トップアイドルμ'sの、破滅の物語   作:アズマオウ

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第8章後半:絢瀬絵里、虚空に舞う

「着きましたよ」

 

 亜里沙さんに呼び掛けられて私は到着したことに気づいた。車から降りて、伸びをすると、そこには確かに一日前に訪れた絢瀬絵里の家があった。

 家で絢瀬絵里はどうしているのだろうか。自分の部屋で膝を抱えて座っているのだろうか。生気を失った目で亜里沙さんを見たとき、どんな反応を示すであろうか。

 そんな疑念が渦巻くなか、私は亜里沙さんがインターホンを押すところを眺めた。ピンポーンと軽快に鳴り響き、お母さんの声が聞こえてきた。再びロシア語の受け答えが出てきた。

 

「お母さん、私だよ。亜里沙だよ」

 

「亜里沙……亜里沙なの!? 帰ってきてたのね!!」

 

「うん。ジャーナリストさんも一緒だけどね」

 

「そうなの? とにかく鍵開けるから待ってて」

 

 この対応の差はなんだ? 姉妹の間に、差が出来すぎている。絢瀬絵里の名前を聞いたときは、あからさまに嫌悪を示していたのに、亜里沙さんの名前を聞いたときは大喜びしていた。確かに姉は犯罪者で妹はプロデューサーとあれば差は出てきてしまうだろうが、ここまで深いものだとは想像もしなかった。

 

「ただいま母さん!」

 

「お邪魔します……」

 

 亜里沙さんの元気な声が玄関に響くと、お母さんが出迎えてくれた。満足げに腕を広げて。亜里沙さんも嬉しそうに胸に飛び込んでいく。これが普遍的な親子関係であろうが……やはり違和感というか、やりきれない思いがある。お母さんの見せているのは、使い分けている顔のうちの一つにすぎない。つまり、あの光景を生み出す表情は本心からではなく、演技から来ている偽物なのかと思ってしまう。そんなことあるはずがないのに。

 

「母さん、こちらはジャーナリストの三沢さんよ」

 

「知っているわ。前にも絵里の取材ということでいらっしゃったからね」

 

 にこりと愛想よく笑顔を私に向けた。私は軽く頭を下げて挨拶する。

 どうぞ上がってくださいと言われ、スリッパを履いて上がった。

 

「母さん、お姉ちゃんはいる?」

 

 亜里沙さんはお母さんに尋ねる。……お母さんは一瞬だけ顔をしかめた、ように見えた。そして再びにっこり笑って答えた。

 

「絵里なら、リビングにいるわ。会ってみたら?」

 

「そうするわ。行きましょう、三沢さん」

 

「分かりました」

 

 私は亜里沙さんに案内されてリビングに行く。お洒落なテーブルに、またしても絢瀬絵里が座っていた。やはり以前と変わらず、破棄のない姿をしている。何処を見ているか分からないような目をしている。

 後はゆっくりしなさいとお母さんは言い残し、去っていった。妹が絢瀬絵里と話すのが嫌なようだ。納得しがたいが仕方がない。

  

「絵里さん……またお会いしましたね」

 

「…………」

 

 何も言わない。何も反応しない。ただ、首をこちらに向け、目線を会わせるだけだ。私の近くに亜里沙さんがいるのにも関わらず、うんともすんとも言わない。瞳孔にはきちんと亜里沙さんの像が映し出されているのであろうが、きちんと認識は出来ないようだ。

 

「……亜里沙さんも来ていますよ」

 

 私は亜里沙さんを指し示し、絢瀬絵里にその姿を見せる。絢瀬絵里の首がゆっくりと亜里沙さんに向けられる。

 

「お姉ちゃん、私だよ……亜里沙だよ」

 

 亜里沙さんが呼び掛ける。その、微かに震えたその声は空気を伝わり、彼女の鼓膜をさわる。彼女はどう受け取ったのか。最愛の妹の第一声を、どうとらえたのか……。

 

「……あり、さ……なの?」

 

 死んだような目を、わずかに開いて亜里沙さんを見る。まるで幻影を見ているような表情だ。だらしなく頬を緩ませ、ブルブルと震える腕を必死に伸ばしている。その腕は極端に細く、骨が見えてしまっている。亜里沙さんはそんな姉を見て……どう思っているのだろうか。

