恋が従者喫茶で働いていた終盤の時期、一通の電話がある人物の下へと届いた。
その電話は本当に突然で、電話を掛けた側も、掛けられた側も、久々の会話だったように思う。
かつての学生時代を共にした同期の戦友同士であったこの二人。
だが電話を掛けてきた方が連絡をしないでいたことから、一切交流が途絶えていたのだ。掛けられた方は何処かでのたれ死んでいるのではないかと心配すらしていた。
そんな状況での一本の電話。
驚愕に声を上げてしまったのは仕方のないことだろう。
「!? 城一郎! 城一郎か!?」
『おー、銀、久しぶりだなぁ。今ちょっと話良いか?』
「久しぶりで済ませるか! 卒業してからフラフラとどこぞへ消えて、連絡も滅多に寄越さないから俺は何処ぞでのたれ死んでるんじゃないかと……!」
『悪い悪い、今電話したからいいじゃねぇかよ』
「全くお前という奴は……! で、何の用だ突然」
『いやー俺の息子、創真のことは知ってるだろ? 今遠月なんだけどよ、そろそろスタジエールの時期だよな?』
「む、ああ……確かにそうだ。既に最初のスタジエールも終盤の時期だろうな」
元十傑第一席堂島銀と、その同期、元十傑第二席才波城一郎の電話である。
城一郎の切り出した話題に何故この話題を、と思う堂島だったが、ともかく話を聞くことを優先したらしい。話題に出たのは幸平創真、城一郎の息子のことで、更には現状遠月リゾートの料理長としてもその運営に関わっているスタジエールのことだった。
幸平創真といえば、堂島としても随分と印象深い生徒である。
強化合宿で初めて出会った創真は、どこか城一郎の面影を残しており、元第一席であった四宮にも食らいついた。溢れる向上心と闘争心に満ちた少年、というのが第一印象だったように思う。
そして秋の選抜で二度目の邂逅。
彼は準決勝で敗退したものの、平凡な才能でありながら努力と経験で突き進んでいく開拓者たる姿は、まさしく一つの玉の資質。堂島としても、彼という原石が料理人としてどんな未来を開拓していくのか、楽しみに思っている。
『そのスタジエールでさ、創真の奴をお前のトコにやってくれねぇかな?』
「な……それは、出来なくはないが……どういうつもりだ? 息子とはいえ、お前がコネを使う様な真似をするなど、珍しい」
城一郎の話は、堂島の所に息子である創真をスタジエールとして派遣させて欲しいということだった。
確かにこの遠月リゾートは強化合宿でも贅沢な設備を展開したように、かなり大きく高級なホテルだ。遠月学園とも同系列ということで関わりも深い場所であり、多くの美食家が利用する場所でもある。
元第一席である堂島自身が料理長をやっていることもあり、用意される料理の数々も並ではない。
だが、それでもホテルだ。
店で料理を出すのとは訳が違うし、その一人当たりの作業量も比ではない。タイムテーブルはきっちり決められているし、客によって食事の時間も全く異なる。料理のレシピも、フレンチや中華など、固定されたジャンルがあるわけでもない以上、その数は多岐に渡る。
しかもそれだけ巨大な施設であれば、たった一人の学生がスタジエールで実績を残すのは不可能だ。
「何かあったのか?」
『んー……黒瀬恋のことは、知ってるよな?』
「! ああ……選抜決勝は俺も審査していたからな」
『まぁ怪我を押しての一戦だったみたいだが……どう思った?』
「…………嘘偽りなく評価するのなら、怪物だな。味覚障害を抱えていながら、その調理技術だけならかつての俺やお前以上だ。今の遠月学園で考えれば、技術力は全学年トップクラスだろうな……自身では美食など感じられないというのに、この境地にいるのは正気の沙汰ではない。彼はその身に凄まじい覚悟と精神力を秘めている」
そこで話題に出たのは、黒瀬恋のことだった。
城一郎も堂島も、それぞれ何処かで彼と関わりを持っている。堂島は選抜や合宿で、城一郎は二ヵ月の夏休み期間を共に仕事をして、黒瀬恋という料理人を見てきた。
その中で城一郎は、彼に対して思う所があったのだろう。
堂島の評価に対しても、その通りだな、と相槌を打ちながら、少しトーンを落として言葉を続けた。
