ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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五十二話

 ―――どうなってるんだ!? コイツは!!

 

 四宮の指示でアベル、リュシ両名のサポートを兼任し始めた黒瀬恋の動きに、アベルは困惑を隠せずにいた。

 客の食事ペースはそれぞれ違う。早く食べ終わる者もいれば、話に夢中で食事のペースはゆっくりな者もいる。だからこそ作る料理の順番はその都度変わるし、臨機応変な動きが求められるのが普通だった。

 

 東京支店のプレオープン初日。

 誰よりも、それこそ店の看板である四宮以上に気合いを入れてきた。コンディションも最高で、張り詰めた緊張の中でもテンションだけは高く保っていた。今までで最高の料理が作れると思うほどに調子が良かったのだ。

 なのに、黒瀬恋のサポートを受けると此処まで違うのかと思い知らされる。

 

 完璧なタイミングで欲しいものが欲しい動線に置かれている。アベルとリュシでは調理工程も速度もリズムもバラバラなのに、それを同時に把握してサポートをしきっているのだ。

 それは同時に、客の状況を誰よりも早く把握していることに他ならない。

 高唯の中継報告を受けて、出した料理が完食されるまでの時間を把握して、どのテーブルがどんなペースで食べるのかを把握し切っている。故に彼の中では行動の優先順位が明確になっているのだ。

 

「二番テーブル、ペース早いです。肉料理すぐ出せますか!」

「下処理終わってます」

「リュシ、五番テーブルの料理は?」

「あとは仕上げだけデス」

「黒瀬に任せて三番テーブルに取り掛かれ」

oui(ウィ)chef(シェフ)

 

 高唯からくる緊急の要求にも、まるで想定していたかのように最大限の仕事を終えている。遂には調理工程の一部を任されるまでその手を伸ばしてきている。

 スムーズに流れる仕事の流れ、突然の要求が来ようと動揺することなく対応できる確信が厨房にあった。

 

「(こんなに、余裕が生まれるものなのか……!?)」

 

 料理を作っているのは四宮達、本店料理人達だ。

 けれどこの流れを作っているのはスタジエールである黒瀬恋のサポート。厨房の仕事から無駄が消えていき、全員の集中状態がどんどん料理だけに向けられるようになる。

 

 結果、東京支店プレオープン初日にして、本店で出している料理以上のクオリティがコースで並んでいた。

 

 やりやすく、作業に停滞がない。無駄な工程が省かれ、次の工程に移るための準備が全て終わっていることが、こんなにも楽だとは思わなかった。

 

「(黒瀬……こんなのが学生の領域だと!? 冗談じゃないぞ……!!)」

 

 アベルは黒瀬のサポートを受けて作業に余裕が生まれたからか、恋に対する動揺が集中を乱し始める。

 尊敬する四宮小次郎という料理人から、東京支店の料理長を任されたことを誇りと思っていた故に、本営業前にスタジエールにこのまま良い恰好をさせて堪るかと思ってしまったのだ。

 

 故に、余裕があるといっても気の緩みは許されない現場では致命的な雑念を抱いてしまった。

 

 ―――ガシャ……

 

「(しまっ―――!!)」

 

 雑念からアベルの手元が狂い、調味料のビンが調理台の上から落ちた。

 床に落ちればビンは割れて、足元に散らばるだろう。そうなれば清掃に手間が掛かり、余計な時間を食ってしまうのは明白―――本店であればスタッフにも数がいるし、研修スタッフ(スタジエ)が邪魔にならないよう清掃に入ればまだ何とかなった。

 だが今この東京支店では三人の料理人と、黒瀬というスタジエールだけ。

 

 このプレオープンにこの店の前途が懸かっている今、このミスは致命的過ぎる

 

 ゾワッと心臓が収縮するような感情が身体を走り、落ちていくビンがスローモーションに見えるほどにアベルは血の気の引く思いだった。

 

「―――タマネギ(Échalote)シズレ(ciseler)、終わりました。チェックを」

 

 だが、その落ちていくビンを空中でキャッチした手があった。

 同時に視界に入ってくる皿の上に、これから作らねばならない料理の下処理済み食材が乗っている。

 

「っ……あ、ああ、大丈夫だ。そのまま進めてくれ」

「oui」

 

 黒瀬恋の手だった。

 動揺で心臓が大きく脈打つのを感じながら、彼の持ってきた下処理のチェックをし、そのまま次の工程へ進むことを指示する。恋は返事を返してすぐに次の行動に移っていき、気づけば調味料のビンはまるで落ちたことなどなかったかのように、調理台の上に戻っていた。