 亜里沙さんは絢瀬絵里のその、辛そうな挙動をただ見つめている。絢瀬絵里の手が、彼女の腕へと近づいていく。

 だが、絢瀬絵里は椅子からはみ出しすぎたようで、転げ落ちてしまった。音はそこまで大きくないのでそこまでビックリしなかったが、彼女は相当苦しそうだった。

 亜里沙さんはしゃがみこむ。痛みに苦しむ姉は、亜里沙さんに助けを求めることすらしない。ただ呻き声をあげるだけだ。

 亜里沙さんは絢瀬絵里の手に触れた。ぎゅっと、力強く。

 絢瀬絵里は顔をあげた。そして、にっこりと亜里沙さんに笑う。しかし、その笑いは……もはや窶れていた。わずかに持ち上がった頬の肉は限界まで削り取られていて、目には光がない。まるで、機械的に笑っている、笑うべき時だから笑っているだけに過ぎないように見える。

 立ち上がろうと、彼女は足に力をいれる。けれど……小さな枝ほどに細くなった足では立ち上がることはままならない。ボキッとへし折れるように、すぐに地面に崩れ落ちた。

 

「…………」

 

 困惑と、諦めが入り交じった表情を浮かべて、亜里沙さんを見る。亜里沙さんは手を握り続けた。その目には、涙が光っていた。

 

「お姉ちゃん……」

 

 もう、自分の姉は自力で立ち上がることすらできない。絢瀬絵里の過去は、足の力までも、根こそぎ奪い取っていった。言い過ぎだとも思うが、そうでもないと確信する。

 私は亜里沙さんに言われて、絢瀬絵里の体をささえ、椅子に座らせる。本人は、座らされているという事実を認識しているのか。

 

「亜里沙……」

 

 口を震わせながら、絢瀬絵里はその名を呼ぶ。亜里沙さんは近づいて耳を寄せる。

 

「何、お姉ちゃん?」

 

「帰って……きたのね。……嬉しいわ」

 

「私も、お姉ちゃんに会えて嬉しいよ」

 

 濡れた声で、亜里沙さんは答える。そしてーーー絢瀬絵里の痛々しく細った体をそっと抱き締めた。絢瀬襟も、震える腕で亜里沙さんを抱き締めた。

 

「朝御飯、食べた?」

 

「…………あまり食べてない」

 

「じゃあ夕御飯、一緒に食べよ?」

 

「……うん」

 

 どうしてなんだろう? 

 たったこれだけの会話なんて、日常でもありそうだ。ありそうなのに……なぜここまで悲しい響きを持つんだろう。何て言うんだろうか、深い深い穴にひっそりとたたずむ小動物が、馴れ合って寒さをしのいでいるような、そんな悲しさ、静かさが感じられる。重い。軽い言葉の筈なのに重い。

 

「お姉ちゃん、お昼どこか食べに行こうか」

 

「…………どこに?」

 

「昔よくいってたレストランに行こうよ。お姉ちゃんの大好物、まだあったはずだよ。チョコレートパフェ、よく食べてたよね」

 

「…………分かった」

 

 じゃあいこうと、亜里沙さんは手を握りしめて連れていく。足取りはとってもゆっくりだ。けれども、亜里沙さんの手を振り払おうとしない。やはり、心は彼女を求めているのだろう。

 けれど、何も知らない人が見れば、亜里沙さんが心の死んだ人物を引っ張っているようだ。囚人を牢に投げ入れるような、そんな暗さがある。言葉はとても暖かいのに……おかれた状況と空気が冷たすぎる。

 

「三沢さんも、一緒に食べましょう。少しでもお話、したいですから」

 

 そんな中、彼女は誘ってくれた。断ろうかとも思ったが、正直……難しかった。彼女は、善意で私を誘っているのに、空気が重いとか個人的な理由で断るのは何か違う気がする。私は、首を降った。

 

