トップアイドルμ'sの、破滅の物語   作:アズマオウ

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※キャラ崩壊注意、残酷な描写あり


第9章後半:高坂穂乃果、夢だと気づく

「μ'sは、解散しよう」

 

ーーー全ては、この言葉で終わった。高校二年生の時に始めたアイドル活動を、終了させる宣言を下した。

 にこちゃんの裁判が終わり、一ヶ月がたったとき、私たちは集まって、その事を告げた。

 誰もなにも言わなかった。ダメだとか、そんなことをいう人は居なかった。花陽ちゃんも、凛ちゃんも反応を示さなかった。

 

「何も言わないということは、オッケーていうこと? じゃあ、そういうことだから」

 

 私は平坦にそれだけ告げて部屋を出ようと、彼女たちに背を向ける。

 呆気ない別れだ。家族と同じくらい一緒にいた仲間たちとの決別だというのに、たったの数文字で終わりにするというのは、悲しいもののはずだ。でも、全くそんな感情は沸き上がってこない。これで終わったんだ。そういう感情しかない。私の戦いは、終わったんだ。

 私は、今まで戦うことなんてしなかった。戦う必要なんてどこにもなかったから。トントン拍子で上手くいき、危ないことや誘惑するものなんてどこにもなかったから、全力でアイドル活動ができた。

 でも、私たちは乗せられたのだ。戦わなくてもいい世界に。そこで頂点を取り、いい気になって本当の世界に飛び込んだ。

 結果を見ればわかる。間違いだった。戦わなくてはいけない世界であることすら気づかず、四方八方から現れる敵に惑わされて、奪われて、最後には何も残らなくなった。

 今の私はただの脱け殻。ただのバカな女。アイドルであるということを抜きにすれば、一人じゃなんにも出来ない、クズ同然の独身女だ。二人の幼馴染みに裏切られ、メンバー同士が争って死に、世間からの評判は地に堕ちた。ひっきりなしに事務所に誹謗中傷の電話が鳴ったり、ブログでも非難の嵐。スクールアイドル時代にはなかった、闇の部分が私たちを壊していった。

 いつしかもう憎しみを持たなくなった。だから、ただ幕を閉じるだけ。何の思いも入れずに、立ち去るだけだ。

 ドアを開き、アイドルとしての私を捨てていく。脱け殻の体に、ただ1つ残っていた、毒を吐き出すように。ドアを閉めたらもう、私はアイドルではなくなる。何にも残らない、失墜した人になる。

 でも迷いはなかった。いつも部屋に入るようにドアノブを捻り、静かに閉めた。

 微かに響くドアの閉まる音。アイドル人生の終焉を告げる、侘しい音。いや、私そのものの終焉か。

 私は笑いもせず、後悔もせず、事務所を出た。行く宛など、何処にもあるわけがない。でもそれでも、構わなかった。飢えても、襲われても、レイプされても、奴隷にされても、死んでも、何されても構わなかった。

 

 

 

 全てを失った私に、選択の権利なんか、あるはずもなかった。お金も底をつき、食べるものもなくなっていった。路上で死んだように座っていると、男の人が声をかけてくれた。にやにやと気味悪い笑みを浮かべて私を連れ込み、鎖に繋げて監禁された。私のいた場所はスラム街。そういった危ない外国人がたくさんいるところで、女一人が佇んでいるなんて、これ以上のカモはいないだろう。

 私は何にも感じなかった。その男が私を弄び、舌を這わせ、処女を奪っても気にしなかった。どうでもよかった。ただ痛覚と、それ以上の快感が襲うだけだった。

 詰まるところは私は、痛覚と快楽しか残っていない、人間以下の存在だ。でもそれでもいい。どうされても、構わない。毎日のように犯され、性欲処理専用の存在に堕ちても、構わなかった。犬のように餌を食べるのも悪くない。裸にされて叩かれるのも面白い。ああ、もうどうでもいい。どうにでも、なれ。

 

 

