ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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七十一話

 黒瀬恋と薙切えりな、その組み合わせによって生み出される料理はどれほどのものなのか。それを想像しない者は、きっと今日の遠月学園にはいなかっただろう。

 なにせ今やこの年に入ってきた一年生の中でもっとも有名で、もっとも対極とも言っていい二人だ。

 

 片や中等部からのエスカレーター入学で、薙切の血統。神の舌という至宝たる才能に恵まれた遠月開闢以来の天才。

 片や高等部からの編入生で、無名の料理人。味覚障害という致命的な欠陥を抱えながら、遠月史上最大の異端児。

 

 全く対極の人生を歩みながら、同じ料理人を志した二人。にも拘らずそれぞれが違う武器を持ってこの遠月で出会った。

 神の舌に、神懸った調理技術が加わったなら―――一体どれほどか。

 

 そしてその空想が現実となった一皿を味わった者は、皆美食としての究極を体感した。舌の上で広がり、喉を通過して尚鼻を突き抜けて、脳の全機能を刺激するような感動が鳥肌を生み、体中を広がるような活力が細胞を若返らせるようだった。

 味を分析し、何が使われて、どんな技術が使われているのか……そんな美食家としての職業病の様な癖すら、圧倒的な力で抑え込まれてしまったような巨大な感動。

 

 味を感じた瞬間、嗅覚で脳を叩き起こされ、肌が震え、その目が天国を幻視し、全ての音をシャットアウトして、全ての意識がその感動に集中した。五感全てで、感じさせられたのである。

 ある者は、ただ無言で完食し、尚も数分の余韻を必要としてから、たった一言こう零した。

 

 

 ―――この感動を言葉にするには、この世界にはあまりに語彙が不足している。

 

 

 数多くの美食を食してきた美食評論家たちが、こぞって……美味しいという言葉でしかコレを表現することが出来なかった。無論、何が使われて、どんな技術を用いて、そんなことは理解出来ている。だがそんなことを口にするのが憚られるほど、二人の料理は素晴らしかったのだ。

 

「……さて、今日の客は全員来たか?」

「ええ、料理も全て提供したし……一先ずは一段落って感じかしら」

「そういえば、ホールに空いた一番良いテーブルがあったけど、あれは?」

「あれは……もしも才波様がいらっしゃった時にご案内しようと思って」

「ああ、なるほど……じゃあ言ってくれれば良かったのに。なんだったら、俺から連絡した」

「それは……良いのよ。私が一人前の料理人になった時……あの方はふらりと立ち寄ってくれると約束してくださったから」

「……そっか」

 

 そして今、全ての料理を提供し終えて一段落した頃。厨房で一息付いていた恋とえりなは、不意にそんな会話をしていた。

 調理が終わった直後こそ軽い消耗があった二人だったが、恋による一方的なサポートではなく、互いが互いの腕を高める動きをしていたことで、その消耗は十傑の面々が感じたものよりも少なく済んでいる。恋のことを理解し、通じ合うことが出来たえりなだからこその結果だった。

 

 恋はえりなが城一郎を料理人として尊敬していることを知っている。だからこそ、今回えりなの店で空けられていたテーブルが彼のためのものだと知って、なるほどと納得した。

 恋なら城一郎の連絡先を知っているので、なんだったら連絡することも出来たのだが、えりなとしては忙しい城一郎に迷惑を掛けたくないという気持ちもあって、テーブルを用意するくらいしか出来なかったのだろう。

 

 いじらしい一面に思わず笑みを浮かべながらも、恋は料理人として、ほんの少しのジェラシーを感じてしまう。まだまだ、成長しなければと。

 

「……片付けは俺がやっておくよ、えりなちゃんはホールの方を見てくると良い。客はまだ食事中だからな」

「ありがとう、ちょっと行ってくるわ。ここはお願い」

「ああ」

 

 それはともかくとして、店はまだ営業中。客は提供した料理を食している最中だ。シェフとして、客を全員見送るまでが仕事である。

 えりなは恋の言葉に甘えて厨房を出ていき、恋は手早く厨房を片付け始めた。

 

 サポートをする上で調理環境を臨機応変に変化させていた恋であれば、何処に何があるのか誰よりも把握している。片付けはスムーズに行われていった。

 

「……?」

 

 月饗祭も終わりに近づいてきたからだろうか―――ほんの少しの不安がよぎる。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そしてホールにやってきたえりなは、緋沙子にもう予約客は全員きたかと確認を取り、昨日までとは違って粛々と音もなく食事を取る客に視線を向けながら、店が上手くいっていることを確認する。

 何か問題はないか、客への配慮不足はないか、そういった細やかな部分を確認していくが、一先ずは問題ないようだった。

 

