ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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六十八話

 そして始まった月饗祭四日目。

 幸平創真と久我照紀の勝負は、一先ず三日目の段階で売り上げを越えた幸平創真の勝利とされたが、創真的には総合売上の勝負をしているらしく、勝負は最終日まで持ち込むことに。とはいえ久我飯店は三日目に消耗から落ち込んだものの、四日目には全員が元のコンディションに復活。

 一度恋ブーストで全ポテンシャルの発揮を体験したからだろう。行列の数も捌くスピードも初日に比べて大幅に向上しているので、このままなら創真が総合売上で勝利することはないだろう。

 

 四日目は三日目までと違って、土曜日ということもあって来客数も段違いに多い。

 どのエリアでも増える客の数にてんやわんやになりながら、各々の腕を存分に振るっていた。

 

 そして現在は午後。

 午前中に恋がサポートに入ったのは、目抜き通りエリアにある精進料理の屋台だった。

 緋沙子の影響もあって薬膳知識にも富んでいたからだろう、恋は此処でも十分に活躍する。事前にSNSで告知していたこともあって、大量に流れてきた人に屋台の生徒達は驚いていたものの、久我飯店すら飲み込んだ恋のサポートがあれば、それを捌いていくのも容易かった。メニューの数が二三品程度だったのもあるのだろうが、行列は一気に捌けていったのである。

 恋が抜けた後に残った行列に店の生徒達は青い顔をしていたものの、次はすぐに紀ノ国寧々の店に行かなければならないので、頑張ってもらうしかなかった。

 

「……来たわね」

「ええ、少し遅れましたか?」

「時間通りよ。それで……貴方のサポート能力は聞いているけど、蕎麦打ちの経験はあるのかしら?」

「まぁそれなりにって感じですね。でも、生半可に学んだつもりはありません」

「そう……貴方のことは私もそれなりに認めているつもりだから、期待を裏切らないでくれたらそれでいいわ」

「はい」

 

 そうしてやってきた紀ノ国寧々の店で、恋は軽く挨拶を交わしながら準備に入る。彼女が出す店は、彼女自身が最も得意とする蕎麦をメインとする蕎麦屋だ。

 紀ノ国寧々という少女は、『江戸そば』の流儀を現代まで継承してきた神田のそば屋を実家に持ち、自身の必殺料理のジャンルも蕎麦である。故にこそ、この遠月において蕎麦を作らせれば右に出る者はいないほどの実力者だ。

 

 叡山との会話では彼女と食戟をして勝利したという恋だが、その詳細はともかく寧々の恋に対する態度は幾らか柔らかい。彼女を知っている者からすれば、それほど関わりもない間柄の恋に此処まで柔和な対応をする寧々に対し、若干の驚きを見せるかもしれない。

 彼女と恋の間に何があったのかは分からないが、それでも自身の最も得意とする蕎麦を作る厨房に入れることを認めるくらいには、彼女も恋を認めているのだろう。

 

「じゃあ始めましょう。今日は忙しくなるわ」

「はい」

 

 厨房に入った恋と寧々は、流石は蕎麦を作る厨房というところか、和風料理らしい調理器具や食材の用意された空間でそれぞれ調理に取り掛かる。

 事前に何を作るのかメニューの詳細、席数などは聞いていたので、恋としても迷いなく調理に取り掛かることが出来た。寧々以外のスタッフがいないこともあって、店の内装はやや小さめである。本来なら自分以外の人間を厨房に入れるつもりはなかったのだろう。

 この店からは、そんな自分の料理に対する自信やストイックに自身へのハードルを上げる姿勢を感じられた。

 

 恋としては好感を抱ける。

 

「じゃあ客を入れるわよ。お昼時だから、最初からピークタイムだと思って」

「了解です」

 

 寧々が店を開ける。

 お昼から開店するつもりだったのだろう、店の外にあった準備中の掛札を営業中へと切り替えて、客を招き入れた。

 

 十傑第六席、紀ノ国寧々との料理が始まる。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ―――紀ノ国寧々にとって、自身の料理とは日々の積み重ねだった。

 

 恵まれた家柄に生まれた彼女の周りには、物心ついた頃から料理というものがあった。特に蕎麦作りに関しては見ない日などないくらいに身近にあるものだった。

 家元の娘として生まれた以上、彼女もまた蕎麦作りの技を学び、料理人としての道を歩むことになるのは必然といえる。

 

