賢いかわいいエリーチカ。彼女の姿は大きく変わってしまった。その犠牲となったアイドルのうちの一人に、今日は取材にいく。
名を小泉花陽という。
穏やかで優しくて大食いなアイドルであり、人気が非常に高かった。同じくμ'sメンバーの星空凛とは幼馴染みで、大の仲良しでもあったためよく二人でデュエットしたり、テレビに一緒に出演したりしてμ'sの中でも鉄板コンビとして認められるようになった。
μ'sが解散してしまった現在でも彼女はソロ活動やデュエット活動を続けており、以前よりも勢いは落ちたものの芸能界で生き残っている。歌唱力とビジュアルは中々のレベルのため、未だに評価され続けているのだろう。
私はこれから彼女の家を訪ねることにする。μ'sの中で何が起こったか、彼女がμ'sを抜けることになった理由はなにか、絵里に何故憎まれることになったのか。
こじんまりとした一軒家を見つけ、その家の表札に小泉と書いてあるのを確認すると私はインターホンを押した。すると、細々とした声がスピーカーから聞こえた。
「ど、何方でしょうか……?」
この声は小泉花陽本人だ。私はほっとしながら、取材のことを伝えた。
「しゅ、取材ですか……? 何の取材ですか?」
「μ'sのことについて、御伺いしたいのですが……」
「えっ……」
私の要件を聞くと、彼女は言葉をつまらせた。暫し沈黙が流れ、少々お待ちくださいという言葉が来た。
待つこと数分、ドアが開いた。私ははっとドアを見ると、そこには覗き込むように私を見ている彼女がいた。少し困り顔をしていたので罪悪感も感じたが、仕事柄上仕方がない。私は頭を下げて玄関に入ろうと足を踏み入れる。
「ど、どうぞ」
彼女はそわそわしながら私を招き入れた。私はどこか申し訳ない気がしたが、顔には出さない。やはりμ'sのことを話したくないのだろう。
案内されたリビングは普通だった。西木野真姫や園田海未の家を見てしまったから小さいと個人的には感じてしまったが、よくよく考えると私の家だって彼女の家と同じだ。ソファーもテーブルも台所も本当に一般庶民レベルで落ち着くものがある。
リビングのソファーに座り、お茶が出される。しかしここで私は疑問に思う。彼女の席に大きなおにぎりがある、というのも十分に疑問に思うところだがそこではない。お茶が余分に多いのだ。まあきっと彼女のミスなのだろうか。私は一人納得してお茶を飲もうとしたが。
「かよちんお待たせにゃー」
元気のよい声が開かれたドアから聞こえた。もしかしてもう一人いたのか?
「凛ちゃんトイレ長いよ……」
「ごめんごめん。牛乳飲みすぎたらお腹痛くなっちゃって……」
今トイレにずっと籠っていたのであろうこの女性は、もしかしたら。
「あれ、その人は誰、かよちん?」
「あ、ええっとお客さんだよ……」
自己紹介しなくてはと私は立ち上がった。
「あの、私はジャーナリストの三沢雪好と申します。今回小泉花陽さんの取材に来ました」
「じゃ、ジャーナリスト……」
私の自己紹介を終えた瞬間、闖入者は一歩後ずさり睨むように見てきた。マスコミのことが嫌いなのだろうか。一体彼女に何があったのだろう。知りたいがこの場で問えるわけがない。
「ほら、凛ちゃんも自己紹介しなきゃ……」
「いやにゃ。どうせ凛のことも知ってるんでしょ?」
……知っているというか、バレバレだ。
ただ嘘をつくわけにはいかないので首を縦に降った。
「星空凛さんですよね? μ'sの」
「ほらね、マスコミなんて凛たちの情報を探るのが本当に得意なんだにゃ」
「……」
やはり星空凛はマスコミを毛嫌いしている。パパラッチに近い行為でも受けたのだろうか。推測を重ねるが本人から情報を聞き出さない限り無理だ。
「ねえ、かよちんの取材っていったけど何について取材する気なの?」
そのくせそっちは質問をしてくるのか。随分と汚いやり口だな。私はムッと来たが顔にはもちろん出さずきちんと質問に答えた。
「μ'sについてです。μ'sで小泉花陽さんに何が起こったのか詳しく知りたいのです」
「っ……!?」
星空凛はひきつった声をあげた。嫌なのか、そこまで拒絶するのか。μ'sを憎んでいるのだろうか。
