紀ノ国寧々との調理は、それから順調にクオリティを上げていき、客の反応も右肩上がりに向上していった。蕎麦というからには、お昼時を過ぎれば客足も減っていくかと思われたが、十傑の店であることや恋の宣伝効果もあってか客足は途絶えなかった。
他の店を巡れるようにだろう、量は少なめに制作したざるそばが特に売れ行きが良い。まぁ一度に作れる量とメニューとして提供する量を考えれば、その方がコストも調理効率も良いのだろう。
そうしてようやく客足が落ち着いたのは、月饗祭の売上放送が行われる18時を回る頃であった。
用意しておいた分の蕎麦が全て捌け、現在は店を閉めている。店内の清掃を行いながらも、期せず出来上がった二人きりの空間に、恋も寧々も一息ついた様子だった。空も暗くなっているので、店内の灯りがあるとはいえ少し深夜の静けさのような空気が漂い始めている。
「ご苦労様、今日は楽しかった。久々に」
「ええ、お疲れ様でした。紀ノ国先輩も流石ですね、先輩の蕎麦打ちは見てて圧巻でした」
「貴方の盗み取ろうとする視線は正直生きた心地がしなかったけどね……高い基礎能力があるから出来ることだと思うけど、作る度自分の蕎麦打ちを修正していく貴方も大概よ」
「や、すいません。サポートに入るとその人の動きや意識の方向とか色々見てるので、自然と学ぼうとしちゃうというか」
「……大した向上心というか、学習意欲というか……まぁ、そういう意識があるからこそ、此処までの腕を手に入れたんだろうけど。茜ヶ久保先輩や司先輩、久我の所でもサポートにその調子で入ったんでしょ? なら色々学べたんじゃない?」
「ええ、それぞれスタイルが違いますから、もれなく勉強させて貰いました」
そこで最初にその静けさを破ったのは、意外にも寧々の方だった。
調理中の会話はほとんどなかったというのに、開店当初とは打って変わってかなり打ち解けた態度になっている。
というのも、恋のサポートはほとんど一心同体と言わんばかりに動いてくれるので、通じ合っている感覚があるのだ。本当は恋が一方的に全部汲み取ってくれているだけで、通じ合ってはいないのだが、そう錯覚してしまうくらいに恋は支える料理人の意図を汲み取ってくれるのである。
だからこそ、十傑や超一流の料理人といった恋のサポート能力の価値を理解出来る料理人であれば、言葉はなくとも共に料理をした時間が互いの心の距離を近づけてくれる。
話してみてそれなりに恋の人となりを知っているからこそ、余計に寧々は恋に対してある程度心を開くことが出来たのだ。
「明日は何処?」
「明日は一日薙切えりなの店を手伝うことになってます」
「そう……確か幼馴染?」
「ええ、まぁ小さい頃に過ごしたっきり、再会したのは此処に編入してからですけど」
「その割に仲が良いのね」
「まぁ、友達ですから」
寧々は最終日の恋の予定を聞いて、そういえばと恋とえりなの関係性を思い出す。
特に興味もなく聞いていたけれど、選抜前の決議の時に反対したえりなの姿や、それに対する叡山の言葉には、恋とえりなが幼馴染であることが含まれていた。寧々は恋の苦笑を見て、恋にとってえりなは大切な幼馴染なのだろうということを理解する。
「……なるほど、だから私に食戟を挑んできたのね。正直驚いたけど、そういう理由なら納得もいくわ」
「まぁ、それだけってわけではないですけど……」
「けれど、貴方が食戟で私に要求してきたことを考えたら、別に私じゃなくても良かったんじゃないの? それこそ、石動や久我の方が席次は下なんだし、やりようは幾らでもあったと思うけど……あえて私を選んだ理由はなに? それとも……私が一番勝てそうだと思ったの?」
すると、寧々は恋との食戟を思い出しながらそう問いかけた。
恋と寧々が月饗祭以前、密かに行った食戟の理由。そこで恋が彼女に求めた賭け品とは一体何なのか、それは謎のままだ。
しかし、その要求内容を考えると必ずしも紀ノ国寧々でなくてもよい内容らしい。ならば、恋が紀ノ国寧々を選んだ理由は一体何なのか―――それが、寧々には疑問だった。
黒瀬恋の人となりを考えれば、決して勝てそうだからという理由ではないことくらい理解出来る。だが寧々の中に燻る天才への劣等感が、そう言わせたのだ。
恋はそれに苦笑を返しながら答える。
「そういうわけでは決してないですよ。ただ……十傑の中で一番尊敬出来るのが誰かと訊かれたら、俺は紀ノ国先輩だと思うからです」
「! ……どうして?」
「それは紀ノ国先輩も感じてるでしょう? 先輩の実力は、純粋な研鑽を堅実に積み重ね続けてきた、確かな基礎と技術の結晶です……これは才能やセンス以上に、経験がなければ得られないものだ……貴方が一番、俺が手本にすべき姿勢を持っている」