 レストランに付くと、亜里沙さんは急に懐かしそうな声を出した。レストランの内装はシックでどこか落ち着く雰囲気を醸していた。席に座り、それぞれのメニューを注文すると、亜里沙さんは向かいに座る姉に話しかけていた。自分の身上話、私の話、食事の話、母親の話など、話題がつきることはなかった。しかし、絢瀬絵里はほとんど言葉を発することはなく、最低限の相槌や答えで返すのみだった。食事が来たときも、絢瀬絵里はあまり口にせず、半分以上残してしまった。残りは亜里沙さんが食べていた。

 家に帰ってからも、姉妹はずっと話し続けていた。

 

「お姉ちゃんの好きなものって変わったりする?」

 

「……しない、わね」

 

「今晩何食べたい?」

 

「……チョコレート」

 

「それおやつだよね?」

 

「…………フフ」

 

 ここで変化が起こった。絢瀬絵里は時々笑うようになったのだ。私に対しては、相変わらず無表情でいたが、亜里沙さんに対しては、少しずつ笑顔を見せていった。姉妹間の、何気ない会話が心を開いていったのだろうか。私は途中からただ見ているだけだったけど……退屈はしなかった。二人を包む空気は、暗く寂しいものではなくなり……明るく楽しそうに見えた。お喋りな妹と静かな姉が、弾むように話しているように見えた。

 

 時間が過ぎるのは意外と早い。外も暗くなり、夕焼けが綺麗に映る。姉妹は、夕焼けを見に行くことになり、私も同行した。

 

「すみません三沢さん。取材したいのにお付き合いいただいちゃって……」

 

 亜里沙さんが頭を下げながら言う。私は頭を振りながら構わないということを伝えた。

 

「お気になさらないでください。私もお二人の話を聞いていると気分がよくなりますから」

 

「そうですか。取材は明日になっちゃいそうですが……」

 

「構いませんよ。こんなことざらにありますから。1ヶ月近くも待たされたことだってあるんです。ジャーナリストは待つことも仕事です」

 

「あはは、そうですよね。あ、もうすぐですよ」

 

 亜里沙さんは夕日の前に広がる崖の縁を指差した。崖は勾配が激しく、歳のいった私には少しきつかった。だが、あの向こうに絶景が広がっているのは、確信していた。

 果たして―――景色は綺麗だった。茜色に燃える空の下に照らされる町並みは大きく広がっていた。夜だというのでポツポツと光が灯されていくが、それもまた、夕日の光の前では塵にも満たない。夕日が放つ、金色の光はこの街はおろか、地平線の彼方まで照らしていく。私たちはそれを眺めているけれど、そこにいる私ですらも照らされている。景色を眺めている方に見えて、実は眺められている。太陽というのは実に偉大だ。

 もしかしたら―――アイドルというのも太陽と同じなんじゃないのか。アイドルはたくさんのファンを照らす太陽だとよく言われる。アイドルの照らす光を眺め、忘れられないひとときを味わう。しかし……照らす太陽がそれを眺めていることに気づかず、アイドルそのものを皆は見ていない。

 もしかしたら、ここにアイドルの本質は隠されているのかもしれない。アイドルとは、偶像と辞書で調べれば出てくる。つまり我々が見ているのは、偶像であって、その人ではない。その人に似た、別の仮の姿を眺めているにすぎないのだ。言い換えれば、アイドルになる本人は見てもらえず、化けの皮を被った別の自分が注目されるのだ。

 だったら、何故そんな自分を作ろうと、アイドルになろうとするのか?

 何故、皆アイドルを志望してスクールアイドルになったり、オーディションに応募したりするのだろうか。注目されたいから? 可愛くなりたいから? 自分を変えたいからか? 富を得たいからか? 出会いを求めたいから?

 でも、そんなのならば、他に無難で且つもっと効率のいい方法がある。青春時代の全てを使い果たすこともないし、万人の目に晒されることもない。別の自分を見せるのなら、ダンサーだって、歌手だって構わない。しかも、成功するのはほんの一握り、失敗したら全てを棒に振ってしまう厳しい業界だ。デビューできるかもわからない。未だに第一線を張れているアイドルなんて、一人か二人しかいない。伝説のアイドルと呼ばれているアイドルはもっといるがそれでも2桁いくかいかないかだ。私みたいにそこまでアイドルに詳しくない人間でも厳しい世界だってわかる。

 なら、何故μ'sはアイドルになったのだ? お金がほしいとか、踊りたいとか、そういった直接的な理由ではなく、もっと本質的なものは何処にあるのだろうか? アイドル文化の本質とは一体何なのだろうか……?