 何日続いただろうか。何日地下牢に押し込められ、家畜以下の扱いを受ける日々はあとどれくらい続くのだろうか。

 辛くもない。外に出ても、どうせ同じだ。だったら命の保証があるこの方がいい。いや、別に死んでもいいが、この際どっちでも構わない。動きたくないのだ。

 今日も世間一般では冷酷に当たる行為を受けている。地面にあるご飯を貪らされ、性欲処理を手伝わされる。私は一切の抵抗をせずに、それを受け入れていた。いや、受け入れてもいない。ただそれに従っていただけだ。

 だけどーーーそんな冷酷な毎日にも変化が訪れた。

 お腹が膨らんできた。つまり……妊娠したのだ。私の中に、汚れた命が宿ったのだ。外国人は愉快そうに笑い、日本語でチュウゼツチュウゼツと繰り返していた。そして、変な薬を飲まされた。気分は、悪い。でも、感覚は麻痺していてあんまり苦痛には思えなかった。

 中絶か。でも、病院に行くのは面倒だ。別に産んでもいいかなと、私は考えた。

 今日もどうせ、男に犯され、メチャクチャに破壊されるだけだ。どん底に堕ちていった意識のなか、男根が刺さるのを待った。

 しかし……刺さったのは、甲高い破壊音だった。地下牢の檻が砕け散り、複数の男が雪崩れ込んできてくる。彼らの目線は、裸にされている私ではなく、外国人だった。一斉に男を取り押さえて手錠にかけ、あっという間に動けなくさせてしまった。ここで私たちは気づいた。彼らは、警察だ。誰かが、私の場所を教えてくれたんだ。

 女性刑事が大丈夫ですかと声をかけて、毛布にくるまっても感慨はなかった。助かったという気持ちもなく、ただただいうがままだった。

 

 警視庁へと向かい、そこで事情聴取を受ける。話に応じる気はなく、すぐに切り上げられる。正直話せるような状態ではない。私は病院に送られることとなった。

 車で送られて病室に入る。ベッドに寝かされて、点滴を受ける。ナースたちが辛かったでしょうとか、もう大丈夫ですとかそういった慈悲のある言葉をかけてくれるが、何にも響かない。どうでもいい。寧ろ、鬱陶しい。

 院長を呼びますねと声をかけて去っていくと、私は一人になった。久々に、一人になれた。今まで一人でいることなんてほとんどなかった。寂しいとは思わないけれど、どこか不安な気持ちではあった。ただ、それがはっきりと感情として現れることもなく、ただぼぉっと窓の外を眺めるだけだった。

 

 だけど、そんな空っぽな私に、はっきりと自覚させるものがあった。これまでに感じたことの無い、痛みが突然襲いかかったのだ。

 

「…………っ!?」

 

 お腹の辺りだ。何故こんなに痛いのだろうか。私はお腹を見る。そこには、新たな命が宿っていたことに私は気づく。ああ、そうか。中絶しなかったから、これから赤ちゃんが生まれるんだ。ということは、これは陣痛だ。

 そう冷静に考えている間にも、陣痛は激しくなっていく。からだが破裂しそうなほどに。これよりも痛い拷問はあの男から受けたけれど、こっちはよりリアルに感じる。けれど、何故か嫌な気分ではなかった。痛みに慣れたとかそんな理由ではない。からだから沸き上がる何かが、その痛みを歓迎するような、そんな感覚だった。空っぽの心にぽっと火がつくように、失ったものが光を取り戻す。糸を手繰り寄せるように、感情が取り戻される。私というアイデンティティーが戻っていく。痛さを伴う喜びがわいてくる。子供がほしいとかそんなことを思ってはいない。でも、確かに産みたいと思っているのだ。この手で、赤ちゃんをこの世に誕生させてあげたいと思ったのだ。

 でもやり方を知らない。ナースを呼んで、産んでもらうしかない。そういえばナースコールボタンがあるはずだ。それを使えば……。

 私は必死に手を伸ばす。久しぶりだ、こうして必死になにかをしたのは。私にも、かつてこういう時期があった。楽しむために、頂点を目指すために誰かと一緒にもがいて、戦った。それは結局無駄だけれども……そういう時期があったのは確かだ。

 指が伸びるように感じた数秒の間に、静かにドアが開く。足音はパタパタとうるさいものではあるが。ナースコールはまだしていないはずだが。そういえば、ナースが院長を呼ぶとは言っていたな。

