ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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五話

 極星寮で迎えた二度目の朝。

 

 本日より一年生達は遠月学園の授業を開始するようになる。

 遠月の授業では、既にある程度の調理技術を会得していること前提で進行する故に、その授業毎に毎回課題料理がある。その課題料理を作り、その完成度で成績が付くのだ。

 成績次第ではその授業で自分が退学になることもあり得るので、この学園の卒業到達率が極僅かなのも頷けるシステムだ。

 一瞬も気が抜けない。文字通り見た通り、この学園は己を研鑽し続けなければ捨石と成り果てる戦場である。

 

 そんな戦いの初日、恋は新しい制服に身を包みながら一つ欠伸。そして荷物を準備、味覚障害の治療の為に常備している亜鉛やビタミンのサプリメントもしっかり入れておく。

 なってから既に数年経っているけれど、医者曰く舌の活動は正常に近づいているらしい。といっても自分の感覚では未だに味が感じられないのだが。

 

 いつものことかと思い直し、恋は部屋を出る。そのまま廊下を歩いていくと、偶然にも寮の生徒に出くわした。

 

「おや? 君は……新しく入った黒瀬恋君だね! こんな時間に早起きとは感心だね!」

「おはようございます。編入生の黒瀬恋です……よろしくお願いします」

「おはよう! うんうん、挨拶は大事だよね――っと、自己紹介が遅れたね。僕の名前は一色慧、この遠月学園の二年生さ!」

 

 出くわしたのは、この寮に住んでいる先輩――一色慧だった。

 何故か裸エプロンを着用しているのだが、恋は今までの経験上こういう人間もいるだろうと軽く受け止める。また、彼の裸エプロン姿が妙に堂々としていたこともあったのだろう。

 

 軽く会釈する恋に、腰に両手を当てて人の良い笑顔を浮かべる。

 

「昨日の夜に創真君とも挨拶をしたんだが、君はすぐに眠ってしまったからね! 追々挨拶しておこうと思っていたけれど、こんなに早く会えるなんて嬉しいよ!」

「すいません、昨日は色々あったので疲れてしまって」

「仕方ないさ、編入生挨拶ではかなり盛大にやらかしたようだしね! 見てたよ、君の堂々とした挨拶を! 極星寮の生徒たるもの、あれくらい青春しないとね!」

 

 どうやら二年生であっても入学式を見ることはあるらしい。何処で見ていたかは分からないが、こうなってくると他の二年生もあの挨拶を見ていた可能性は否めないだろう。

 しかしそんなことをする物好きな二年生は、総じて厄介な人物に違いない。新入生を観察するということは、新入生の中でも飛び抜けた人間がいるかどうかが気になるということだ。

 その目的としては、新入生潰しをしたいか――もしくは悪意なく親交を深めておきたいか、だろう。そう考えた恋は目の前の妙な先輩を見て、なんとなくこの先輩は大分強かそうだと感じた。

 

 とはいえ、この人の良さそうな先輩だ。今の所は何か害を与えてくるようなことはないだろう。

 

「さ、まずは朝食にしようか! ふみ緒さんがもう準備を終えてるはずだよ。一緒にご飯を食べれば僕たちはもう同じ寮の仲間だ!」

「……そうですね、丁度お腹が空いてきたところでした」

 

 味は感じられないが、とは言わないけれど――恋は先を歩く一色慧の後を付いていくのだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 極星寮に現在住んでいる生徒は、恋も含めれば十人。男女比で言えば六対四と言ったところだ。だがしかし、一色の話によれば、同時期に入って来た幸平創真は既に顔合わせが済んでいるらしい。

 大広間に入ると、既に起きている生徒がいた。女生徒で黒髪三つ編みの少し大人しそうな子だ。人見知りなのかは分からないが、恋の姿を見ると少し緊張したように佇まいを正している。

 

 恋は正直、女子という生き物に対する正しいコミュニケーションの取り方をよく知らない。乙女心というものは、男子的に中々理解が及ばないものなのだ。

 とどのつまり何が言いたいかと言えば、二人して緊張状態である。一色が二人を見てうんうんと深く頷いているのが、なんとなく癇に障った。

 