 私は夕日を眺める二人を見る。私が思考している間にも、二人は楽しそうにおしゃべりをしていた。そこにいるのは何処にでもいる幸せそうな姉妹。他愛のない会話を止めどなく話す二人に私はなんだか肩が軽くなったのを感じた。そしていつのまにか、疑問は消えていた。今この話をする気には、なれなかったから。

 然るべき時に聞こう。私はそう決めて夕日に視線を戻した。

 

 

 

「そろそろいこうお姉ちゃん、三沢さん」

 

 どのくらいそこにいただろうか。そろそろ帰ろうと亜里沙さんが促したので帰ることにした。

 帰り道も会話が途絶えることはなかった。絢瀬絵里も会話に参加するようになり、表情の変化も豊かになっていく。素直によかったと思える瞬間だ。絢瀬絵里に取材できるからというわけではなく、あれほど壊れかけていた人間が、今ではかつての姿に戻りつつあるからだ。

 

「私のプロデュースしているアイドルはね、とってもダンスは下手なんだけど歌はとってもうまいのよ」

 

「へぇ……会ってみたいわね。私も久しぶりに踊ってみたくなったわ」

 

「今度一緒に踊ろうよ」

 

「そうね……考えておくわ」

 

 もう今ではこんな会話を交わせるようになっている。少し間は空いてしまうが、それもいずれは直っていくだろう。

 絢瀬絵里が普通の女の子として生きていれば、どうなっていただろう。今よりも幸せな人生を送れていただろうか。スクールアイドルのままだったらどうだっただろうか。本物のアイドルとして生きていったときよりも幸せになれただろうか。

 物思いに耽っていると、大通りに出た。近くにコンビニエンスストアがあるのでそこによることになった。

 

「コンビニ向こう側だね。横断歩道ないから気を付けていかないと」

 

 亜里沙さんはそういうと、絢瀬絵里の手を引いて道路を渡り始めた。私はここで待っているといって、地べたにしゃがんでいた。

 車の数はそこまで少なくない。乗用車はせいぜい数台、トラックがたまに通るくらいだ。これなら絢瀬絵里を連れていっても問題はないな。

 だが―――それは大きな間違いだった。いや、ちっぽけな予想にすぎなかった。

 

 ブー!!!!

 

 大きなクラクションが唐突に鳴り響く。続いて甲高いプレーキ音。何だと思って音源を探り当てる。するとーーーそれは目の前にあった。大通りの車線に猛スピードで走る車だ。そしてその先には……二人の姉妹がいた。

 轢かれる。直感的に察した私は駆け出していた。死なせるわけにはいかない。目の前で人が死ぬなんてごめんだ。足で地面を蹴り、まっすぐ向かう。が、対抗斜線の車が飛び出してきて、行く手を阻まれてしまった。大きく舌打ちし、急いで駆けつけるも……時はすでに遅し、車は二人の姉妹のすぐそばに迫っていた。

 頼む、止まってくれ……!! 

 強くそう願う。二人の姉妹を凝視しながら、私は足を動かしていた。

 だが、その刹那、私は見た。

 

 トンッ。

 

 車が鳴らし続けるクラクションと、ブレーキ音に比べれば、些細な音だった。でも確かに聞こえた。

 絢瀬姉妹の絶望の表情が克明に映る。でも、そのまま指を加えて死の瞬間を待っていることは、しなかった。

 絢瀬絵里のからだが動く。逃げようとしたのではない。両腕に力を込めて、亜里沙さんを突き飛ばしたのだ。

 ふわっと浮き上がる亜里沙さんは驚愕しながら姉を見て―――。

 

 

 

 赤い花が、コンクリートに咲き乱れた。

 

 

 

 

 

 一時間後……元トップアイドル絢瀬絵里は、故郷ロシアの病院にて儚く命を散らせた。

 

