ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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七十話

 そうして始まった月饗祭もとうとう最終日。

 今日も今日とて大勢の人で賑わい、それぞれ最終売上を伸ばすべく、また自分の料理を世に広めるべく、腕を振るう一日が始まった。

 

 恋の注目度も未だ健在であるが、今日はえりなの店で一日サポートに入ることになっている。彼女の店は完全予約制となっており、既にこの日に入る客は事前に決まっていた。神の舌のネームバリューは相当なもので、予約制だとしても開店から閉店までずっと満席状態が続く予約状況である。

 そこにプラス黒瀬恋の名前が加わるのだから、その料理を一口食べてみたいという人間は多かったものの、予約していなかった者には残念な結果になった。

 

 とはいえ薙切えりなも新戸緋沙子の力を借りて、予約リストの管理は完璧だ。テーブルに着く客は全員もれなく美食業界に名を馳せる者ばかり。彼らに認知されたのであれば、恋やえりなの名前もこれ以上なく拡散されることになるだろう。

 

「恋君、準備は出来たかしら?」

「ああ、大丈夫だよ。それにしても、随分立派な店を作ったもんだな」

「ええ、緋沙子が色々手配してくれて、私が指揮を執ったけど、良いお店になって良かったわ」

「じゃあ最終日は今まで以上の最高の品を出して、外観以上の中身を見せないとな」

「当然そのつもりです。恋君と料理をするのなんて小さい頃以来だから、ずっと楽しみにしていたわ」

「俺もだよ」

 

 普段の黒いコックコートに着替えた恋の下へやってきたえりなの声に、恋が言葉を返す。

 お互いに料理をする準備は万端。

 黒瀬恋と薙切えりな―――二人が一緒に料理をするのは、幼き日のあの時以来。懐かしさを感じながら、互いに互いの成長を感じられる瞬間を心待ちにしていたのは間違いない。ワクワクしているのだろう、互いに笑みを浮かべると、厨房に向かって歩き出す。

 

「月饗祭では色々大活躍だったみたいね」

「おかげさまで、色々と勉強させて貰ったよ」

「正直驚いたわ、月饗祭中遠月十傑約半数の店で仕事をしたのなんて、史上初じゃないかしら? まぁ……正直不安もあるけれど」

「かもしれないね……まぁ、色々考えて俺に出来ることを探った結果だ」

 

 会話をしながら歩く二人。

 えりなはこの月饗祭中、恋の名前が広がっていることもしっかり聞いていた。十傑の店どころか、各エリアにある店をサポートして回っており、更にはその全ての店が売上ランキングで上位に入るという偉業を為していると。

 恋のサポート能力が高いことは勿論知っていた。それは茜ヶ久保ももとの調理でも垣間見ていたし、司から話を聞いていたから。

 

 けれど売上ともなれば料理の腕だけでは獲れるものではない。そこには間違いなく、店を経営する上で人を集める魅力があった筈なのだ。恋は料理人として、店に調理以上の貢献をしてきたことになる。

 獲得した名声、発信力、実力、それらは恋のいく先々で彼を支える力となっていた。

 そうなると、えりなとしても恋のサポート能力が人並外れたものであることを再認識させられてしまう。

 

 だからこそ、今日この日―――彼と共に料理をすることが楽しみで仕方がなかった。

 

 自分が料理を教えたあの時間。

 それが彼を此処まで素晴らしい料理人に導くきっかけだったのだ。尊敬以上に、その事実が誇らしく思える。

 

「特に茜ヶ久保先輩の店では大活躍だったみたいだけど……」

「あー……まぁちょっともも先輩が張り切り過ぎて倒れちゃってね」

「恋くんが介抱したの?」

「え? それはまぁ、そうだけど」

「……そう」

 

 とはいえ、そんなことよりも恋がサポートして回った店の中には十傑達も多くいるのだ。第一席である司瑛士すら魅了した恋のサポートを受けた十傑達が、恋を欲しがらない筈がない。

 自分の知らない所でライバルが増えているのではないかと危惧しているのだ。

 

 特に危険だと思っているのは、茜ヶ久保ももである。

 元々あれほど恋に執着を見せていた彼女が気合いを入れて午前営業にしていたことから、彼女の恋に対する信頼が強いのは容易に想像できる。そして当然の様に取ったその日の売上トップ―――恋のサポートへの信頼は、期待以上に応えられたということだ。

 その上茜ヶ久保ももが倒れた後、恋なら甲斐甲斐しくその介抱を行っただろうことも想像できるからこそ……えりなは茜ヶ久保ももが恋に対する感情を強くしている可能性は非常に高いと思っていた。

 

 根拠は自分が恋に優しく介抱されたら、それを想像したら正直ダメになってしまいそうだったからである。

 

