ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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五十六話

 スタジエール最終日。

 遠月リゾートでの課題を見事クリアしてみせた創真の裏で、恋もまた四宮の店で最後の戦いを終えていた。プレオープン最終日は最後に貸し切りの客が来るということで、早めに一般客を帰らせて、一旦静けさを取り戻した店内。

 厨房内では恋が来てからの一週間を戦い抜いたアベルやリュシ、恋がおり、四宮はホールにて貸し切り客を待つためにスタンバイ中である。

 

 短く息を切らすアベル達は、自分達の成長を感じていた。恋のサポートにメインを奪われないように必死に己の料理と向き合い、強制的に地力の向上を余儀なくされた一週間。己の無駄と向き合い、己の欠点と向き合い、己の未熟さと向き合った。

 結果的に恋のサポートから逃げきることは出来たものの、生きた心地がしなかったとはこのことだろう。

 

 そして恋もまた短く息を切らしているが、初日程の消耗が見られない。一週間ぶっ通しで働き続けた故に、日毎積み重なった疲労もピークに達しているだろうに、最終日の今は平気な顔で立っている。

 プレオープン最終日が早めに客を帰したということもあるだろうが、それでも一日サポートの質を落とさず動き続けても平気な程度にはスタミナを身に付けたようだった。意識せずとも最高の仕事をする、そんな感覚が身体に染み付いたのだろう。

 

「いやぁ……なんとか終わったな」

「疲れたヨ、まだ一週間しか経ってないのかと思うくらいにナ」

「全くだ……だが、黒瀬のおかげで随分成長出来た。ありがとう黒瀬」

「いえ……こちらこそ、貴重な経験を得られました」

 

 アベルからの感謝に、恋もまた汗を拭いながら笑みを返す。

 切磋琢磨の厨房で戦い抜いた今、四宮を含めた四人の料理人の間には言葉以上の信頼が生まれていた。こと厨房で共に料理をすることに関してなら、言葉を交わさずとも信頼出来る料理人になれたのである。

 一週間とは思えない程の濃い時間を過ごした今、この厨房に今後に対する不安はなかった。

 

「貸し切り客が来た。お前らは休んでろ、俺の客だからな」

「え、良いんですか?」

 

 するとそこへホールで待機していた四宮が戻ってきた。

 どうやら貸し切り客が来たらしく、アベル達が最後の仕事だと意気込んだところで四宮がそれを手で制する。自分の客だからということで、全ての料理を自分で作ると言い張るのだ。

 貸し切り、しかも知り合いともなれば確かに気の知れた仲なのかもしれないが、それでもフレンチにおいて調理には手間が多い。流石に一人では多少待たせる羽目にならないだろうかと心配するアベル。

 

 だが四宮もそれは理解していたのだろう。

 不意に恋の方へと視線を向けた。恋はその視線の意味を理解し、ふと笑みを浮かべた。

 この話の流れなら、そういうことなのだろう。

 

「黒瀬、全力で俺のサポートに入れ―――この一週間、三対一でお前のサポートを受けていたからな……俺と一対一だ」

「なっ……!?」

「oui,chef」

「黒瀬まで……!」

 

 アベルは驚愕だった。

 四宮のことを見縊っているわけではない。けれど、三人の料理人をそれぞれ飲み込む勢いでサポートし切った恋のサポートを、たった一人で受けるともなればその度合いは一気に変わってくる。

 今まで三分割されていた恋の作業リソースが全てたった一人に注がれた場合、生半可な料理人では飲み込まれてしまうのが関の山だ。実際、プレオープン初日のリュシがそうだったのだから。

 如何に四宮が料理人としての総合力で勝っていても、サポート能力だけなら恋は超一級品だ。心配は多少なりとも存在する。

 

 しかしそれ以上に、期待もあった。

 

「お前のサポートを受けた俺の料理がどうなるのか気になるな。全力で来い、俺の歴史上最高級の品を作るぞ」

「ごくっ……」

 

 超一流の料理人である四宮小次郎と、超一級品のサポート能力を持つ黒瀬恋。

 この二人が共に料理をした結果起こる化学反応―――そこから誕生する料理とは、一体どれほどかと。

 

 ―――調理に入る二人。

 

 思えば調理の外から恋の動きを見るのは初めてのアベルとリュシ。改めて外から見れば、恋の動きの全てに見惚れてしまう。

 まるで最初からそう仕組まれていたように、恋の動きが四宮の動きに連動しているのが分かった。様々なタイミングで、恋の行動が四宮の調理に連結している。

 