彼女も目をそらして星空凛の方を見ている。性別が別々ならカップルになっていたかもしれないと、余計なことも考えてしまう。
「……ジャーナリストさん。悪いけど帰ってくれないかにゃ? 凛たちはμ'sのことについては、話したくないんです」
星空凛はきっぱりと断った。その目は本気だ。私がいくら交渉しても無駄だと、言いたいのだろう。彼女も星空凛のそばに寄り添って、拒絶の目を向けた。
でも私だってジャーナリスト。交渉して情報を手に入れるための手段はいくらでもあるのだ。今回だって十分に効力を発揮する武器を持っている。私は、ぼそっとそれを呟いた。
「他ならぬ、穂乃果さんの頼みだとしてもですか?」
高坂穂乃果の名前を出したとたん、二人の表情は驚きに包まれた。効果覿面だ。何てったって、μ'sのリーダーであり、友達だったから。
「ほ、穂乃果ちゃんが頼んだんですか?」
小泉花陽が聞いてくる。
「はい」
これに嘘偽りはない。この取材企画だって、すべて高坂穂乃果が私に頼み込んではじめて出来上がったものなのだ。高坂穂乃果は言っていた。もし取材を拒むメンバーがいたら、私からお願いしていることを伝えてくれと。
「う、嘘にゃ!! どーせ凛たちに取材を受けさせたいから穂乃果ちゃんの名前を使っているだけにゃ!!」
てんでマスコミを信用しない星空凛は、私を睨んで根拠のない文句をぶつけてきた。どういった経緯でマスコミ嫌いになったか、ますます知りたくなってきた。我々ジャーナリストの在り方を考えるいい機会になりそうだ。
「……だったら、穂乃果さんに電話してみますか?」
私は携帯を取りだし、星空凛に突き出した。画面には高坂穂乃果の電話番号がある。星空凛は躊躇うように目を開閉させる。そしてゆっくりと肩を落とし、項垂れた。
「分かった。信じるにゃ。でも、凛はマスコミは大嫌いだからね。変な質問したら、許さないから」
念を押すようにして私を睨み、ソファーに座る。私は、乾いた喉を潤すためにもう一口お茶を口に含んだところで、小泉花陽に質問を始めた。
「ではそろそろ質問したいんですが……単刀直入に聞きますね。綾瀬絵里に何をされました?」
質問をした瞬間、二人の肩はびくんと跳ね上がった。ド直球過ぎたか。だが、これでいい。遠回しな言い方をしても、あまり情報は得られない。
「何で、¨あいつ¨のこと知ってるの……?」
星空凛がこれまでにない険しい表情を私に向けてきた。まるで親の仇でも見るように。
でも私が驚いたのはそこじゃない。
¨あいつ¨という呼び方をしたことだ。しかもチームメンバーでもあり、友達でもあった絢瀬絵里をあいつ呼ばわりだ。何処まで憎まれているのだろう。確かに今までの情報から、小泉花陽を苛めていたり、矢澤にこを殺していたりと印象が悪いものはあった。だが西木野真姫だってエリーとまだ愛称で呼んでいたのでメンバーの中では地に落ちてはいないと思っていたのだが。
とにかく質問には答えるべきだ。私は平静を保ちながら口を開く。
「西木野真姫さんから聞きました。何でも、花陽さんに対し苛めに近いものをしていたと聞いています」
「っ……真姫ちゃんも取材受けたんだ……」
「真姫ちゃんとは最近会ってないにゃ」
彼女は顔を俯かせてグッと握りこぶしをソファーの上でする。辛い記憶を抉っているのは分かっている。罪悪感の欠片もないとは言えない。けれど聞くしかないのだ。
「聞かせてください。穂乃果さんが、知りたがっているんです」
ここで再び高坂穂乃果をダシにした。世間にも知られていないμ'sの惨状をもっと知りたいから。絢瀬絵里が何処まで変わってしまったのか、知りたいから。
だが。
「ダメにゃ!! いくら穂乃果ちゃんをダシにしたって話させない!! だって、かよちんがかわいそうだから……!! 凛だって嫌だよ、かよちんだってもう忘れたいに決まってる!! もう、帰ってーーー」
星空凛がそうはさせまいと叫ぶ。そして立ち上がり、私を追い出そうと近づいてくる。ここまでされて粘るのはさすがに不味い。私は日を改めようと決め、立ち去ろうとしたが。
「話します」
小泉花陽の一言で、私の足も、星空凛の声もぴたと止まった。小泉花陽の体はプルプルと震えていて、目はきつく閉じられている。私は体を小泉花陽に向け、口を開く。