 城一郎の為に用意したテーブルには、まだ誰も座っていない。

 当然と言えば当然だが、少しの期待があっただけ、残念さからシュンとなる。

 

「ところでえりな様、今日も一つ、テーブルを空けておられますが……それも一番いい席」

「いいのよ、いざという時のための席、だから……」

 

 緋沙子の言葉にも少々はぐらかしを入れながらそう答えるが、やはり残念さが勝つのだろう。その表情は少しだけ影があった。

 恋と料理が出来ただけでも十分幸せだったというのに、こうなるともっとと求めてしまうのは人間の欲深さなのだろうか。

 

 すると、不意に扉の開く音が聴こえてきた。

 緋沙子とえりなの視線が向かう。予約客は全て出迎えたというのに、新たな客の来訪に緋沙子は首を傾げ、えりなは一度手放し掛けた期待を再燃させる。

 

「一体どなたでしょうか……見てきます」

「まさか――……」

 

 緋沙子が扉の方へと駆け寄っていく。

 その背中を見送りながら、えりなも遅れてその後から歩いていく。

 

「あの、お客様ご予約はお済ですか? 当店は予約制でして―――!?」

「―――やぁ、久しぶりだ。えりな」

 

 出迎えた緋沙子の顔から血の気が引いた。

 そして扉の奥から聞こえてきた声に、えりなの顔も青褪める。

 

 

「お、お父、様……!?」

 

 

 現れたのは、憧れの城一郎ではなく……えりなの父、"薙切薊"だった。

 漆黒のコートに黒手袋、黒髪に一束白いメッシュが入っているのが特徴的な容姿。光を吸い込んでしまう様な黒い瞳と病的なほどに白い肌は、一見して不気味な雰囲気を身に纏っていた。

 

 数歩後退ってしまったえりなに対し、数歩店の中へと踏み込んできた薊。

 するとそれを庇うように両者の間に割り込んだ緋沙子が、あくまで冷静に対応した。

 

「困ります、お客様……当店は予約制となっておりまして―――」

「えりな、君の料理はこの程度の人種に振舞うためにあるのではない。もっと仕事する相手を選びたまえ。君の品位が霞むよ」

「!」

 

 だがまるで緋沙子がいないかのように言葉を被せて、薊は店内にいた客を見渡しながらそう言い放った。

 店内にいたのは美食業界では名前も知れた出資者や美食家達だ。それをこの程度の人種と呼び、品位が霞むとまで蔑んだ男に、黙ってなどいられない。

 

「なんだと貴様!!」

「謝罪したまえ!」

「無礼な!!」

 

 感動に酔いしれていたところに刺された無粋な言葉。余計に腹立たしいと思うのは当然のことだろう。

 だが不敵に笑みを浮かべる薊に対し、数名の人間がその正体に気付いていく。その正体が事実ならば、今ここに彼がいることは衝撃の事態だ。

 

「ん……? お、おい、あの男って…」

「あ、ああそうだ間違いない……! でもなんで今になって……!?」

「あの男は何年も前に、遠月から追放されたはずだ!」

 

 そう、薙切薊は何年も前に、ある出来事が原因で、遠月より追放された料理人だった。無論、追放されたのだからこの遠月学園に入ってくることも禁じられている筈。しかも何故このタイミングで、この店にやってきたのかも疑問だった。

 

 だが、それはそうと無礼な物言いを許せない人間はいる。

 

「ふん、何を怖じ気づいているのかしら。食事の席にズカズカ入ってきてさっきの物言い、貴方の方こそ品位があるとは言いがたいのではなくて?」

「お姉ちゃんナイスぅ」

 

 そう言ったのは、レトルトカレー業界のトップでもあるハウビー食品のCEO&COOに座する千俵なつめ&おりえ姉妹だった。実は秋の選抜予選でもカレーの審査にいた二人だが、薊はそんな二人を前にして尚ふてぶてしく笑みを浮かべながら言葉を返す。

 

「レトルトカレー界のトップにおわす方々ですね。子供騙しの味を世界中に撒き散らすビジネスは順調ですか?」

「ああ!? もっかい言ってみろやテメェこのクソボケがああああ!!」

 

 あまりに失礼な言葉に青筋を立てる姉妹だったが、そんな彼女達を鼻で笑う様にして薊は続けた。

 

「食の有識者を名乗る者たち……果たしてその中の何人が、本物の美味というものを理解しているだろう。真の美食……それは優れた絵画や彫刻、音楽に似ている。その真の価値は品格とセンスを備え、正しく教育された人間にしか理解できない。真の美食もそういうものなのだよ。限られた人間だけで価値を共有すべきであり、それこそが料理と呼ばれるもの。それ以外は料理ではない。餌だ」

