ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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お待たせいたしました、更新再開です!


七十六話

 薙切薊と黒瀬恋の演説よりしばらく、遠月学園は保守派と改革派に二分された。

 薊と恋はそこからこれといって接触もなく、動きもなかったのだが、学園の中は料理の研鑽とは別の意味で―――ピリついた空気に包まれている。

 本来であれば、薊の告げた自治組織の解体作業が始まっていたのだろうが、恋の存在がその動きを食い止めていた。結果的に均衡状態が生み出されているこの状況で……日に日に積み重なったフラストレーションが生徒達の中で今にも爆発しそうになっている。

 

 これは抱いている苛立ちを、保守派が改革派に、改革派が保守派に向けているわけではない。改革という一つの事象が起こった今、それを左右する二者が動かずに沈黙を保っていることへ向いている。

 特に、この学園が改革へと向かっている以上、保守派は黒瀬恋が動かないことに対して少なくない苛立ちを覚えていた。

 

 つまり今、学園のフラストレーションの向かう先には、保守派改革派問わず黒瀬恋がいると言っていい。

 

 改革派は黒瀬恋を邪魔に思っているからこそ、保守派は黒瀬恋が動かないからこそ、文句の一つでも言いたくなるものだ。

 

「現状、お前に対してかなりの不満の声が上がってる。どうするつもりだ黒瀬」

「どうもこうもないですよ、セントラルのカリキュラムがどんなものなのかを体験するためにはある程度時間を置く必要があります。生徒達はかつてのカリキュラムと改革後のカリキュラム、両方を経験して自分がどちらが良いと思うのかを決める以上、寧ろ保守派と改革派の勢力図が確定するのはこれからです」

「それで、その勢力図が確定したらどうする?」

 

 だが恋はその状況を別段気にしてはいなかった。

 叡山の問いかけに対して放っておいたことの理由を述べれば、叡山はその先の話を問いただす。これはある意味政治的な戦いだ、叡山のコンサルティングとは少し毛色が違うので、叡山としても慎重にならざるを得ない。

 恋が此処まで薊に対して取ってきた行動が、叡山の思惑を超えていることは最早言うまでもない。ことこの戦いにおいては、恋の方が叡山よりも先を見据えて動くことが出来ているのだ。

 

 今や、この二人のどちらがブレインとして機能しているかと言われれば、恋の方に軍配が上がる。叡山としては恋の考えが読めないことで、先行きが見えない現状に焦りを覚えてしまう。

 

「勢力図が確定した場合、おそらく保守派はマイノリティになるでしょう。これまでの遠月の実力主義に苦悩してきた生徒は大勢いますから、十傑レベルのスキルを身に付けられる、競争のないカリキュラムを経験すればそちらに流れることは避けられない」

「そりゃそうだが、だとしたら不利になるじゃねぇか」

「いや、そうでもないですよ。改革後のカリキュラム、方針の本質は、真の美食を追求するのは選ばれた才ある料理人でなければならないという所にあります。つまり、セントラルに選ばれなかった料理人は、言葉にしないだけで薊総帥が"捨て石"と判断した料理人ということです……その上で、更に自分の料理を捨てた料理人が何百人いたところで、障害にはなりえない……まして、その全員が十傑レベルのスキルを手に入れた所で、現十傑の一人だって倒せませんよ」

「……つまり保守派や改革派の勢力がどうであろうと関係ないってことか? じゃあそれが確定するまで待つのはどういう意味があるってんだ?」

「この戦いは、薙切薊自身に負けを認めさせなければ意味がない。であれば、どこまでも正々堂々を貫きます……勢力図はその一環です。改革派の勢力が大きいという、この戦いにおいては無関係な情報も、一見こちらが不利な状況に見える以上、覆されれば一種学園内の世論は大きく傾く」

 

 恋は学園内の情勢がどういう風に変化した所で、恋と薊の戦いには一切関与しないという本質をきちんと理解していた。

 これが例えば、全校生徒をあげての格闘バトルロイヤルであれば、確かに敵の数はそのまま勝敗を分ける要素になりうる。しかしこの学園内で行われているこの戦いは、真の美食を切り開くのは旧体制と新体制、どちらなのかというものだ。

 

 その勝敗は全て料理にて決着する以上、何千人が相手であろうと究極の一皿には敵いはしない。行き着く先は結局、皿と皿のぶつかり合いでしかないのだ。

 

 恋が動かなかったのは、そういう意味で勢力図がどうなろうと関係がないからというのが理由の一つ。しかし、理由はもう一つあった。

 

