「……出ないな」
私はパソコンとにらめっこをして、ため息をつく。大手検索ページの、検索結果の数の少なさに脱力させられる。”矢澤にこ 殺害 絢瀬絵里”と打っても、何の根拠もない考察サイトにつながったり、まったく関係のないページを表示したりする。まあただこの結果は当然と言える。世間に公表されていない事件なのだから。
一応私もその事件については西木野真姫や小泉花陽から聞いているのだが、せいぜい裁判があったことと、西木野真姫が勝ったことくらいしか知らない。裁判のその後や、具体的な過程がわからないのだ。
このことについてよく知っている人物は誰だ? 私は知恵を振り絞って考える。絢瀬絵里本人。それは難しいだろう。きっと取材は断られるに違いない。高坂穂乃果はどうだろうか。いや、今日は確かアメリカへと飛びだってしまっていると聞いたから無理だ。ならば小泉花陽のところに行くべきか? いや、彼女たちはいまだに芸能活動をしている。これ以上の接触は控えるべきだ。
東條希は、どうだろうか。そういえば、彼女だけ接触がない。話にすら出てこないということは、高坂穂乃果の様に問題行動を起こさず、傍観していた存在に違いない。ならばコンタクトをとるべきだ。
私は東條希の電話番号を探す。今までµ'sメンバーを取材できたのは住所やら電話番号やら全て高坂穂乃果が教えてくれたからだ。東條希も例外なく教えてくれたはずだ。
しかしいざ電話を掛けると、なんとこの電話番号は使われていないという音声が流れた。電話番号を変えてしまったのだろうか。これでは連絡は取れず、取材にも行けない。住所は、分からなかったらしく教えてもらってない。
東條希はとりあえず諦めるしかない。他の人物はいないのか。私は電話帳を繰る。すると―――。
「矢澤にこ……?」
私は目を細め、電話帳を見る。そこには、矢澤にこの名が登録されていた。矢澤にこは亡くなったはずだ。でも、確かにそこに電話帳に記されている。別に亡くなられた方がそこに登録されているのがおかしいという話をしているんじゃない。なぜ死んでいると分かっている人物を、高坂穂乃果は教えたのか、だ。教えてもらったときは、私は矢澤にこが死んでいることを知らなかったので、ついつい登録してしまった。
私は決定ボタンを押してその項目を開く。すると、電話番号と住所が表示されている。だが、そこに記されているのは、携帯の電話番号ではなく、家電だった。ということは、まさか……。
私は住所を携帯の検索アプリに入力して場所を調べる。すると、案の定だった。その場所は、彼女たちの出発点である、音乃木坂学園の近くだった。つまりこの住所と電話番号は、矢澤にこの実家ということだ。
これさえあれば。
私は思い立ち、早速駅のほうまで向かった。立ち止まるのももどかしく、携帯を固く握りしめて、その番号に電話をかける。何度かの発信音の後、電話に誰かが出た。私は立ち止まることなく、通話をした。これから、情報が手に入ると思うと、わくわくしてしょうがないのだ。
「はいもしもし、矢澤ですが?」
「はい、こちらジャーナリストの―――」
まるで子供みたいだ。そう心で苦笑しながら、会話に応じた。
***
「急に押しかけてすみません」
「いえいえ。うちのにこのことを取材したいなら、大歓迎ですよ」
応対してくれたのは矢澤にこのお母さんのようだった。髪型も、容姿もよく似ている。ただ、さすがに年を取り始めているようで、陰りが見えている。若いころは美人だったのだろうか。
決して広いとは言えない部屋だが、居心地はよい。一般的な家庭で、すごくアットホームな感覚がして落ち着く。部屋にはすでに3人のお子さん―――とはいってももう立派な大人だが―――がいた。ギターを担ぐ男性が私を見るや小さく会釈して外へと出る。
「母さん、俺バンド行ってくるから」
「いってらっしゃい虎太郎っ。ほら、ここあもこころもそろそろ仕事でしょう?」
ソファーに座りながら、ダイニングテーブルにてくつろいでいる二人の女性にお母さんは声をかける。
「あーそうだったね。じゃいこっかこころ」
「うん、そーだねここあ」
気だるそうに二人は部屋を出る。その途中で二人のお子さんは、壁に飾られている写真に声をかけた。