『あいつは凄ぇよ……あの年齢で、もう自分の料理の本質を理解してやがる――いや、自分の料理の本質に気付いたから、料理人になったというべきか……ともかく、あいつは既に自分が行き着くべき境地を理解して、今も尚成長している……俺が思うに、ああいう手合いは才能の有無に関わらず、無我夢中にまっすぐに伸びていくタイプだ』
「ああ……確かにそうだな」
『創真と同年代であんな料理人がいることは、きっと何かの縁だ。これから先、創真はきっと、長い時間黒瀬の背中を追い続けることになるだろう……それはきっと苦難の日々だ。まぁ創真ならへこたれねぇんだろうが……一度
城一郎の言葉で、堂島はその意図を理解した。
料理人として、あまりにも大きな才能を持っていた才波城一郎。彼は勝ち続け、誰もが知らない未知の荒野を開拓してきた。学生時代、食戟をすればどんな料理を魅せてくれるのかと誰もが期待したし、その期待にいつだって応えてきたのだ。
しかし、その期待は時にプレッシャーとなって彼を襲った。
戦う舞台が大きくなればなるほど、彼の心に重圧となって生みの苦しみを与え続けたのである。未知の荒野を開拓すること、誰もが期待する美食の新たな世界、それを生み出し続けなければならないというプレッシャーに、彼は一度折れてしまったのだ。
だからこそ、自分と同じ様に料理をする創真を心配にも思うのは当然。ましてや黒瀬恋という格上の料理人が同世代にいる以上、創真を襲う苦悩は城一郎の比ではないだろう。
「……息子を成長させる機会が欲しい訳だな?」
『ま、簡単に言えばそういうことだ。無理なら無理で構わねぇよ。こう言ったが、俺は創真がこれからぶち当たる壁に関しちゃ何の心配もしてねぇ……ただ、今の遠月で生き抜くにゃ、俺はアイツに教えなさすぎた……何の知識も与えねぇまま放り込んじまったからな。そろそろ、アイツも本来備えてなきゃいけねぇ知識や技術を得る機会があっても良いんじゃねぇかって思ったんだよ』
「……フ、修羅と呼ばれたお前が、随分と丸くなったものだな」
『案外、今の方が気楽で好きだけどな』
「ああ、俺もそう思う……良いだろう、幸平創真をウチで鍛えてやる。あくまでスタジエールだからな、実績に変わる条件は俺の方で用意しておく。ホテルではチームで実績を出すもの、どんなに頑張ったところで個人の成果には繋がらないからな」
『助かる、ありがとうな。それじゃ、また連絡するわ』
「ああ、偶には顔を出せよ」
電話が切れる。
堂島は数秒スマホを眺め、ふと笑みを浮かべながらポケットにしまった。久々の電話で何を言うかと思えば、息子に対する愛の籠った頼み事だとは思わなかった堂島。戦友の変化に幾許かの喜びを感じながら、気分が良いことを自覚する。
そして今度は遠月リゾートの固定電話から、遠月学園へと連絡を取り始めた。
戦友との約束だ、早々に手続きを終えなければならないと思ったのだろう。次のスタジエールで創真に何をさせるべきかも考えつつ、遠月リゾート料理長として。堂島銀は意気揚々と動きだした。
◇ ◇ ◇
そして、恋が四宮の店へと到着した日。
幸平創真は遠月リゾートへと迎え入れられた。
強化合宿以来の遠月リゾートに到着した時、出迎えたのはなんと料理長である堂島銀。かつての合宿の時とは違い、今日は料理長として強い覇気を纏って創真を出迎えた。スタジエールとはいえ、これから短期間共に働く身として、学生という身分を捨てさせるためだろう。
対面して、創真は瞬時にその意図を分からされたくらいだ。
「ようこそ幸平―――遠月リゾートへ」
「っ……どうも、お久しぶりっす堂島先輩!」
「此処に来たからにはスタジエールという能書きも、学生という肩書きも捨てて貰う。一人の料理人として、この遠月リゾートに貢献しろ。役に立てなければ、それまでだ」
「……うすっ!」
「良い返事だ……では、仕事場へ案内しよう。まずは何をするのか、説明する」
堂島の圧に、創真は息を飲みながらも強気に返す。
どんなに厳しい課題であろうと、乗り越えなければ
やるしかないのなら、やるだけである。
すると、創真の意気込みに頷きを返した堂島は、笑みを浮かべて創真を案内し始めた。
並んで歩く二人。
