Fate/reminiscence-第三次聖杯戦争黙示録- 作:出張L
ルーラーと名乗った少女は、まるで黴菌でも目にしたような濁った目で閖夜を見下していた。どういう理由があってのことかは知らないが、仮にも人のことを『マスター』と呼んだ癖して、主君に対する敬意のようなものを微塵も感じないのはどういうことかと抗議したくなる。まだこの地下監獄の看守の方が――――訂正、例えが悪かった。彼女の瞳の冷たさたるや、屠殺業者が家畜を見る視線の方が温かみがあるだろう。
彼女が現れたのと同時に謎の生命力の吸収もなくなり、閖夜にも段々と思考に力を割く程度の力が戻ってきた。
まだ少し朧げな視界で閖夜はじっとルーラーと名乗った少女を見つめる。
年の頃は十代後半といったところだろう。白人と黄色人種では成長の度合いも異なるが、少なくとも二十歳には届いていないように思える。
健康的な小麦色の髪――――とは正反対のくすんだ金髪に、ヘドロのように濁った黄色い目。極めつきは死人の如く真っ白な肌。
天使を思わせるほど健気で透明の面貌は、これらの濁りのせいで堕天使のように妖しい色香へと反転していた。脚のスリットから覗く軟肌がなんとも艶めかしい。
しかし閖夜がより注視したのは、少女の見た目などではない。
閖夜は『魔術師』ではないが、優れた質の魔術回路をもち、魔術を扱うことが出来る。だからこそルーラーと名乗った少女が、自分を超える程の圧倒的な魔力と神秘を内包していることが一目で看破できた。
防戦一方であったとはいえ
「なんだ……何処から湧いてきやがった、お前は。いや、それよりなにより、テメエは俺の味方なのか?」
ルーラーと名乗る少女が地面から浮上するかのように現れてきたことや、どうして自分をマスターと呼ぶのかなど、閖夜には質問したいことは山ほどあった。
だが取り敢えず現段階で重要なのは、この少女が自分の敵か味方かということだけだ。
閖夜の鋭い視線を浴びた少女はまったく動じず、呆れるように肩をすくめる。
「本音を言えば貴方みたいなオトボケ、直ぐにでも火で炙って殺してあげたいくらいだわ。とういうかなんで召喚早々から鎖なんかに縛られているのよ。まさかSM趣味でもおありなんですか、マスター? 救いようのない変態ね。首を掻っ切って煉獄の火に焼かれてきたらどうです」
「人をンな訳の分からねえ人種の同類にしてんじゃねえよ。こんな場所に趣味でいるような奴がいるんなら、是非とも面ァ拝みてえものだ」
「ふーん。まぁどちらにせよ同じこと。残念なことに私は貴方の
「サーヴァント、使い魔のことか?」
「はぁ。本ッ当になんにも分かってないのね。ルーラーなんて下らない戦争の下らない調停役を押しつけられたことも最悪だけど、聖杯はこんな訳の分からない男の御守りまでしろって言うの?
まったく私を呼び出した聖杯はとんだ欠陥品ね。聞いてた話とはまったく違う形で現界していることもそうだけど、この私をここまで穢れるくらい目茶苦茶に犯すなんて! 可笑しくって一周回って愛らしいわ」
自分の姿を確認するように視線を落とした少女は、黒い甲冑に包まれた己の姿を見て嗤った。
「いいわ。目には目を、歯には歯を、凌辱には凌辱を。人々が私に魔女であれと望むのであれば、望んだ通りの魔女として振る舞うとしましょう。
というわけでマスター。これより我が旗は貴方の導となり、この身は貴方のものとなる。ここに契約は完了しました。手始めにあそこにいる煩わしい蜥蜴でも駆除するとしましょうか」
「耳が痛ぇな」
蜥蜴と嘲られたスペルビアは、ルーラーの侮辱をさらりと受け流す。そしていつ戦いが始まっても動けるよう前傾姿勢となりながら言った。
「にしても八人目のサーヴァント、ルーラーだと? 聖杯戦争で呼ばれるサーヴァントは全部で七体じゃねえのか。八人目がいるなんて聞いてねえぞ」
「気にしないで構いませんよ。どうせ貴方には関わり合いのないことですから」
「あ?」
「だって貴方、もう直ぐ私に殺されるでしょう?」
問答無用。なんの合図もなく飛び出したルーラーは、黒い殺意を込めて旗を振り下ろした。
ルーラーの旗はただの旗ではない。穂先に槍となっていることもそうだが、それ以上にその旗そのものが信仰を受けている一種の概念武装と化していた。対英霊戦においても極めて有効である。
だがスペルビアもまた彼女と同じく人間でありながら人間を超えた魔人だ。
徒手空拳のスペルビアだが、彼には鋼の如き肉体がある。鋼鉄の竜鱗は並みの攻撃など一切通しはしないだろう。事実として斬鉄すらやってのける戎次の『不可視の刃』をもってしても、スペルビアの肉体に傷一つとして与えることが出来なかったのだ。
