Fate/reminiscence-第三次聖杯戦争黙示録- 作:出張L
二百年前の話である。
永遠の雪に晒される常冬の地に〝アインツベルン〟という錬金の大家はあった。
世に潜む数多の魔術師が他の魔術師の家と交わりながら脈々続いている中、アインツベルンは千年間――――十世紀もの間、純血を保ち外との交流を阻んだ一族である。
その一族がただの一度、他の家と交わった。
彼等は自らの悲願を叶える方法を見出すことはできたのだが、それを実行する術がなかったのである。
自分たちに術がないのならば、千年の純血を破っても余所へ術を求めるしかない。
アインツベルンはまず〝遠坂〟に声を掛けた。
失った〝法〟を取り戻す大儀礼には適した土地が必要である。けれど地上のあらゆる土地は〝魔術協会〟と〝聖堂教会〟に暴かれており、彼等の目を掻い潜ることは不可能といって良かった。
故に〝魔術〟という神秘から遠く離れた極東の島国、その霊地の管理者たる遠坂に目をつけたのである。
次に〝マキリ〟に声を掛けた。
アインツベルンと遠坂にはない〝呪い〟や〝契約〟が大儀礼のシステムには不可欠だった。
「――――始めよう」
かくして宝石翁の立会いのもと大聖杯は起動する。
アインツベルンは失った魔法を取り戻すために。
遠坂は大師父の与えた命題へと辿りつくために。
マキリはこの世全ての悪の根絶のために。
三人の賢者が集い起動された大聖杯、七人の魔術師と七人の英雄が集いし大儀礼を――――聖杯戦争と呼んだ。
そして七十年前の話である。
日本という国を〝政府〟ではなく〝幕府〟が統治していた頃から聖杯戦争は繰り返されてきた。
だが六十年の周期で過去二度に渡って開かれた聖杯戦争は、全て明確な〝勝者〟を一人として出す事なく、誰一人として己の悲願を叶えることなく終わった。
一度目は戦いにすらならなかった。二度目は戦いの果てに全てが死んだ。
そして三度目の戦い、聖杯は奇しくも世界に二度目となる大戦が起こる前夜に幕を開けた。
常冬のアインツベルン城にてある儀式が行われようとしている。
六十年前に聖杯戦争における魔術師の剣たる〝英霊〟が降り立った儀式場では、六十年前と同じく荘厳にして神秘的な雰囲気が立ち込めていた。
アインツベルンに仕えしホムンクルスの侍従たちはみな畏まった表情で来たるべき刻を待っていた。
「いよいよだな。六十年前に果たせなかった悲願を、百二十年前に届かなかった宿願を――――成就させる時がきたのだ」
玉座にて白髪の大魔術師が謳いあげた。
アハト翁、アインツベルン八代目の頭首であり、第二次聖杯戦争を知る数少ない人物である。この儀式場に集った全てのホムンクルスの製作者であり父である彼は、アインツベルンという家における創造主、神と呼んですら差し支えないだろう。
絶大な自信と覇気に頬を緩ませながら、アハト翁は自身の『最高傑作』に視線を向けた。
「はい。私はその為に生まれたのですから。粉骨砕身の決意をもって、聖杯と失われた第三法をアインツベルンへと帰します」
アハト翁の側に控えた銀髪の女性は粛々と答えた。
背負った責任の重さからか若干その表情には影があるが、それでも貴族としての気品と水仙の如き純白の美しさは欠片も色褪せることがない。いやその影が彼女の神秘的な佇まいをより際立たせてすらいた。
アハト翁は銀髪の女性の返答に満足げ頷く。
「うむ。必ずやアインツベルンの失った第三魔法、天の杯を取り戻すが良い」
第三法とは即ち第三魔法、あらゆる魔道の叡智が集まった魔術協会においてすら禁忌とされる秘中の神秘である。
魔術と魔法は字面こそ似ているが、その実体はまるで異なるものだ。
神秘の探究者たる魔術師は魔術によって火を起こすことができる。だが火を灯すという結果を成立させるなら、素直にマッチを使えばいいだけのこと。わざわざ魔術を使う必要性などなく、そちらに頼ったほうが効率的にも良い。
時代は進んだ。嘗ては鳥のように自由に空を飛ぶという現象は、人間には手の届かぬ奇跡であったが、人間は既に進歩した科学力をもって鳥よりも遥かに高い空を飛ぶことができる。いずれ人類は大気圏の外、宇宙にまでその手を伸ばすことだろう。万人が等しく扱える科学が溢れた現代において、大抵の神秘は科学によって再現できるものだ。
しかし〝魔法〟はそうではない。例えどれだけ時間を重ねようと、手を尽くそうと科学では再現することの叶わない神秘。それを魔法と呼び、それを担う者を〝魔法使い〟と呼ぶのだ。
神代の昔は火を起こすこと一つすら〝魔法〟であったが、人類の進歩と共に次々に魔法は魔術へと失墜し、世に残った魔法は五つのみである。
うち五つの魔法の第三席にある〝魂の物質化〟はまさしく人の手には叶わぬ神の御業と呼んでよいだろう。
第三魔法はアインツベルンが嘗て保有していたが失われてしまった。
聖杯戦争とは、アインツベルンにとって喪ったものを取り戻す手段なのである。
「アルラスフィールよ。お前であればアレを世に留めておくことも叶おう。アレが招かれる以上、我々の勝利は確定しているも同然だ」