「行ってくるね、お姉ちゃん」
「仕事だるいけど、お姉ちゃんほどは大変じゃないから。行ってくるね」
二人のお子さんは、それだけ言って、ドアを開けていった。
バタンと閉まり、場が鎮まる。私はとりあえず出されたお茶とクッキーをつまみ、口に入れる。なかなかおいしい。手作りのようだ。
「あの、先ほどの人たちは、お子さんですよね?」
「ええ。もうみんな大人になって、そろそろ自立してもいいんじゃないかって思うんですけどね。まあ、小さい頃は家を空けていてろくに面倒を見られなかった私が言えることじゃないですが」
「でもまあ、矢澤にこさんのご姉弟ですから、きっと大丈夫です」
「ふふ、そうですね。あの子は今でも自慢の娘です」
そう、お母さんは壁にかけてある写真を見ながら言った。華やかな衣装に身を包んで、独特のポーズをしている。確かこれは、にっこにっこにーというやつだったか。
「この写真は……?」
「東京ドームで行われたμ'sファーストライブです」
ああ、それか。
もうずいぶん前の話だ。これはアイドル史上トップクラスのライブ動員数を誇り、μ'sの人気を不動なものにした、伝説のライブだ。これを見ると、μ'sが崩壊したことが不思議でならないように思える。
あの写真が映し出していた記録の中の人物は全員笑っていた。小さく見える他のメンバーの中で、笑っていない人はいなかった。
彼女たちは輝いていた。この暗い現代社会を明るく照らす、女神そのものだ。
でも今はどうしたことか。誰も、輝いていない。矢澤にこは死んでしまい、他のメンバーは、目の光が失われている。ただ毎日をひっそりと生きているだけ。世間から逃げるように、こっそりと隠れているだけだ。μ'sの太陽と呼ばれていた高坂穂乃果ですら、死んだように生きている。
これまで私は、その光を失わせた影の部分を追ってきた。その正体はだんだんと分かりつつあるけれど丸裸にはできていない。まだ不明な部分は、いくつかあるのだ。矢澤にこの死後も、その一つだ。
けれど私は躊躇ってしまう。写真を眺める矢澤にこのお母さんの、揺れる眼差しを見てしまっては切り出しにくい。私が質問すれば、応じてくれるだろう。でも、してはいけない気がする。思い出したくもない、娘の死のことを掘り返すことになってしまうから。でも、聞かなくては矢澤にこに関しての情報が足りないままだ。
私は葛藤する。どうすればいい? 聞くべきか、帰るべきか。死について話させるのはいいのか?
どうしたらーーー。
「あの……三沢さん」
「えっ、あ、はい」
考え込んでいたせいで、反応が遅れて挙動不審になってしまった。咳き込んで誤魔化し、姿勢をただした。お母さんはクスリと笑い、口を開く。
「あなた、にこについて聞きたいんでしょ? その為にここに来たんでしょ?」
「……そうです。ええ、そうなんですが……」
一応お母さんには要件は伝えていなかった。そういえばここに来てから取材らしい取材をしていない。きっとそれで不審に思ったのだろう。だが、死について触れていいのだろうか。いいのだろうか……? もっと普通の質問はないのか? 穏便にすませられそうな質問はないのか?
そんなもの、有りはしなかった。都合よく変えられる質問なんて、有りはしなかった。数十秒で思い付く即興な質問に価値なんてない。ならば私に残された道はただひとつ。
聞くしかない。引くことは許されないし、相手に迷惑だけかけて終わってしまう。
「無礼を承知で取材します。矢澤にこさんの裁判について、そしてその後について教えてくださらないでしょうか?」
言い切った。言ってしまった。さあ、二つに一つだ。断られるか、受けるか。どちらかによる。
お母さんは目をわずかに見開いて、顔を伏せる。それは当然の反応だ。火を見るより明らかなことだ。しばらく痛い沈黙が二人を包む。
そろそろ辛くなってきた。辞めるべきだ。私は立ち上がってやはりいいですといって去ろうと考えたその時。
「ひとつだけ、聞いていいですか?」
お母さんから、震えた声が聞こえた。私は出来る限り穏やかにはいと答えた。それに安心したようで頬をわずかに弛ませて声に出す。
「にこの真実を、何に使う予定ですか?」