けれどルーラーという審判者はスペルビアが生前とこの現世で相手してきた雑魚とは一味も二味も違った。
「あらあら。どうしたのかしら。ご大層な竜鱗もこの程度? 脆いわね。脆過ぎて切なくなるわ」
スペルビアが頼りとする竜の鱗。鋼を超える硬度を誇るそれがルーラーの旗に触れると、途端に焼け爛れていった。
ルーラーが振るう旗には彼女自身の憤怒と、凶悪な異端排斥の呪詛が宿っている。それはルーラーの心象に触れることで、黒い炎として具現化していた。
そして基督教において竜とは即ち異端の象徴に他ならない。
平凡な英雄であれば無敵の鎧が意味をなさないことに、慌てふためいて取り乱したことだろう。しかしスペルビアは北欧において最強と称えられた大英雄である。自らの無敵性を突破しうる者。即ち自分を殺しうる敵の実在は、彼の闘争本能を上げる結果を齎した。竜鱗を焼かれたスペルビアは激烈に笑う。
「くくく、あーひゃはははははははははははははは! あんまり調子にのるんじゃねえぞ、堕ちた聖女。丸焼きが好みだってならこんな温い火じゃねえ。竜の息吹ってもんを見せてやるよ」
瞬間、スペルビアの背中から悪魔染みた翼が突きでてくる。いや悪魔染みた翼ではなくはっきりこう言うべきだろう。
竜翼、と。
竜翼で突風を吹かせ飛翔したスペルビアは、そのまま大きく息を吸い込んだ。スペルビアの体内にある竜の魔力炉心に空気が流れ込み、それをスペルビアは毒素をもった竜の息吹として吐き出した。
戎次に放射した時よりも規模が大きい。前のように閖夜がその力をもって掻き消すという訳にはいかないだろう。いや仮に規模が同じだったとしても、拘束のせいで閖夜に二度目なんてものはないが。こんなことなら無駄話などせず、何よりも先に
後悔は遅く閖夜は動けず、であれば毒炎を対処できるのはルーラーたる少女のみである。
「っ! 暑苦しいのよ、鬱陶しい!」
吐き捨てながらもそれに触れればただでは済まないと一目で理解したルーラーは、旗を大きく振って迫りくる息吹を僅かに押し留める。
呪いの黒炎と竜の毒炎。
炎と炎が互いを喰らい合う様は双頭の蛇のようだった。
ルーラーとスペルビアの炎は客観的に見て互角だった。
ルーラーにとって
火力で負けることを数瞬早く啓示したルーラーは、方針を迎撃から回避に転換する。
「ああもう、こんなことなら無駄話なんかしないでさっさと鎖を叩き壊していればよかった!」
奇しくも閖夜と同じ悔恨をぶち撒けながら、ルーラーはスペルビアの毒炎を躱していく。スペルビアの
「男相手にケツばっか振ってんじゃねえぞ売女ァ! 尻尾振るだけのマグロ女なんざ願い下げなんだよ。もっと手やら口やらでサービスしてくれねえと愉しくねえだろうがっ!!」
竜の息吹の次は、竜爪。スペルビアは自分の右腕を巨大化――――というより竜化させ、それを思いっきり叩き付けてきた。
腕を叩き付けるという技もひったくれもない単純な攻撃も、それが竜の腕でなされるのならば災厄の暴力となる。
「下品な男。こんな見るからに早漏そうな男が『英霊』なんて、座の選定基準は随分程度が低いのね」
竜爪を躱しながらルーラーがそう言った。
「心配するな、持久力はある。何時間でも何連戦でもテメエが腹上死するまで付き合ってやるよ。えぇ! 救国の聖女にして現淫売のジャンヌ・ダルクさんよぉ!!」
「ジャン、ヌだと?」
スペルビアの放った言葉に出てきた名前に、閖夜は瞠目する。
ジャンヌ・ダルクといえば滅亡寸前だったフランスを救い出した救国の英雄。神の声を聞いた聖女だ。その最期は魔女として火刑に処されるという悲惨なものであったが、彼女の功績は数百年の時を超えて認められ今は『聖人』として列聖されている。
当然ながら彼女は死者であり、この現代に生きている筈のない人間だ。しかしスペルビアが嘘を吐いているようには見えないし、更にはそれを裏付けるように閖夜の脳内に妙な映像が浮かび上がってきた。
「筋力A……耐久C……なんだ、こいつは……」
それは筋力などの能力値をA~Eでランク付けしたパラメーター表らしきものだった。ご丁寧なことに『真名』と書いている所の横には〝ジャンヌ・ダルク〟とはっきり書かれている。
もし仮にあの少女が正真正銘のジャンヌ・ダルクだとするのならば、あのスペルビアという男も彼女と同じ過去の英雄だとでもいうのか。再び過ぎるのは北欧において語られし〝とある英雄〟の名前だった。
スペルビアは『呼び出されるサーヴァントは全部で七体』でジャンヌは八人目と言っていた。サーヴァント=ジャンヌだとするのならば、彼女と同じ過去の英雄が後七人はいるということになる。
(戎次の奴め。本当に……この帝都で何が起きてやがるんだ?)