魔術師とは真理を求めるもの。戦う者ではない。
しかし聖杯戦争とはその名が示す通り戦いであり、アインツベルンの魔術は些か以上に戦闘には不向きだった。
実際六十年前の戦いでは、召喚したサーヴァントこそ一級であったにも拘らず、アインツベルンのマスターがまるで戦闘に耐えられなかったために無様な敗北を喫している。
だからこその三度目。
アハト翁は考えうる限り最強のジョーカーを招きよせる決断をした。
聖杯戦争において己以外の六人の参加者など邪魔者に過ぎない。その六人の魔術師を悉く殺す為に、人々の尊敬を一身に集めた英霊ではなく、人を呪うことに特化した最大級の呪いを顕現させる。
ゾロアスター教における最大の敵対者。悪性の化身、
それこそがアインツベルンが招きよせようとしている悪神だった。
「けれど大丈夫なのでしょうか。聖杯戦争は〝英霊の座〟より英霊を招くもの。この世全ての悪など――――」
「その為のお前だ」
呼び出すのが英霊ではなく、世界全ての悪を背負いしアンリ・マユとなればその維持は困難を極めるだろう。いっそ不可能とすら言って良いかもしれない。
故に必勝を誓って生み出されたホムンクルスこそがアルラスフィール・フォン・アインツベルン。
平均的な魔術師が百人集まっても届かぬ魔術回路と特別性の令呪を有するホムンクルスである彼女であれば、最悪の悪神すら制御することが可能だろう。
「中立の審判として他のクラスにはない絶大な特権をもつ
「……確かにそれも考えた。だがルーラーのシステムはアインツベルンではなく〝遠坂〟が作り上げたものだ。しかも相当にデリケートなシステム故に、アインツベルンの叡智をもってしても迂闊には手を出せん。一度はどうにか干渉を試みたが結果は芳しくなかった」
アハト翁の面貌に浮かぶ明らかな不快の色。
聖杯は自分達にこそ相応しい――――否、自分達のものであると信じて疑わないアインツベルンにとって、聖杯に自分達でも迂闊に手を出せない領域があるということが不愉快なのだろう。
「アインツベルンの力をもって、無理矢理に干渉すれば中立者のルーラーをサーヴァントとして使役するのも不可能ではなかろう。だがその際に起こるかもしれぬイレギュラーはまるで予測がつかぬ。最悪の場合、正当なルーラーではない別のなにかが呼ばれるかもしれん」
「そういうことなら、仕方ありませんね」
アルラスフィールには暴力の化身たるアヴェンジャーよりも、数多くの特権を誇る裁定者の方が魅力的に映ったのだが、アハト翁の決定はアインツベルンにとって絶対だ。アハト翁に仕えるものとして『意見』することはあっても、決定に逆らうということは有り得ない。見た目こそ妙齢の女性であるが、その実、生まれたばかりの赤子のように純真で純粋なアルラスフィールにとって、創造主に『逆らう』という思考がそもそも存在しないのである。
話は終わった。アルラスフィールは邪神降臨のための儀式場の中心に立つ。
「――――始めよう」
二百年前に大聖杯の起動を唱えた賢者のように、アハト翁は両腕を羽ばたかせるように広げ宣言する。
儀式場全体から、中心にある水銀で描かれた魔法陣へ魔力が集約していった。
アルラスフィールはある種の諦観と覚悟をもって、魔法陣の前へと進み出る。
城の外は既に日が落ち、闇が空を満たしていた。
吹きすさぶ白雪すら黒く染め上げ、見ることを叶わなくさせる闇夜。アンリ・マユを手繰り寄せるには最高の厄日であろう。
アルラスフィールが聖杯戦争を共に勝ち抜くための、そして今回に限っては敵の魔術師を一方的に屠るためのサーヴァントを招くための呪文を唱え始める。
魔法陣を中心にエーテルが乱舞していった。
そして―――――
〝
そして現代。
世界を巻き込んだ史上最大の大戦より約60年。日輪の御旗を掲げ世界へ挑み、敗れ去った国はめざましいまでに様変わりしていた。
全ての人間が等しく幸福を甘受する
時は西暦2004年1月。
日本の冬木市では、これから起こる『戦争』の前触れを予感させる肌寒い風が吹いていた。
冬木市――――世界地図に記されることもなければ、日本地図で目にしたとしても特に気にしないであろう地方都市。
だが俗世の裏側にて叡智を求める
〝聖杯戦争〟
摂理の外にあるとされる『座』より、人類史に冠たる七騎の英霊を呼び出し、殺しあわせるという魔術師にとってすら荒唐無稽な、しかし実際に繰り広げられてきた戦い。
聖杯の導きに従い、他の六騎の英霊を打ち倒した勝利者には、あらゆる願いを叶える万能の願望器『聖杯』が与えられるという。謂わば現代に蘇った聖杯探索である。
魔術師と英霊による聖杯を巡る争いは、六十年周期で都合四度行われてきた。そして四回目の戦いより十年しか経過していないというのに、五回目が再び始まろうとしている。
最初の一度目は争うことすらできずに終わった。次の二度目は争いの果てに全てが死んだ。
繋ぐ四度目は勝者を得ながら、聖杯は破壊された。未知の五度目がどういう結末を迎えるかは、運命の夜が訪れるのを待たねばならないだろう。
では三度目は? 三度目の戦いではなにが起きたというのか?