「そうですか」
「待ってかよちん!! ダメだよそんなの!! だって……だって……」
星空凛は小泉花陽の元へと寄り、抗議する。しかし言葉は続かず、ただ唇を噛み締めるので精一杯のようだ。
小泉花陽はそんな彼女をなだめるように頭に手を置いて優しく言う。
「心配してくれてありがとう凛ちゃん。でもね……いつまでも逃げちゃいけないと思うんだ。穂乃果ちゃんには迷惑かけちゃったから、せめてできることなら何でもしなきゃいけないかなって……だからね、言うよ。凛ちゃんはマスコミ嫌いだってのは分かってる。でも……私たちは逃げちゃいけないと思うんだよ。だからね……私は受けるよ」
「かよちん……」
星空凛はなにか言おうと口を開閉させていたが、グッと口を閉じて小泉花陽に向き直った。そして肩に手をおき、頷き合う。
「分かったよかよちん……でもかよちんが辛そうなら、止めさせるからね」
「ありがとう凛ちゃん……ごめんね」
「かよちんが決めたことだもん、反対はできないにゃ」
そう言って二人は笑いあった。やはり二人の友情は凄いと思う。言葉数は決して多いとは言えないけれどそれだけでそれ以上の意思が伝わってしまう。
もしかしたらμ'sとはそれで成り立っていたかもしれない。私がネット動画サイトで見たμ'sのパフォーマンスは、一心同体の一言につきた。一秒の誤差もないほどに完璧なタイミング、切れのあるダンス、乱れることのない笑顔、押しと引きの絶妙のバランス。これこそがμ'sのパフォーマンスだったが、その源とは友情だったのかもしれない。逆に言えば……それが崩されたら終わりということだ。
そういう意味では彼女たちはμ'sをまだ終えていない。アイドルをやめていない。光をまだ、追い続けているのだ。
聞きたい。純粋に知りたい。友情がどうして崩れ去ってしまったのか。果たして彼女たちの友情は、トップアイドルにまで乗し上げてきた友情はどれ程のものだったか。
「では、話します。私たちに何があったかを……」
***
μ'sは、トップアイドルという地位に固執しすぎた。私はそう思う。μ'sはスクールアイドルであったからこそ成り立つものだと改めて気づいたときにはもう遅かった。そう、もう遅すぎた。
「何でなの……何で何で何で!! 何で私たちはトップになれないの!?」
絵里ちゃんが悲痛な叫びを辺りに撒き散らしている。私のパソコンに表示されている、無機質なデータを信じることが出来ない。メンバー全員が落ち込むなか、絵里ちゃんは今私達に叫んだ。
「ねえ……μ'sってこんなものだったの? μ'sって、ここで終わりなの!? 違うでしょ!!」
そうだ、こんなものじゃない。こんなところで止まる私達じゃない。今まではそう思っていた。でも、もう無理だ。私達は無理なんだ。
それを薄々皆感じ始めていて、でもなにも言えなかった。絵里ちゃんが怖いからじゃなく、敗けを認めることになるから。その時点でもう、駄目なんだけど。
アイドルというのは盛者必衰の世界。どんなトップアイドルでも必ず人気は落ち、次の世代に繋がっていく。そうして今まで回ってきた業界だ。私は今までいろんなアイドルを見てきたから知っている。私達も、衰退の一途を辿っていることに気づくことだって簡単だった。
だから私はもう諦めてもいた。もうμ'sは何も出来ない。ひっそりと次の世代を見守るのが一番いいんだと、考えていた。
でもそれが、あんなことになるなんて思いもしなかった。
「ね、ねえ絵里ちゃん……もう、やめよ?」
全員が私を見る。誰も頷かない。でも否定もしない。意思決定もいつのまにか消極的になってきた私達を終わりにしたい。いつしか私はそう思うようになっていて。
「何、言ってるの花陽?」
ーーーでも、それは許されなかった。
「μ'sはトップアイドルなの。だからここで諦めたらいけないのよ」
絵里ちゃんは怒りを込めた目を私に向けてきた。もうその目には、心にはμ'sが一位になる光景しか、見えていない。目を覚まさなくてはいけない。私はぎゅっと目をつぶって拳を握った。
「μ'sはもう、トップアイドルなんかじゃない!!」
私は叫んでしまった。絵里ちゃんの言葉を、いや、μ'sのことを否定した。μ'sはもう輝けない。光はない。そう、私は言い切ってしまった。
