※恋と石動のお題をピザ→イタリアンに修正致しました汗
セントラル側に潜む、十傑内の裏切り者。
その正体は、月饗祭以前、恋が食戟を仕掛け勝利を収めたという相手――――紀ノ国寧々である。月饗祭では共に店を盛り上げた恋と寧々であったが、その裏ではこの状況を作り出すための駆け引きが行われていた。
恋が要求したのは、主に二つ。
一つは薊政権への賛同。
薊の行う改革に賛同し、十傑の一人として彼が学園総帥になるための一助となることである。薙切えりな、久我照紀、一色慧といった当時の十傑勢がこの改革に否定的であり、司やももがどちらかと言えば恋側に偏っていたこともあって、このままでは折角掴んだ薊の尻尾を逃してしまうと思った恋は、確実に薊をこの学園に引き入れるために寧々を味方に付けようと動いたのである。
結果的に寧々の賛同、そして司達の賛同を得たことで薊はこの学園に引きずり出されることとなった。
そしてもう一つは、本格的に恋と薊の食戟が執り行われる際、全力で戦うこと。恋の味方だからといって手を抜くことや八百長をする必要はないと、そう伝えたのである。
これは恋が寧々の料理人としてのスタンスを尊重した結果の要求でもあり、十傑に挑む者達への尊重でもあった。懸命に努力を重ねて此処まで上り詰めてきた寧々に対し、料理でわざと負けろだなどと、口が裂けても言うことは出来ないし、創真達もこの食戟の趣旨に関わらず、十傑と戦う以上は己の力で勝ちたいと望むだろうからだ。
結果的に、この二つの要求を呑んだ寧々は恋の言う通りに薊を支持する側に回ったし、今もこうして食戟の場で敵として立ちはだかっている。
「よろしくっす、紀ノ国先輩」
「ええ……よろしく」
相手は幸平創真。
大衆料理店の倅であり、その実力も恋と比べれば明らかに格下の料理人――と、思っていた。少なくとも恋と出会う前の彼女であれば、テーマが蕎麦だと決まった今、彼に負けるだなんて欠片も思わなかっただろう。この交わした挨拶にも、ある種見下したような文言が追加されていたかもしれない。
けれど目の前にいるこの男は、あの黒瀬恋が選んできた料理人なのだ。
「……貴方、蕎麦打ちの経験は?」
「やー、紀ノ国先輩とやりあうのにお題が蕎麦ってことで恐縮っすけど、あんましないっすねー」
「……そう。でも負ける気はなさそうね」
「当然―――俺も料理人なんで、初っ端から負ける気では厨房に立たないっすよ」
負ける気はない、どんなに不利でも己の全てで勝つつもりで厨房に立つという強い意志を感じた。寧々はそんな創真の負けん気の強い表情を見て、特に不愉快な感情を抱くことはない。
その言葉はその通りだと思うからだ。
負けるつもりで勝負をする奴はいない―――そう、その通りだ。
「なら私も全力で挑ませて貰うわ。お題が蕎麦である以上、私のプライドに懸けて貴方を打ち負かす」
「! ……いいっすね、胸借りさせていただきやす!」
そうして互いに調理に入るために向かい合う厨房に着いた。
寧々は衆人環視の中ではあるが、厨房という神聖な領域に入ったことで、ある種の静けさが自分の精神に訪れるのを感じる。この食戟が始まる前から、あるいはこの日が始まったその時から、寧々はずっと静かな集中が続いていたように思う。
視野が広く、頭もすっきり冴えて、余計な雑念が拭われたような心地よさ。
「(ずっと……天才という言葉に取り憑かれて、羨望、嫉妬、ある種の怒りにすら飲まれていた気がする……けど――――)」
視線をゆっくり移動させて、石動賦堂と向かい合って調理を開始していた恋の姿を視界に入れる。調理をする表情は真剣そのもの……集中力と闘志が形になって見えるような気がするほどの迫力は、彼の覚悟の現れなのだろう。
食戟の最中だというのに、寧々はそんな彼の一挙手一投足に見惚れた。
「(―――そう、関係ないのよ。私より凄い料理を作る天才がいても、それは私の実力になんら影響しない……努力で積み重ねた全てが、私の料理だ)」
並べられた食材に視線を戻し、寧々はクスリと笑う。
天才だなんだと拘る必要はないと、月饗祭の時に悟らされた。それも自分よりも圧倒的に非才の存在であり、年下の男に。
どんなに高い実力を持っていても、全力で臨まなければ凡人にすらなれない。
覆しようもなく、紀ノ国寧々は挑み続ける料理人だ。