娘の死の真相をばらされるのを恐れているのだろう。それもそうだ。無駄に注目されるのはきっと嫌だろう。大人になったお子さんにも迷惑をかけてしまうことになる。
だがそれは、有り得ない。私の目的は世間に情報をばらまくことではなく、ただ知りたいという知的好奇心を満たすことだけだから。それとーーー。
「穂乃果さんに、それを伝えたいからです。穂乃果さんから、頼まれているんです」
本当はそのあとにビデオを作るということだが、それを言ってしまうと、取材には絶対に応じてくれない。一般公開する可能性は十分に考えられるからだ。それがある以上、迂闊には話せない。
矢澤にこのお母さんは、暫し考えるように目を瞑って俯いていた。やがて、目をゆっくりと開き、顔を上げ、私を見た。瞳は、揺れていない。光は、ある。ちょうど写真に映る娘の、どんなに濃い闇でも掻き消せるほどの強い輝きを秘めたそれとそっくりだ。
アイドルを産み出した、一人の女性は気丈に言い放った。
「分かりました。全てを、お話しします」
「ありがとうございます」
私は頭を下げ、早速カメラを回し、メモを手に取る。
闇の中に葬られた、矢澤にこ殺害事件の裁判とその後が、今明らかになる。
***
「ではこれより、裁判を始めます」
裁判長の声が、ガラガラの法廷に響き渡る。普段の裁判ならば、マスコミ関係者や一般人も傍聴席に座ることができるが、ここに座れたのは、にこ、絢瀬絵里の関係者とµ'sメンバーのみだけだった。中央に裁判長、左右に原告側と被告側に分かれている。
原告側は、真姫ちゃん。
被告側は、絢瀬絵里。弁護士は、いない。
裁判長はまず、原告から弁論を求めた。真姫ちゃんは立ち上がり、裁判長を見ながら話した。
「今回の矢澤にこ殺害は、まぎれもなく絢瀬絵里被告が悪いです。感情に動かされ、矢澤にこの首を絞めた。しかもその理由は、きわめて納得のいかないものです。被告は、小泉花陽に嫌がらせをしていました。それに見かねた矢澤にこが被告に注意をした。恐らくイラついたのでしょうか、そこで衝動的に首を絞めて殺害してしまったのです。はっきり言って、擁護する余地がないと思います。重罪を、求めます」
にこの用語をしてくれた真姫ちゃんの論ははっきりとしていた。裁判の前に、私に必ず勝ちますと、言ってくれた。
でも、この裁判はむなしい。裁判の形だけ取っているだけで、本当の裁判じゃない。弁護士もいない、傍聴席もガラガラ。これもすべて真姫ちゃんの仕業だ。
理由としてはマスコミに知られると、µ'sに火の粉をかぶせたくないからだと言っていたが、もっと別の意図がある気がする。
私が考えるに、それは世論の余地をつぶす目的があったんじゃないかと思う。一見、にこを殺した絢瀬絵里に非難が集中すると思われるかもしれないが、絢瀬絵里のファンはそうとは限らない。彼女を擁護する声も上がり、意見が分かれてしまう。そうなると向こうに反撃の余地を与えてしまいかねない。だからつぶしたのだ、マスコミを。
「ありがとうございました。次は、被告側。お願いします」
次は絢瀬絵里の弁論だ。彼女は壇上に立ち、冷静に弁を述べた。
「私はトップアイドルになりたかったんです。トップであるµ'sを目指したかった。でも、それを矢澤にこは否定したんです。そうしたらかっとなって、争ってしまったんです。殺す気はありませんでした。ただにこに、分かってほしかったんです。私の本気を。ただ、それだけなんです。情状酌量を求めます」
なんて都合のいい弁だ。
聞いた瞬間、かっとなったが押さえる。これじゃあ、感情的に殺したことは悪くないと言っているようなものじゃないか。わざとじゃない、殺すつもりはなかったというのが免罪符になるとでも? ふざけないでほしい。
本当なら今すぐにでもそう打ち負かしてやりたい。大切な娘を殺されたのだ。ギュッと拳を握りしめる。
「ありがとうございます。では、原告側。反論をお願いします」
次は反論だ。真姫ちゃんが壇上に上がり、絢瀬絵里をじっと見つめた。
「あなたの言い分を聞いていると、はっきりといって罪を軽くしてほしいという本心が見えてきます。殺す気はなかった、かっとなった。そんな言葉を並べて許してもらおうっていう感じに聞こえます。仮にそうでないとしたら聞きます。ならなぜ自制が効かないんですか? 殺す気がないのに」
