ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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八十一話

 四宮や城一郎が、時間内で最大限教えられることは教えたと言って帰った夜。

 極星寮の厨房に、えりなはいた。

 ぶっ通しで料理をし続けた創真達は、当然息も絶え絶えに疲弊し、解散となってから現在。既に泥の様に眠りについている。教えられたことを整理しようと考えていたのだろうが、身体がそれを許さなかったのだ。

 

 えりなは仙左衛門と共に料理の分析をしていただけなので、スタミナ的には全く疲弊していない。今こうして厨房で料理をすることくらいは、問題ないコンディション。寧ろ今日の味見で創真を始めとした十人以上の料理人のアイデアや工夫、イメージを一度に目の当たりにした彼女は、自分の中で思いついたアイデアやレシピをすぐにでも形にしたかったくらいである。

 それに、この連帯食戟で恋の戦力となれない自分があまりにも無力だった故に、気分転換をしたかったというのもあった。

 

「……」

 

 思い出すのは恋の作った全力状態の十傑の料理。

 えりなからしても、どれも素晴らしい料理だったと思う。その人の顔が見える、まさしく必殺料理となり得る珠玉の一品達だった。世界観、技術、アイデア、魅力、味、その全てが創真達を上回っていた。

 カタン、と手に持っていた匙を置いて、小さく溜息を吐く。

 目の前に出来たのは、てなりで作った普通のありふれたフレンチ料理。特にこれといった工夫もなく、特別な技術も使わず、集中するわけでもなく、ぼーっと散漫な意識で作っただけの料理だ。

 

 えりなは恋のことを考える。

 

 ―――恋君は、どうしてあんなにも強いのだろう。

 

 この学園で再会してから、恋はいつだって強く、ブレることのない姿でいた。編入試験でも、編入生挨拶でも、二年との食戟でも、合宿でも、退学になると言われたあの時も、秋の選抜でも、月饗祭でも、そして……今この瞬間も。

 自分なんかでは到底計り知れない艱難辛苦に見舞われているのに、どうしてあんなにも強く折れずいられるのか。弱音も吐かず、ただ立ち向かうことが出来るのか。

 

 あの自分にとっては恐怖としか思えない薙切薊にも、堂々と。

 

「迷ってるね」

「! ふみ緒さん」

「神の舌の持ち主とは思えない腑抜けた料理だ……私が審査員なら食べるまでもないくらいにねぇ」

 

 そこに現れたのは、この極星寮の寮母であるふみ緒だった。

 夜も更けて厨房を使っている者がいるので、軽く見にきたのだろう。創真が最たる例だが、厨房で思案に耽って寝落ちする者など、この寮では珍しくもないのだ。

 

 ふみ緒の言葉に自嘲するような笑みを漏らすえりな。

 自分でも分かっているのだ。この料理が美食とは到底程遠い、平凡な料理であることなど。

 

「……お父様と戦うと決めて、恋君の下にあれだけの人達が集まりました。仮に私が恋君の立場だったとしても、ああはならなかったでしょう」

「だろうね。奴は料理人としては欠陥を抱えているかもしれないが、人間としては誰よりも人情に篤い奴だからね……誠実で、まっすぐで、ダサい真似はしない……だから皆が寄りかかりたくなるのさ」

「寄りかかられ過ぎれば、人は重さで潰れてしまいます……でも、恋君は弱音も吐かないで、いつも強く立っている……どうして、そういられるんでしょうか。私には、分からないのです……」

 

 ふみ緒のいう恋の在り方は、まさしく理想的な人格者だと思う。

 そう在りたいと思うし、そう在れたらどれだけ良いだろうかと、誰もが思う筈だ。そう在れるのなら、きっともっと―――と、今の自分と理想の差に誰もが思い悩む。

 だからこそ、どうして、そういられるのか……えりなには理解出来なかった。

 

 ふみ緒はその言葉を受け、確かにね、と呟きながら、厨房の入り口からえりなの近くまで歩み寄ってくる。その辺にあった椅子にゆっくり腰掛けた。

 

「……確かに、奴はあまり弱音を吐かない。辛そうにしている姿は見たことがないし、いつだってみんなの一歩後ろで穏やかに笑っているような男さ……」

 