「……―――そう、だからあの要求を私にしたのね」
「ええ、ただ十傑の一人だからという理由で挑むには失礼ですから。貴女にこそ、俺は挑みたかった」
「そう……特に興味もなかったけど……後輩に慕われるのは良いものね」
寧々は真正面から純粋な尊敬の言葉を受けて、自分自身の胸の中にじんわりと広がる感情を理解した。ただただ夢中になって積み重ねてきた自分のことを、こうもストレートに尊敬してくれる後輩は初めてだった。
しかも黒瀬恋は極星寮の生徒だ。あそこには一色慧もいるし、なにより彼は司や竜胆、もも、久我、えりなと十傑には親しくしている者も多い。
にも拘らず、交流もほとんどなかった自分を一番尊敬していると言ってくれたことが、どれほどの意味を持つか、恋は知らないのだろう。
「けど、それなら本当に良いのかしら。貴方の要求通りに私は行動するけれど、そうなれば貴方にとっては都合の悪い展開になると思うのだけど」
「ええ、無理に抑制したところで俺の力はたかが知れてる。なら、早々に戦って勝つ方が分かりやすいですし、確実なので」
「そう……まぁ、その為の食戟だったのでしょうし……分かった、それなら私が貴方の切り札になってあげる」
「ありがとうございます、紀ノ国先輩」
「寧々で良いわ、この先貴方と私はもう秘密を共有する仲間よ……それに、料理人としての姿勢なら、私も貴方を尊敬するわ」
「……そうですね、寧々先輩」
寧々も恋も、笑みを浮かべて握手をする。
食戟で交わされた、二人にしか分からない約束。それがこの先の展開にどんな波紋を呼ぶのかはまだ分からない。けれど、互いに同じ様に研鑽を積んできた努力の料理人である二人だからこそ、互いを尊敬し、信頼することが出来る。
「そうそう、ついでだから私も将来実家の店を継いだ後、貴方を雇い入れたいって言ったら、どうする?」
「えぇ……勘弁してくださいよ」
「ふふふ……冗談よ。でも、また一緒に料理がしたいのは本当」
「それは勿論、いつでも声を掛けて下さい」
すると、丁度学園放送が流れ始める。夜空に星が見え始めた遠月学園に、今日の売上ランキングが発表された。
『本日の売上ランキングを発表致します! まず山の手エリア一位は―――』
焦らすような放送を聞きながら、窓から外を見つめる寧々がぽつりと恋に言う。
「今日は楽しかった。多分、人生で初めて……料理を楽しいと思ったかもしれない」
「……そうですか」
「ただ上達することが好きで研鑽を続けてきたけど……貴方と一緒に料理をして、少し世界が広がった気がする―――ありがとう」
「ええ、俺もです」
そうして外の明かりを背に振り向いた寧々が、ふと微笑んでみせる。
恋もそんな彼女に対して笑みを返し、そこでランキングが発表された。
『一位は――――十傑第六席、紀ノ国寧々の江戸蕎麦屋!!』
研鑽を積み重ねてきた努力の料理人の店が、この日の頂点に立った瞬間だった。
◇ ◇ ◇
……そして四日目の月饗祭が終わった夜。
最終日に向けて、とある場所に数名の人物が集まっていた。
部屋の中に用意されたテーブルに付いているのは、遠月学園十傑評議会の半数。
「皆集まったかな」
第一席―――司瑛士
「お腹空いたなぁ」
第二席―――小林竜胆
「竜胆は月饗祭中食べ歩いてたんじゃないの?」
第四席―――茜ヶ久保もも
「相変らず底なしの胃袋だ」
第五席―――斎藤綜明
「……」
第六席―――紀ノ国寧々
「まだ例の方が来てません」
第十席―――石動賦堂
十傑の内六名の人間が集まっているこの状況が何を意味するのか、それを理解出来る人物は今のところほとんどいないだろう。しかし彼らのいる部屋の扉を開ける人物がいた。
漆黒のコートを靡かせ、その手まで黒の皮手袋で覆った病的に肌の白い男性。黒髪に一分白いメッシュの入ったその髪も相まって、少し不気味な空気を纏うその男性は、コツコツと歩きながらテーブルの上座にゆっくりと腰掛けた。
「さて……集まってくれてありがとう、とうとう月饗祭も明日が最終日だ」
静かな空間に響くのは、ゆったりとした低音の声。
十傑の面々は先程までの会話が嘘だったように真剣な表情でその言葉を聞いている。そんな彼らに構わず、男は続けて口を開いた。
「君達に賛同してもらったことで、ようやく僕も動ける。とはいえわざわざ伝統ある月饗祭に無粋な水を差すつもりはない―――だから、僕が動くのは月饗祭の校内放送の後になる。そこから……この遠月の新しい歴史が始まるんだ」
「そして新体制の遠月では、貴方や十傑を中心とした学園運営が始まる……ですよね?」
「その通りだ。今の腐った料理業界を変えるためには、必要な改革だよ……このまま由緒ある遠月学園が凡庸な料理人ばかりを輩出する場にしていくのは、損失でしかない」