冬木市で第三位の霊地たる場所、そこに教会は建っていた。
平時においては地方都市にしては不相応なほどに立派な、されど単なる一大宗教の教会でしかない。だが聖杯戦争の最中、そこは監督官が常駐する中立地帯となるのだ。
教会一帯ではあらゆる戦闘行為は厳禁とされ、聖杯に選ばれた魔術師と英霊であろうと迂闊に手を出せぬ聖域である。
その聖域に男がいた。
この世のどんな金よりも眩く妖しい黄金色の髪。高位存在の血が流れているのか、その双眸は圧倒されるほどに朱かった。黄金なのは髪だけではなく、その存在感が黄金色。正しく
身に纏っているものは黒と白を基調とした現代のものであるが、そんなもので男の放つ大海の如き王気を隠せはすまい。
神を超えるほどの気配をもつ男が、神に仕える神父であるはずがない。
彼こそは四度目の戦いにて〝受肉〟を果たした英霊が一柱。人類最古の叙事詩において名を語られる偉大なる英雄にして王。英雄王ギルガメッシュである。
英雄の王だから英雄王なのではなく、全ての英雄達の王であるが故の英雄王。この世全ての悪を滅ぼし、この世全ての善を為し、この世全てを統べた原初の英霊。
十年前に受肉した彼は、ある目的のために彼曰く醜悪なものが溢れ返った現世に留まっているわけだが、それを果たすにはまず聖杯戦争の開始を待つ必要がある。
或は時の流れすら英雄王にとっては思うが儘なのかもしれないが、少なくとも今の彼は自然の摂理を殊更に歪める気はなかった。五回目の聖杯戦争が始まるまで二か月。それまでのモラトリアムを怠惰に過ごすのも一興である、彼はそういう風に考えている。
だからこそ英雄王が教会にある本棚から、ある一冊の手記を手にとったのも単なる気紛れだった。
手記の著者は言峰璃正。三度目の戦いで若くして監督官を務めた男であり、
「戻っていたのか、ギルガメッシュ」
「言峰か。計ったように良いタイミングで戻ったものだな」
ギルガメッシュのマスターであり、この冬木教会の長たる言峰綺礼の実父であった。
聖杯戦争の枠組みでは
英雄王も言峰綺礼もそれは理解しているし、承知している。だが取り敢えず今のところは、二人は主従であった。
だからこそ言峰綺礼も特に表情を変えることもなく、英雄王が持っているものに視線をやると口を開けた。
「それは?」
「貴様の父が遺したものだ。我が呼ばれた十年前の戦いの更に六十年前、三度目の戦いについて書かれている。誇れよ、言峰。お前の父はまるで面白味のない男であったが、体験した戦いは中々に我の舌に合う娯楽であったぞ」
「否定はすまい。我が父ほど貴様から見て面白くない男も珍しいだろう。人間というのは如何に理性的であろうとしても往々にして本能に流されるものであるが、我が父はそれを完全に理性で統率出来る稀有な人物だった。これで鉄仮面の内側に獣でも飼っているのであれば話は別かもしれんが、中身も清廉潔白な聖職者そのものときている。人間の欲望こそを肯定し、人間の欲望を愉しむお前にとっては、さぞかし退屈でつまらぬ男だろう」
「然り。だが面白味ばかりが全てでもない。貴様の父はつまらん男だが、そういう男だからこそ中立の視点で事実を綴ることには秀でている。言峰、お前の父は聖職者ではなく歴史家にでもさせるべきだったな。こやつならば己の色を出さずに、ひたすらに客観的事実と中立的推測をもって書を記したことだろう。大衆受けはせんだろうがな」
英雄王にしては珍しく高い評価だ。この男は傲岸不遜を体現した暴君であるが、その神よりも優れた『眼力』は、最果ての過去に在りながら最果ての未来までをも見通す。そんな男に評価されたということは、やはり言峰璃正は一角の人物であったのだろう。
そんな父が四度目であっさりと死んでしまったのはやはり惜しい、もっと味のある死に方が他にあっただろうに――――言峰綺礼はそう思わざるをえなかった。