 ふみ緒の言葉を聞きながら、えりなも傍にあった椅子に腰かける。テーブルを挟んで向かい合う二人。

 

「でもね、私は奴が味覚障害だって聞いた時……なんだかストンと腑に落ちたよ。だからか、ってね」

「だから、とは?」

「どうしてみんなそれが分からないのか、私は不思議なんだけどねぇ……味覚障害を抱えながら料理を作ることのなにが(・・・)楽しいんだい?」

「!」

「少なくとも、私が奴の立場なら全く楽しくない。自分が何を作ってるのか分からないんだからね……人がどれだけ喜んでいても、その価値を自分だけが分からない現実を喜べるはずがないだろう?」

「で、でも恋君は、私に美味しいと言ってほしいからって……それが、彼の夢だから……」

 

 ふみ緒の言葉に、心の何処かで分かっていたような核心が揺れる。

 えりなはその核心を見てみぬふりするように、恋の夢のことを口にした。そうだ、恋の夢は薙切えりなに美味しいと言わせること……その為に料理人としての技術を磨いて、再会してくれた。確かに味覚障害の人間が料理をすることは楽しくないのかもしれない……けれど、夢を持っている恋にとってやりがいがなかったわけではない筈だ。

 

 そう思って、えりなは動揺する心を抑えつける。

 

 しかし、ふみ緒はえりなが口にした『恋の夢』という言い訳をばっさり切り捨てた。

 

 

「あのね――――人は夢を描くだけで強くはなれないんだよ」

 

 

 ふみ緒の言葉に、えりなは息を飲んだ。

 

「確かに、夢ってのは素敵なもんさ。人の持つ強い原動力になるし、夢に対する憧れや願望が強ければ強いほど、努力することを苦と思わない奴だっている……けど、夢は現実から自分を守ってくれはしないんだよ」

「……っ」

「奴がアンタに美味しいと笑ってほしいという夢を持っていたって、味覚障害は消えないし、止めておけと制止する現実の声は消えないし、奴が身に付けた実力を得るまでに必要な努力が省略されはしない。ただでさえ人よりマイナスのスタートなのに、夢さえあればその全てが帳消しにできるなんてのは……ただの現実逃避だよ」

 

 ふみ緒の言葉は正論だった。

 夢は原動力であっても、夢一つで人は強くはなれない。夢を叶えるために必要な努力や失敗、挫折、苦しみや後悔は一切省略されない。夢があるから頑張れる、なんていうのは本気で夢を叶えようとしていない人間の現実逃避である。

 

「それなら……どうして恋君は……」

「―――"覚悟"さ」

「!」

 

 ならば何故恋は強く在れるのか、その答えをふみ緒は『覚悟』と表現した。

 

「奴は料理自体は楽しいなんて思っちゃいない。美味しいという感覚も分からない。一緒に食卓を囲む幸福も理解出来なければ、料理人として客が美味しいと笑うことの幸せを実感することだって出来ない……それでも、料理人であることを選んだ」

「選んだ……」

「奴は最初から決めているんだよ。これから先、料理で感じられるあらゆる幸福を理解出来なくても、たった一つ、アンタを笑顔に出来る料理を作るってね。だから奴は強いのさ……どんな困難も、障害も、必ず叶えると決めた夢の為に打ち破る覚悟があるから」

「覚悟……」

「アンタにはないのかい? 奴の覚悟に応える強い意志が」

 

 えりなは自分を恥じた。

 恋は幼い頃描いた夢を諦めずに努力したからこそ、此処まで来たと思っていた。いや、間違ってはいない。けれど、その諦めなかったという事実の重みを全く理解出来ていなかった。

 

 ―――"覚悟"

 

 恋が弱音を吐かないのは、既に苦難の多い茨の道であることを覚悟していたから。

 恋がいつでも逃げずに立ち向かうのは、それを乗り越えて夢を叶えると決めていたから。

 恋が強く在れるのは、何があろうと自分の進む道を譲る気はないと決意していたから。

 

 覚悟、覚悟だ。全ては料理人を目指すと決めた瞬間に、恋は自分の人生に降りかかるあらゆる艱難辛苦を覚悟していたからこそなのだ。

 

「……私は」

「アンタが奴を想うこと以上に……奴の覚悟は強いってことさ」

 

