ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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七十七話

 車窓から入る街灯の光が一定の感覚で車内を照らす。

 そこは高級車特有の静かな走行音と運転手の運転技術の高さから、静かな密室空間となっていた。一般的な車とは違って、L字ソファの様な椅子が設置されている黒のリムジン。

 黒瀬恋と薙切薊は少し距離を離した位置で、座っていた。

 車内にはある程度の設備が整っているらしく、薙切薊が自ら動いて恋へと飲み物を渡す。中身はただの温かいお茶のようだが、香りから高級な茶葉を使っているのだろうということは恋にも分かった。

 

「味覚障害を抱える君にとっては、上等な茶をもてなされたところで水や白湯とそう変わりないのかもしれないが……まぁ話をする以上は飲み物はあった方が良いだろうからね」

「いえ、ありがとうございます」

「さて……それでは早速話をしよう」

 

 恋に対しての皮肉にも取れる言葉を放つ薊だが、恋とてそれに腹を立てる様な器の狭い人物ではない。それに、これは振舞う以上は高級なものを用意する、という薊なりのもてなしなのだろうと、恋も察していた。

 

 飲み物を用意して喉を潤したところで、薊と恋の対談が始まる。

 この遠月学園の改革をどうしていくのかの話し合いが。

 

「現状、今の遠月学園は改革と旧体制の間で停滞している状態だ。セントラルの教えによって確かなスキル向上の成果は出てきているが、それでは旧体制を廃止するほどのメリットにはなりえていない。私はこの改革を進め、部活動、研究会、ゼミといった団体を解体することで、その分のリソースを実力ある料理人の輩出に割きたい」

「でも、旧体制は完全実力主義の競い合いの世界であっても、そこから輩出された料理人の全てが確かな実績を以って各国で活躍されてますよね。それに、学園を一歩出れば結局どの業界も競い合いの世界です。現十傑並のスキルがこの業界のトップを張れるならまだしも、この世界には彼ら以上の腕を持つ料理人は幾らでもいる……であれば、改革によって温情を掛けられた生徒も、結局は学園を出た後に淘汰されるだけです。改革は料理人育成という点では問題の先延ばしに過ぎないと思いますが」

 

 まずは互いの主張の交換。

 

 薙切薊の主張は、料理人育成という点において実力主義の競い合いをし、無意味に生徒を退学させ、数人の玉を作る為に実力のない料理人を増やし続ける体制に意味はないというもの。

 黒瀬恋の主張は、学園を一歩出れば遠月以外の場所で磨かれた玉が大勢いるのだから、結局は実力主義の世界に出る以上、旧体制を廃止するのは問題の先延ばしでしかないというもの。

 

 これは玉を重んじるか、無価値な料理人を生み出さないことを重んじるかの違いかと思いがちだが、それとこれは全く話が違う。

 

「環境、師、仲間、道具、色々なものが揃えば確かにそれ相応の実力を身に付けることは可能でしょう……けれど、どんな業界であれ、最後は結局自分で自分を成長させるしかないんですよ。力は力でしかなく、技術は技術でしかない……それを使う料理人の腕を成長させるのは、周囲の存在ではなく、自分自身の弛まぬ反復練習と、努力の積み重ねです」

「……」

「そんなことを話す為に来たわけじゃないでしょう。おためごかしは要らないんですよ、貴方の改革の本質……目的は、そんなちっぽけな建前じゃない筈だ」

 

 誰からも無理だと言われて、それでも自分一人で努力を積んできた恋だからこそ言えた。

 

 甘えるなと。

 

 セントラルのカリキュラム―――確かに全生徒に高いレベルのスキルを身に付けさせることが出来るのだろう。無駄を省き、誤った情報を与えず、失敗の経験もなく、一直線に最適解を示すことで、最速最短で十傑の才能の恩恵に預かれるのだから。

 だが努力とはそういうことじゃない。

 失敗から学ぶことは、十や二十ではない。多くの情報、経験の中から最適な解答に辿り着く過程にだって、人それぞれ気付くことがある。無駄と切り捨てるには、最速最短ではない遠回りにだって価値があるのだ。

 

 無駄を愛し、失敗を受け入れ、砂漠の中から一粒の砂金を見つける様な情報精査に全力を注ぎ、摩耗しながらも自分の力で自分の正解を積み重ねることを、努力と呼ぶのだ。

 