 ただ、彼女はそれほど要領が良くなかった。

 和食特有の繊細な技術も、蕎麦作りにおける数多くの知識、技術も、一度や二度では習得することは出来ない。それでも、他の人間よりも不器用に積み重ねることしか出来なかった彼女は、どこまでも努力を重ねた。家元の娘だから、というが大きかったのかもしれない。蕎麦が打てないことが、自身の価値を消失させると無意識に思っただろう。

 結果的にはこの遠月で第六席の座に座るほどの実力を身に付けたのだから、その努力は計り知れない。

 

 とどのつまり、紀ノ国寧々という人物は努力の天才なのだ。

 

 自身が才能に恵まれた人間ではないことを早い段階で悟り、それでも努力で此処までの実力を身に付けた料理人。天才に嫉妬しながら、それでも折れなかった強い少女である。

 

「……!」

 

 だからこそ、黒瀬恋という料理人に対する尊敬の念は、きっと十傑の中でも一番強い。自分とは違って家柄に恵まれたわけでもなく、寧ろ味覚障害という大きすぎるハンデを抱えてなお、十傑に比肩する実力を身に付けた彼を、紀ノ国寧々が尊敬しないわけがなかった。

 秋の選抜前にはよく知らなかったこともあって、退学騒動に賛同を示した彼女だったが、秋の選抜を見て、月饗祭での活躍を聞いて、他の十傑にも認められていることを知って、今ではそれを恥じている。

 

 黒瀬恋は、弛まぬ努力によって料理をする自身と同種の料理人なのだ。

 

「(黒瀬……蕎麦打ちの経験はそれなりと言っていたけど、一目で盤石と分かる高い基礎能力がある……! サポート能力が高いとは聞いていたけど、確かに味覚障害者だからこそ、自身の研鑽に費やした時間が違うのね)」

 

 寧々は恋のサポート能力を体感して、普段とは違う感覚に驚愕を示す。

 他の十傑の面々が恋のサポートを高く評価しているのは知っていたが、此処まで自分の料理に没頭出来るなど、想像していなかった。

 

 欲しいものが、欲しいタイミングで、欲しい状態で手元に現れる。

 繊細な技術が求められる和食作りにおいて、雑多な思考や手間がどれほどストレスになるか、寧々は良く知っているのだ。それが恋のサポートによって極限まで削られることで、寧々は想像以上に己の料理に没頭することが出来ている。

 

「(これは才能―――いえ、彼自身の努力によるものね。器用なだけでここまでのことは出来ない……磨かれた技術に加えて、他者への高い観察眼、そして料理への深い知識が為せることだわ)」

 

 己のポテンシャルが恋のサポートで全て発揮させられている感覚を、彼女は心地よいと感じた。努力を積んで高い実力を身に付けた彼女だからこそ、天才には嫉妬や羨望もある。自分には簡単に出来ないことを、天才は易々とやってのけるのだ―――その姿に、苛立ちを覚えた回数は数えきれない。

 けれど今は、己の理想とする料理が己の手の中でイメージ通りに生まれていくのだ。まさしく蕎麦作りにおけるお手本のような技術を持つ寧々だが、そんな彼女の中にある理想形ともいえる蕎麦をイメージ通りに作ることが出来ている。

 

 それはまさしく、自分が天才になったような全能感だ。

 

「(凄い―――私の中に、こんな力があったのね)」

 

 それを引き出したのは間違いなく黒瀬恋のおかげだろう。

 それに依存しようとは思わない。彼女はストイックに己を磨いてきた料理人だから。

 黒瀬恋のサポート能力ではなく、ポテンシャルを全て発揮することが出来れば、自分が此処まで出来るのだという事実に注目していた。

 

 そして彼女の考え方であれば、この実力を自分の力で発揮出来るようになろうと考える。今はサポートありきだが、自分のポテンシャルならここまで出来ることが証明されたのだから。

 いつかは、黒瀬のサポート無しでも―――そう思わざるを得なかった。

 

「(嬉しい……私は、私はまだ成長出来る)」

 