 であれば、恋のえりなに対する告白は、恋愛感情を越えた決意表明だ。

 えりなを思い此処までやってきた恋のことだ、えりなに告白した時点で恋人のその先の未来まで考えていたことだろう。つまりは人一人の人生を背負う覚悟があの時点であったということだ。

 自分の夢を叶えることも、えりなの人生を背負うことも、どちらも成し遂げると決めたのである。

 

 ならばこそ、黒瀬恋が薙切薊とああまで対等にやりあうことが出来たのも納得が出来た。

 

「……」

「……あとは、アンタが決めることだよ」

「―――はい」

 

 ふみ緒はえりなの目の色が変わったことを見て、もう何も言うことはないだろうと話を切り上げた。えりなの返事を背に受けながら、厨房を出ていく。

 

 えりなはふみ緒が出ていくのを見送りながら、己の心の中に生まれた―――否、もやもやと渦巻いていた何かが晴れて、己がどうしたいのかの答えを知る。

 

「恋君……ごめんなさい……私、貴方の決意には応えられないわ」

 

 そしてぽつりと、でも確かに、そう呟いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 翌日、彼女は朝早くから一人極星寮の外へと出ていた。昨日の特訓の疲れもあって、緋沙子もまだ疲れで寝ているからこその一人。

 それでも向かう先に誰がいるのかを理解した上で、えりなの足は力強く地面を蹴る。臆する色は全くなく、凛としたかつての姿を取り戻したような――いや、それ以上に迫力すら感じる様な覇気を纏っていた。

 

 そうして彼女はまっすぐに学園内へと入っていき、大きな扉を開いて中へと入る。

 中には、早朝にも関わらずきっちり黒い衣装に身を包んで仕事をしている様子の薙切薊がいた。

 

「おや……これは驚いたな。どうしたんだいえりな、君が会いに来てくれるのは嬉しいが……少し意外だった」

「お父様、連帯食戟の件……聞きました」

「ああ、黒瀬恋との話し合いでね。こちらは十傑を柱としたセントラルのメンバーで臨むつもりだよ……無論、十傑であるえりなにもこちら側で出場して欲しいところだが……素直に言うことをきいてくれはしないんだろう?」

「当然です……それに、今日はそのことについてお話があってきました」

「なるほど。では聞こう……なにかな?」

 

 薊を前にして尚、毅然とした態度を崩さないえりな。かつての恐怖教育を感じさせない彼女の姿に、薊は内心疑問を感じながら話を聞く姿勢を整えた。

 えりなは強い意志を秘めた瞳で薊を睨み付けると、断固とした態度で告げた。

 

 

「私、薙切えりなは、十傑第九席の座を返上させていただきます! お父様、えりなはこの戦い、お父様の敵です!!」

 

 

 えりなのその宣言に、薊は驚きもあったが、ああやっぱりという納得もあった。黒瀬恋と対立していることに変わりはないが、やはり薊自身黒瀬恋という人間の影響力、人間性を認めていたのだろう。

 洗脳まがいな教育でえりなの心を縛っていると確信していたが、恋であれば、その鎖からえりなを解き放つこともやってのけるかもしれないとも思っていたのだ。

 

「……そうかい、いいだろう。どちらにせよ、えりなが味方した所で十傑を要するセントラルの料理人に敵う生徒はいない。残り二週間足らずでせいぜい足掻くといい」

「そうさせて貰います……ああそうそうお父様」

「? なにかな」

「私、お父様の敵とは言いましたが――――恋君の味方をするとは言ってませんから」

「それはどういう……」

「ごきげんよう」

 

 薊はえりなの離反を受け入れたものの、不意に飛び出たえりなの意味深な発言に困惑を隠せなかった。薊の問いかけを無視して早々に出て行ってしまうえりなに、薊は小さく溜息を吐く。

 

 薊の敵になる……だが恋の味方をするとは言っていない。

 

 どういう意味だ? と思う薊だが、考えたところで何も分からない。薊と恋、二人の料理人の戦いに、えりなは何をしようというのか。

 

「……いずれにしろ、やるべきことは変わらない、か」

 

 恋と薊の対立、改革と保守の争いが動き出した今……二人の周囲にいる人間達にも、変化が起こりつつあった。

 

 

 




えりなお嬢様がアップを始めました。

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