 失敗はけして逃がしてはくれないし、誰かに省かれた無駄は消えるわけじゃない。

 

 一人で戦う時、結局何処かで襲い掛かってくるのだ。

 失敗の経験も、無駄を味わう苦さも、奪う権利は誰にもないのである。

 

「……」

「改革の内容がどうこう言う段階はもう終わってます……俺が問いたいのは、貴方がどういう理由でこの改革を進めたいのか――――その信念の部分です」

 

 そして、薙切薊と話したいことはそんなことではない。

 恋は今回の薊の行動、言動の矛盾に気が付いている。

 

 改革―――料理界の躍進のため、学園の全生徒を一流の料理人に出来る遠月を作ると言いながら、その裏では美食は選ばれた人間のみで創造していけばいいと言っているし、自身の基準に満たぬ大衆料理やB級グルメは全て塵だと断ずる価値観の持ち主。

 到底あの演説で述べたような救いの手を差し伸べるような人物とは思えない。

 

 であれば、この改革の本来の目的は料理界の躍進や料理人育成への注力にはない。

 

 恋の追求に、薊は少し間を置いてから口を開いた。

 

「……君には分からないだろうね、今の料理業界が腐りきっていることが」

「腐っている?」

「そうさ、君のいる極星寮……学生時代、青春の時代、僕もあそこにいた。そして出会った―――才波城一郎に」

「城一郎さんに?」

「知っているのかい? そう、僕の学生時代、極星寮黄金期と称される青春の時代に、彼はいた。他の者とは遺伝子から違うと思わされるほどの才気に溢れた料理人だった……彼の作る料理は人を感動させ、まさしく美食とはコレだと言わんばかりの品々に僕は心を奪われたよ」

 

 薊の語り出した話の中には、恋の師の一人とも言える城一郎の存在があった。

 遠月学園極星寮黄金期の時代、薙切薊が出会った料理の天才。その存在が、今この時の改革にどうつながるのか。

 恋は眉を潜めながらも、黙ってその話に耳を傾ける。

 

「だが、料理業界は才波先輩をダメにした。彼の一際輝く才能と実力に低能な馬鹿舌の美食家気取りが妄執し、相応しい場所で相応しい者に出されるべき料理は食い散らかされた……才波先輩は絶望し、遠月から、僕の前から姿を消したんだ」

「……」

「僕は絶望と共に怒りを覚えたよ。あれほどの料理人をダメにした腐った業界に……だから僕は変える―――故にこそ、この改革は料理業界に対する救済に他ならない」

 

 なるほど、と恋はとりあえずは理解した。

 薊が城一郎を尊敬してやまないことも、城一郎に辛い過去があったことも、一先ずは理解して、その為の改革を行おうとしていることもとりあえずは納得出来た。

 

 しかし、それでは説明のつかない事柄もある。

 

「理由は分かりましたけど……それじゃあ俺を目の敵にするのはどういう理由ですか? 今の話じゃ説明がつきませんけど。まさか味覚障害者が料理人をやっているからってだけじゃあないでしょう? それだけなら、執拗に学園から追い出そうとするほどの理由にはならない」

「……フ、まぁそれは今の話とは全く別の話だよ。別に君の実力を疑っている訳ではない。なんなら今の遠月学園に留まらないレベルで、料理人として高い技術力を持っているとすら思っているよ」

「……それはどうも」

「だがだからこそだ―――僕は君の存在を許すことが出来ない。美食のなんたるかも分からない君が、神の舌を満足させることが出来るわけがない……君は、えりなの傍にいるべき人間ではないんだよ」

「薙切えりなの傍にいるから、気に食わないということですか?」

「違うな――――君が神の舌に挑もうとしているから気に食わないんだ」

 

 神の舌に挑もうとしているから、気に食わない。

 その言葉に恋は、薊の中にある何か主観的な感情を感じた。憎悪、怒り、そしてほんの僅かな後悔の色、そんな感情を。

 

 愛娘に男が近付くのを嫌がる父親としての感情というわけではなく、もっと個人的な感情が理由であるように思えた。

 

「俺の料理人としてのスタンスが気に食わないと?」

「君はどうやらえりなに美味しいと言わせることを夢に料理人をやっているらしいね。だがそれは夢に見ることすら烏滸がましい愚行だよ。そもそも、ものの味が分からない君がどうしてそんなことが出来るというのかな?」

