ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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五十四話

 四宮の所でスタジエールを進める恋。

 二日目のプレオープンでは大活躍で終えた彼は、三日、四日目とその類稀なサポート能力を十全に駆使してこの東京支店の評価を底上げし続けた。

 

 それに、サポートとはいえ、野菜料理(レギュム)の魔術師と呼ばれるほどの料理人の下で料理をする以上、恋も学ぶことは多い。

 無駄のあるなしは別として、経験によって培われた技術は恋の目に宝の様に輝いている。食材の下拵えなどのサポート、時に料理を仕上げること、下げられた皿から客の食事ペースの把握、厨房内を見渡す視野、これだけでも初日は消耗したというのに、恋は三日目から調理技術の学習も同時並行で行っていた。

 

 当然消耗は激しく、閉店時には立つことすら難しくなっていたほどだ。だがそれでも恋のフランス料理に対する技術が、そして理解度が深まっていくにつれて、サポートの質も更に向上していく。

 それはサポートされていた四宮達が一番感じていたことだろう。

 なにせ恋のサポートが日に日にブラッシュアップされ、フランス料理だけではなく、それぞれに対する理解や親密度が深まっていけばいくほどより適したサポートに変わっていくのだから。

 

「くっ……!!」

「………っ!!」

 

 アベルもリュシも、それを感じるにつれて表情も本気度を増していく。調理に対する力の注ぎ方も、集中力も、気迫も、初日のソレとは段違いだ。

 最早厨房は戦場だ―――黒瀬恋というスタジエールに飲まれないために、厨房にいる全料理人が包丁の一振りに、火入れのタイミングに、空気を肌で感じるのに、全力だった。

 

 当然、四宮もその光景に料理長としてではなく、料理人としての熱が高まっていくのを感じている。

 

 恋によって無駄が消される――つまりは恋が消していく無駄を理解することで、己の料理は更に成長していくことに繋がるのだ。リュシも、アベルも、四宮ですらも、サポートだからこそ見えている恋の視野を理解し、そして自分の技術の向上へと繋げていく。

 此処にいるのは一流の料理人のみ。

 ならば、それくらい出来ない筈がなかった。

 

「二番テーブルの肉料理、あと二十秒であがるヨ」

「アベル、三番、六番テーブルの前菜が出た。六番テーブルから次の料理に取り掛かれ、黒瀬、手は空いているか?」

「いけます」

「よし、五番テーブルのメインがそろそろ下がる頃だ。デザートを作れ、下準備は終わってるな?」

「勿論」

 

 調理効率が上がれば、今まで以上に目まぐるしく厨房の状況が変化していく。

 その分四宮の指示も頻繁に飛び交う様になり、各々の状況判断も最善が問われるようになる。各々の調理効率が上がったとして、それらを連携としてまとめ上げるのは更に難しくなるのだ。

 最早プレオープンだとしても、本店以上の気迫で挑まなければ即座に置いて行かれる。

 

「(少しでも気を抜けば、サポートの黒瀬に全てを持っていかれる!! 俺の作る料理が黒瀬が作ったようなものにされてたまるか!!)」

「(熱くなってきたヨ……! もっと、もっと!! 私の全部一皿一皿に捧げなきゃナ!!!)」

 

 アベルもリュシも、必死の表情だ。

 恋のサポートが上がれば上がるほど、自分がやるべきことが最低限の料理になっていく。それは突き詰めていけば、黒瀬恋という料理人に全て誘導されて料理を作るようなものだ。それは最早自分が作ったものではなく、作らされた料理に他ならない。

 

 無論、恋がメインで作ったからといってアベルやリュシに勝る料理を出せるかと言われれば、答えは分からないだ。あくまで一流の料理人である二人だからこそ、高いサポート能力にせっつかれる気持ちを感覚で理解している。

 これが料理を齧った程度の人間であれば、誘導されていると気付くこともなく料理を作っていた筈だ。

 

 この厨房で、高い次元での切磋琢磨が行われている。戦いという次元で、行われている。

 

「(認めるぞ、黒瀬―――お前は今の俺達に必要な料理人だった)」

 

 そして四宮もまた、恋のことを認めていた。

 停滞から抜け出すために踏み出した東京支店進出。原点を見つめ直すために、何のために料理をするのかを見つめ直すために、四宮は日本へと戻ってきた。そのタイミングで堂島が送ってきたのが黒瀬恋。

 

 味覚障害の料理人。

 