「恐ろしいな……まるで料理人が次にどんな動きをするのか分かっているかのような動きだ。下準備の手順、調理環境の変化、動線の確保、その全てが未来予測の様に料理人の全てを邪魔していない」

「正直黒瀬のサポートを受けてるときは、アイツの存在を忘れてしまうくらいなんだよナ」

「外から見れば分かる……黒瀬恋はどこまでも人に寄り添う力を持つ料理人だ」

 

 人を理解し、人の気持ちを察し、人の為に行動する。

 それが出来るから、恋のサポートは無駄のない調理技術と相まってどこまでも心地いいのだ。完璧に用意された下準備も、料理人の視界にすら入らない動線も、全ては料理人のポテンシャルを最大限引き出すためのもの。

 恋自身はサポートとして、メインを食ってやろうだなんて欠片も思っていない。どこまでもサポートに徹しているだけ。

 結果的にそれがメインを支配することに繋がりかねないだけなのだ。

 

「凄い……あっという間に品が出来ていくゾ……!」

「無駄がないから、とても簡単そうに見えるのが恐ろしいな」

 

 そうして完成していく料理は、今までとまるで違うと思うくらいに存在感があった。

 今までと何が違うのか、一見すれば分からない。けれど美食としての存在感は、料理の見た目以上に伝わってきた。

 

「―――さぁ、完成だ」

「ふぅっ……」

 

 そうして完成したその料理を、料理長自ら運んでいく。

 恋も手伝う様に皿を幾つか持って、その後ろを付いていった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ホールに出た時、テーブルには恋も知っている顔が並んでいた。

 乾日向子や水原冬美など、強化合宿で知り合った卒業生の面々と、講師のシャペル先生。四宮同様、超一流の料理人達が勢揃いだった。

 驚きで少し目を丸くする恋だったが、それは日向子たちも同じだったようで、恋の姿を見て驚きの表情を見せる。

 

 四宮と共にテーブルへと料理を置いていくと、最後の皿を置いた後に日向子達が声を掛けてきた。

 

「黒瀬君、どうしてここに?」

「スタジエールです、縁あって四宮シェフの店に」

「なるほど、君のスタジエールは此処だったか……元気そうだな黒瀬恋」

「はい、シャペル先生もご壮健のようでなによりです」

「シャペル先生は、私達と同時期に遠月にいらっしゃった先生なんですよ!」

「へぇ、そうなんですか」

 

 相変わらず気さくに声を掛けてくれる日向子に苦笑する恋。だがスタジエールということを知って、日向子達はなるほどと懐かしむ声を上げた。

 学生時代のスタジエールがどんな経験だったのか、彼女達にも印象深い思い出があるのだろう。とはいえスタジエール先が元第一席の店となると、そのプレッシャーもひとしお。

 とはいえ、四宮が何も言わないということは順調なのだろうと思う。

 

「今回、全ての料理を黒瀬のサポートの下俺が作った……今までの俺の料理だと思ったら、度肝を抜かれるかもな」

「黒瀬君が四宮先輩のサポートを……?」

「ほぉ、料理長のサポートを任されるほどとは……スタジエールとしては破格の実績だな」

「では早速いただきましょう」

 

 四宮が料理の説明を終えて、あとは食べるだけという状況が整う。

 全ての料理を四宮が作ったこと、そしてそのサポートを全面的に恋が務めたことを知り、今までと一体何が違うのか、それを確かめるべく全員がその料理を一口舌の上へと乗せた。

 

 

 ―――瞬間、美味しい、という感覚を感動が凌駕した。

 

 

 次の一口へ行きたい、という巨大な衝動と、今口に入れている一口を極限まで味わいたいという情動が体内で鬩ぎ合う。普段の四宮という人間からは考えられないほどに愛情に溢れた一皿。

 この料理がどんな皿なのか、詳しい分析を行おうとする料理人としての癖が一切機能停止していた。

 

「……はぁ……これは、言葉に出来ません」

「なんと温かみのある味……まるで童心に返るような」

 

 どういう味がどんな風に美味しいのか、そんなことを述べるのが憚られるほどのその感動を、思い思いに感覚で表現するしかない。不意に笑みを浮かべてしまいたくなるような、そんな温かく誰かの為を想われた料理がそこにはあった。

 恋は四宮の方を見る。

 四宮は卒業生達とは違う、初老の女性の傍で優しく笑みを浮かべていた。女性は美食家らしい雰囲気はなく、ただただ四宮の料理を口にして幸せそうに、嬉しそうに笑っている。

 