「……なるほど、仙左衛門元総帥から貴方とえりなちゃんの間にあった過去の話を聞きましたが……どうやら俺が神の舌の傍にいることが問題ではなかったみたいですね。もしかして―――神の舌関係で何か挫折でもしましたか?」

 

 

 瞬間、薙切薊が黒瀬恋の胸倉を掴んだ。

 

 

「……!!」

「……図星ですか? という事は―――同族嫌悪ですか」

「君に何が分かる……!」

「分かりませんよ、貴方のことは貴方にしか分からない。そして、俺のことも貴方には分からない」

「君がこの先どれほど成長し、どれほどの料理人になったところで、君の夢はまさしく夢物語だ……! 叶わないことが確定している夢を追いかけるなど愚の骨頂……君は喜んで崖の下へと落ちようとしているピエロに過ぎないんだよ」

「そのピエロが、かつての貴方だからか?」

「!!」

「神の舌……そんな大層な才能を欲しがる者は多いでしょう。さっき貴方が語った、城一郎さんの才能に妄執した人々がいたように……貴方もその一人だ。何かを成し遂げる為に、えりなちゃんの神の舌を欲している。そんな貴方が神の舌によって一度挫折している……ともなれば、えりなちゃん以外にもいるんでしょう? 神の舌を持った誰かが」

 

 恋の言葉を聞いて、薊は言葉に詰まり、恋の胸倉からゆっくり手を放す。

 恋は沈黙を肯定と受け取り、薊の真意を段々と察していく。

 

 つまりは薙切薊は黒瀬恋に自分を重ねている。

 失敗した自分と同じことをやろうとしている恋に同族嫌悪を抱いているのだ。何があったのかは分からないが、おそらく今の恋と重なる点は多いのだろう。

 

「貴方と俺は違う……俺が神の舌を唸らせることができるかどうかじゃない。やると決めたことを諦めるか否かの違いだ」

「君は……その先に絶望しかないと知ってなお進むというのか?」

「それでも進まなきゃ、その先はない。夢の終わりを告げるのは、いつだって自分自身ですよ」

 

 意見は違った。

 薙切薊と黒瀬恋は、似ているようで、根本的な部分が違っていた。

 

「…………食戟をしよう」

 

 薊は大きく溜息を吐いてから、ぽつりとそう零す。

 薊と恋の間にあった確執の正体が、今明らかになった。

 

 けれどそれは改革と旧体制の戦いには関係ない。今は為さねばならないことを、互いに為さなければならない立場に立っているのだから。

 

「無論、公平な食戟だ。ただし団体戦、"連帯食戟"……セントラルから選抜した料理人達を出す―――君も、保守派の料理人から選抜して自分達の軍隊を作りたまえ。勝った陣営が今後の学園運営権を持つ……どうかな?」

「分かりやすくていいですね。受けて立ちましょう」

「どうせなら、僕と君の間にある確執にも決着を付けたい……僕も選手として出場しよう。連帯食戟のルールは簡単に言えば、1stからFinalまでの五戦をそれぞれ選出メンバー数名で戦い、三本先取した陣営の勝利。君達がFinal boutまで生き残った場合、最後は僕が出る……審査員にえりなを、相手は君だ―――黒瀬恋」

 

 薙切薊の提案に恋は少し驚いたが、確かにそれならごちゃごちゃした問題にわかりやすく決着を付けることが出来る。

 それに、これは薊が恋の実力を認めているからこその提案だった。

 四宮小次郎や幸平城一郎をして、学生のレベルを超えていると評価されている恋だ。恋がサポートに入れるチーム戦で戦うなら、現十傑でも少々骨が折れるだろう。まして一対一であれば、なおのこと。

 

 だからこそ薊は自分自身で決着を付けることにしたのだ。

 学園在籍時は十傑第一席の座に就き、薙切の名を手に入れ、えりなの父親でもある自分が、同族嫌悪してやまない黒瀬恋という存在と戦うことに。

 

「……いいですよ、やりましょう。そろそろ、進級試験も近いですしね」

 

 そしてその意図を汲んだ恋は、闘志を瞳に宿してその提案を受け入れた。

 

 

 




連帯食戟が決まりました。
やっと料理しますね。

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