 けれど、だからこそ分かる。

 彼はブレず、ただまっすぐに己の原点を見つめ続けていた。今こうしてこの店で、超一流の料理人達を相手に猛威を振るうまでになったのも、ミス一つを許さぬ調理技術を手に入れたのも、全ては彼の原点が今も燦然と輝いているからだ。

 

 味覚障害だから、彼は調理中にミスがあっても味から気付くことが出来ない。

 だから彼は己の料理からミスというミスを消す努力をしたのだ。

 

 血の滲むような努力をして、此処に立っている。

 才に溢れ、常に高みを目指してきた四宮とは正反対。才が欠如し、常に0を1にするための努力をして地を這いずってきたのが黒瀬なのだ。

 

「(お前が此処まで来るのに、どれほどの辛酸を舐めてきたのか、苦渋の道を進んできたのか、想像も付かねぇ……だからこそ、俺はあの合宿の最後に味覚障害って事実を知った時、お前を尊敬したよ―――俺には出来ねぇことをやってのけた奴だってな)」

 

 最初から四宮が黒瀬恋を信用していたのは、自分の店で働けるだけの調理技術を持っていたことが最たる理由ではない。それだけならああまで目を掛けるような言葉は言わないからだ。

 四宮が目を掛けるような言葉を使うほどに信頼していたのは、己には不可能なことをやってのけるほど努力を積んだ人間として、恋を信頼していたからである。

 

 己の宿命から逃げなかった彼を、尊敬したからである。

 

「(だから、この俺が見せてやるよ……お前に、高みに立つ者の料理を!!)」

 

 四宮の腕に力が籠められる。

 集中力がグンと上昇し、四宮から放たれるプレッシャーが強くなった。重力が重くなったかのような圧力に、恋も含め三人が息を飲む。恋のサポートに負けないように必死に走っていた二人ですら、初めて感じた四宮の気迫。

 

 この厨房において、料理長は己だと断言するような背中からは、溢れる才能と弛まぬ努力と積み重ねた経験によって誕生した、超一流の料理人のオーラが幻視出来た。

 

「(凄い……四宮シェフの触れた野菜が、まるで活力を取り戻すように生き生きしだしている。技術ではなく―――四宮シェフ本人が持つ圧倒的センス……!!)」

 

 その姿に、恋もまた圧倒される。

 城一郎にも感じたように、四宮からも格の違いを感じた。経験や技術では決して真似出来ない、その料理人だけが持つ、その料理人だけが見えている世界。

 

 己の料理を一つの世界として、その一皿に表現する圧倒的感性が、四宮の身体には宿っている。

 

「気合いを入れろ……ラストスパートだ!」

『oui!!! chef!!!!』

 

 四宮が完成させた皿を手に、サーブ台の上へと運ぶ。

 そして振り返って、堂々とした姿で更に発破を掛けた。

 

 三人の料理人は、その厨房の頂点である料理人たる姿に、更なる熱量で返事を返した。

 

 彼らの成長は止まらない。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして二件目のスタジエール四日目、幸平創真もまた、遠月リゾートで戦っていた。

 初日に放り込まれたレベル1の旅館はあくまで一般客相手の料理。創真も遠月秋の選抜準決勝へと進んだほどの料理人であり、此処を突破することはそう難しくはなかった。

 

 旅館形式ということもあって和食をメインにしていたものの、朝食、昼食、夕食とメニューは当然変化し、お膳に乗せて運ぶこともあって量は少ないものの、和食として見栄えや彩りは今まで以上に繊細にならなければならない。

 創真は恵や恋の料理を手伝ったこともあり、和食にも多少の心得があったことで、このレベル1を初日で突破することに成功したのである。

 

 二日目のレベル2は、ホテル形式だった。

 当然和食のみではなく、和洋折衷様々なメニューが待ち構えており、それぞれの料理に対して適した調理技術が求められる。食材の種類も増えていき、料理人の人数は多いものの、創真に割り振られた仕事量一つとっても、レベル1の比ではない。

 しかし創真とて元々は一つの店を持っていた身。

 レベル2の仕事量も実力を振るって突破してみせた。

 

「っ―――!!」

 

 だが、問題はレベル3からだった。

 三日目、レベル3の厨房へとやってきた創真。初日、二日目と一日おきにレベル上げることに成功した創真は、この勢いでレベル4まで行くと意気込んでいたものの、レベル3は文字通りレベルが違ったのだ。