 

「どうしたんですか!?」

 

「あっ……うぅ……ぁ……」

 

 院長は切羽詰まった様子を見せながら私を見る。私の片手が腹に押さえられていることを観察した彼女は素早く私の押そうとしていたナースコールを押した。

 すると素早くこちらにナースが来て、彼女が説明する。院長は蒼白し、口を捲し立てる。

 

「陣痛が起きている! とにかく医務室へ運ぶぞ!!」

 

「分かりました!! 至急産婦人科へと連絡します!」

 

「頼むぞ、出来るだけ迅速にな」

 

「はい!!」

 

 ナースと院長は私の体を運んで医務室につれていく。陣痛はひどくなるばかりだ。この痛みから解放されるのはいつだろうか。初めて、痛みからの解放を求めた瞬間だということも自覚せず、歯を食い縛って耐えた。

 ボロボロに壊れた性器から、新たな生命が宿り始める。生々とした感触が襲いかかり、痛みはさらに加速する。けれど、耐えようと思った。明確に、目的をもって、耐えようとした。

 そして、永遠に引き伸ばされた時間を経てようやく……痛みが引いた。赤ちゃんが、生まれたのだ。私の中からでて、産声をあげるのだ。

 子供なんて要らないと思っていた。私だけで精一杯なのに、子供なんて持ったら生きることが出来なくなる。そう考えていたのにも、関わらず。

 子供を産みたいと思ってしまったのだ。何でだろうか。出産という現象は、合理的に考えれば体力を消費し、苦労して新たにお金のかかる子供を造る、自分にとってはマイナスでしかないものだ。

 でも、そんなものは関係ないと言わんばかりに、赤ちゃんが出たがっているのだ。その声を拒絶しようとした。黙らせようとした。でも、出来なかった。

 でもこれだけは言える。感じたんだ。幼い頃にしょっちゅう胸の中に灯していた、仄かで暖かい、光に似たような、心地よさを。嬉しさを。暗く閉ざされた私の心に、小さな穴を穿つように、赤ちゃんが小さな声をあげたのだ。

 やがて穴は広がり、拒絶できないほどに光は眩しくなっていく。ヒビがガラスを這うように割れ始めていき、音を立てて弾ける。

 その音に合わせて……赤ちゃんはこの世に生まれたのだった。

 息を荒くした私は、ただ呆然と赤ちゃんを見つめる。あれが、私の……?

 体はやけに小さく、体色はやや白い。だが、気になるのは……腕や手が以上に小さいのだ。しかも、産声もほとんどあげず、動きも微々たるものだった。

 どうしたんだろうか? 体調が、悪いのか?

 私は必死に頭を起こして様子を見る。目線をめぐらせると、ナースが深刻そうな表情で話している。そこには、院長もいた。院長はヒステリックな声で叫ぶばかりだ。何といっているかは、分からないが。

 意味不明な数分が経過する。ドアが静かに開き、カツカツと靴を鳴らしながら私に歩み寄った。近くにいた私の介護をするナースを退出させ、入ってきた人物が椅子に座って語った。

 

 

 

「…………残念な知らせです。赤ちゃんは、亡くなりました。つい先程に」

 

 

 

 平坦に告げられたその言葉。冷たく重いナイフが胸を一直線に貫くかのような、痛みと絶望を味わう。反対に、脳ではそれを必死に否定し始めた。

 何故? どうして? そんな馬鹿な。

 何で? 何で死んじゃうの? そんなはずは、無いよね?

 そうだよね……!?

 

「う……そ……だよね、うそ……ですよね……」

 

 掠れた声で、院長を呼ぶ。院長は、目を瞑ってただ首を振るだけだった。

 でも私は残された力を振り絞って、院長へと迫る。私の赤ちゃんが、死んだということだけは、認めたくない。どうにかならないのか? どうにかしてほしい……!