これでいいのかはわからない。事実を言ったまででしかないけれど、言っていいことだったのかは、わからない。
でも、結果的に言えば……ダメだったかもしれない。
「ーーー!?」
頬に鋭い痛みが走り、気づくと私は床に倒れていた。見上げると、そこには手を振り切った絵里ちゃんがいた。私を覚めたような目で見ている、絵里ちゃんがそこにはいた。それがどうしようもなく怖くて、体が震えていて。
足が勝手にドアの方まで駆け出していった。
それからは、最悪だった。
絵里ちゃんは私に対してはとことん無視を決め込み、私に対して嫌がらせもするようになった。メイク用の道具もバラバラにぶち巻かれたり、衣装も隠されたり、こと有ることにタックルされたりと散々だった。私にだけきついポジションを与えようと躍起になっていたのも、知っていた。時々、泣きそうになったけれどそれは堪えた。凛ちゃんやにこちゃんが助けてくれたから。
そんな日々が続いたある日のこと、事件は起こった。
「何でなのよ……何で何でいつまでたっても……」
私と凛ちゃん、そしてにこちゃんが休んでいる間に、絵里ちゃんが来てオリコンチャートの結果が来た。μ'sはついにランキング圏外になっていった。もがけばもがくほど深みに引きずり込まれる。私達はまさにその状態だ。
でももう絵里ちゃんに何もいう人はいない。絵里ちゃんが、ボスみたいな存在になっちゃったから。私みたいに嫌がらせは受けたくないから。穂乃果ちゃんだってもう何も言えない。穂乃果ちゃんはもう諦めちゃっている。もう戻れないと、諦めている。海未ちゃんとことりちゃんが悪いお薬をやっちゃっていることを知ってしまってからは、穂乃果ちゃんはもう空虚な人になってしまった。
絵里ちゃんもいつまでたってもそのしがらみから逃れられない。結局もう私達は終わりなんだ。
「花陽のせいよ……」
「え?」
唐突に来た言葉に私はビックリした。絵里ちゃんは、殺気に近い何かを秘めた目を私に向けてきた。
「貴方がもう終わりなんていうから……本当に終わりになったのよ! 貴方まさか仕組んだの? ねえ、何で!? 何でそんなことするのよ!!」
理不尽な物言いだ。それでいて自分を責めないなんて、以前の絵里ちゃんなら考えられないことだ。私は頭に来ていたが、我慢する。喧嘩とか苦手だし、しても勝てない気がした。
そうやって黙っている私にますます腹が立ったのだろうか、絵里ちゃんは私の胸ぐらを掴んできた。
「わっ……!?」
「何とか言いなさいよ!! ねえ、気分はどう? 自分で潰したμ'sを見て、どう思う!? 最高かしら? 滑稽かしら? 答えなさいよ!!」
「うぅ……や、やめてよ……」
息が苦しかった。絵里ちゃんの意外と強い力で振りほどけない。言葉どころか何も言えずにいた。
「やめなよ絵里ちゃん!! かよちん苦しがってる!!」
凛ちゃんが絵里ちゃんを抑えて、私を解放してくれた。咳き込む私を庇うように前に立ち、きっと絵里ちゃんをにらむ。
「かよちんに嫌がらせして楽しいの!? 意味あるの!? 絵里ちゃんはどうかしちゃってるよ!!」
「どうかしてるのは貴方の方よ。何、あのPVのダンスは? 貴方の取り柄はダンスだけでしょ? なのにそれすらできていないなんて以前の貴方じゃ考えられないわ」
今度は凛ちゃんの悪口も言ってきた。でも凛ちゃんは強い。引きもせず、反論をする。
「絵里ちゃんだって、前はかよちんにこんなひどいことしなかった!! 輝いてたよ!!」
「μ'sの輝きを失わせたのは、花陽なのよ? そんな罪人に厳しくして何が悪いのかしら? それに花陽の歌だってもう素人同然に落ちている。正直もう、要らない子よ。できれば消えてほしいわね。というかーーー消えて」
その言葉を聞いた瞬間、私は魂を抜かれたようにへたれこんでしまった。瞬きすら、出来ないほどに。
私は要らない子。μ'sにとって邪魔な存在。いなくても、どうにかなる。いたら足を引っ張る。だったらもう、消えちゃおう。もう、疲れたな……アイドル。
思えば、アイドルって何のためになったんだろう。輝きたいから? 目立ちたいから? 引っ込み思案な私を直したいから? 小さい頃の夢だったから?