 美食家が利用するだけあって、高級料理がずらりと並び、コースの数も一つや二つではない。レベル3は最大で五つのコースから選ぶメニューとなっており、しかも毎日コースメニューは変動するシステムになっていた。

 つまり一日経てばやることが変わるということ。コースに慣れることはなく、どんなジャンルの料理にも対応できるマルチな汎用性が高い水準で求められていた。

 

 その圧倒的作業難易度に、創真は三日目、このレベル3を突破することが出来なかった。

 そして四日目の今も、今までと同じように仕事をこなすことが出来ずにいる。

 

「(すげぇ……! 定食屋とも、初日二日目の厨房とも全く桁が違う……! 次から次に違うジャンルの料理に対応しなきゃならねぇし、そもそも大体の知識が備わっているものとしてここにいる料理人ばかりだ……! 付いていくのでやっと……!)」

 

 創真の持っている技術と、知識としての名称が食い違う。

 創真が今レベル3で付いていけているのは、選抜後に恋から色々な技術と知識を教わっていたからだ。

 選抜後の殆どの時間を全て研鑽と勉強に費やしていた創真は、選抜の時よりも多くの技術と知識を身に付けることが出来ている。だが、それを実践で活用するには至っていないし、また足りない知識もまだまだ多いのだ。

 

 それを今身に付けなければ、創真にレベル4への扉は開かれない。

 

「(黒瀬に感謝しなきゃな……! あれがなきゃ、今頃足を引っ張ってた!)」

「幸平、コースCの前菜の下処理を! コースAの食材も出しておけ」

「うすっ!!」

 

 指示が飛び、すぐに動き出す創真。

 

「(コースCの前菜は確か三種の盛り合わせだ……! まずはコースAの食材を出して、手間の掛かる食材から下処理していく!)」

 

 頭に入れておいたレシピとコースメニューの構成を思い出し、創真は的確に調理を進めていく。新しい技術、新しい知識、新しい現場、新しい経験―――その全てを吸収して創真は成長していた。

 恋から教わった知識、城一郎から学んだ技術、遠月で経験した全てのことが、今遠月リゾートという現場で一つに集約されていく。幸平創真という料理人を、大きく成長させていく。

 

 

「(黒瀬がやっていたこと、親父がやっていたこと、その意味が今なら分かる!! 料理の奥深さが、知らないことが! 嬉しくてたまんねぇ……俺はもっと、成長出来る!!)」

 

 

 ついていくのでやっとの状況でも、創真の身体には力が漲る。

 己の成長と、未知との出会いに感情が、情熱が、心の奥底から歓喜の声をあげていた。

 レベル3の料理長、ピカラ・ハントは、そんな創真の姿に笑みを浮かべて更なる壁を、課題を、次々に創真に投げていく。

 

「(スタジエール、堂島シェフから任された時はどんな生徒かと思ったが……中々どうして面白い……!)」

 

 彼は堂島から創真に対する話を聞いていた。

 堂島の戦友から息子を預かっていること、腕はあっても知識に欠けている彼に色々と叩きこんでやって欲しいということ、役に立たなければ当然叩き出して構わないということ、様々な話を。

 元々遠月リゾートは宿泊のための観光場所だ。

 料理店とは少し違うし、厨房の在り方も全く違ってくる。それでも創真は必死についてくるし、仕事の終わりに質問まで投げかけてくるほどに向上心に富んでいた。

 

 ピカラとしても、殻を破ろうともがく料理人に手を貸したくなる気持ちはよく分かる。

 堂島が後進を育てる道の一つとして、この遠月リゾートの総料理長になった意味も今なら理解できるというものだ。

 

「幸平、次はコースEの食材を出しておけ! その後はコースDの前菜、肉料理、魚料理の下処理だ! 食材が一つ尽きたから、前菜のみコースCのものと差し替え!」

「了解っす!」

 

 提示される仕事をこなし、臨機応変に対応していく。無論量が量なので創真一人でやるわけではない。下処理は下処理でチームがあるが、それでも一人一人の仕事量は多い。

 

「(さぁ、レベル3を抜け出せるか? 幸平)」

 

 行く末の気になる幸平創真という料理人に、ピカラは期待に胸を膨らませていた。

 

 

 その日は結局、創真はレベル4へ上がることは出来なかった。

 

 

 




創真君がフランス料理だけではなく、多ジャンルの料理知識を獲得し始めました。
恋君も技術や経験では到達できない領域に目を向け始めたようです。

感想お待ちしております✨



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