それから、恋が作った十傑の全力状態料理の再現を前に、創真達は連敗を喫していた。
司瑛士の食材を活かし、己を消失させる料理。
茜ヶ久保ももの芸術と称するに値するスイーツ料理。
紀ノ国寧々の洗練された技術に裏打ちされた蕎麦料理。
久我照紀の辛さの極限を昇華させた四川料理。
月饗祭で実際に間近で見てきた十傑の料理を全て完璧に再現した恋の皿に、創真達は勿論今も十傑である久我や一色、元十傑である叡山、トレースを得意とする美作ですら、敵わなかったのだ。
周囲から底知れないと評されている一色や、同じ十傑である久我が敵わない。その事実に正直全員が衝撃を受けた。
その理由としては、十傑の全力状態の再現だったから、というのがあるだろう。これが普段の十傑の発揮する実力の再現であれば、久我は己の再現に対しても対等に渡り合えただろうし、一色とて本気で挑めば勝てる可能性もあった筈だ。
勝てるかもしれない―――それが勝てないに変わってしまうほどに、恋がサポートに入った際の十傑の実力は桁違いなのである。
結果的に連戦連敗。
先に再現料理を提示され、実際に食し、どうやって作られているのかも分かった状態で挑んでいるというのに、それに勝る料理を作ることが出来ない。創真達の胸中は穏やかではなかった。
「まぁ分かってもらえたと思うけど……これだけの実力差があるわけだ」
何度も挑んでは負けて、スタミナ切れになった者からへたり込んでいった厨房で、死屍累々と休んでいる創真達に恋はそう言う。
合宿や秋の選抜、スタジエール、月饗祭を経て、己の確かな成長を実感していた彼らからすれば、十傑との実力差があまりにも隔絶している事実を見せつけられたのである。内心ではスタミナ以上に打ちのめされている自分がいることだろう。
恋は自身が作った再現料理を片付けながら、滔々と語った。
「無論、連帯食戟で皆が十傑に勝てる方法はある」
「! どうやってだ……?」
「俺がみんなのサポートに入れば、全力状態に入れない十傑に勝つことは十分可能だよ」
「!!」
恋の料理人としての技術力は確かに学生の領域を超えているかもしれない。だが料理人としての実力は決して高いわけではない。彼は彼だけの料理を作ることが出来ないのだから。
美作の様に他人の料理を再現することは出来ても、そこから一歩先を行くアレンジは出来ないのだ。
とはいえ、技術力の差で同じレシピを同じように作れば恋の料理の方が勝るのだが、それは料理人とはいえないだろう。少なくとも、恋自身はそう思えない。
それでも、彼が世界レベルの料理人にすら認められた武器が、その類まれなサポート能力だ。彼のサポートは最早一介の学生料理人を化けさせることが出来るほど、驚異的な力なのである。
その恩恵に預かれば、創真達も十傑に勝つことが可能だ。
だが―――
「……それじゃ、十傑には勝てても食戟には勝てない……だろ?」
「その通り」
座り込んでいた葉山の言葉に、恋は頷きを返す。
確かに恋のサポートがあれば勝てる可能性は高くなる。だが、それだけではメンバーを選出する意味がない。恋が一人で戦えばいい話だ。
今回はそれだけではない。
食戟に勝たねばならないのだ。恋一人では確実にスタミナ切れで最後まで戦うことが出来ない。
だからこそ、恋以外のメンバーには十傑を倒す実力を身に付けて貰わないと困るのだ。
「ともかくだ、秋の選抜を勝ち抜いただけあって、きっちり最低限の基礎技術は身についてる。何人かは自分の料理スタイルや武器ってもんを確立しつつあるみたいだしな……それでもお前らが勝てない理由……それは、現十傑とお前らでは知識と技術力に大きな差があるからだ」
「あの四宮シェフ……知識と技術力って……どういうことですか?」
「そのままの意味だ。フレンチにはフレンチの、スイーツにはスイーツの、それぞれの料理にきちんと歴史と今日までの積み重ねがある。技術にはその技術が生まれるだけの理由があるし、その理由の先に今ある料理が生み出されてきたんだ。その積み重ねの上澄みを掬っただけで使いこなせているつもりなら、そりゃ大きな間違いだぜ」
「技術と、歴史……」
「黒瀬は確かに技術力は高い。だが、お前らだって相応の技術は身についているのに、どうして此処までの差が生まれるか分かるか?」
「それは……」
恵や悠姫が四宮の言葉に思案の表情を浮かべると、それを見て創真や葉山、黒木場といった選抜決勝レベルの実力者達は苦い表情になった。
薄々考えてはいたのだろう。
どうして自分と黒瀬恋とではこれほどまでに評価の差が生まれるのか、と。やっていることは同じで、多少恋の方が上手いことは認めよう―――だが、それだけでこれほどまでに他者からの評価が変化するなど、到底思えなかったのだ。