「被告側、反論をどうぞ」
「ついかっとなってしまったんです。かっとなった時、自制が効かなくなるのは当たり前です。医者である真姫さんが知らないというのはあり得ない話ですよね。殺意なんて、なかったんです」
真姫ちゃんが私の言いたいことを全部言ってくれた。でも、絢瀬絵里の反論は、むちゃくちゃだ。かっとなったというのが免罪符だと疑われているのに、新たに出した質問に対してかっとなったとまた返すのはどうかしている。答えになっていない。
でも、一つ気になる点があるとすれば、免罪符と疑っていながらも、そこまで攻め込んでいないことだ。もっと攻め込んでもいいのではと思う。
「次は、人物証言です。原告側」
「はい。花陽、凛……お願いね」
真姫ちゃんは、花陽ちゃんと凛ちゃんを連れてきた。なるほどたしかにいい証人だ。
「では、証人その一、発言お願いします」
花陽ちゃんが壇上にまず上がる。少し上がり気味だ。
「あ、あの……私聞きました。絵里ちゃん……絢瀬絵里さんがにこちゃんに"死ねばいい"っていったのを」
「それはいつの出来事ですか?」
真姫ちゃんがすかさず質問する。
「ええっと、矢澤にこさんの首を絞めているときでした」
表情を暗くしながら、答えた。真姫ちゃんがねぎらうと、すぐに段から降りていった。
「えー、次に証人その二。発言お願いします」
次に凛ちゃんが上がる。こちらは少し不安そうだ。
「ええと、凛は聞いたんです。絵里さんがにこさんの首を絞めながら命乞いをしろ、さもなくば殺すって」
「そのままそっくりですか? 一字一句」
「いや、違います。でも内容はそんな感じでした。あと、にこさんが拒否した後、さらに力を強めて、殺してやると言いました」
「なるほど、そこで殺意が生まれたというわけですね。ということは、殺意は紛れもなくあったと」
「恐らくそうだと思いますにゃ……じゃなかった、はい」
ありがとうと言って、壇上から降ろさせると人物証言は終わった。
だが、私は感心した。
さっき、免罪符を並べていた絢瀬絵里に対して、あまり追求をしてこなかった。ここでカウンターが打てると最初から想定していたからこその行動だったのだろう。だが、カウンターなど狙わずともさっきで仕留めてもよかったのではないか。
「次、被告側どうぞ」
「すみません、証人はいないので、映像でもよろしいでしょうか」
「……かまいません」
一応、本来ならば証拠を提示するステップがあるのだが、この裁判は随分と簡略化されたもの。その辺はどうでもいいのかもしれない。
「この、カメラに移されているのは、今回の事件の一部始終を映したものです。どうぞご覧ください」
絢瀬絵里は、裁判官にビデオを渡した。用意されてある再生プレイヤーにそれを入れ、テレビに写す。すると。
「えっ……?」
僅かにざわめきが起こった。映像に映し出されているのはにこ、絢瀬絵里、花陽ちゃんに凛ちゃんだが……首を絞めているのはにこだった。にこが、絢瀬絵里の首を絞めていた。そして花陽ちゃんと凛ちゃんが飛びかかっていて、絵里ちゃんはどうにか受け流しているように見える。そして僅かに映像が乱れたかと思うと、こんどはにこが絞められていたのだった。
「ご覧の通り、私は矢澤にこさんに首を絞められたんです。それでかあっとなってやり返したら、こんなことになってしまいました。原告側の主張は嘘まみれです。私を陥れるために作った、嘘なんです。正当防衛を主張すると共に、無罪を求めます」
この映像があれば、確かに覆せる。もう、証人も役にはたたない。このままでは本当に無罪となる。でも、真実がそうならば仕方がない。
いや、でも真姫ちゃんは嘘をついてまで勝とうとするだろうか。あのとき私に話したあの目は、本気だった。嘘で塗り固めて勝とうという下劣な意思なんてなかった。もしかしたら嘘をついているのは……。
「これに対して、反論はありますか、原告側」
「あるわけないですよ、裁判長。ここで終わらせてーーー」
「はい、あります」
真姫ちゃんは立ち上がった。その目は、本気だ。自信に満ち溢れている。絢瀬絵里の仕掛けた武器にたいして、どう反抗するの?
