ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

91 / 93
いつも感想、誤字報告、ご指摘ありがとうございます。


九十一話

 2nd boutが始まってからそれぞれの調理に入った時、両陣営の調理風景は対照的というか、その様相が違っていた。

 

 セントラル側、司瑛士や茜ヶ久保もも、斎藤綜明の三人においてはそれぞれがそれぞれで調理をしているのに対し、恋側の三人はそうではない。連帯食戟は出場選手同士のサポートが許されているというルールを存分に活用し、恋が二人の調理を手伝っていた。

 

 それが意味するところはつまり、恋というサポートが入ることによる全集中状態の料理人が生まれるということに他ならない。

 久我照紀と葉山アキラ。

 両者とも今世代の玉の一つであり、類稀なる資質と実力を兼ね備えた料理人であり、その全戦力を発揮することが出来れば十傑第一席にだって届き得る傑物だ。恋という料理人がサポートをすることで彼らの集中力は全て目の前の一皿にのみ注がれる。

 

「……やはり流石だな、黒瀬……!」

「それはどうも……!」

 

 司もそれを理解し己の料理に集中するものの、やはり恋がサポートに入った十傑レベルの料理人は恐ろしいのだろう。久我や葉山の鬼気迫る底知れないプレッシャーに、身体が重くなるような感覚すら感じてしまう。

 とはいえ、それでも司は十傑第一席。

 しかも恋がサポートに入らなくとも、全集中状態に限りなく近づけるように研鑽してきている。その成果はあの小林竜胆ですら認めるほどの完成度だ―――久我がピカイチの素材だとしても、司の準全集中状態に届き得るかは分からなかった。

 

 それでも、全力を尽くすしかない。

 料理人は料理を始めた瞬間、その一皿に身を投じるしかできないのだから。

 

「―――っ」

 

 久我と司のお題は『緑茶』だ。

 フレンチが得意な司と四川料理が得意な久我。二人にとってお題によるアドバンテージはさほどない。渋みや苦味、風味の強い緑茶を使った料理となれば、やはり相応の工夫が必要になってくる。

 

 最も大事なのは、お互いの得意ジャンルにどう組み込み、昇華させていくのか。

 

「(黒瀬ちんのサポートはやっぱり超一級品だね……! 俺も出来る限りこの感覚に届くように頑張ったつもりだけど、桁違いに調子が良くなっていくのがわかる……!)」

 

 そんな中、久我は自分の調理がイメージ通りに進んでいく感覚に苦虫を嚙み潰すように笑みを浮かべていた。調子が良いことが嬉しいやら、悔しいやら、複雑な気持ちだったからだ。

 けれど、恋は調理には一切手を加えていない。久我がそう頼んだからだ。

 調理工程に合わせた調理環境の変化、それにのみ注力しており、それによって久我の調理は一切のノッキングを起こすことなく進んでいく。

 

 複雑な感情も、調理が進んでいけばすぐに集中が押し流してくれた。

 

「(でも、司さんの料理は数段上にある―――もっと、もっと集中しろ……出来る限りを尽くすんだ……!!)」

「(久我から凄まじいプレッシャーを感じる。下手すれば食い破られかねない気配だ……黒瀬のサポートのおかげ、だけじゃないな、これは……!)」

 

 久我が更にもう一段集中を深くした瞬間、そのプレッシャーに司は恋のサポートの力だけではないと確信する。久我照紀自身の実力が、自分の知っているものよりずっと洗練されているのだ。

 おそらく、恋のサポートがなくとも十席上位に食い込んでくる可能性が、今の久我には感じられた。

 

「(面白い……だが、それでも負けるつもりはない……さぁ―――)」

 

 それでも司は笑みを浮かべて、そのプレッシャーの中凛と立つ。

 己の調理へと意識を集中し、いつものように、食材に対して語り掛けていく。

 

 

「(―――俺の皿に宿っておくれ……!)」

 

 

 司瑛士の料理は、恋というサポートを失くしてもなお、限界までその領域へと手を伸ばしていく。どこまでも食材へと真摯に向き合い、己の存在を消していく。

 今度は逆に、司の放つプレッシャーが膨れ上がったことで久我の身体がズンと重圧を感じる。恋のサポートを受けながらも押しつぶされてしまいそうなそのプレッシャーに、久我は歯を食いしばった。

 

 負けたくない―――その意志だけで、グッと足に力を込めて立つ。

 

「ぐっ……!」

 

 だが、集中が途切れてしまいそうなほどの重圧に飲まれてしまいそうになる。

 まずい、そう思った瞬間。

 

「久我先輩」

「!」

 

 恋が一声だけ、名前を呼んだ。

 ハッとなり、久我は恋に視線を向ける。恋は自分の調理を進めながらも、葉山のサポートをしながらも、久我の視線に一瞬だけ視線を向けた。ばちっとぶつかる視線に、久我は恋が何を言いたいのかを理解する。