 恋はサポートをしている最中に感じていた。

 四宮が誰かを想って料理をしているということを。それは恋愛的な感情ではなく、もっと深い、感謝と尊敬と愛情に溢れるようなそんな感情。一目で理解出来た、あの女性は四宮の母親なのだろう。

 そして、四宮が料理人を志した原点が―――彼女なのかもしれないと。

 

「……今までの四宮からは考えられないほど、高い次元の一皿になってる。まるで一皿一皿が必殺料理と言っても過言じゃない」

「合宿の時から考えられない程の一皿でした……凄い」

 

 そしてその感動を味わった後は、料理人として二口目、三口目と食して冷静に分析していく。合宿からそう時間も経っていないというのに、成長にしてはあまりにも途轍もない変化。日向子達は四宮の皿が数段上の次元へと昇華されていることを理解した。

 その原因が何かと問われれば、思いつくのはやはり黒瀬恋という料理人の力だろう。

 

 スタジエールでやってきた生徒が、四宮の料理を全てサポートする。

 

 言葉にすればその意味がどれほど凄まじいことか分かるだろう。そもそも四宮が自分の作業をスタジエールに任せたこと、そのサポートを受けた皿が此処までの美食に昇華されていること、そのどちらもが通常ならあり得ないことだ。

 恋は味覚障害の料理人―――しかし、サポートであれば味に関する仕事は全て料理人の仕事だ。恋は料理の味付けに関する工程には一切手を加えていない。

 

 だからこそ、黒瀬恋という料理人は、サポートという分野であれば味覚障害というハンデを打ち消すことが出来る。

 

「黒瀬のサポート能力は超一級品だ……多少相手を知る時間は掛かるが、サポートに入った料理人のポテンシャルを全て引き出すことが出来る。環境による雑念やノッキング、集中力の問題で生まれるストレスを全て排除する黒瀬のサポートは、料理人を強制的に調理へと集中させる性質を持っているんだ」

「それってつまり……」

「そう、普段はあらゆるストレスで発揮出来ない100パーセントの実力を、黒瀬は引き出すことが出来る」

 

 恋に対する興味を抱いていた日向子たちの思考を察してだろう。四宮が母親から離れて恋の力の説明をした。恋のサポート能力を間近で受け続けた四宮だからこそ、その性質を良く理解している。

 恋のサポート能力は、無駄のない調理技術と相まって、料理人が調理中に感じるストレスを全て排除する。それは例えば、次に使う調味料はどこか、次の工程に移るための準備は、この食材を移す容器は、といった料理中に起こる出来れば省きたい手間を埋めるということだ。

 それは料理人が一切のノッキングなく、スムーズに全ての工程を行えるということ。ストレスがなければそこに集中することが出来るわけで、邪魔されることなく高まる集中力はより良い品を生み出すことに繋がっていく。

 

 結果的に、恋のサポートを受けた料理人は例外なく、どんな皿でも己の必殺料理に匹敵する料理を作ることが出来るし、必殺料理はより高い次元へと昇華させることが出来るのだ。

 

「正直、このままウチに迎えたいほどの逸材だ」

「四宮先輩がそこまで言うなんて……私も黒瀬君と一緒に料理してみたいですねぇ」

「……私も、興味ある」

「俺もだ」

 

 四宮が手放しに褒めることなど早々ないので、この四宮に此処まで言わせる黒瀬のサポートとはどんなものなのか、卒業生全員が興味を示す。これで遠月学園の一年生だというのだから、末恐ろしい。将来はどんな料理人になるのかと、期待に胸も膨らむというものだ。

 講師だからかシャペルと言葉を交わしている恋を見て、四宮達の表情からスッと笑みが消える。

 

 そう、例えサポートとしては凄腕だとしても、メインで彼が料理を作るとなれば、そうもいかないからだ。サポートとしては超一級品の腕を持っていても、メインでは彼の味覚障害は大きな壁となる。

 超絶技巧の調理技術を持っていても、超一流の料理人となるためには、未だ料理人として破らねばならない壁が大きかった。

 

「なんにせよ……黒瀬の進む道は茨の道だ。どうなるかは分からねぇが、見守るしかねぇよ」

「そうですね……」

 

 そうして期待と心配の入り混じる視線の中、恋はスタジエール最終日を合格で終える。四宮の東京支店プレオープンは大成功、評判は高まり、料理人達も大きく成長した。これ以上ない実績である。

 

 

 だが、最終日の夜に行われた新メニューコンペに、恋が参加することはなかった。

 

 

 

 




スタジエール編終了!
次回から、月饗祭編に入ります。
いよいよですね。

感想お待ちしております✨



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