いや、ちょっと違うな。μ'sが、楽しかったから。μ'sのみんなが好きだったから、アイドルになった。トップアイドルまで進めた。
でも今は違う。私の知っているμ'sは何処かへ行ってしまった。絵里ちゃんもおかしくなったし、海未ちゃんとことりちゃんはお薬にはまってしまったし、穂乃果ちゃんは灰のように全てが抜けてしまったし。
だったらもう、アイドルなんてやっててもしょうがない。
私は立ち上がり、背を向けた。凛ちゃんがかけよって引き留めたけど、振り払う。もうここにはいたくない。もう絵里ちゃんに会いたくない。一緒にいたくない。一人で、いたい。
「かよちん……」
凛ちゃんの呼ぶ声がしても止まることはなかった。俯きながら部屋を去る。この先のドアを開ければ私はもう、μ'sとは関わることはないだろう。
でも、ドアノブを握り、開けようとしたその時。
パシンッ。
前にも聞いた鋭い音が、部屋にこだました。ぶたれたのは誰だろう。私は思わず振り返った。赤く晴れた頬をそっと押さえているのは、絵里ちゃんだった。少し胸が、スカッとしたのは内緒だ。でも、誰がやったんだろう。
私は凝視する。絵里ちゃんの目の前にいたのは。
黒いツインテールが特徴の、にこちゃんだった。
「あんた……いい加減にしなさいよ!!」
にこちゃんの腹からの叫びが、絵里ちゃんに刺さる。絵里ちゃんは一瞬表紙抜けたような表情をしたが、すぐににこちゃんを睨んだ。それでもにこちゃんはまるで怯まず、言葉を続けた。
「はっきり言ってあげるわ。あんたこそμ'sに要らない子よ! 花陽は頑張っている、凛だって頑張っている。でもあんたは穂乃果が何も言わないものだから勝手に暴走してメンバーをけなすだけしか脳のないロシア被れの屑よ!! 昔のかしこいかわいいエリーチカは何処に行ったのよ!! 今のあんたはもう、くそで不細工なロシア被れよ!!」
「ーーー黙れぇッ!!」
絵里ちゃんがいつもは絶対に使わない乱暴な言葉で怒鳴り、にこちゃんに掴みかかる。そしていとも容易くにこちゃんの首を絞めた。よっぽど腹が立ったのか。
「あなたこそなんなのよ……にっこにっこにー、なんて下らない一発芸で失敗してμ'sの株を下げたくせに何偉そうなこと言ってるのよ!? 全部私のせいですって? あり得ないわよ!! 私はμ'sのためなら全力を尽くすのよ!! それが分からないの!!」
にこちゃんは足をばたつかせて苦しそうだ。でも、足が動かない。助けてあげたいのに動かない。
「もうやめてよ絵里ちゃん!! にこちゃんが死んじゃうよ!!」
「うるさい!! こんなやつは、死ねばいいのよ!!」
凛ちゃんが駆け寄って絵里ちゃんとにこちゃんを引き剥がそうとする。でも、凛ちゃんだけじゃ離れないようで、絵里ちゃんに弾き飛ばされてしまった。
「かよちん手伝って!! このままじゃ……このままじゃ……にこちゃんが死んじゃうよ!!」
凛ちゃんが助けを求める。でも、私は動けない。怖くて動けない。助けたいのに、体がいうことを聞かない。
「にこ、このままじゃ死ぬわよ? 私にごめんなさいかしこいかわいいエリーチカ様って言ったら離してあげるわ」
絵里ちゃんが憎たらしい表情でにこちゃんに言ってくる。こんなのは卑怯だ。にこちゃん牙を、抜くつもりなんだ。でもそうするしか道はない。にこちゃんが死ぬなんて嫌だーーー。
「はっ……殺れるもんならやってみなさいよこの阿呆。……でもねっ、これだけはっ、言っておくわ。μ'sはもう終わりよ。貴方がμ'sを潰す最大の戦犯だってことはもう決まったことよ」
にこちゃんは掠れた声でそう言った。これだけの台詞をいうのだけにも相当な体力を使うのに。恐らくはもう、生きる気はないのだろうか。そんなの、嫌だよ……!!