「それに……積もりに積もったフラストレーションは、きっとこの均衡を崩そうと動きます」

「そりゃ……いや、待て……だとしたらその向かう先はお前だろう? どうするつもりだ? 食戟でもしようってのか? だが薙切薊がお前との約束通り、取り返しのつかない運営権を行使しないでいる以上、此処でお前が改革派の生徒と食戟を行うのは印象が悪いぞ」

「まぁ、だから俺は食戟をするつもりはないですよ。そもそもこの均衡状態はなるべくしてなった向こうの手でもありますしね……薊総帥が動かずに沈黙を保っている今、俺も不用意に動けない状況が作られたんです。俺と薊総帥が再度衝突するためには、この均衡を自分にとって優位な形で破る必要がある。ここで俺と改革派の生徒が食戟を行えば、薊総帥にとってはこちらに付け入る絶好の隙になるでしょうね」

「……じゃあこちらにとって優位な均衡の破り方ってのは、なんだ?」

 

 恋はその問いかけにふと笑みを浮かべた。

 現状この均衡に対してフラストレーションが溜まっているのは、保守派も改革派も同じこと。そのどちらの勢力からも、我慢できずに勝手に動き出す生徒はちらほらと出てくるものだ。

 ここで恋にとって有利だったのは、薙切薊が今後の改革においてその改革手順を明らかにしたことだった。

 

 つまり、恋の存在によって食い止められている『自治組織の解体』。

 

 改革派の生徒は、薙切薊の辣腕によって半ば洗脳のごとき思想を植え付けられている。十傑の煌びやかなスキル、確約された自分達の一流への道、活躍する自分の将来像、それを現実的なものとして提示してくる彼の改革は、心の弱い者ほど溺れたくなるものだ。

 だからこそ、薙切薊の思想は正しいと信じたくなるし、その改革が楽園を作るためのものなのだと疑うことをしなくなる。

 

 であればその改革を妨げる恋の存在は疎ましいだろうし、薊が動けないのであればと考えてもおかしくはないだろう。

 

「おそらくですが、じきに食戟の申請が増えますよ。それも、改革派による自治組織の解体を賭けた食戟が」

「それは……だが、それを引き受ける必要のない食戟のはずだ」

「そう、それにそれが成立して仮に改革派が勝利した場合、薙切薊は動かずとも自治組織の解体を進められるという事実が生まれます。敗北した所で、自分の改革とは関係なく、学園内に不和を齎す生徒であるとして挑んだ生徒を切り捨てるだけで、批判を収めることが出来る」

「成立するって言いたいのか? そんな食戟が」

「そう、おそらく―――極星寮で」

 

 恋は不敵に笑みを浮かべる。

 己が住んでいる大切な場所にいる自分よりもずっと破天荒な料理人達を思い浮かべて、自分や薙切薊の思惑や優位不利など関係なく、この均衡を崩す存在があるのであれば、それはきっと彼らなのだろうと。

 

 だが、薙切薊は恋のその思惑を外れる動きを見せようとしていた。 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

  

 あの演説から数日が経ち、恋の想像通り学園内で過激な生徒達が動きを見せようとしている頃合い。保守派と改革派の間に生まれた溝は深まるばかりで、ひりついた空気が学園内の至る所で火花を散らしていた。

 

 そして恋の想像通り食戟の申請は増えた。

 各自治組織、団体、ゼミ、部活動に対して解体を賭けた食戟を挑み出した生徒達が増え、それはそのまま薙切薊政権の力の強さを感じさせている。

 現状各団体はその食戟を受け入れるようなことはしていないが、改革派の煽りや批判の声が段々と大きくなっている今、いつ挑発に乗って食戟を成立させる団体が出てきてもおかしくはない。

 

 とりわけ、黒瀬恋の所属する極星寮の面々にもその手は伸びようとしていた。

 しかし青天の霹靂――――そんな状況で薙切薊が動いたのである。

 

 授業が終わり、空が暗くなってから極星寮でも夕食の時間を楽しんでいた頃、不意に薙切薊が極星寮を訪れたのだ。

 

 

「やぁ、極星寮の諸君―――こんばんは」

 

 

 当然、唐突な訪問に驚く極星寮の面々。中には恋の姿もあり、この訪問には少々驚きを隠せないようだった。さらに言えば、現在極星寮には薙切えりなもいる。

 彼女の過去を聞いた極星寮の面々からすれば、彼女を追い詰めた元凶である薙切薊への警戒心が高まるのは当然のことであった。

 

