Fate/reminiscence-第三次聖杯戦争黙示録- 作:出張L
閖夜には明日を迎える前にやらなければならないことがあった。
身嗜みを整えることである。
かれこれ三か月も不衛生な地下監獄に収容されていたことで、神代閖夜の身形は最悪だ。髪は踵のあたりまで伸びきっているし、髪は脱色して白くなっているし、体臭はドブネズミである。閖夜は特に綺麗好きというわけではないのだが、流石にこれは我慢できない。
ジャンヌを別部屋に行かせた後、虎徹で器用に断髪してから真っ直ぐ浴室へ足を運ぶ。
脱獄囚の身で銭湯に行ける筈もないので、この教会に浴室が備え付けられていて良かった。といっても風呂はなくシャワーだけだが……そこは我慢しなければならないだろう。
シャワーで丹念に体を洗い一時間。三か月の汚れは綺麗さっぱり消えてなくなった。
体を拭いてから着物に袖を通し、鏡を見る。
黒髪に赤い目。生気を取り戻した肌。そこにはちゃんと三か月前の自分の姿があった。漸く人間らしい姿に戻れたことに、閖夜はほっと一息つく。
「ジャンヌ、もういいぞ」
そう言うと別の部屋で待たせられていたジャンヌが、霊体化して壁を通り抜けて現れる。こういう時、サーヴァントというのは便利だ。
「やっと終わりましたか? ふーん、ちょっと見違えましたね。あの見苦しい姿も滑稽で愉快ではありましたけど、正直近くにいることが耐えられないほど臭かったのでありがたいです」
「ほっとけ。俺だって好きで臭くなったんじゃねーよ」
煙管を吹かしつつ、教会の酒蔵からかっぱらってきたワインを胃に流し込む。
久びりの煙とアルコールは閖夜に活力を与えてくれた。酒は万薬の長だとかいう言葉があったが、それは真実だとしみじみと思う。
「そういやお前に聞いてねえことがあったな。冥馬の奴はルーラーのサーヴァントには『願いがない』って言っていたが、こうしてお前が俺のサーヴァントになってること自体が異常なんだ。だったらもしかしてお前にも『聖杯に託す願い』があるんじゃねえのか?」
「女の秘密を詮索するなんて無粋ね。それを知ってどうする気ですか?」
「別にどうも。聖杯がどんな願いでも叶えるんだってんなら、俺だって欲しいからな。巻き込まれた立場とはいえ勝つ気で挑むのは変わらねえよ。でも相方のサーヴァントが聖杯欲しいのかそうでないかで対応は変わるだろ。こっちが富士山登ろうとしてんのに、そっちが高尾山登るつもりじゃ同じ頂上にゃ辿りつけねーし。あ、これは決して高尾山を馬鹿にしてるわけじゃねーからな。高尾山にだって魅力沢山あるからな」
「……私の願い、ですか」
ジャンヌは目を瞑り、過去へと馳せる。
閖夜も聖女ジャンヌ・ダルクがどういう人生を辿り、どんな末路を迎えたかは知っていた。もしも彼女が鋼鉄の聖女ではなく、ただの少女らしい弱さがあるのだとすれば。
「ええ……ありますよ」
彼女が有り得ない
翌朝。
談話室へ行くとソファには冥馬という先客が座っていた。
周囲の気配を探るが、璃生の姿はない。監督役の中枢機構を移すにあたって、やらなければならない仕事があると本人がぶやいていたので、恐らくそれに掛かりきりとなっているのだろう。
冥馬は閖夜を見るなり挨拶をしようとして、ピクリと停止した。
「おはよう閖――――――閖夜なのか?」
「どっからどう見ても俺だろうが。シャワー浴びて髪切ったんだよ。男にンな報告する趣味ねえんだから察しろ」
「いや察しろって……なんだか髪色から肌色まで変わってるんだが」
「そういう体質なんだよ」
「どういう体質だ?」
「お前は自分の魔術系統や得意分野を昨日会ったばかりの奴に教えるのか?」
魔術というのは基盤を独占すればするほど強くなるため、魔術師というのは自分の成果を決して外部へ広めたりはせず隠匿する。魔術師が自分の魔術の成果を全て披露するのは、後継者へ自らの神秘を継承する時だけだ。
魔術協会には術式の『特許』もあるが、それを取得するのは自分の研究分野以外で他の魔術師達を唸らせるほどの結果を出せる、極一部の天才だけである。もしそんな天才以外で特許を取得する者がいるとすれば、それは自らの研究成果を放出せねばならぬほどに追い詰められた者か、もしくは壮絶な努力を苦にしない忍耐力を備えた『偉人』くらいだ。
「そうだな、聞かないでおくよ。ところでなにか〝良い夢〟でも見れたか?」
「生憎と昨日は体と心の選択に忙しくて寝てねえ」