「ーーーだったら、望み通り殺してやる!!」
絵里ちゃんはにこちゃんに宣い、さらに力を強めた。その時には私は動いていた。絵里ちゃんを止めなきゃ。床を蹴り、絵里ちゃんに飛び付いて離させる。でも、絵里ちゃんに蹴り飛ばされ、それは叶わなかった。
「うっ……!!」
「大丈夫かよちん!?」
お腹を蹴られて物凄く痛い。しばらくは立てそうにない。凛ちゃんが私のそばによって来て 心配してくれたが、私は首を縦に降った。
「大丈夫。それよりも絵里ちゃんを止めて……!」
「わかったにゃ!!」
凛ちゃんもすぐに絵里ちゃんに飛びかかるが再びあしらわれてしまう。それでも、私達は諦めなかった。にこちゃんを助けようと、最後まであがいた。蹴られ、壁にぶつかり、転んでも、立ち上がった。初めて私が、人を助けようと勇気を持った瞬間だった。
だけれども、それは報われることはなかった。
にこちゃんの細い手が、絵里ちゃんのそれから離れ、だらんと垂れていくのが見えた。目は光を失い、涎をだらしなく流している。ここで私達は確信した。
にこちゃんは、死んだ。
いや、絵里ちゃんに、あいつに殺されたんだ……。
私は全身から力が抜けるのを感じた。涙も出てこないほどに。にこちゃんを守れなかった。助けられなかった。
許せない。許さない。絵里ちゃんも、自分も許せない。爪が食い込むほどに拳を握りしめ、歯が潰れるほどに噛み締めて、ぽかんと魂の抜けたような表情の絵里ちゃんを睨んだ。
殺したい。今まで嫌がらせされたときに積もった恨みを、ここで晴らしたい。晴らしてやる。潰して、やる。私は立ち上がり、絵里ちゃんのもとへと向かおうとした。
でも、その時ドアが開いた。凛ちゃんも絵里ちゃんもそっちを向く。そこには、真姫ちゃんがいて。
何も知らない、真姫ちゃんがにこちゃんを見て。
「にこ……ちゃん?」
真姫ちゃんは、笑っていた。いつも、にこちゃんと話すときに最後に浮かべる笑顔を。震えている細い足がにこちゃんに近づき、膝をつく。綺麗な手がにこちゃんの冷たい体に触れて、ビクッと震える。
「ねえ、どうしたの? こんなところで寝てたら風、引くわよ?」
真姫ちゃんはにこちゃんに話しかけていた。そう、いつものように。でも、当然ながら返事は来ない。
「妹たちの世話、かしら? それとも、練習しすぎた? 全く、少しは休みなさいよ……」
その、普段と全く変わらない会話に心が痛む。真姫ちゃんは実は気づいていないのかもしれないのかなと、淡い期待もあったけれどやっぱりそれは違った。真姫ちゃんは気づいているから、こうしているんだ。
「ねえ、起きてよ。今なら何でも言っていいから、ね? にこちゃんのやかましい喋りとかさ、……に、にっこにっこにーとかさ、聞かせてよ。……ねぇ……起きてよ……死んじゃ……死んじゃダメよ……!!」
ついに、真姫ちゃんは崩れ落ちた。ポタポタと涙を落とし、やがてにこちゃんの死体に抱きついた。私も涙を流し、凛ちゃんも大声でにこちゃんを呼び続けた。
でも、絵里ちゃんは、泣いていなかった。むしろ、嗤っていた。
「は、はは……はははは……ぜ、全部にこが悪いのよ……にこが、下らないことをいうから……μ'sは終わり? 私が戦犯? 一体なんのことかしら……エリチカには……分からないーーー」
絵里ちゃんの、もう何の重みのない言葉に真姫ちゃんは拳をぶつけた。大きく絵里ちゃんは飛び、壁にぶつかる。
「な、何するのよ……ーーー!!」
「…………貴方が、やったのね?」