「青春だね!」

「先輩は恋愛経験がおありで?」

「それじゃ朝食にしようか! ふみ緒さーん!」

「……誤魔化したな」

 

 一色慧、真偽は定かではないが恋愛経験は無いようだ。もしくは思い出したくない何かがあったのか。追及される前に一色は広間を出て行ってしまった。

 広い空間に二人残されてしまった恋と三つ編み少女。とりあえず視線が合ったので、恋は頬を指で掻きながら困ったように少女の前に座る。

 

 そうして、どう話したものかと考えていると――少女の方が声を上げた。

 

「あ、あの! 私、田所恵って言います! く、黒瀬恋君、だよね?」

「あ、ああ……田所さん、ね。なんで俺の名前――ああ、編入生挨拶か」

「うん。あ、あのね、私黒瀬君の挨拶聞いて、凄いなって思ったんだ。大勢の人の前であんなに堂々と話すなんて、私には出来ないもん」

 

 少女の名前は田所恵。どうやら恋のことは編入生挨拶で知っているらしい。

 二人の間にある共通の話題が編入生挨拶だけとなると、自然と話題はそこへと集約する。田所はとりあえず自分の思ったことを話そうと、身振り手振り挨拶の時の感想を述べてきた。

 恋としては普通の宣戦布告をしただけだったが、田所恵という少女からすれば凄まじい出来事だったようだ。

 尊敬するとか、凄いだとか、放置しておけば田所はエンドレスで恋を褒め称えそうだったので、とりあえず恋は苦笑して止めることにする。

 

「まぁとりあえず、改めまして……黒瀬恋です、よろしく田所さん」

「あ、ごめんね私ばかり話しちゃって……よろしくね!」

 

 田所恵という少女の人となりはなんとなく理解出来たので、恋も必要以上に肩の力を入れないことにした。

 

「田所さんはやっぱり中等部から上がって来たエスカレーター組?」

「あ、うんそうだよ」

「そうか……やっぱり遠月の授業は厳しいのかな?」

「そうだねー……中等部では座学での栄養学とかあったから、高等部程じゃないだろうけど……私からしたら凄く厳しいところかなって思うよ」

 

 成程、なんて思いながら恋はふと大きく溜息を吐いた。

 田所恵の実力が如何程の物かは分からないけれど、それでも一生徒からすればかなり厳しいカリキュラムとなっているようだ。話だけ聞けば憂鬱になる話である。

 

 と、そんな風に話していれば会話も弾み、お互い打ち解けられたらしい。数分後、創真や他の極星メンバーが起きてくる頃には、緊張することなく会話することが出来ていた。

 そして一色が寮母のふみ緒の下から帰って来ると、相変わらず裸エプロンのまま恋に声を掛けてきた。

 

「ご飯の前に恋君! 君にお客さんが来ているよ。玄関で待っているから、行っておいで。まだ朝食が出来るまで時間があるから」

「え、あ、はい」

 

 朝食前にお客さんのようだ。

 恋は既に騒々しく談笑し始めている極星メンバー達から離れ、広間を出ていく。玄関はかなり広い故に、広間からも近い。

 廊下を歩いて朝の若干涼しい空気を肌で感じながら、恋は言われた通りお客とやらが待っている玄関へと辿り着く。

 

 すると、其処には思い掛けない来客が居た。

 

「!」

「ぁ……え、えと、おはよう?」

「あ、ああ……おはよう……で、何用?」

 

 居たのは恋自身も気が付いていない恋の想い人、薙切えりなその人だった。

 一人で来たのか新戸緋紗子の姿は見えず、なんとなく居心地悪そうにその大きな胸の下で腕を組みながら視線を彷徨わせている。

 注意深く観察してみると、制服姿は先日も見たものの、なんとなく今日の彼女は小綺麗に見えた。本来素のままでも美人なえりなではあるが、今日は軽く化粧をしているのかもしれない。もしくは恋の想い人補正が掛かっているのかだ。