その思考を察したのだろう。四宮はフンと鼻を鳴らし、その口を開いた。
「黒瀬は、使っている技術がどういうもので、どういう時に使うべきものかを理解した上で、その他の技術との掛け合わせている。お前達は同じことをやっているつもりでも、黒瀬はお前達と同じ時間で倍以上の工程を織り交ぜているんだ。そしてそれらがすべて料理のクオリティを上げる結果に繋がっている」
「私達が足し算だとするなら、黒瀬君は掛け算の料理をしているってことですか?」
「その通り……料理と料理が互いに殺し合うこともあれば、互いの味を引き立たせることもあるように、調味料と調味料が相乗効果を生み出すように、料理技術だって組み合わせれば相乗効果を生むんだ。だから黒瀬の料理はお前達より数段上の料理となっている」
恋は幼い頃から基礎技術と知識を幅広い範囲で学んできた。そしてそれだけを身体に叩きこんできたからこそ、己の使う技術の鋭さは他の追随を許さない。
だがその技術の掛け合わせを身に付ける手段は、技術力の向上ではない。
その技術を知っているかどうかだ。
創真達は己の得意分野では凄まじい力を発揮するが、それ以外の分野においてはまるで知識も技術も足りていない。そこにこそ、得意分野を伸ばすための何かがあるかもしれないのに。
四宮の言葉になるほどと頷く創真達に、今度は四宮の後ろにいた城一郎がラフな口調で続きを語る。
「そこで、だ。今から俺達が、お前達の料理を見て思ったこと、足りてねぇことを教えていく。俺達がいるのは今日だけでそんなに時間がねぇから、細かく説明はしてやれねぇが……そこはまぁ、自分で考えて身に付けねぇとな」
「これは合宿じゃないから
四宮と城一郎の言葉に、ごくりと誰かが唾を飲み込む音がする。
正真正銘、世界レベルで戦う超一流の料理人達の指導を受けるのだ。相応の覚悟と集中力がなければ乗り越えることなど出来ない。
スタミナ切れでへたり込んでいた全員がなんとか立ち上がり、その瞳に熱を灯す。
合宿では如何に生き残るかを考えていた彼らだったが、今は違う――――黒瀬恋に守られているだけの自分達ではないと、証明するための闘志に燃えていた。
この世界レベルの料理人達の指導で、必ず成長し、十傑を倒せる料理人となることを、決意する。
「やる気満々ってか……よし、じゃあやるか」
「料理開始だ」
『はい!!』
四宮の言葉に、大きな返事が重なった。
◇ ◇ ◇
そうして創真達が修行モードに入った後、恋は寮の外を出歩き、一人思考に耽っていた。再現料理を作った以上、あの場で恋にやれることはもうないのだ。後は四宮やえりな達に任せるしかないのである。
だからこそ、恋は自分のことに集中するべく寮から出てきたのだ。
恋の考えていること―――それは、どうやってえりなに美味しいと言わせるかだ。
今日まで積み重ねてきたことは決して無駄にはなっていない。現に自分の技術力は並々ならないレベルになったと自負しているし、それは四宮達一流の料理人達にも認められている。
けれど、遠月の卒業生であり、一流の料理人であることは薙切薊も変わらない。その彼が、神の舌を唸らせることが出来ないと挫折している。
流石の恋も、その事実が如何に今回の勝負の厳しさを証明しているか、きちんと理解していた。味覚障害を持つ自分が、神の舌を唸らせる料理を出すことの難しさも。
「どうしたもんかなぁ……」
「何が?」
「また突然現れますね……」
「ちょっと腕上げてね……よし、で、どうしたの? 恋くん」
「いや炬燵に入るような感覚で腕組みに来ないで下さいよもも先輩」
「段々寒くなってきたからね、恋くんの手はおっきいね」
「手袋付けてるじゃないですか」
「恋くんは素手でしょ? もものにゃんこ手袋であっためてあげる」
「それはどうも……」
「で、なにか悩み事? もも先輩だから話聞くよ?」
そうしてぼそりと呟いていた恋の隣に、何故か唐突に現れた茜ヶ久保ももがいた。おそらく小柄故に見えない死角から潜り込んできたのだろう。するすると腕を組んで手を繋いでくるその素早さに、恋もなすがままだった。
絶対に離れないという鉄の意志を感じた恋は、小さく溜息を吐きながらももの好きなようにさせる。恋からすれば、その見た目も相まって妹のような感覚なので、あまり気にしないことにしたらしい。
残念ながらももの心境はそんなものではないのだが。
「食戟のことは?」
「聞いてるよ。連帯食戟で恋くんのチームと勝負するんでしょ? 恋くんたちが負けても恋くんだけは退学にならないようにお願いしたから、ももたちが勝ったら恋くんはセントラルに入ってね」
「裏でなんか着々と進めてますね」
「あと恋くん、悪いんだけど五戦の中のどこかでももと対決してほしいんだけど良い? 食戟しようよ」