 それを院長は察したかのように神妙な表情をして口を開く。

 

「あなたの産んだ赤ちゃんは、発育不良で衰弱しました。栄養になるものはほとんど食べていない上に、毒物反応もあります。臓器も未発達で、蘇生の余地はもうないと言っていいでしょう。仮にしたとしても……とても生きられません」

 

「そ、そんな……」

 

 赤ちゃんは、弱ってしまったのだ。弱い私の体で育ったのだ、それは当然の話だ。でも……でもやっぱり腑に落ちない。嫌だ。認めたくない。認めたくないよ。

 私は赤ちゃんを見たかった。この世でただ一人の味方を見たかった。

 もしかして私は、味方を求めていたのかもしれない。地のどん底に落とされて、這い上がるのを諦めた私は、同じような人間に飢えていたのかもしれない。私のことをわかってくれる人間が欲しかったのだ。金銭的な余裕なんて無いけれど、それでも構わなかった。私の血肉全てを捧げる覚悟だって、できていたから。本当にさっきからだけど。

 でもそれはすべてぱぁになった。私の姿を見ることなく、死んでしまったのだから。

 院長の言うことは嘘だと思いたい。でも……赤ちゃんの姿はどう考えても生への道を歩んでいない。骨が見えるほどに痩せ細っていて、気味が悪いほどに手足が細い。触れたら壊れてしまいそうな玩具のようにすら見えた。

 受け入れるしかないのか。折角闇から差した光にすがれると思ったのに。それを手放すことになるのか……?

 私は手を伸ばす。赤ちゃんへと、触れようとする。ふにっと柔らかい感触がする。でも……そこには冷酷なほどに冷たい温度が立ちはだかっていた。

 暖かくないのだ。冷や水に触れたかのように冷たいのだ。反応ももちろんない。 

 私は、認めざるを得なかった。この子は、死んだんだと。

 

「あ、ぁあ……」

 

 声の震えが止まらない。目頭が熱い。固く閉ざされた殻が酷く、そして優しく溶けていくけれど、これまでに受けたどんな仕打ちよりも、痛くて辛くて、絶望を感じた。

 こんなことなら、中絶をすればよかった。産まなければよかった。そうすれば、こんな思いはしなかった。

 

「…………抱いてみますか?」

 

 私の様子を黙ってみていた院長は赤ちゃんを持って、私に手渡す。私は、震えながらそれを受けとる。冷たい。氷を担いでいるような感じだ。

 この子は本当ならばもっと幸せな人生を歩めたのだ。私なんかのもとに来たから、こんな目に遭った。私が悪いんだ。私が、もっとしっかりしていれば……。

 

「ふぐっ……うっ……、くっ……!」

 

 嗚咽が漏れ、涙が頬を伝う。何で、私は暖かくなっているのだろう。何でこの子は、冷たいんだろう。

 全ては、私のせいだ。全てを失って、監禁され、ついにはこうして妊娠して、赤ちゃんは死んだ。破滅を迎えたのだ。私と、共に。友情に裏切られ、地位も名誉も全て奪われた結果がこれだ。

 

「うぅ……う、うわああああああっっーーーー!!!!」

 

 狂ったように叫び、涙を撒き散らした。赤ちゃんを胸に抱えながら、私は喉が枯れるほどに声を出す。自らの犯した過ちを全て洗い流すように、赤ちゃんに顔をつけて涙で濡らしていった。

 

「申し訳ありませんでした…………」

 

 誰かの謝罪が口から流れるけれど、それは私に聞こえることはなく、ただただ泣き叫んだ。

 

 

 

 

 あれから、数日がたった。私はまた、一人になっていた。

 病院のベッドで外を眺めながら、私はため息をつく。これからどう生きればいいのだろうか。赤ちゃんを失い、生きる意思も何もかも失った。こうして自由の身になっているのにも関わらず、どうしてこうも悩むのだろう。

 いや、もう悩んでもいない。ただ落胆しているのだ。自由の身かもしれないが、裏を返せば、何もなくなっているのだ。私は今、ふわふわした空間に漂っているに過ぎない、それだけの存在だ。そんな人間にとって、生きることなんて無意味な行為でしかない。