「恋君は将来、料理人としてどうするかとか考えてるの?」

「ん? そうだなぁ―――君の返事次第かな」

「っ!? ……あ……」

 

 そこで一歩踏み込んだ質問をすると、苦笑しながら恋に返された言葉に息が止まった。

 催促しているわけではない、けれど彼は今もえりなが勇気をもって返事をくれる瞬間を待っている。その意志を見せてくれていた。

 

 こんなにもだらだらと引き延ばしている返事――――それでも彼は、今もえりなを好いてくれているのだ。それが、たった一言で伝わってしまった。

 

「あ、あの……私も、その……」

 

 えりなは途端に頬を朱に染めて、身体の前で手を絡めながらもにょもにょと口籠りだす。不意打ちの右ストレートを食らって思考が真っ白になってしまっていた。

 恋はそんなえりなの動揺した様子にクスリと笑うと、その背中をぽんと叩いていつのまにか到着していた厨房へと入っていく。

 

「あっ……」

 

 急がなくても良い、という恋なりの意思表示なのだろうが、えりなは厨房へと姿を消した恋の背中を追いかけて、自分も厨房へと入っていく。

 そうすると其処には緋沙子もいるので、返事の話は出来なくなった。恋なりの気遣いなのだろうが、えりなはまた返事を返せなかったことで若干落ち込む。

 

 とはいえ、これから開店なのだ。

 料理人として全力を尽くすべき場所で、いつまでもへこたれてはいられない。ましてや当の恋の前で調理するのだ。無様な姿を見せるわけにはいかない。

 

「こほん、それでは緋沙子――開店してくれるかしら」

「承知しました」

「恋君には事前に伝えたコースメニューを作る手伝いをして貰います。種類は五つ、状況によって臨機応変に変化させるかもしれませんが、レシピは頭に入ってるわね?」

「勿論、問題ない」

「よろしい、では今日は売上トップを目指します―――遠月の頂点たる美食を作りましょう」

 

 気を取り直したえりなの指示が飛ぶ。

 そして最後の締めくくりの後、緋沙子は開店するためにホールへ。えりなと恋はそのまま厨房にて調理を始める。既に四日目までの間である程度効率化が図られているのか、整理された状態で置かれた食材、調理器具を見て、恋も袖を捲った。

 

「では、始めましょう。恋君、貴方の成長を見せてちょうだい」

oui、chef(ウィ シェフ)

 

 四宮小次郎の店でのスタジエールを思い出しながら。

 神の舌を持つ天才、薙切えりな。

 味覚障害の鬼才、黒瀬恋。

 互いにそれぞれ神懸った感覚と神懸った技術を持つ者同士が組んだこの日、一体どんな化学反応が起こるのか。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 調理が始まってから、薙切えりなは己も気が付かないほどにスルリと、過去最高の集中状態に入った。入った後で、自然に調理に集中する自分にハッと気が付いたくらいに、あまりにもスムーズだった。

 自分の指先、肌の感覚、意識、思考、調理工程の段取り、その全てが鋭敏になっているのが分かる。思ったように体が動き、無駄な動きもなくなっていくのが分かった。

 

 原因は勿論、黒瀬恋のサポートを受けているからだろう。

 

 薙切えりなは、あの堂島をして遠月開闢以来の怪物になりうる資質の持ち主と言われるほどの料理人。その調理技術も、料理知識も、料理センスも、全てが一級品であり、その全てを薙切の血統として極限まで研ぎ澄ませてきた。

 だからこそ分かる、恋のサポートが自分の調理工程における手間を全て省略していることが。

 

 一つの料理の調理工程が20あるとして、その中で作業を大きく分けた時に作業内容が5つになった時、その5個の工程の間にある4つずつの手間。それを恋が省いてくれているのだ。

 それはつまり、えりなは全ての調理工程を大きく分けた時の5つの工程をダイレクトに行うことが出来るということ。1が終われば4つの手間を省いて2の作業へと即座に移行できるというのは、全くストレスを感じさせない。

 しかも、工程と工程の間にある手間が全て完璧な仕事で、完璧なタイミングで用意されていくのだ。必然的に、えりながミスさえしなければイメージ通りの完璧な料理が生まれるのは当然のこと。

 

 集中が深くなれば、己の調理に没頭していき―――余計な思考も、ストレスもなくなっていく。

 

「(これが―――貴方が手に入れた力……! 私のポテンシャルが、全て引き出させていくのが分かる……!!)」

「(流石えりなちゃんだな……調理工程にほとんど無駄がない―――けど、物理的にそれを失くすことは出来ない。ならそこを俺が補えば、当然クオリティは爆発的に跳ね上がる……!!)」

 

 恋のサポートを受けて、えりなのサポートをして、互いに互いの動きに感化されていた。恋のサポートによって無駄が消えたえりなの調理は、彼女自身の持つ最高の資質とポテンシャルを極限まで引き出されていく。反対、調理中に進化していくえりなの調理に、恋もまた自分の視野が広がっていくのを感じる。

 

 今まで、恋がサポートに入ることでメイン料理人の無駄な労力が減り、その結果自身の調理に没頭することができるという効果が発揮されていた。

 だがそもそもメイン料理人の無駄が少なければ、恋の労力も減るのは当然のこと。

 

 

 ―――であれば、恋が及ぼす影響と同様の影響が、恋に起こってもおかしくはないのではないか?