「第三次聖杯戦争、か」
言峰璃正より監督役を受け継いだ身として、彼の戦いについては言峰綺礼もある程度の知識はあった。
曰く、ナチスドイツと帝国陸軍が介入してきた混沌とした殺し合い。
曰く、マスターの枠を超えた修羅達による熾烈なる闘争。
曰く、聖杯の騎士と鍵十字の騎士による殺し合い。
曰く、聖杯戦争に一つの区切りをつけた戦い。
曰く、始まりの終わり。
曰く、黙示録。
どれも眉唾物の情報ばかりではあるが、唯一つ断言できるのは尋常な戦いではなかったということだ。
言峰綺礼が参戦した四度目も相当のものであったが、三度目の戦いはもはや『聖杯戦争』という形すらなしていなかったという。
故に、
「だがギルガメッシュ。その記録は完全ではないぞ」
言峰璃正が第三次聖杯戦争について綴った手記、それも言峰綺礼は当然の如く目を通している。だからこその忠告であった。
「我が父はあくまで監督役。参加者として参戦していたわけではなく、殆どは凛の祖父――――先々代の遠坂家当主などから聞いた話を纏めたものに過ぎん。それから分かるのは第三次聖杯戦争の大まかな流れと、最終的な結末程度だ。記されている〝史実〟は一割程度に過ぎん
言峰璃正の名誉のために補足するが、断じてこれは言峰璃正の不手際などではない。
アクシデントはありつつも『聖杯戦争』という枠組みを外れなかった四度目と、そもそも『聖杯戦争』が碌に成り立っていない三度目は事情がまったく異なるのだ。
「凡愚の尺度で測るでない」
だが言峰綺礼の当然の忠告を、人類最古の英雄王は鼻で笑って一蹴する。
「一割も史実があるのならば十分よ。そこを入り口に俯瞰して視れば、自ずと全体の全貌も掴めてこよう」
「相変わらず大層な目をもっているな」
英雄王ギルガメッシュの言葉に虚飾はない。ギルガメッシュは本当に言峰璃正が遺した
ギルガメッシュはさも普通のことのように語るが、これと同じことを他の英霊達が出来る筈がない。ギルガメッシュと同じ〝世界を見通す眼〟は最高位に位置する魔術師の証であり、生まれながらに真理に到達していることを意味している。
言峰綺礼の拙い知識で推測するに、彼と同じだけの視野をもつのは精々が七十二の魔神を統べた魔術王か、ブリテンに存在した花の魔術師くらいだろう。西洋魔術とは相容れないが、道教の祖である神仙もそこに含まれるやもしれない。
「王の遊興に共がおらぬのも見栄えが悪いよ。言峰、特に許す。我と同じものを視させてやろう」
「五回目の準備で多忙なのだがね。だが――――全てが混沌としていたという三度目の戦い。興味がないとは言えば嘘になってしまうな。聖職者として嘘はいかん」
言峰綺礼は英雄王ギルガメッシュのマスターである。そしてマスターとサーヴァントは時と場合に応じて視界を共有することも可能だ。
であれば英雄王ギルガメッシュの視る過去の景色を、言峰綺礼が共有することも不可能ではないだろう。
マスターとサーヴァントの契約を通じて、言峰綺礼の視界にも七十年前の光景が映り込んでくる。聖杯戦争という華々しい戦いの影にある壮絶な茶番劇の臭いに、言峰綺礼の口元は知らず知らずの内に弧を描いていた。
「我の眼は過去ではなく遥かな未来を見据えるもの。が、稀には過去を振り返るのも悪くはない」
六十年と十年前に繰り広げられた三度目の戦い。史上二度目となる世界大戦の前哨戦にもなった決戦。
歴史の闇に葬られた黙示録は、英雄王の眼によって暴き出された。
これより始まるは魔術師と英雄達が集う黙示録にして、英雄王ギルガメッシュによる回想録。
お集まりの紳士淑女の皆々様。開演の刻はもう間もなく、故にどうか万雷の喝采をもってお迎え下さるようお願い申し上げる。
では二百年前に聖杯の起動を唱えた賢者のように、七十年前に悪神を招いた老人のように宣言させて頂こう。
――――始めよう。
時の狭間にいる〝魔王〟は謳いあげた。