 そんな人間に残されている選択肢は一つ。この世を去ることだ。生きる意味がなければ、死ぬしかない。味方を失い、私の周りに何もないのなら消えてもきっと構わない。

 死のう。死んでしまおう。

 点滴の針を抜き取り、スリッパを履く。不安定な足取りで歩を進めていく。死ににいくために、労力を使うなんてどうかしている。でも、もうどうでもいい。

 私はゆっくりと、ゆっくりと屋上へと向かおうとする。けれど階段ではさすがに行けそうにないから、エレベーターで行くことを考え、エレベーターを探す。

 しかし、私は見つけられなかった。スロープを渡りながらも、エレベーターを探していると、広々としたロビーが見えた。様々な患者が審査を、あるいは完治を、求めて次々とナースへと迫るその様子を興味無さげに眺めながら、私はロビーへと向かう。エレベーターを探すためだ。

 だが、私は足を止めていた。まるで突然体が言うことを聞かなくなったかのように、動かなくなった。

 何だ、発作か? 病気か? でも……そんな感覚じゃない。むしろ……条件反射のような、鋭敏で且つ、活発的なそれだ。

 私はいつのまにか、ロビーとは反対の方向を向いていた。そこには……グランドピアノが鎮座していた。黒い艶を持ちながらも、長年使われ続けているように感じさせる風格がある、ように見える。私はかつていろんなピアノを見てきたから、何となくわかるのだ。

 そのピアノには、多数の人が集まっていた。その中心には、男性医師がいた。柔らかい、そして繊細な手つきで、鍵盤を押して音を奏でるそのさまは、どこかで見たことがある。いや、何度も見ている。

 この人は、仲間が良く弾いてくれた音を出している。

 音のない世界に、何もない世界に、ポトンと一滴の絵の具が落ちていく。やがてそれはシミとなって、世界を彩り始めていく。その始まりは……音楽だった。

 私の足は、ますますおかしくなったらしい。ピアノに吸い寄せられるように、動き始めたのだ。でも、止めることはできない。欲しているのだ、その音楽を。

 私はどうにか、他の患者の周辺へと混ざる。そこではより鮮明に音が聞こえた。

 ピアノの音色が響き渡る中、演奏者が息を吸い、歌い始めた。

 

「You must remember this A kiss is just a kiss, a sigh is just a sigh. The fundamental things apply As time goes by.(貴方に覚えておいてほしい。キスはキスなのだと、ため息はため息なのだと。基本的なことは、時がたっても、何も変わらないのだ)」

 

 この曲は、聞いたことがある。映画カサブランカの名曲、「As time goes by」。私は見たことはないけれど、聞いたことはある。恋や愛に関する歌だというイメージがあるのだが。

 ディープな男性意思の声がロビーに響き、患者がうっとりとする。確かに歌はうまい。きっとかつては歌手か何かだったのだろう。容姿も整っていて、きっと病院内でも人気があるに違いない。

 私のそんな思慮も気にせずに医師はピアノを奏で続ける。その指使いは、まるでしなる鞭のように激しく、しかし美女を扱うような優しさもある。ああ、間違いない。私のよく知っている弾き方だ。

 

「The world will always welcome lovers as time goes by.(世界は恋人たちを歓迎します。時が、たっても……)」

 

 ゆっくりとテンポが流れていき、綺麗に終わらせた。余韻が響き、ゆっくりと医師が頭を下げると、拍手が巻き起こった。もちろん病院の中だから音は控えめだったが、それでも盛大と言える方だった。私も、拍手を送っていた。

 医師はありがとうございますとお礼をのべて終了を告げた。患者たちはにこやかに感想をのべながらそれぞれの病室に戻っていったが、私は、その場に残っていた。

 もう少し、ここにいたい。本能的にそう思ったのだ。死のうと思っていた私の心は、何故か高鳴っていた。理由はよくわからないけれど、これだけは言える。音楽を欲していることは。

 一人残る私に医師は気づいた。医師はにっこり笑いながら、私に歩み寄る。

 

「どうなされましたか?」

 

 声をかけられた。まあ誰もいないのにずっと立っている人間がいれば気にならないはずがない。私は、どうにか口を動かして答えた。

 

「さっきの曲……As time goes by、ですか?」

 

 言葉を発したのは、いや、人と会話らしい会話をしたのは、いつ以来か。私は自問しながらも質問をした。

 