 

 プレッシャーに惑わされてはいけない。

 やるべきことはたった一つ―――今の自分の全てを更に注ぐこと。

 

「(あとはやるしかないってことだね……黒瀬ちん!)」 

 

 歯を食いしばって笑う久我は、プレッシャーの中であってもやるべきことは一つしかないということを改めて理解する。司の実力が高いことは既に分かり切っていること……だがそれ以上のことはない。

 今できることを全力でやることに尽力するしかないのである。

 

 久我の集中が更に深くなった。

 プレッシャーとプレッシャーがぶつかり合って、火花が散っているような錯覚すら覚えるほど。

 

「此処で勝つんだ―――あんたに」

 

 それでも、久我が無意識に漏らしたその言葉が、その火花を錯覚ではないと思わせた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 一方そんな二、三年の火花が散っている中、葉山アキラと斎藤綜明も調理の中で互いに闘志を燃やしていた。

 こちらも恋によるブーストが掛かった葉山の放つプレッシャーは相当なもので、初めて恋のサポート能力を目の当たりにした斎藤は、その圧に冷や汗すら感じている。司やももと違い、彼は恋という料理人の実力や能力に関しては噂に聞いていた程度で、さほど実感を持っていなかったのだ。

 

 普段はさながら武士の様に冷静で、落ち着いた余裕を感じさせる振舞いをする斎藤。調理中はまるで武士が一本の名刀を振るっているかのような熟練感を感じさせる彼だが、今はまるで斬ることの出来ない巨岩を前にしているような、そんな感覚だった。

 

「(1st Boutではその全力を見ることは敵わなかった故に、黒瀬恋がこれほどの力を秘めているとは想定外だな……! まして相手は今年の秋の選抜優勝者……なるほど、これは司や竜胆が注目するわけだ……!)」

「(十傑第五席、斎藤綜明先輩―――黒瀬の力を侮っていたらしいな……闘志がぶれてるぜ!!)」

 

 そしてその感覚はそのまま揺らがぬ精神に僅かな隙を生んでいた。

 天性の嗅覚と調理センスを持ち、神の舌に届き得る資質とすら謳われる葉山の集中力が加速していく中、その僅かな隙が料理のクオリティに大きな差を作り出す。

 

 まして今回二人の調理のお題は『チーズ』。

 

 あらゆるジャンルの料理で使われる汎用性の高い食材であり、匂いや味の存在感も大きい食材だ。久我達同様、得意な料理ジャンルにおけるアドバンテージはほぼ対等。だが単品で香り、味の存在感が大きいという点において、香りという研ぎ澄まされた武器を扱う葉山の方が、明らかに有利といえた。

 

「(くっ……明らかに心が揺らいでいる……! この重圧、飲まれかねない……ならば)」

「!」

 

 しかし、それでも流石は歴戦の三年生というべきだろうか。

 恋によるサポートを受けた全力状態の葉山が放つプレッシャー。それに飲まれそうになる自分を自覚し、一度調理の手を止めた。

 

「すぅーーー……ふーーー……」

 

 そして目を閉じ、数秒の一呼吸を入れる。

 そうして目を開いた時、彼の精神に乱れは存在しなかった。

 

 無理に揺らいだ精神状態で調理を進めるのではなく、しっかりと立ち止まって仕切り直す冷静さ。普段から目を閉じた姿を見ることが多い彼だが、呼吸の後に見せたまぶたの奥―――鋭い眼光が本気の闘志を滲ませている。

 

「……は、上等……!」

「ここからだ……!」

 

 そんな彼に葉山は更に意識を料理に集中させ、次第に表情も無表情になっていく。

 感情も思考も、筋肉の隅々までが料理をすることに没頭し始めたのだ。料理に関係ない筋肉は緩んでいき、料理に必要な筋肉が繊細に動く。

 

 感覚が研ぎ澄まされ、極限の集中状態は葉山の嗅覚を更に一段上の次元へと引き上げる。

 

 

 ―――すん

 

 

 鼻が空気を、匂いを吸い込むその一嗅ぎの音が、葉山の料理をより高みへと押し上げていた。

 

 この瞬間、恋は葉山の料理人としての資質が完全に開花したことを理解した。恋がサポートすることによって、彼がこの一時のみ入った極限の集中状態が、葉山の天性の嗅覚と組み合うことで、想像以上の力を発揮させることに成功していたのだ。

 

「悪いな斎藤先輩―――この勝負、俺の勝ちは揺るがねぇ」

 

 それは料理を完成させた時、葉山の言葉にあった底知れぬ確信が証明していた。

 

 

 




感想お待ちしております。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。