この上なく冷たく、恐ろしい声音で、真姫ちゃんは聞いた。私ですら、震えるほどに。怒っているんだ。物凄く。今の真姫ちゃんは……間違いなく強い。いや、恐い。
でも、絵里ちゃんは嗤いを崩さず答える。震えてはいたけれど。
「そ、そうよ……」
「にこちゃんを、どうして殺したの?」
絵里ちゃんの怯えた声をいとも容易く潰す真姫ちゃんのそれは、この緊迫して窒息しかねないほどに張り詰めた空気を支配するように、嘘みたいに響き渡る。絵里ちゃんは、何も言わない。いや、言えない。
真姫ちゃんは探るような目を絵里ちゃんにぶつけて見せるけれど、やがてため息を吐いた。そして、ドアに手をかけて部屋を出ようとした。
ーーー絵里ちゃんを、もう一度睨んで。
「まあいいわ法廷で、会いましょう? 絢瀬絵里。貴方を徹底的に……潰すから」
簡素で温度のないその表情と、溢れ出すほどの憎悪を込めた言葉に私はひっと上ずった声をあげてしまった。バタンとドアが閉まり、真姫ちゃんの足音が完全に聞こえなくなるまで、時が止まったかのようにじっと動かなかった。
にこちゃんの予言は、皮肉にも当たってしまうことになった。μ'sは崩壊し、アイドルの世界から姿を消したのである。
***
「……ということなんです。私のいじめのせいでにこちゃんが……」
「そうですか……恐ろしい話です」
率直な感想だった。恐ろしい。人とはここまで変わってしまうのかと思うと恐ろしくなる。なんでここまで変われてしまうのだろうか。絢瀬絵里は、トップアイドルの座に、しがみつきすぎた。そう答えることも出来よう。でも、もっと具体的な答えがほしい。それは本人に聞くしかないだろうな。私は話を聞きながら思った。
「絵里ちゃんは……あいつはμ'sを潰した。もう、一生許すことはないよ」
星空凛は、冷たい声で話した。友人とはもう思っていない。そんな拒絶の声だ。
そう。彼女ならわかっていたはずだ。そんなことをすれば、小泉花陽を始め、μ'sのメンバーに拒絶されることくらいわかっていたはずだ。でもその判断が出来ないほどに狂ってしまっていたのだろう。
私は思慮をやめて小泉花陽に質問した。
「貴方はミューズを復活させようとか、そういう風に思ったことは有りましたか?」
小泉花陽は割りと早めにμ'sの衰退に気づいていた。しかしそれを食い止めようとはしなかった風にとれた。だからどう思っていたのか、聞いたのだが。
彼女は首を横に振った。
「私は、μ'sをもうこのまま衰退させようと思ってました。ランキング圏外に出たらみんな諦めて引退するって思ってましたから。でも……そうじゃなかった。だから、こんな結果になっちゃったんだと思います。μ'sの崩壊は、私達のせいでもあります」
「そうですか……ありがとうございます。最後に、穂乃果さんに伝えたいことはありますか?」
「……今度アメリカの穂乃香ちゃんのミニライブ見に行くこと、伝えてください。私は、穂乃香ちゃんとはいつまでも友達でいたいと思ってますから。それが、穂乃果ちゃんにとって一番いいことだと思うし……歌も聞きたいから」
「凛もだよ。穂乃香ちゃんとは今でもメールしたりしてるし、仲は悪くないし」
「そうですか……」
確かに、高坂穂乃果は問題行動を起こしたとかそういった話は聞かない。だから彼女たちも気軽に付き合えるのだろう。逆に言えば……園田海未や南ことり、絢瀬絵里といった問題行動を起こした人間とは、関わりを持つことはない。そういうことだろう。
μ'sは、崩壊している。今も、これからも。それを実感させられた一時だった。
次章:星空凛