「待ってください、圧が凄い。食戟の中で食戟しようとしてます?」
「うん。連帯食戟の勝敗はどうでもいいんだけど、ももと恋くんの二人で食戟がしたいんだ。で、ももが勝ったら恋くんを貰うね。恋くんが勝ったらももをあげる」
「早い早い、会話のBPMバグったんですか。人生を賭ける戦いはそんなテンポで決まらないですから」
「やるでしょ? やるよね? やろうよ」
「もも先輩少し会わない内に二段階くらい進化してませんか」
月饗祭を終えてから恋はももと会っていない。
月饗祭が終わった後、ももは薊との話し合いの場に行ったり、セントラルに入ったことで環境の変化に伴った書類仕事に追われたり、改革派と保守派に分かれた学園の運営で奔走したりと忙しかった。また恋も叡山との打ち合わせや裏での根回し、薊とのいざこざで忙しかったのも相まって、両者は顔を合わせていない。
そのせいだろうか、ももは普段以上にフラストレーションが溜まっていた。にも拘らず紀ノ国寧々が妙に恋と親しげになっていることや、薙切えりなが同じ部屋で寝泊まりしていることなどを知って、なおさら彼女の心の中が大炎上した。
そこに食戟をすると聞いて、ならばとこのような手に打って出たのだ。欲しいのなら力づくで奪い取ってしまえの精神が煌々と燃えていた。
「とりあえず、食戟は断るとして」
「なんで?」
「いや、勝っても負けても自分に得がないじゃないですか」
「……もものこと嫌い?」
「いえ、尊敬してますけど……」
「尊敬? 好きってこと?」
「いやまぁ……好き、んー……まぁ、好きの部類ですけども」
「じゃあ両想いだね、食戟しよ?」
「そうですね、とはならないんですよ」
「恋くん、あんまり我儘言わないで欲しいな」
「ちょっとそろそろ落ち着いて貰っていいですか?」
「……仕方ないなぁ」
どんな障壁も突撃の一点突破でぶち抜く暴走列車のようなももに、恋は冷や汗を流しながら一先ず落ち着かせる。ももはガンガン行こうぜの精神で押して来ていたが、恋に両肩を抑えられたことで不服そうにしながらも、一旦落ち着いた。
恋はももの押しの強さ、そしてフラストレーションを溜めすぎた結果を知って、時折ガス抜きしないとだめかもしれないと、心のメモ帳にしっかり書き留める。
「それで、どうしたの?」
「いえ……どうしたら神の舌を唸らせられるのかな、と」
「知らない。この話は終わりだね? じゃあももの話の続き」
「いやバッサリ過ぎません?」
「知らないよ、そんなの。どうやったら、とか、ももはそんなこと考えてお菓子を作ってないもん。美味しいかどうかなんて結局は人の好みだよ……神の舌だってそう。どんな食材が使われているのか、どんな調理をしたのか、どんなアイデアを使ったのか、全部舌の上で分析できるからといって、それが好きかどうかは別の話でしょ? えりにゃんだって、あんなすました顔してめちゃくちゃ臭い料理が好きかもしれないし、激辛料理が好きかもしれない。極論を言えば脳みそと舌は別の器官だもん」
「!」
「だから……恋くんは恋くんが思う、最高の料理を出すしかできないよ。出したら、あとはもう何も出来ない。食べる人に自分の全部を皿に載せて差し出すまでが、私達の仕事だから」
自分の問いかけに、ももはそんなことかと一蹴した。
それに対して真剣な話なのだと言おうとした恋だったが、ももはけしてどうでもいいから一蹴したわけではない。そもそもそんなことを考えるのは無駄なことだと思っているから一蹴したのだ。
人が美味しいと思うかどうかなど、食べてみなければ分からない。
だからこそ、料理人は自分が良いと思ったものを最高の仕事で差し出すしかできないのだ。その先の味覚までどうこうしようなど、料理人の領分を大きく逸脱している。
そんなことを考える暇があるのなら、少しでも自分の料理と向き合った方がより建設的だ。
「……そう、ですね。確かにそうです」
「でしょ? ももも、恋くんの料理は凄いと思うよ。その全部で戦えばいいんじゃない?」
「……もも先輩って、凄いですね」
「先輩だからね。じゃあそんな凄い先輩と食戟」
「しません」
恋は笑った。
良くも悪くも、茜ヶ久保ももは自分のやりたいことに素直でまっすぐだ。そんな彼女だからこそ、恋の些細な悩みも一息で吹き飛ばしてしまったのだろう。
恋は改めて、茜ヶ久保ももという少女を強敵だと思った。
もも先輩、つよい。
もう一話くらい挟んでから、食戟に入っていきたいと思ってます!
感想お待ちしております!✨
◇
自分のオリジナル小説の書籍第②巻が発売中!
また、Twitterではハーメルン様での更新報告や小説家になろう様での活動、書籍化作品の進捗、その他イラスト等々も発信していますので、もしもご興味があればフォローしていただければ幸いです。