閖夜の問いに応えてくれる旧友はここにはいない。
答えの出ない迷宮から飛び出すように、閖夜が視線を上げる。すると丁度戦いが一段落したらしく、ジャンヌとスペルビアが再び距離を離して対峙していたところだった。
「く、かかかかかかかかかかかか。救国の聖女だか淫売の魔女だかは知らねえが、元は単なる村娘の癖して良い感じに踊ってくれるじゃねえか。
ロディウスの野郎に叩き起こされてから今日まで、俺が相手してきたのはどいつもこいつも雑魚ばっかでよ。俺が全然満足してねえのにさっさと一人で逝っちまう奴等ばっかだったから、漸くお前みたいな上玉とヤりあえて嬉しいぜ」
「汚らわしい視線を向けないで頂けますか? 虫唾が奔ります」
「おーおー、嫌われたもんだ。悲しいねぇ」
まったく悲しそうにはせず、逆に面白そうにケラケラと笑うスペルビア。
「こんな下品で下劣な男に入れ込むなんて、異教の戦乙女の頭は余程花畑だったのね。興味本位で聞くけれど、北欧の人間って恋愛脳ばっかなの?」
「ンなもん何処の国のどんな叙事詩でも女なんて古今東西似たようなもんだろうが。ま、あいつに関しちゃ確かに男を見る目はなかったな。俺なんざ忘れてりゃ幸せになれたろうによ。莫迦な女だぜ」
スペルビアの笑いが止み、ほんの少しだけ声に深い闇を込めて呟く。が、それも一瞬のことだった。直ぐにスペルビアは元の調子を取り戻すと、
「テメエみてえな女と殺り合うにゃ極上の剣でぶっ挿してヒーヒー言わせんのが一番だが――――まぁ無いもの強請りはやめておこう。代わりに面白いものを見せてやる。
動け、我が心臓。震えよ、我が血肉。起動しろ、
「――――!」
ジャンヌが身構える。旗を握りしめ、カミソリのような目つきでスペルビアを睨んだ。
全身の魔力を吸い上げて脈動するスペルビアの心臓は、閖夜やジャンヌにも聞こえるほどに鼓動音を増していく。
「安心しな。退屈はさせねえから、とっておきだぁ」
竜の心臓は完全に往年の力を取り戻し、灼熱の魔力が咆哮した。
此処に邪悪なる竜が地上に再臨する――――
「お待ちなさい、スペルビア。そこまでです」
――――寸前で、背後から飛んできた火球がスペルビアに命中して、立ち込めていた邪気は雲散した。
恐らくは鉄すら溶かす高熱の火。それを浴びても火傷一つ負わなかったスペルビアは、苛立ちながらも振り返る。
「またお前か
「わたくし貴方の顔なんて態々見たいとも思いませんが、わたくしマスターに甲斐甲斐しく仕えるサーヴァント。故にマスターにお使いを頼まれれば火の中だろうと水の中だろうとスカートの中だろうとはせ参じるのです。
というわけでマスターからのお知らせですわ。用件を済ませたなら、ルクスリアが討たれたのでさっさと戻ってこい、とのことです」
「なんだあの野郎死んじまいやがったのか。意外だな、俺達が全員くたばっても一人だけおめおめ逃げ延びてやがるタイプだと思ってたぜ。
だがこっちが一人欠けたんなら、あっちも一人欠けさせねえと帳尻が合わねえだろ。時間はかけねえよ、お前はそこで高みの見物でもしていな」
「あら。北欧に名高き竜騎士ともあろう
「……チッ」
インウィディアの指摘はスペルビアにとって正にウィークポイントだった。抵抗できない閖夜を殺害しようとし、ジャンヌ相手に野蛮な口調で迫ったものの、彼は決して無秩序に暴れるだけの化物ではない。
自分の英雄としての誇りまで突かれて窘められれば、目の前に極上の美女が股を開いて待機していようと身を引くしかないのだ。
「仕方ねえ。ここは素直に従ってやるよ」
「ええ。わたくしの
「テメエいま、とんでもねえ変換しなかったか……?」
「さぁ。なんのことでしょう?」
「脈はねえと思うがねえ。まぁ害を出さねえなら好きにすりゃいいさ。つうわけだ魔女様。続きはまた今度だ」
「私が大人しく見逃すと思って?」
ジャンヌが旗を向けるが、スペルビアは動じることなくニヤリと笑う。
「追ってきたいなら追ってくればいいさ。人間らしく地べたを這い蹲ってな」
スペルビアの背中から噴出する竜翼。インウィディアの方も青白い炎の羽のようなものを現出させた。
突風が吹き荒れる。
「じゃあな。次は前戯でしめえの20分コースなんてちょろいもんじゃねえ。たっぷり180分コースで愉しもうぜ」
追う間も止める間もない。天に昇る竜のように、二人の魔人は牢獄から飛び立つと、空の彼方へ飛んで行ってしまった。