「それはまあ御苦労さまなことじゃないの。だが夢って程じゃないが嬉しい報せがあるぞ。璃正からの情報だが、帝国陸軍はまだお前のことを捜索し出している気配がない」
「……俺の脱獄つうか生存に気付いてねえってことか」
「もしくはそれどころじゃないほど忙しいかだな。ただどっちにしてもお前がルーラーのマスターであることは連中に知られていないだろう」
神代閖夜は帝国陸軍にとっての『ユダ』であると同時に『金山』でもある。そこにルーラーのマスターであるという事実まで加われば、帝国陸軍が閖夜に目を向けないなんてことは有り得ない。
(同盟を組んだのは正解だな。敵にナチスと帝国陸軍っつー組織がいる以上、こっちも聖堂教会って組織を味方にできたのはデカい。四面楚歌を単騎突撃なんてかったるくってやってられねえからな)
自分のサーヴァントであるジャンヌの強さは把握しているが、あのスペルビアの力量を見る限りでは決して規格外の力量を持っているわけでもない。並みの相手なら二騎くらい同時に相手できても、四騎以上は数の暴力で潰されるだろう。
「帝国陸軍といえば、これから共闘するにあたってどうしてあの地下監獄に収容されているか聞いておいて構わないか? 同盟する以上は最低限そっちの事情も把握しておきたいんだね」
「それ普通は同盟する前に聞いておかねえか?」
「………………………そこは置いておこう」
冷や汗を流しながら、冥馬はとぼけるように視線を逸らした。
一瞬なにか良からぬことでも企てているのかと思ったが、この様子だと単に聞くのをうっかり忘れただけなのかもしれない。
「それで良ければ話してくれないか? ああ、聞いた以上は生かしておけぬ~~とかいうノリだったら何も言わなくていい。寧ろ言うな。ただでさえ戦力不足なのに、内部分裂なんてやってられないから」
「心配しなくても隠しゃしねえよ。ちっとばかしクーデター起こして失敗しただけだ」
「く、クーデター!?」
流石にクーデターは予想していなかったらしく、冥馬が余裕顔を吹っ飛ばして仰天した。
「随分と大きく出たな。いやこのご時世クーデターや革命なんて珍しいものじゃないが、それでもクーデターとはねぇ。なんでそんなことを?」
「…………しょうがねえみみっちい理由だよ。郷に入って郷に従いたくねえってんなら、自分が郷に取って代わってやるしかねえだろう」
どんな大義があったにせよ、クーデターなんてものは勝たなければ意味はない。負けてしまえば参加者の末路は惨めなものだ。
神代閖夜はクーデターを引き起こし失敗した――――そのせいで自分に付き従った大勢が死ぬこととなった。事実はこれだけである。なんの言い訳も必要ない。
「こんなことを企んだせいで、陸軍の奴等にはばっちり目を付けられてやがる。居場所が知れれば、兵隊を送り込んでくるだろうな。どうする? 切り捨てるなら今だぜ」
「陸軍の脅威とルーラーの戦力なら、後者だな」
「そうかい。精々お前まで目を付けられねえよう願うこった」
「陸軍は兎も角、政界には伝手がある。どうにかするさ。それより今後について話し合わないと」
「……なんだ、そいつは?」
閖夜は眉を潜める。
冥馬が床に置いてあった鞄から取り出し、テーブルの上に置いたのは『腕』だった。なにかの比喩だとか、人形のものだとかいうことでは断じてない人間の腕そのものである。
「手を組むとは言ったが、そういう意味での共犯者になると言った覚えはねえぞ。んなもんは海にでも捨てるか、適当な山中にでも埋めてこい」
「いやいやいやいや。人を殺人犯みたいに言わないで欲しいじゃないの。これはルクスリアの腕だよ」
「ルクスリア――――!」
冥馬が腕を斬り飛ばして撃退したという人造英霊の一人。その真名を桂小五郎。
閖夜はじっと視線を下に落とした。テーブルに無造作に置かれた腕が、日本の新時代を切り開いた英傑のものと思うと不思議な気分だった。
「だがそれにしちゃ特に何の気配も感じねえな。魔力の痕跡も、神秘の残り香もねえ」
「昨日までは、ちゃんと魔力やらが残っていたよ」
「昨日まで?」
「正確には俺がお前と出会う少し前までだ。切り落としてから暫くは確かに『英霊の腕』の気配があったのに、本当になんの前触れもなく突然それはただのモノに成り下がっていた。
これは可能性に過ぎないが、もしかしたらルクスリアは既に殺されているのかも」
「――――誰にだ?」