 

 助けられた、そう理解するのに一秒掛かった。

 

「くっ……!」

 

 反省し、今はこの店の為に何が出来るのかを考えるべきだろうがと自分を叱責。再度調理に意識を集中させ、今はより良い料理を作ることだけを考えていく。

 恋のサポートのおかげで対応に余裕があったことが幸いした。アベルの動揺による影響はほとんどなく、スムーズな流れは途切れない。

 

「四番テーブル、到着遅れるそうです」

「一番テーブル魚料理を先にやります」

 

 突発的な要求を持ってくる高唯の表情にも、焦りの色が一切浮かばなくなっている。

 報告を受けた恋が即座に流れをスイッチするからだ。四宮もリュシもアベルも、恋の選択に合わせて行動を変化させていく……それが一番最適解であることを、恋の行動から理解出来るからだ。

 

 SHINO,s本店で働く一流料理人だからこそ、恋の行動の意味をすぐに理解し、次の行動を変化させることに何の躊躇いもない。疑問すら抱けないほど、それが最適の流れだと確信出来た。

 

「!」

ありがとう(Merci)

 

 リュシは既に恋に口で指示を出すことすらしなくなった。

 目で訴えれば、恋は即座に応えてくれると確信しているからだ。調理工程の中で恋にアイコンタクトを送れば、欲しい場所に欲しいものが出てくる。調理が一切止まらないことが、リュシの調子が良くなっていることを証明していた。

 

「黒瀬、七番テーブルの前菜の下処理は済んでるな? そのまま完成まで作れ」

「oui,chef」

 

 四宮の調子も良いことは、長年付き添ってきたアベルなら直ぐに分かる。

 今までにない厨房の空気感。四宮が気に掛けなければならない情報が激減したことで、四宮自身も最低限の指示を出すだけで、あとは料理に集中出来ているからだ。

 プレオープン初日も終盤になった頃には、肉、魚料理とまではいかないが、前菜やデザート、スープ料理であれば、手が回らない時に恋に任せることも普通になっていた。

 

 恋もまたその指示に対して即座に行動に移り、ルセットを完璧に仕上げて見せる。

 しかもその調理工程の中でも最低限のサポートを同時並行で行ってみせた。

 

「(とんでもない並列処理能力(マルチタスク)……一体どれほどの努力を……!)」

 

 アベルは既に恋を学生、スタジエールだなんて思っていなかった。

 自分達と肩を並べることの出来る料理人であると、そう認めていた。

 

 そしてプレオープン初日は、そのまま一切の不安もトラブルもなく、大成功を収める。

 

 最早この厨房で黒瀬恋を認めない者など、いなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「はぁ……はぁ……ふぅー……お疲れ様でした」

 

 初日の営業が終わり、スタッフが厨房に集まった時点で、恋は消耗激しく息を乱していた。当然だろう、サポートをこなしながら終盤は一部の料理を担当していたのだから。

 その場にいたスタッフは勿論、四宮達料理人の中にも、汗を滲ませながら息づく恋に、文句を言う者はいなかった。

 

 四宮に向かい合うように、アベル達料理人が立ち、横にホールスタッフが控える形になる。恋もアベル達同様四宮の前に立っていた。

 

「プレオープン初日はこれ以上ない手応えだった。特にこれといったトラブルもなく、客からの評判も最高評価が多い。この調子で、明日以降もプレオープン最終日まで頼む」

『oui! chef‼』

 

 四宮の言葉に、スタッフ全員が一斉に返事を返す。

 その後ホールスタッフが退出していき、残ったのは四宮達料理人と、ホール責任者である高唯だけになった。意図的にこのメンバーを残したのだ。

 アベルやリュシは四宮の意図を理解しているらしく、?を浮かべながら汗を拭う恋を放置して重い表情をしている。高唯もその心情を察しているのか、大成功に終わったというのに表情は重かった。

 

 四宮が口を開く。

 

「……分かってると思うが、今日の成功は黒瀬がいたからこそ出来たことだ。アベル、リュシ……この事実をどう思ってる?」

 

 四宮を含め全員が理解しているのだ。

 この大成功の要因は恋のサポートがあったからで、恋は本来この店のスタッフではない。スタジエールで来ているだけであって、本営業時には彼のサポートは存在しないのだ。

 

 にも拘らず、プレオープンで普段以上の味を作り上げてしまった。

 本営業時に今日の客が来たとして、味が落ちたと言われてしまえばこの店の未来はどうなるだろうか? 四宮の東京進出は失敗に終わるだろう。

 