 

 

 

 

 どうしたらいいんだろう。

 私は、病院のベンチで音もなく呟く。絢瀬絵里が、私の目の前で死んだのだ。交通事故に巻き込まれて亡くなったのだ。絢瀬絵里は頭を強く打ったらしく即死だったようだ。

 私は確かに遺体はたくさん見てきた。もっと凄惨な事件の惨状を見てきた。だが、世界中どこでも起こっている小さな交通事故の現場の方が、衝撃的だった。目の前にいたのに、助けられなかった。車に阻まれてでも、助けにいくべきだった。そうすれば彼女は助けられた。せっかく心を取り戻しかけていたのに、命を散らせてしまった。

 亜里沙さんはずっと泣いていた。ご遺体に謝っていた。それはそうだろう。自分を庇って姉が犠牲となったのだから。自分を責めないわけがない。

 だが、もし私が取材をしなかったら、どうなっていたか。この道を通ることはなかった。絢瀬絵里がこの道を渡ることはなかった。絢瀬絵里が、死ぬことはなかった。助けられなかったと自分を責めることはなかった。

 そんなのただの偶然だ。仕方がないことなんだ。

 そう自分を慰めても、空回りするばかり。何処かへと消えていってしまう。

 

『マスコミは人の人生を変えてしまう。―――いい方向にも、悪い方向にもね』

 

 ふと、この言葉がフラッシュバックする。たしかこれは、A-RISEのツバサさんが私にいった言葉だ。

 もしかしたらその通りかもしれない。私がここに来たことによって最悪な結末を迎えてしまった。私が来なければ……こんなことにはならなかった。生きることが出来た。私が来たことによって、絢瀬絵里の人生は悪い方向へと傾いてしまったんだ……!!

 私は両手で顔を覆い、項垂れる。亜里沙さんにまともに顔を合わせられない。だが、亜里沙さんに伝えなくては、謝罪しなくてはならない。

 私は立ち上がった。顔をあげることはできないけれど。亜里沙さんに謝罪しないと気がすまないから。私は重い足を病室に向けた。

 だが、先を越されたようだった。亜里沙さんが病室から出てきた。髪は乱れ、顔をあげることはない。頬には、いく筋ものの涙の跡が光っている。ずっと泣いていたようだった。

 雰囲気が変わっている。無論、悪い方向に。心に大きな穴をくり貫かれたような、そんな感じだ。

 

「……亜里沙さん」

 

「…………」

 

 返事はない。ただ、顔をあげただけだ。その時に、目が見えた。光の差さない瞳は、まさにかつての絢瀬絵里と同じだ。姉の死を経て、心が死んだということか。逆に言えば、姉は彼女にとって大きな要素、それが急に壊れたと云うのなら考えられない話じゃない。

 

「すみませんでした。私があなた方に関わったばかりで……」

 

 込み上げてくる悲しみと絶望を堪え、謝罪する。聞いてくれないことくらいわかっている。自分のことで精一杯なのもわかる。でも、言わずにはいられなかった。

 

「……いえ、三沢さんは悪くないです。…………全部、私のせいです」

 

「そんなことはないですよ……」

 

 そうはいうが、亜里沙さんは返事せず黙るだけだ。そして……私の横を横切っていく。

 

「どちらへ……?」

 

「…………」

 

 亜里沙さんは何も答えず、その場を去っていく。追いかけようとしたが、足が動かない。追ってはいけないというように。

 彼女はこの喪失に耐えられるのだろうか。無理だ。あんな状態で再び復活するのは。それこそ……姉がいない限り。

 私には何もできないのか。こうして背中を眺めることしかできないのか。所詮ジャーナリストはその程度だと認めざるを得ないのか。

 そうだ、ジャーナリストは客観的に物事を伝えることしかできない。自分の主観を出来るだけ押さえて事実を伝えていき、そこではじめて意見を展開する。つまり……主観を押さえて、感情を押さえて物事を観察することしか出来ないのだ。言うなれば私は神だ。それも、人の外部しか覗けない、どうしようもない神だ。他人との接触で得られるのはその人が持つ事実のみ、感情なんて一欠片も得られない。