 

 ともかく、えりながわざわざ一人で恋を訪ねてくるなど思いもしなかったので、ぎこちなく用件を尋ねる。

 

「あ、あの、なんというか、こういうことは早めにすっきりさせておきたいというか、舌の奥の更に下の辺りがもやもやして気分が晴れないというか、なんだか気持ち悪くて眠れないというか、だからその……」

「うん」

 

 キョロキョロと視線を動かしながらえりなは早口に捲し立てるが、しかし肝心な内容は全く伝わってこない。内心ものすごくパニックになっているらしい。

 上手いこと言葉が出てこないのか、素直に言葉に出来ないのか、ソレは分からない。けれど、どちらにせよ緊張しているのは目に見えて分かった。

 

 とはいえ昨日の今日のことだ。きっと昨日の喧嘩の様な言い合いを気にしているのだろうということは、恋にも理解出来る。というより、それしか思い当たらなかった。

 だから、恋の方から口火を切ることにする。

 

「昨日はその、悪かった。多分君のことだから、悪意で言ったんじゃないってことは分かってる。君は素直じゃないからな」

「あぅっ……その、私の方こそごめんなさい。貴方のソレは貴方のせいじゃない……それに、私が言ったことはきっと貴方も承知の上だと思う」

「ああ、理解して苦しんで、悩んで……それでも諦めきれなかった」

 

 えりなは先に恋に謝られてしまって、肩を落としながら返すように謝った。プライドも、体裁も関係ない――友人との仲直りに、神の舌も家柄も関係ないのである。

 恋もえりなも、お互いのことはそれ相応に理解している。元より互いが互いを傷つけたいわけではないのだ。寧ろ大切に想っているからこそ、傷付けない様にして、紡いだ言葉はやはり互いを傷つける棘を持っている。

 

 そんなものだ。幼馴染という王道ラブコメワードを踏まえれば、友達以上恋人未満な二人。相思相愛かは別として、大切な存在に触れるには互いに傷付け傷付けられる覚悟が必要なのである。

 

「まぁ必死に追いかけて来たんだ、今更止められない」

「……でも、昨日言ったことは変えられない事実だわ」

「……」

 

 事実は事実、そう告げてくるえりなだが――だが昨日と違ってその言葉には続きがあった。

 照れくさいのか頬が若干紅潮し、ぐぬぬといった表情で少し唸った後、いつも通りのお嬢様的な振る舞いをしながら、尻すぼみにこう言ってきた。

 

「それでもまぁ……応援、してあげる……こともなくもないけど」

 

 語尾が小さくなるのはご愛嬌なのか、狙っているのか、なんだか小さい子供の様で可愛くて、恋は噴き出すように笑う。

 

「も、もう! 笑わないでよ!」

「ごめんごめん……でもまぁ、俺の進む先に君がいるのも事実だ」

「……ええ、そうね」

 

 少しだけ和らいだ空気を引き締めるように、恋とえりなは見つめ合う。

 今の二人は友人であり幼馴染という関係でなく――一料理人同士の関係だった。交差する視線には、友情等の感情を抜きにした緊張感。

 

「だから多分、いつか君に食戟を挑むと思う」

「……そうなるのかしらね」

 

 恋の目的は、えりなの幸せな笑顔を自分の料理で作ること。その為にはえりな自身を超えた料理人になることが必須事項だ。その為にはいずれ彼女と対峙することになる。

 ならば、この学園のあのルールはかなり便利だろう。食戟なんて分かりやすいルールがあるのだ、利用しない手はない。

 

「俺は君に勝つよ」

「あら、私に勝つならもうニ、三世紀くらい時間が足りないんじゃないかしら」

 

 えりなと恋はそう言って笑う。仲の良い友達の様に、楽しげに笑う。

 料理人として争うのは仕方のないことだ。料理人という人種は常に進化を止められない生き物なのだ。それは時に、お互いに鎬を削って高め合うことにも繋がっていくのだろう。

 

 

 こうして恋とえりなは、仲直りするのだった。

 

 

 




友人以上恋人未満

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