「正直……甘く考えていました。この一日で、黒瀬はこの店に不可欠な存在になってしまった……情けなく思います」

「私もダヨ、今日は普段以上のパフォーマンスが出来たと思う。けど、それは黒瀬がいなくちゃ出来ないことだと、そう思われたくはないナ」

 

 アベルもリュシも、己が作った今日の料理を、恋がいなくても作れなければならない。それはつまり、恋が今日埋めてくれた無駄に気付かなければならないということだ。

 四宮もまた、それらの言葉に頷きを返す。

 

「その通りだ。それにアベル、今日は黒瀬に救われたな? 中盤、お前の意識は散漫になっていたな……そこから立て直したから良しとしただけだが、本来なら叩き出していたところだ」

「……oui,chef……申し訳ありません」

「……だが、裏を返せば俺達が出せる料理はまだ成長出来るということだ。全員頭にしっかり刻み込んどけ。黒瀬はあくまでスタジエールだ! 最終日まで黒瀬におんぶにだっこな状態を続けるようなら、お前らにSHINO,sの厨房に立つ資格はねぇ!」

「「「oui! chef!!!」」」

 

 四宮の言いたいことは明快だった。

 黒瀬恋のサポートがなくとも、今日の味を出せるようになれということ。最終日までに成長しろということだ。

 あまりにも黒瀬のサポート能力が高かったことで、四宮達は自分達のポテンシャルを最大限発揮する経験を得た。ならば次はそこをデフォルトで叩き出せるようになるように、成長することが必須事項。

 

 東京支店の成功とは、今後も継続的に高い評価を得続けることでしか得られないのだから。

 

「そして黒瀬……今日は良くやってくれた。だが初日でその消耗、最終日までもつと良いな? 今後も継続して今日のサポートが出来ないなら、店の人材としてはまだまだだ。料理人として、店を営業し切るスタミナを身に付けろ」

「はぁ……はぁ……すぅ……はい、明日以降もよろしくお願いします」

「よし、じゃあ店を閉めるぞ。明日以降も抜かるな」

『oui,chef!!』

 

 四宮の締めの言葉で、全員が再度気を引き締める。

 そして先に四宮が厨房から出ていくと、厨房にあった緊張感がふっと緩んだ。

 

 恋がは、と息を吐くと、突然ガシッと肩に腕が回される。

 

「!」

「すっっっごいじゃないカ! 黒瀬ぇ! 今日は大活躍だったナ!!」

「ええ、ホールも料理が安定して出てくるからバタつかずに済んだし、本当にやりやすかったわ」

「リュシさん、高唯さん」

 

 腕の先を見ると、そこにはキラキラした瞳で笑うリュシと、微笑みを浮かべた高唯さんがいた。先程までの重い表情とは一転したテンションの高さに、恋は呆気に取られる。

 良くも悪くも、引きずらないということなのだろうか。反省は反省として、切り替えることが出来る彼女達を、恋は素直に尊敬した。こういう時に、やはり自分よりも幾年経験を積んだ大人なのだと再認識させられる。

 

 外国人故にかなりフレンドリーにスキンシップを取ってくるリュシさんだったが、恋はそういう人種にも慣れているので悪い気はしていない。褒められたことに素直に笑みを返した。

 

「ああ言っていたケド、四宮シェフがあんなに人を褒めることはないんダゾ! 本当に凄い料理人ダヨ! そうだよね、アベル!」

「……ああ」

 

 リュシが興奮したようにアベルに話を振ると、アベルもまた恋を見て小さく頷いた。彼の方は反省を引きずっているのか、未だに少しやるせなそうな表情を浮かべている。

 

「黒瀬、今日は助かった……ありがとう。明日からもよろしく頼む」

「……はい、こちらこそよろしくお願いします」

 

 だが、それはそれとして恋に礼を言うアベル。

 認めているのだ、ただのスタジエールではないと。再度交わされる握手は、昨日の初対面の時とは違って力強く、互いに互いへのリスペクトがあることを伝えあう。

 

 ふ、と笑うアベルに、黒瀬もニッと笑みを返した。

 

 料理人として、厨房に立てば対等―――恋が遠月学園に入る前からずっと掲げていたその信念。

 恋はそれをこの現場でも、実力で証明したのだった。

 

 




次回は皆さんが気になっている創真君がどこに行ったのかのお話。
感想お待ちしております✨



自分のオリジナル小説の書籍第②巻が発売となりました!
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