 嬉しかった。

 自身を凡人だと思っていたが、凡人なりの努力でも辿り着ける境地があるのだと知れたことが。

 そしてなにより、自分よりも不利な状態だとしても、同じように努力をして此処まで這い上がってきた料理人がいることが。

 

 同族意識というべきだろうか―――ともかく、紀ノ国寧々は黒瀬恋という料理人を心から尊敬していた。

 

「(貴方なら、私の気持ちも分かるでしょうね……天才に憧れ、それでも負けたくない、そうやって努力してきた凡人の気持ちを)」

 

 だが対する恋は料理をしながら、寧々の調理から感じられる一種の依存にも近い空気を感じ取っていた。信頼にも似ているのだろうが、何か違うその空気に、眉を潜める。

 

「(紀ノ国先輩の動き……若干手を抜いている……? いや違う、無意識に俺に任せようとしている仕事範囲が大きくなっているのか……!)」

 

 それは、天才に対する劣等感を抱いていた彼女だからこそ起こったことだろう。

 並の料理人であれば恋のサポート能力に気付くこともなく飲まれるだろうことは、寧々とて早々に理解出来ていた。だからこそ飲まれないように全力を尽くすのが、今まで恋がサポートしてきた十傑や一流の料理人達のスタンスであったのだが―――寧々は違った。

 

 恋のサポートに飲まれることを良しとしていないけれど、恋のサポートで得られる全能感に溺れてしまっている。

 多少のことは恋がやってくれると理解してしまった結果、自分はこれだけに集中すればよいという範囲を無意識に定めて、それ以外を放棄し始めたのだ。

 

 自分の料理に没頭するあまり、全能感に溺れたいあまり、恋にサポート以上のことを求め始めだしてしまっている。

 自分が"天才"であったのなら――そんなもしもを体験しているこの状況が、彼女が最も溺れてしまう甘い毒になってしまったのだ。

 

「(これは―――不味いな)」

「(凄い、凄い……! 私にはこんなことが出来たのね……!)」

 

 恋はその全てをどうにかサポートし切っていたが、この状況を不味いと感じていた。

 寧々は仮に成長したとしても恋のサポート無しでは物理的に不可能なことまで、自分のポテンシャルなら出来ることなのだと錯覚し始めていた。

 

 恋はこのままだと、自分が紀ノ国寧々という料理人を破壊してしまうと確信する。

 

「紀ノ国先輩」

「! ……なにかしら?」

「すいません……手首を痛めました」

「!? ……大丈夫なの?」

 

 そこで、恋は嘘を吐いた。

 寧々が見ていない所で軽く調理台に膝をぶつけて音を出し、それから手首を抑えて負傷の宣告をする。すると寧々はそれに驚きながらも冷静に状態を確認。

 

「調理は問題ないです……でも、サポートできる範囲は少し狭くなりそうです」

「そう……なら、出来る範囲でやってくれればそれでいい。痛みが酷いようなら、無理はしないでいい」

「了解です」

 

 恋はサポート範囲は狭まるが、問題はないと言う。

 寧々はその言葉にさほど酷い負傷ではないと理解し、胸を撫でおろしながら無理をしないようにと言って調理を再開した。

 

 すると、そこからの動きは先ほどまでと打って変わって凄みが増していく。

 恋が負傷したことが念頭にあるからだろう、自分がしっかりしなければという意識が強くなったことで、寧々は自分で出来ることは自分でやるようにし始めた。恋に任せることをせず、ストイックな自分を取り戻すように腕を振るう。

 

 恋のサポートは、先程までと変わらぬ仕事をしているが、それでも寧々の動きが変わったことでその相乗効果は先程までとは桁違いだ。

 

「(! ……そう、馬鹿ね私は。私は天才じゃない―――今の私に出来ることをやるだけ)」

 

 そして調理をする中で、変わらぬサポートに恋の嘘を見抜いた彼女。

 その嘘の意味を理解して、また己を恥じた。

 

 天才かどうかは関係ない……今の自分に出来ることを全力でやらない者は、凡人にすらなれはしない。

 

 味覚障害の料理人である黒瀬恋はそれを理解しているからこそ、寧々を遠回しに正したのだ。

 

「(本当、舌を巻くわね……貴方は凄い料理人だわ)」

 

 それに気付いた寧々は、改めて、黒瀬恋に対する尊敬の念を強めたのだった。

 

 

 




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