 

 

 恋のサポートによってそのポテンシャルを極限まで引き出された薙切えりな。

 薙切えりなの殆ど無駄のない調理によって、そのサポート能力を極限まで引き出される黒瀬恋。

 

 互いが互いの能力を最大まで引き出す起爆剤となって、二人の調理は際限なく進化していく。

 

「(―――恋君が次にどんなサポートするのか、肌で分かる)」

「(えりなちゃんが次になにをして欲しいのか、直感で理解出来る―――)」

 

 互いが互いの動きを理解し、信頼し、互いの動きを予測し合う。

 最早これはサポートやメイン料理人といった垣根を超えていた。紀ノ国寧々が錯覚していた通じ合っている感覚―――まさしく、この二人は互いが互いのことを分かって、通じ合っていた。

 

 信頼している。

 信頼されている。

 そのどちらもを確信しているからこそ、安心して任せられる。

 安心して腕を振るうことができる。

 

 一人の天才がとある分野で努力を重ねたとして、その才能と努力が噛み合った時、最高のパフォーマンスを発揮することが出来る。

 

 それと同じことが起こっていた。

 

「ははっ……!」

「ふふっ……!」

 

 笑う二人。

 薙切えりなという珠玉の才能と黒瀬恋という極限の技術、その二つが完璧に噛み合った。この瞬間こそ、美食の歴史の新たな転換点だと言っても過言ではない。

 

 えりなは楽しかった、嬉しかった。心から溢れる歓喜の感情が抑えられなかった。

 

「(嬉しい……嬉しい――!! ああ、恋君……あの日、何度も失敗して、何度も苦しそうに料理を作っていた貴方と……こんな風に料理が出来る日がくるなんて……貴方が料理人として走り続けてきてくれたことが、苦しくなるくらい嬉しいの……!)」

 

 ともすれば泣いてしまいそうだった。

 幼き日のあの時間――恋は不味い料理しか作れない、味覚障害という圧倒的なハンデを抱えた非才の少年だった。そして一度は自分の嘘で傷つけてしまい、料理を嫌いになってしまったかと思うくらい、料理人としては残酷すぎる運命を背負っていた。

 

 なのに、それなのに、恋は追いかけてきてくれた。

 薙切えりなという少女を独りにしないでくれた。

 幼き日の彼が、きっとその過酷さを知らずに口にした、『えりなに美味しいと笑ってほしい』という言葉を嘘にしないように―――彼は走り続けていてくれた。

 

 どれほど血反吐を吐く様な日々だったのだろうか。

 どれほどの努力と、挫折と、苦悩を重ねてきただろうか。

 

「(―――諦めてしまいたいって思わなかったの? ……逃げ出してしまおうって、投げ出してしまおうって……そうは思わなかったの?)」

 

 そうなっていてもおかしくはなかった。

 いやむしろ、そうなっていて当然のことだと思った。彼が料理人を続ける可能性はほんの1パーセントにも満たない確率だったに違いない。

 

 けれど、1パーセントの薙切えりなへの想いが――彼を此処まで連れてきてくれたのだ。

 

「(楽しいわね、恋君……あの日の続き―――一緒に料理をしましょう)」

 

 えりなの動きが変わっていく。

 美食を追い求めるような調理ではない。それはまるで、彼女が本来そうだった姿を取り戻そうとしているようだった。

 

「(ああ、そうだな……えりなちゃん……そうだった、君はそうやって料理をしていたよ)」

 

 その動きに気付いた恋の胸の中にも、じんわりと広がる温かい喜びの感情が生まれる。

 それは恋がかつて幼い頃に憧れた、小さな料理人の姿だった。

 

 ―――楽しいわね。

 ―――楽しいよ。

 

 そう、薙切えりなは黒瀬恋に料理を教えた時、こう教えたのだ。

 

 

 "料理は、人を想って作るものなのよ"

 

 

 二人が心に想う人は今、目の前にいた。

 

 

 




イチャイチャ。
でも料理してるだけです。
表現力の挑戦。

感想お待ちしています✨





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