「はい、そうですね。カサブランカの劇中歌です。よくご存じですね。有名な映画とはいえ、やはりもう古いものとして扱われていますからね」

 

 医師は愛想よく答える。私もそれに応じた。

 

「演奏、素晴らしかったです」

 

「ありがとうございます。あなたは音楽が好きですか?」

 

 音楽が、好きだった。そう答えようとした。

 でも、抵抗がある。もう私は音楽を楽しみ、踊る人間ではない。病院で枯れ果てた、どうしようもない女だ。

 だけど、今は胸が暖かい。やはり私は音楽が、好きなんだろう。

 

「……ええ、好きです」

 

「そうですか。あなたはこの曲は、好きですか?」

 

「はい、凄く好きです」

 

 昔は、子供の時は、洋楽とか全く聴かなかった。でも、大人になってから、洋楽を嗜むようになった。心が、とっても落ち着くからだ。今も、かつて感じたような心の安らぎを感じている。

 

「なら、この曲のCDを差し上げますよ。最も、焼いたやつなんですけどね」

 

「いいんですか……?」

 

「ええ、構いませんよ。病室に確かCDプレイヤーがあるはずなので、それを使ってかけてください。イヤホンは貸し出しますよ」

 

 何から何まで親切だった。私は逆にその親切心を疑い始めたが、音楽を聴けるならどうでもいいし、自分はもうどうなってもいい。せめて、音楽だけは聞かせてほしい。それが、たったさっき生まれた、唯一無二の欲望だった。

 イヤホンとCDを貰い、病室に戻る。プレイヤーにセットして、再生ボタンを押す。すると……綺麗な音が、耳に伝わってきた。

 私は思わず興奮した。全身の血が急に生気を取り戻したかのように沸騰し、死にかけていた脳に、激しい電気ショックに似た何かが貫いた。何の変哲のないジャズ音楽であったが、それは私を激しく揺さぶり始める。カラカラに乾いた喉に、一滴の水が流れ落ちて回復しているように思うように、灰と化していた私の体に中身を吹き込まれたような感覚を覚えた。

 でも、まだ足りない。まだだ、もっともっとほしい。一時の快感だけでは満足できない。耳から流れ出るメロディーを、いや、その一音一音全てを貰いたい。体に取り込みたい。

 私は貪るように、医師から貰った名曲を聴く。

 不思議だ。さっきまで無気力で自殺をしようとしていた私が、病室にて音楽を聴いているなんて。しかも、たかが音楽に命を救われたというのか。

 ……素晴らしいことだ。こんな素晴らしい音楽に救われるのなら。

 曲もそろそろクライマックスへと入る。でもそれは海のように激しいものじゃない。ただ、感じるのだ、見えない激しさを。伝えたいことを声高にして叫んでいるのが、感じて取れるのだ。

 そう、いつだって大切なことは変わらないのだ。どんなに時が、たっても。

 

 曲が終わり、イヤホンをはずす。時間はたったの二分半。でも、これまでに流れていた何ヵ月ものの時間よりも、ずっと密度があるものだった。たった二分半で、その曲の伝えたいことも感じられた。そして……欲が出始めていた。

 もっと音楽を聴きたい。音楽を知りたい。もっと……歌いたい。

 空虚だった私の心にそんな気持ちが宿り始めた。死ぬことでしかもう自己逃避が出来ない私に、新たな道が開かれていく。

 私はスマートフォンを取り出す。暫く触っていなかったけれど、きちんと起動した。パスワードを入力し、メニューを開くと、そこには私と……かつての仲間たちの写真が見えた。

 ああ、懐かしい人たちだ。会いたい……あの頃には、戻りたい。あの頃、私は思いきり笑えたから。

 笑いたい。嬉しくなりたい。ここから、飛び立ちたい。

 日本じゃなくてもいい。世界でもいい。とにかく、この暗い世界から抜け出したい。抜け出して、歌いたい。でも、誰のために? 