「薙切薊ぃ……!?」

「なにしにきやがったんだ……!!」

「何、娘の顔を父親が見にくるのは不思議な話ではないと思うが? アリス君の突飛な行動には驚いたよ」

「それで? 薙切の顔を見に来るためだけに黒瀬のいる極星寮に顔を出したってんすか?」

「幸平創真君……まぁその通りだ。現状学園内に走る緊張感や苛立ちの空気は君達も感じているだろう? その最たる理由は、僕と黒瀬恋君との間で改革に関する進展がないからだ……このままでは料理人育成という新旧体制共通の目的すら停滞してしまうだろう。それは僕としても願うところではないからね」

 

 薙切薊の訪問に対し、えりなの周囲を女子達が固め、前に出た男子達が応対する。一番前に出たのは幸平創真だった。こういう時、大人が相手であろうと強気に出られるのは、幸平創真の長所だろう。

 だが、そんな彼に対して薙切薊はさも真っ当な意見を投げかける。

 この現状に対して、新総帥として何か対策を講じたいというのは理解出来ない話ではない。料理人の育成を目的としている料理学校で、現在のような停滞を見逃すことはできないだろう。

 

「けど、今の黒瀬とアンタの立場を考えたら不用意な接触はトラブルを引き起こす元になると思うんすけど?」

「ふむ、随分と嫌われたものだね……けれど、幸平創真君、それに極星寮の諸君……いや、保守派の生徒全員に言えることだが――――仮に僕が学園を脅かす敵だったとして、君達に何かできることがあるとでも思っているのかい?」

「!?」

 

 何を言っても此処まで警戒されていては話にならないと思ったのか、薙切薊は少しだけ言葉に圧を乗せてくる。創真達はその言葉に対して眉を潜めて押し黙った。

 

「僕がこの改革に踏み切った時、それに真向から反対し、改革に停滞を齎すという実績を上げたのは黒瀬恋君だけだ。君達は所詮黒瀬恋という神輿を担いで騒いでいるだけの生徒でしかないだろう? 事実、彼がいなければこの極星寮ですらも、解体の対象として今頃無くなっていたのだから」

「!?」

「極星寮が、なくなる……!?」

「そんな……」

 

 薊の言葉に慄く創真達に、薊は悠々と続ける。

 

「いいかい? 僕が総帥でいられるのは、黒瀬恋君が十傑にあえて賛同を呼び掛けた結果だ。つまり彼がその気になれば、すぐにでも僕をこの学園を追い出すことが出来る……現状そうしないのは、僕が今後この学園……つまり君達の将来に関与しないようにするためだ。改革が悪だというのなら、今の君達は黒瀬恋によってその脅威から守られているだけの存在でしかないんだよ」

「……」

「そんな君達が黒瀬恋の庇護を受けながら反抗的な行動を取ったところで、僕にとっては滑稽にしか映らない。無論、僕自身も彼の恩情によって生かされているも同然だから、言えた義理ではないけれど」

 

 薙切薊の言っていることは、創真達にも理解出来た。

 つまり、保守派も改革派も、現状騒いでいる生徒達にはなんの発言力もないということだ。学園内の世論という意味ではその声に力はあるのだろうが、それでも十傑という学園運営内の最高決定権が新体制の手にある以上、何かを変える力は彼らにはない。

 

 今この学園内で薙切薊と対等に話をすることが出来るのは、黒瀬恋唯一人なのである。

 

「そこでだ、黒瀬恋君……君もこの現状を変えることに不満はない筈だ。そろそろこの改革派と保守派の争いに明確な終着点を決めたいと思うのだが、どうだろう?」

「……願ってもないですね。自分も同じことを考えてました」

「ありがとう……ここでは皆さんの夕食を邪魔してしまうな……外で車を待たせてある、ドライブでもどうかな?」

「……いいですよ、ゆっくり話しましょうか」

 

 薙切薊と黒瀬恋、邪魔の入らない場所で二つの勢力の代表同士が話をする。

 その事実の錚々たるやないだろう。

 創真達は外へと出て行こうとする恋の背中に心配の視線を送るが、恋は何でもないことの様に笑みを浮かべるとそのまま出て行った。

 

 創真達の脳裏には、薊に言われた言葉が反芻する。

 

 今の自分達には、何もできることはなかった。

 

 




書いていて頭痛くなりました。
料理しなよって思いました笑

感想お待ちしています✨

また再開後の更新ペースですが、週一更新にさせていただければと思います 
具体的には月曜日に一話更新でやっていきたいと思います!
休止中にあれこれやっていたら、現在作家として、またクリエイターとしてのお仕事が軌道に乗っていきそうなので、そちらに注力したいというのが理由です。

趣味での二次小説執筆ではありますが、しっかり完結させるつもりなので、どうぞ最後まで楽しんでいっていただければ幸いです。
今後とも、どうぞよろしくお願い致します!


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