決して挑まれる天才ではない。
「(だから……今日も積み重ねよう。勝つためではなく、私の……私だけの料理を積み重ねていこう。今できる、全部を形にすればいい)」
調理が始まる。
その動きは、蕎麦職人としてまさしく理想的。お手本の様に叩き込まれ、磨き抜いてきた全ての経験が垣間見えた。観客として見ていた全ての人間が思わず息を飲む。
生地を捏ねる様も、麺を切る様も、その一挙手一投足に迷いがない。緊張や迷い、躊躇いもなく行われていくその姿は、彼女が積み重ねてきた全て。
「ほぅ……」
それを見ていた審査員達も、彼女の実力は一料理人として非常に高い領域にあると確信する。薙切真凪ですら、感心するような笑みを見せた。
彼女が今回の蕎麦打ちで選んだ蕎麦粉は一番粉。
昔ながらの蕎麦打ちによく使用され、完成時の香り高さも非常に優れた代物である。無論香りというのは環境にも作用されるものだが、ここは空調がしっかり調整された遠月学園内の会場であり、時期的にも秋終盤。問題は何もない。
彼女は更にかき揚げを作り出す。
蕎麦に対してかき揚げというのは、王道も王道の組み合わせだろう。これ以上なくシンプルで、小細工など何もない品を作っていた。
それでいいのだ―――こと蕎麦作りにおいて、彼女に小細工など必要ない。
積み重ねてきたものを出すだけでいい。
「凄い……紀ノ国先輩の動き……」
恵が呟く。
恵だけではない。控えのスペースで見ていた両陣営の選手たちも感じ始めていた。
寧々の動きに見覚えがあるような、そんな気がしたのである。そしてその正体に気付いた者から、各々違った反応を見せた。
「あれはまるで……まるで黒瀬みたいだな……」
「……ふん」
そう、その無駄のない効率的な調理姿はまさしく―――黒瀬恋を彷彿とさせた。
司の呟きに、不愉快そうに鼻を鳴らすもも。認めたくはないのだろうが、ももですら認めざるを得ないほどなのだ。
言うまでもなく、黒瀬恋と紀ノ国寧々は同種の人間だ。才に恵まれずとも、努力と経験によって己を磨いてきた料理人。その度合いは違うが、それでも走ってきた道は同じなのである。
つまり、技術を突き詰めてきた寧々が辿り着く場所もまた、黒瀬恋と同じ。
「黒瀬程とは言わないが、こと蕎麦打ちに関して、その動きに一切の無駄がねぇ。こりゃ恐れ入ったなぁ」
普段はおどけた様子でいる竜胆ですら、研ぎ澄まされた雰囲気で料理を進めていく紀ノ国寧々の姿に感心の声を漏らす。惚れ惚れするほどだ。
「相手の得意料理に加えて、こんな相手に幸平は勝てるのか……?」
「難しいかもしれないわね……」
だが、そうなると対する創真への関心も寄せられる。
蕎麦打ちの実力差は歴然。相手の慢心は欠片もない。そんな状態で幸平創真が勝つ道筋がどれほど残されているのかと。
葉山の呟きに対し、アリスが苦い顔で応える。
そうして視線を向けられた先、幸平創真は―――製麺機で蕎麦を作っていた。
「……やー、最近の製麺機ってのは便利だな。手軽に麺が作れる」
くるくるとレバーを回せば、ところてんの様に綺麗に切りそろえられた麺がにゅるにゅると精製されていく。その姿に何やってんだあのアホは思う生徒も多かったが、そもそも蕎麦の手打ちは本当に優れた職人でなければ逆に不味い代物になりかねない。そう考えると、製麺機で麺を作るというのはあながち間違った選択ではないのだ。
それに、創真の調理の中で注目すべきは麺づくりの工程ではない。
よく見てみれば、不自然に使われている複数の鍋が見受けられた。寧々の様にかき揚げを作っているというわけではなさそうだが、蕎麦作りよりも手の凝んだ何かがそこにあるようだった。
そしてなにより、創真の表情が尚も楽しそうに笑みを作っている。
「……そんなタマじゃねぇな、幸平は」
「ハ、そういや、この程度で折れる様な奴じゃなかった……この二週間で嫌というほど思い知らされたからな」
葉山と黒木場が、そんな創真の様子を見て思い直す。
勝てる勝てないで戦っているわけではないことを。厨房に立ったなら、己の料理に全てを注ぐこと以外にすべきことなんてない。
「大丈夫だよ―――創真君なら、きっと負けない」
そして紀ノ国寧々の料理を見て凄いと漏らした田所恵が、確信するようにそう言い切る。この中で最も怖気づきそうだった気弱な彼女が、なにより幸平創真という料理人の勝利を信じている。