 

 私のため。お金のため。……あの子の、ため。

 

 私の姿を見ることなく、死んでいったあの子は、音楽を知らない。光を創る魔法を、知ることはない。だから、私が与えてあげるのだ。何も与えられず、死なせてしまった私ができることは、ただ一つ。音楽を与えて、来世で幸せにさせること。

 だからーーー……。

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港から出た私は、サングラスを外し、息を吐く。息苦しいエコノミークラスで12時間もいれば、体はもうガタガタになっていく。ポキポキと体を鳴らしながら、シャトルバス乗り場までスーツケースを転がしていった。

 

「The shuttle bus goes to Times Square(このバスはタイムズスクエア行きです)」

 

 バスの運転手が告げると、私はそれに乗る。旅行賃は、私を監禁したあの男からふんだくった金で賄える。ニューヨークに一年はきっといられるだろう。

 逆に言えばーーー一年で確固たる地位に着いておかねば、今度こそ私は終わりだ。

 その時は死のう。潔く死のう。やりきって死んだのなら文句はない。前向きなのか、後ろ向きなのかわからない決意を胸に、私はバスに乗った。

 バスが発車し、ゆらゆらと揺れながら私はバックからチラシを取り出す。ジャズのオーディションが、今日の午後行われるのだ。ジャズの曲ならば、なんでもいいらしい。古い曲でも。

 私の歌う曲はもう決まっている。私を復活させ、希望を与えた、珠玉のラブソングだ。時が変わっても、素晴らしさは変わらないのだろう。同じように……歌の偉大さだって変わらないのだろう。

 私はそれを、子供に伝えたい。そして……幸せになって貰いたい。

 

 長いバスの旅を終えて、タイムズスクエアにつく。すぐ近くにある小さなホールでオーディションが行われる。私はエントリーを済ませ、楽屋に向かう。

 懐かしい空気だ。鏡にメイク用品、そしてきらびやかな衣装。かつて私が使ったことのある場所に比べたら小規模だが、構わない。新たな一歩を踏み出すのには、上出来だ。

 私は携帯を開く。メールが来ていた。久しぶりに、仲間にメールを送ったのだ。かつてスランプに陥った、音楽の天才と猫のような女の子、そしてご飯が大好きな優しい女の子から返信が来ている。それぞれの想いが一通のメールで込められている。久しぶりに感じた優しさから、勇気を貰った気が、した。

 

「Mrs.Kosaka! Please stanby.(高坂さん、スタンバイお願いします)」

 

「Ok!(はい!)」

 

 いよいよ次だ。私は衣装を纏い、ステージへと向かう。舞台にたつのは、何年ぶりだろうか。体が震えるけれど、それが逆に嬉しく思う。

 

「Next person is Honoka Kosaka!!(つぎは、高坂穂乃果さんです!!)」

 

 拍手に迎えられながら、幕が上がり始める。光輝くステージが、今私を、迎えた。第二の人生が、今始まった。

 

 

 

 

 

 

***

 

「これが、私の過去だよ。今から思うと、壮絶な過去だよね」

 

 確かに、壮絶な過去だった。

 そんな人並みの感想でしか表現できない自分が阿呆に思える。でも……ここまでひどいことになっているのか? 彼女はこんな経験をして、今この場所にて私に話しているのか?

 もしかしたら……今までのメンバーよりも酷い話かもしれない。全てに裏切られて空虚になり、そこに人間の尊厳すら奪われる。これ以上の悲劇があるのだろうか。……あるわけがない。あって、たまるか。

 逆に言えば……それだけアイドル、いや、人間の闇は深いということだ。それほどまでに、アイドルというのは恐ろしいものなのか。

 いや、恐ろしいものだ。それはこれまでの取材で分かりきっていること。高坂穂乃果以外にも、壮絶な過去を経験している人間はたくさんいる。

 だったら、なぜアイドルになりたいと思うのだ? 闇が入り込んだ世界へと向かうのだ?