男の言葉に司が言葉を返せば、男はにっこりと笑いながらそれを肯定する。
遠月の改革――それを行うために、彼はこの場にいた。この場に集まった十傑の面々はそれに賛同し、彼の改革を進める協力をしている。
黙って男の話を聞く姿勢を取る十傑達に、男は悠々と語った。
「今日は明日、僕が動くことの伝達の為に集まってもらった。メールなどの連絡でも良かったんだが……改めて皆の意志が変わっていないか確認の意味も兼ねて、直接伝えさせて貰ったんだ」
「じゃあこの場にいる時点で、その意志は確認出来たんじゃ?」
「そうだね茜ヶ久保……君達の意志が変わっていないようで安心したよ。茜ヶ久保は昨日倒れたと聞いている、今日は月饗祭でも店の営業時間が午前中のみになっていたし、まだ回復していないんだろう? 体調が優れない中来てもらって申し訳ないね」
「別に……念のため少し休んだだけだから」
ももはこういったメールでも済むような集まりはあまり好かないのか、早く解散させろと言わんばかりに発言したが、男はそれに対して素直に申し訳ないと言ってにっこり笑う。
その笑顔に不気味さを感じたからだろう、ももは小さくそう言ってブッチーを抱きしめた。
とはいえももの言葉は御尤もと思ったのだろう、男は立ち上がって最後にまた口を開く。
「それでは今日は解散としよう。明日からは君達も忙しくなる……しっかり休息を取るといい」
そうして部屋を出ていく男を見送って、取り残された司達はふと息を吐いた。
重苦しい空気感から解放され、緊張感が途切れたからだろう。思い思いに姿勢を崩す。
すると解散ならばと石動や斎藤が立ち上がり、続々と部屋を出ていく。
続いて寧々も退出しようとするが、不意にそこへ司から声が掛かった。
「そういえば紀ノ国は今日、黒瀬のサポートを受けたんだろう? どうだった」
「! ……どうとは?」
「彼のサポート能力は超一級品だ。紀ノ国といえど、何か感じるものがあったんじゃないかと思ってね」
「…………それを聞きたくて集まったわけじゃないですよね?」
寧々はその言葉を聞いて、部屋に残っている司、竜胆、ももの三名がこの場にきた理由を悟った。この三人は、というより司とももは恋に執着している十傑メンバーだ。であれば、今日恋のサポートを受けた自分が、恋の腕を狙っているかどうかの確認をしたいのだろう。
寧々は不意に、冗談ではあったが、将来自分の店で雇い入れたいといった発言をしたことを思い出し、一瞬言葉に詰まった。
「……やっぱりかぁ……」
「ち、違います! 私は恋の実力は尊敬に値すると思いますけど、別にそういうわけじゃ」
「恋くんのこと恋って呼んでる……なんで?」
「え、と、茜ヶ久保先輩、目が怖いんですけど……」
「うわ、めちゃくちゃ濁った目してるじゃねーか……こわ」
「竜胆も紀ノくにゃんも、あとついでに司も……恋くんはもものだから、手を出さないでくれない?」
「そういうわけにもいかない、黒瀬と俺が組んだ方が一番良い料理を作れる」
「は? それ以上ふざけたことを言うなら、その口縫い付けるけど」
「針と紐出して言われると本気っぽいからやめてくれないかな……?」
寧々は彼らの会話を聞いて、特に茜ヶ久保ももの恋に対する執着心がより強くなっているのを感じた。何をしたんだ恋は、と思う寧々ではあったが、それでも恋がこれだけの料理人達にその腕を認められていること自体は素直に嬉しく思う。
その感情から笑みを浮かべていたのだろう、それを見たももが淀んだ瞳に苛立ちを浮かべてくる。
「何? 紀ノくにゃん、今日一日恋くんと二人っきりだったからって調子に乗らないでね。今日だって、最初恋君のサポートに飲まれてたよね?」
「な、何で知って……まさか、見てたんですか……?」
「え、茜ヶ久保……もしかして今日午前営業だったのって、そういう……?」
「うははー! お前、やるなぁ。シンプルにストーカーじゃねーか」
「別に、恋くんがどうしてるかなって見にいっただけ。ストーカーじゃない」
こわ、と思う寧々は、一番やべーのは茜ヶ久保先輩だと理解した。
何があったのかは分からないが、恋はどうやら茜ヶ久保先輩に大層気に入られているらしい。それこそ独占欲を剥き出しに周囲を警戒させるくらいには、ももの恋に対する執着心が凄まじかった。
「別に何もないですけど……恋に迷惑は掛けないでくださいね」
「表出なよ、司諸共ブッチーの餌にしてあげる」
「サラッと俺も入ってるんだが!?」
先程の男が明日に何かを起こすという話をしていたが、寧々は正直、恋を中心としたこの修羅場の方がやばいのではないかと思い始めていた。
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