 帰ろう、日本に。取材もできなくなった以上、ここにいる意味はない。それにーーーもうこれ以上この企画に関わりたくない。もう、日本に返って穂乃果さんに渡そう。

 私は、亜里沙さんに近づく。せめてお礼だけは言わないと。

 

「亜里沙さん、ありがとうございました。短い間ですが、お世話になりました」

 

 歩き続ける亜里沙さんの背中を見つめながら、頭を下げた。彼女は何も返さない。でも、言葉はきっと届いている。

 私は踵を返し、病院の出口を目指す。妻子に今日帰るということをメールで伝えた。すると……すぐに返信が来て、こう書いてあった。

 

『今日焼き肉食べに行こうよ』

 

 それまでには戻れないだろうが、帰ってきたら食べようと返す。けれど……今の私はめでたい気分じゃない。人が死んだところを見たのだから、動物の肉なんて食べられない。今すぐだったら私はいかなかっただろう。

 空港につくと、私はすぐに直行便を予約した。

 今でもフラッシュバックしてくる。彼女が空高く舞い、赤い滴を盛大に撒き散らした場面が。あの事故の原因は恐らく飲酒運転だ。車の中が酒臭かったから間違いない。

 何故、こんな死に方をしなくてはならなかったんだろうか。こんなのは残酷すぎる。アイドルの時の輝きと、今の影の深さは差が大きすぎる。これがアイドルの闇だと云うなら……どうしてアイドルなんていうものが存在しているのだろう。アイドルになってのちに辛い思いを抱くことになるのなら、存在してはならないのではないのか?

 この疑問は、絢瀬絵里にぶつけたかった。だが、それはもう叶わない。それにもう別に解決しなくてもよくなった。ただ、事実を伝えるだけだ。アイドルとは何かとか、アイドルになりたい理由の本質とか、どうでもいい。

 飛行機の搭乗時間が来た。私は飛行機に乗り座席に座る。ヘッドホンを取り出して適当に音楽を聴く。すると……。

 

「―――!!」

 

 声が、聞こえた。絢瀬絵里のだ。まさかこれは……μ'sの曲か? 解散したμ'sの音楽をこの空港は入れているのか?

 分類を見ると、そこにはこう書かれていた。

 懐かしのアイドル、と。

 曲名は、『Angelic Angel』。

 絢瀬絵里がセンターの曲と、紹介文に書かれてある。

 今では冥界に旅立ってしまった彼女の、生きた証がここにある。天使のように輝いて羽ばたく彼女は、もういない。最後は羽をすべてへし折られて、血に汚された。けれどここにしっかりと残っている。

 どうしてだろう、さっきまで死亡事故を見てきて気が萎えていたのに……何故か心が休まっていく。穏やかになっていく。まるで、暖かい何かが私を包んで、冷たく冷えきった体が暖まっていくようなそんな感覚だ。

 もしかしたら、これがアイドルの力なのか。アイドルの力は、闇を光に変えることなのか。

 ……知りたくなってきた。

 もうアイドルの闇は見たくない。破滅を見たくない。そう思っていたのに。アイドルについてもっと覗きたくなる。知りたくなる。

 だが、それは好奇心からではない。アイドルの闇に飲まれたμ'sのためという気持ちが強くなった。もう、こんな闇を作ってはならない。だから……だから、それを防ぐために、このビデオを使いたい。自己満足では、終わらせない。それには、アイドルについてもっと本質的な何かが必要なんだ。アイドルの闇と、光を理解していなければ語る資格なんてない。

 我々はアイドルから放たれる光を享受する側だ。しかし……我々が今為すべきことは、照らすアイドルそのものを見ることなんだ。太陽を見るべきなんだ。太陽を蝕む闇を見つめるべきなんだ。もう、こんな犠牲はいらないから。

 

『翼をただの、飾りにはしない―――』

 

 飛行機が発着する。強烈な衝撃が走り、ロシアの町並みが見えなくなる。絢瀬絵里の歌声が、静かに私の鼓膜を揺らす。

 絢瀬絵里の死は無駄にしない。そう私は決めた。

 

 




次章:高坂穂乃果
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