 高坂穂乃果は、スクールアイドルとは幻想だと述べていた。あまりにも甘やかされた世界だったからだというが、もしかして、それに限らないのではないのか? それは、アイドル全般に言えることでは、ないのだろうか。

 ぐらぐらに揺るがされた心を落ち着けるために、お茶をぐいっと飲む。もうすっかり温くなっていたが、飲みやすくちょうどよかった。

 お茶を飲み干して一息つくと、高坂穂乃果は心配そうに声をかけた。

 

「今の話、辛かったでしょ?」

 

「……正直なところ、そうですね」

 

 最も、一番辛いのは高坂穂乃果だ。何故なら、これほどまでの経験を語らされているから。平気そうな顔をしているけれど、きっと嫌に違いない。再び私は、彼女にナイフを突き立てていた。

 だとしたら、私が受けた精神的ダメージは、その報いかもしれない。あるいは、代償か。もっと苦しんでいる人がいるというのに、私がいいように苦しむのはおかしい話だ。

 それに……これでもしかしたらこの破滅の物語にピリオドを打てるかもしれない。アイドル社会の本質は、一体何であるのか? これがわかれば、全ては解決する。

 もう言ってしまおう。終わらせるのだ、この物語を。

 

「高坂穂乃果さん。今の話を聞いて、私は戦慄しました。アイドルの闇とはこんなに深いのかと、驚かされました。いや……恐怖しました。でも……なぜアイドルというのはまだ存在しているんですか? なぜみんな目指したがるのですか? 私はもうそれが理解できなくなっている。μ'sはここまでの破滅を迎えているのに、いや、今までだってきっとそんな話があったはずだ。だけど……なぜアイドルはいまだに憧れになっているのですか?」

 

 そう。

 ここまで闇が深い業界ならば、表に出るものじゃない。麻薬だって、犯罪だって、暴力だって、世間の表には絶対に出ない。アイドルもそれと同じくらい深いのならば、出てはいけないのだ。

 でも、人はアイドルに憧れるのだ。アイドルの輝く姿を見て、そう思ったのだろうが、闇が深いことなんて、本当にアイドルが好きならばわかるはずなのに。

 

 高坂穂乃果は、微かに笑いながら、即答した。

 

「そんなの簡単だよ。アイドルは幻想を……いや、夢を見せるからだよ。それも、汚い部分だけを切り取った、夢をね。それに憧れるだけなんだ」

 

 台本を読むような、無感情さは全くない。けれど、平坦に感じるその言葉は重かった。

 これが彼女の結論なんだ。彼女の人生をかけて出した、とてつもなく重い言葉なんだ。

 アイドルの本質は、即ち《夢》。いい意味でも、悪い意味でも、夢なんだ。

 そういえば、ロシアで私は太陽を見て、アイドルと重ね合わせたことがあった。みんな照らす光を見つめてはいるが、眺めているのは偶像であって、本人ではない。つまり、虚構の中で造り上げたものを、夢と美化し、憧れの的を形成するのだ。

 だとしたら、アイドル業界というのはますます酷いものである。幻想を見せ、純粋無垢な気持ちを抱いたまま、汚されるのだから。

 ……しかもそれは、嘘じゃないのだ。本当に、行われてしまっているのだ。

 アイドルの本質は《幻想》、《夢》だ。夢を見せて、騙し合う、闇に染まった光の世界は、それによって成り立っているのだ。

 

 これで、全てがわかった。アイドル世界の本質も、実態も全てわかったのだ。ビデオを作ることは出来る。終わったのだ。もう破滅の物語を聞くこともないのだ。

 もう、取材はやめよう。これ以上はよすべきだ。

 

「……そうですか。分かりました。これで、取材は終わりです。ありがとうございました。ビデオは、後日持っていきます」

 

 淡々とお礼を述べて立ち上がる。正直精神的に参ってしまっている。早くここから、去りたかった。

 高坂穂乃果は愛想よく微笑みながら私を送っていった。私はいちおう妹の雪穂さんに勧められたお菓子、ほむまんを一箱買い、逃げるように足を早めた。

 

 

 

***

 

 

 破滅の物語は、ここで終了である。

 これがアイドルの全て、アイドル社会の全てであり、本質を表している。

 アイドルとは幻影であり、夢である。その夢は、甘く優しいものであり、無垢な存在だ。でもそれは、闇に呑まれて失われていくだろう。最悪の場合は、死や、それに近い境遇に落とされる。

 

 これは、トップアイドルμ'sの、破滅の物語である。夢を抱いて入り込み、純粋な心を壊された、少女たちの、記録である。

 

 

~終~

 




※最終回ではありません。





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