重い空気は最初だけで、挨拶が終われば堂島も創真も気さくに話を出来る空気になっていた。
「以前お前達が使った様に、この遠月リゾートには厨房が複数存在する。それは遠月リゾートに十数種類複数の宿泊施設が点在しているからで、宿泊施設も旅館形式だったりホテル形式だったり様々だ。以前お前達が朝食の課題で審査員であった宿泊客のことは覚えているか?」
「はい、なんか金持ちっぽい人もいれば、普通の家族連れとかもいて、客層は幅広いなとは思いましたけど」
「その通り。遠月リゾートは数十種類の宿泊施設を持つが、その全てが別に高級宿泊施設なわけではない。当然、一般に手が届きやすい宿泊施設だって存在している」
「宿泊施設によってランクが違うってことすか?」
「そうだ。そしてそのランク毎に、それに見合った厨房、料理人が数多く存在するのがこの遠月リゾートのシステムだ」
遠月リゾート。
富士山と芦ノ湖を望むリゾート地において、十数軒の高級ホテルや旅館を経営する遠月ブランドの観光部門施設。
その内情を知った創真は、堂島がそこで自身に何をさせるつもりなのかを薄々気付き始める。
宿泊施設ごとにランクが違い、厨房設備や出される料理に関してもランクに沿ったものが出る。ならばそこで料理を作る料理人のランクも、勤務する施設のランクと同程度ということになるのだ。料理長ということは、堂島は遠月リゾートの中でも最高級施設で料理を監督する立場にあるのだろう。
ならば幸平創真は? この遠月リゾートにおいて何処に位置する料理人なのか。
「遠月リゾートに存在する施設のランクは大きく分けて四つだ」
「四つすか」
「一般客が通常宿泊する施設、いわばレベル1。次に一般客でも手は出せるが、少々ランクが上がるレベル2。その上が富裕層や美食家が通常利用するレベル3。そして、その中でも政界や料理界においてもトップクラスの重役が利用する正真正銘高級施設がレベル4」
遠月リゾートに存在する十数種類もの宿泊施設の中に存在するランクをレベル表現で説明する堂島。創真はその説明を受けて、つまりはレベル4で働く料理人は正真正銘一流の料理人ばかりだということを理解する。
そして紛れもなく、目の前にいる堂島がそのトップに立つ料理人なのだ。
「幸平には伝わっていないが、この遠月リゾートに限っては、スタジエールでの実績を残すという課題は一先ず忘れて貰っていい」
「え、と……どういうことすか?」
「スタジエール期間である今日から一週間、お前にはレベル1の厨房から働いてもらう。そして一日毎に各レベルの料理長からお前の働きに対する評価を受け、次のレベルに進めるかどうかを俺が審査する……意味は分かるな?」
「……レベルを上げられるかは、俺の腕次第ってことすか」
「その通り! そして覚えておけ――――最終日までにレベル4に上がれなければ、スタジエール不合格としてお前は遠月を去ることになる!」
堂島の言葉に、創真は背筋が凍るような衝撃を受ける。
レベル4―――つまりは一流の料理人達が働く厨房に入る実力を証明しなければ、創真は退学になるということだ。
これが、城一郎から話を受けて堂島が考えた創真への難題。
遠月リゾート総料理長として、堂島銀は手を抜かない。戦友の息子だからといって、贔屓してやるつもりもない。成長出来なければそこまで。この遠月リゾートは今まで綿々と紡がれてきた遠月というブランドを背負っているのだ。
学生だから、スタジエールだから、そんな言い訳は許されないのだ。
「さぁ着いたぞ幸平……まずは此処がお前が最初に働く場所だ」
「……!」
辿り着いたその場所は、旅館形式の宿泊施設である。
裏口に回り、厨房に入る扉の前で堂島はドアノブに手を掛けながら創真の目を見た。
「死に物狂いで成長しろ、幸平創真。期待しているぞ」
そして、激励と共にその扉を開く。
「―――ウスッ!!」
創真は堂島銀という超一流の料理人からの激励に、気合いを以って返事を返した。
創真君、堂島銀の下へとスタジエールです。
遠月リゾートの仕組みに関しては、独自設定となります。
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