「ご高説痛み入るけど、あなたが何を仰っしゃろうと詮無きことですわ」

「そうでしょうか? 血は確かにそこにある、そして教育もだ。さあえりな、君がどれだけ腕を磨いたのか見せて欲しい」

「え……あ……」

 

 そうして自分自身の持論を語りながら、えりなへと迫る薊。明らかにこの場を支配しているのはこの薙切薊だ。この店のシェフであるえりなは明らかに委縮してしまっており、客としてやってきていた美食家達もまたあまりの言い分に手を拱いていた。

 だがしかし、薊がえりなが空けていた城一郎のための席へと向かおうとした瞬間、その方に手を置いて止める者が現れる。急に現れたその人物にハッとなる薊は、少しの驚きと共にその人物へと視線を向けた。

 

 えりなもまたその視線を追いかけると、そこには厨房で片付けをしていた黒瀬恋がいた。

 

 ふと見ると、その背後に緋沙子が少し息を切らした様子で佇んでいる。どうやら自分の手に負えないと判断し、恋を呼びに行ったらしい。えりなは思わず、ほ、と安堵の息を漏らした。

 

 

「……お客様、店で食事をする以上は―――店のルールやマナーを守っていただかないと」

 

 

 恋が金色の瞳を細めてそう言えば、薙切薊もまた不愉快そうに眼を細めて恋を睨み付けた。

 

「……黒瀬恋、何故君が此処にいる? まさかえりな、この店で共に料理をしていたのではないだろうな?」

「!? ……それは」

「えりな、友人は選ぶべきだとは思うが……この男に関しては、縁を切るべきだ。食の世界において、彼以上に唾棄すべき存在はない」

「そんな!? 恋君は……!」

「黒瀬恋……僕の娘に近づくのは止めて貰えないかな? 君も薄々勘付いているのだろうが、再三に渡る警告を無視したつけは大きいよ」

 

 一方的にえりなに言い放つ薊に、流石のえりなも声を荒げたものの、それすら無視して恋に敵意を向ける薊。肩に置かれた恋の手を払い、尚も不愉快そうに恋を睨みつけている。

 恋としては何もした覚えはないが、父親が娘に近づく男を嫌うというには、いささか憎悪の感情が大きい。どうやら何かのっぴきならない事情があるような様子だった。

 

 とはいえ、えりなが怯えているのも事実。

 恋は自分と薊の間にどんな事情が存在するのかはさておいて、一先ずはその敵意に応えることにした。

 

「警告? ああ、面と向かって言えないから遠回しに陰口をばら撒いてチクチク攻撃する中学生のイジメみたいなやつですか? 申し訳ないです、蚊に刺された程度のことだったので気にも留めてませんでした」

「貴様……あまり調子に乗らないことだ……君の様な料理人として致命的な欠陥を抱えた人間が、美食を汚すことこそ損失以上の重罪だよ」

「料理をすることに罪があるとするならば、食物連鎖から勉強し直すことをおすすめします。命をいただくことに罪の意識があるということであれば、素晴らしい心掛けと思いますよ? 貴方はきっと食材を尊ぶ良い料理人になれるでしょう」

 

 恋の皮肉に青筋を立てる薊は、感情を露わにして恋を侮辱するが、それもまた恋の皮肉で打ち返されてしまう。

 どんな崇高な持論を持とうが、どんな主張をしようが、どんな信条を持とうが勝手だが、恋にとってはあくまで他人の主観でしかない。押し付けられる義理はないし、それに同意する意味もないのだ。

 

 であれば、薙切薊がどのような主義主張を呈してこようが、黒瀬恋は勝手に言ってろで終わる話である。

 

 この場において恋の主張は唯一つ、店のルールに従い、予約をしていないのなら退店してくれということだけだ。それ以外の論議に付き合うつもりは毛頭ない。

 

「ご退店願います、お客様」

「いずれ分かる……興が削がれた」

 

 恋が、これ以上はないと視線で示せば、薊は不快さを隠そうともせずにそう言って踵を返した。

 状況が悪いと踏んだのだろう。此処でどのような主張をしたところで、恋の主張を聞いた後では、美食云々の前に店のルールを守らぬ不届き者にしかならない。そのような無様を晒すことを、彼のプライドは許さなかったのだろう。

 

 どんな横暴も、どんな主張も、ルールの中で正当に行われなければ唯の戯言でしかない。

 

 だが薙切薊と黒瀬恋が対峙した。

 それだけで、この遠月学園に何か大きなことが起ころうとしていることを、誰しもに理解させたのだった。

 

 




遂にきました、薊さん。
どうしてこんなに恋を嫌うのか、その理由とは?
感想お待ちしています✨





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