと決めたよ」
「……成果っていうのは?」
「―――美作に勝つ。そして、己の弱さを克服するんだ! ……俺は今まで無意識に君に劣等感を抱いて、接触を避けていた。全部美作の言ったとおりだったんだ……そんな意識では、遠月の頂点どころか幸平に勝つことだって出来はしなかった」
タクミは美作に敗北したことで、己の弱さを思い知っていた。
幸平創真にライバル意識を抱き、彼に負けないよう研鑽を積んできた自負の裏に、自分より強い者への逃避心を押し隠していたこと。そしてそれを指摘されて言い返せなかった自分の弱い心。
それがどれだけタクミの自信とプライドを打ち砕いたことか。
そして味覚障害者である恋が美作のトレースを越えて勝利した瞬間、己の怠慢を自覚させられたのである。
「黒瀬恋……俺は君に敬意を表する。君の技術も、知識も、料理人としての格も、全ては才能に恵まれなかった君の努力に裏付けされたものだ……俺は自分を恥じたよ。今は勇気をもって君にこう言わせて貰いたい――――君にも、負けないと!」
だからこそ今のタクミは、創真と同じだ。
己の限界を知った今、自分自身の殻を打ち破る闘志に満ちている。
「……俺も尊敬しているよ。君は優れた料理人だ」
「むぐっ……! ご、ごほん! そうストレートに言われると調子が狂うが……ま、まぁ良い。このスタジエール中、よろしく頼む」
「ああ、じゃ……店に行こうか。場所は分かるか?」
「あ……え、えーと」
「ははっ、そう慌てなくていいよ。こっちだ」
「ぐぅ……すまない」
とはいえ人間的にはまだまだ青いらしく、恋の器の大きさにたじたじになるタクミ。なんの取り繕いもなくストレートに褒められることに動揺するタクミを、恋は笑みを浮かべながら落ち着かせる。
書類を取り出して慌ただしく店の場所を確認しようとするタクミの肩を叩き、指を差して道を示しながら先を歩き出せば、タクミは肩を落として付いてきた。
クールなやりとりを想定していたようで、自分の滑稽な反応に羞恥心を抱いているらしい。
「今回、どんな店なんだろうな」
「あ、ああ……遠月のコネクションだからな、相応のレストランかもしれないな」
「逆に大衆料理店だったらタクミの得意分野だろう? その時は頼りにしているよ」
「フッ、任せてくれ。その際は、トラットリアアルディーニで鍛えた実力を存分に見せてあげよう!」
「……お、あそこだな」
そんな話をしながら歩いていると、駅に近い場所にある店だったのか、すぐにその店の姿が見えてきた。
タクミは恋が指を差した先を見ると、そこには高級料理店ではなく、一般の客が入るような店構えの店があった。遠目から見てだが、赤と緑色を使った看板からどことなくイタリアンな雰囲気すら感じられる。
直前の会話から、イタリアンの大衆料理店ではないかと期待したタクミは、表情をぱぁああっと明るくした。
「どうやら今回のスタジエールは俺の独壇場になりそうだな! 黒瀬恋!」
天狗の様に鼻を伸ばして自信満々にそう言うタクミに、恋は苦笑しながらも店に近づいていく。すると店の中からウェイトレスなのか、制服を着た女性が看板を手に出てくるのが見えた。店頭で呼び込みでもするのだろうか、と思った瞬間――恋はその店がどんな店なのかを理解した。
未だ背後で自信満々に胸を張っているタクミに、恋は告げる。
「残念だなタクミ、俺達のスタジエールはどうやらイタリアンじゃないみたいだぞ」
え、と思いながらタクミも店の前に出てきたウェイトレスを見て、その店の詳細を理解する。ピシッと石化したタクミを置いて、恋は苦笑した。
店頭に出てきたウェイトレスが声を出し始める。
「―――従者喫茶『Love☆STERLING』ですぅ♪ ご主人様ぁ♡ どうぞお立ち寄りくださいませぇ~!」
甘ったるい声、フリフリの白黒衣装、カラフルに彩られた看板を掲げる姿。
恋は思い返せば、その可能性があったことを認識する。最寄り駅はJR山手線『秋葉原』駅で、駅の近くにある店舗であり、そして看板がカラフルな色使いの店。
更には店頭で呼び込みをしているメイドが居れば嫌でも理解出来た。
「……メイド喫茶、か……?」
「いや、従者喫茶って言っているから……多分メイドだけじゃなく、執事もいるだろうな」
予想の遥か斜め上の店だった。
こうなると、恋とタクミ……常人より顔立ちの整ったメンズが選ばれていることにも、少々隠れた意図を感じざるを得ない。というより、執事がいてもメイドがメインであろう店に派遣する生徒が、どちらも男子というのは如何なものだろうか。
顔を見合わせた二人。
恋は小さく溜息を吐き、タクミは頭を抱えた。
「いらっしゃいませぇ~……あっ! もしかして、遠月の生徒さんですかぁ? わぁ、イケメンさんですねぇ~! ご案内しますぅ♡」
そんな二人に気付いた呼び込みメイドが声を掛けてくる。
頭を抱えるタクミを他所に、全力で違います、と言いたい恋であった。
スタジエール編はコメディです。
頭を空にしてお楽しみください。
感想お待ちしております✨
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