不意に恵と創真の目が合った。
「―――」
「―――」
その一瞬のアイコンタクトで、創真の笑みはより闘志に燃え、恵の表情もふと和らぐ。通じ合っているようなその一瞬のやりとりは、何処か月饗祭の時の恋とえりなを彷彿とさせた。
「……ねぇ、あの二人付き合ってると思う? 今の見た?」
「いや知らねぇよ……けどまぁ……時間の問題だろ」
「俺としては幸平ちんと田所ちんは結構相性良いと思うけどね~」
「創真君と田所君は出会ってからほとんどずっと一緒にいるからね! もしくっついたとしても、僕は大いに祝福するよ!」
「一色先輩ならそう言うでしょうね」
そんな二人を見て、こそこそと野次馬話を繰り広げる保守派の面々。
まるで恋愛に興味がなさそうだった創真が、田所恵にだけ見せたあの表情の意味は果たして……気になってしまうのは当然である。
とはいえ、その辺は追々追求することにしたらしく、一頻り話した後はまた戦いの行方を眺める姿勢へと戻ってきた。
「……そろそろ、両者共完成しそうだね」
「一体どんな品を―――」
その瞬間、別の場所からどよめきが生まれた。
そちらに視線を向けると、イタリアンという題材で勝負を行っていた恋と石動賦堂の方にも動きがあったらしい。見れば石動賦堂も黒瀬恋も、イタリアンの王道パスタでの勝負をしているようだった。
互いに麺を茹で、それぞれの調理を進めている。
イタリアンにおいてパスタとは、小麦粉を使って作られた食品全ての総称だ。その種類は多岐に渡り、一般的なスパゲティの他にも、フェットチーネ、リングィーネ、ペンネ、マカロニ、ラザニア……その全てがパスタなのである。
「流石だな……イタリアンを得意としているだけあって、石動先輩の動きは洗練されている」
「アルディーニがそう言うってことは、相当なんだな……」
観客席にいたタクミが石動の動きを見てそう呟けば、隣にいた水戸郁魅が歯噛みする。繰り上がりで十傑に入ったと言っても、彼は一度二年生最強の座に立った男だ。凡庸な手合いではないのは紛れもない事実である。
だが、それでもタクミは焦る様子もなく笑みを浮かべた。
「だが、それでも恋の相手ではない」
「? どういうことだ?」
「イタリアンにおいてパスタの重要な点は、いかにして優秀なアルデンテに仕上げるかだ。芯を残し、歯ごたえの残る麺に仕上げる為には、茹で時間が非常に重要になってくる。更に言えば、パスタの種類にもよるが、茹でた後にソースと絡める工程がある以上、麺には茹でた後もずっと熱が通り続ける……市販のパスタ麺のパッケージ書いてあるような茹で時間で作れば、完成時には柔らかすぎる麺になってしまうことも多いんだ」
「てことは、作るパスタによって茹で時間も多岐に渡るってことか?」
「ああ、カルボナーラ、ナポリタン、ペペロンチーノ、様々なパスタによって茹で時間を経験と感覚で調整する。イタリアンは非常にシンプルかつ豪快な品も多いが、非常に繊細な感覚が必要なんだ」
本場イタリアで店を構えていたタクミの言葉に、郁魅はなるほどと頷いた。
「だがそれで黒瀬が勝つってどうして言えるんだよ?」
「……俺はかつて奴と共にスタジエールで働いたことがある。従者喫茶というお世辞にも料理をメインに売っている店ではなかったが……その中のメニューにはナポリタンやカルボナーラといったパスタも含まれていた。まぁ、ナポリタンは日本発祥だが……」
「!」
「店を回しながらだが、奴の作ったパスタは本場イタリアンに十分以上に通用する代物だったよ。ともすれば、この俺すら上回る技量の持ち主だ。流石と言わざるを得ない」
「じゃあ……」
「ああ、そんな奴が店の回転も何も考慮せず、ただ一皿のパスタに集中して作った時、いかに石動先輩がイタリアンの名手であっても―――俺は敗北するイメージが浮かばないな」
息を飲んだ郁魅は再度恋の方を見る。
無駄のない調理は当然の如く。
この戦いで大将を務める前人未踏の道を歩む料理人は、いつもの様に、目の前の皿に全てを懸けていた。
そう、ここは北海道ではない。
原作紀ノ国寧々が敗北した要因はないのです。創真、どう戦うのか。
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