片腕と得物を失ったとはいえ、ルクスリアは英霊である。単なる物理攻撃では一切傷つけられないし、滅ぼすには強力な神秘をもった魔術や武装だけだ。
必然的にルクスリアを殺せる者は限られている。英霊であるルクスリアを滅ぼせるのは同じ英霊か、そうでなければ冥馬のような上位の魔術師くらいだ。
だがあの時点で自分と冥馬以外の正規のマスターは帝都にいなかった筈だし、戎次とライダーは地下監獄。残るは『結社』の連中しかいない。
閖夜はルクスリアと会ったことすらないし、冥馬も口振りからしてルクスリアに死ぬような痛手を与えた訳ではないだろう。となると残る可能性は一つしかない。
「もしかしたら『結社』に粛清されたのかもしれない」
「理由は?」
「これまた根拠のない推測になるんだが、どうにもルクスリアは『結社』に忠実でなかったような節がある。もしかしたら密かに叛意を持っていたのかもしれない」
「成程。つまりそれに気付いた『結社』がルクスリアを処分したってわけかい」
「証拠はないし、そもそもルクスリアが本当に死んだと決まったわけじゃないがね。ただ一つだけ確かなことは――――ルクスリアの腕が、こうして残っているということだ」
「それのなにがおかしい?」
「おかしいさ。サーヴァントは基本的に霊体で、この世のものではない。だからサーヴァントが死を迎えれば、その体は消滅する。死体なんて残りはしない。つまり――――」
逆を言えばである。こうして死体が残っているということは、人造英霊の体は『この世のもの』で出来ていることではないのか。冥馬はそう言いたいのだろう。
閖夜はルクスリアの腕を触ってみる。ひんやりと冷たくて固い……物言わぬ死人の腕だった。しかしこの厭な冷たさは、この世に存在しているという証でもあった。
「ばらして調べてみないと詳しいことは分からないが、取り敢えずサーヴァントと人造英霊が別の理によって成り立っているのは確実だ。連中の誰かをひっ捕らえることが出来れば、脳味噌を弄ったり拷問したりして情報を引き出せるんだが」
「となると第一目標は人造英霊じゃなく、結社の魔術師でいいな」
当面の第一目標は定まった。ならば後は行動あるのみである。壁にかけた刀を取ると、閖夜は腰を上げた。
「閖夜?」
「いつまでもここに穴倉していたって仕方ねえだろう。俺は動く――――ジャンヌ」
「なによ」
不機嫌面して実体化したジャンヌに構わず、閖夜は口を開く。
「聞いた話じゃルーラーには索敵能力があるらしいな。使わせて貰うぞ」
「朝起きて最初に言う言葉が、そんな無粋な指図なんて。これだから女を知らないヴィエルジェは」
「ヴィエ…………なんだって?」
フランス人のジャンヌが言うのだから恐らくはフランス語なのだろう。
それなりに多くの言語を使いこなせる閖夜だったが、フランス語には詳しくないのでジャンヌが何を言ったのかは分からなかった。
「けど私も私を使い捨てにした神の家にずっといるなんて願い下げだし、従ってあげるわ。喜んで悶えなさい」
「そういうことは金持ちの変態オヤジにでも言ってやるんだな。喜ぶついでに札束も落としていくぜ」
なにはともあれジャンヌの合意はとれた。口では剛毅な閖夜だったが、決して馬鹿ではない。『結社』の魔術師を捕えるにしても、サーヴァントであるジャンヌの助けが必要不可欠なのは理解していた。これで何の憂いもなく動くことが出来る。
「待て」
だが出ていく直前、冥馬の声が足を止めさせる。
なんだ、と振り返った閖夜に冥馬はアンティークなオルゴールのようなものを投げ渡してきた。
「通信礼装だ。なにかあれば報せろよ」
「便利なものだな」
近代化により科学力は随分と進歩したが、遠距離にいる者と情報のやり取りする手段はまだ限られている。特に野外では尚更だ。
しかしこの通信礼装さえあれば、何処にいようと直ぐに連絡を取り合うことができる。しかも通信を傍受される心配がないというオマケつきで。多くの魔法が魔術へと落ちた現代であるが、やはり魔術もまだまだ捨てたものではない。
「あともう一つ。お前も昨日見ただろう。どうも帝都にはベルンフリート――――死徒が操る死者がかなり潜伏しているらしい。ついでに処分してきてくれ」
「分かっている」
ベルンフリートとかいう死徒は、部下を死者にした仇だ。もし見つければ真っ先に殺してやらなければ気が済まない。
怪物への殺意を胸に秘め、閖夜は魔人蠢く帝都へと繰り出した。