「ビデオを見させてもらいました。このビデオの伝えていることは、真実だと、認めざるを得ないでしょう」
「だったらもうーーー」
「でも、それはこのビデオの内容ではなく、ビデオという証拠そのものの効力によってです」
「ど、どういうことかしら?」
絢瀬絵里はきっと睨みながら訪ねる。真姫ちゃんは髪を払いながら答える。
「要するに、あなたのビデオの内容は、嘘っぱちだと言いたいのよ」
「……そんなわけないでしょう? 第一、何でそんなこと言えるのよ」
絢瀬絵里は噛みついてくる。だがこの動揺は、図星かもしれない。真姫ちゃんはその反応を舐め回すように見ながら冷静に答える。
「まずね……首を絞められた人間は咳き込むはずよ。あなたはこの映像によると矢澤にこに首を絞められたと見えますね」
「ええ、そうよ」
「通常首を絞められて回復するまでに、十数秒はかかります。ましてやあなたは一分は閉められていた。でも……あの数秒のノイズが終わった瞬間、あなたは首を絞めていた」
「な、何が言いたいのよ」
「回復時間に辻褄が合わない。つまり……あのノイズはターンを入れ換えるために作ったものであり、意図的に入れたものだってことよ。あなたの資料は改竄物ね」
そうか。
ノイズは確かに二秒ほどだった。でも、二秒で首絞めのダメージが回復するはずがない。つまりあのノイズは演出するための道具にすぎず、彼女が手を加えていたのだ。つまり、この証拠は改竄物、無効になる。
「ついでに言えば、矢澤にこと被告の顔が反対よ。それに少しずれている。切り貼りでもしたのね。裁判長、この資料は、改竄を受けたものだと主張します」
「改竄なんてしてないわよ!!」
そうはいっても、誰も信じてくれる人はいなかった。よく見れば確かに、切り貼りの跡が目立つ。
裁判長は他の裁判官と話して裁定を考えている。そして視線がまっすぐ傍聴席へと向けられ、下した。
「先程協議したところ、合成映像であると判断したため、この証拠を無効とする」
「そ……んな……」
つまるところ、絢瀬絵里は偽の証拠を使って罪を逃れようとしたのだ。反省の意思なんて持ち合わせてなんかいない。そうに違いない。怒りが沸いてくる。ひっぱたいてやりたい。でも……もう終わりだ。
「では、判決を下します」
判決を下すときが来た。本来ならばもっと時間をかけるべきだが、これは簡略化されたものだ。それにもう、結果は明白だ。もう絢瀬絵里には、戦う材料はない。
「絢瀬絵里被告は、衝動によって矢澤にこを殺した。それに加えて証拠改竄をし、反省の意思が見られない。ただ、最初から明確な殺意があったわけではない。よって、懲役8年を課す」
有罪確定だ。真姫ちゃんの勝利で終わった。絢瀬絵里は、8年間牢獄に入ることが、今決まったのである。
絢瀬絵里は、放心したように崩れ落ち、警察につれていかれる間も、死んだような目を、真姫ちゃんに向けていた。恨みも、悲しみも何もかも喪ってしまったかのようなそんな瞳だった。
この判決で確定したこと。それは……μ'sはもうお終いであること。その事実が、傍聴席にいるμ'sメンバーの覇気のなさから伝わってきた。μ'sのリーダーの穂乃果ちゃんは、逃げるように立ち去り、他のメンバーも屍のように、力なく歩いて出ていった。
こんなとき、にこがいれば。にこがいれば、背中を叩いてくれたのに。
涙がじわりと滲んできた。娘の夢が、音を立てて崩れ始めた。娘の夢の、崩壊の瞬間を見てしまった。アイドルは、こんな終わり方をするのか。だったら、娘のやって来たことは……一体なんだったの?
一人取り残された、傍聴席で私は泣いた。悔しくて、虚しくて、仕方がなかった。娘が、可哀想だった。あんなにアイドルが好きだったのに、μ'sが好きだったのに……こんな終わり方が待っていた。残酷すぎる。あまりにも、酷すぎる。
「にこ……にこ……」
娘の名前を濡れる声で呼びながら、今や誰もいなくなった裁判室を眺めていた。
裁判が終わっても、何事もなかった。世間に公表されていないから、騒がれることもない。
1ヶ月がたった。真姫ちゃんが電話をくれた。内容は、μ'sが解散したという知らせだった。真姫ちゃんは裁判が終わってすぐにμ'sを辞めてしまったので花陽ちゃんに聞いたと言っていた。解散の話し合いは、数分で終わってしまったという。もう誰も続ける気は、なかったようだ。
真姫ちゃんは泣いていた。彼女には、病院があるから生きていくには困らない。でも、そういう問題じゃないのかもしれない。生き甲斐だったんだと思う。アイドルという仕事が好きだったんだ。だから、なおさら可哀想だ。理不尽だ。好きなものが、こんな終わり方になってしまうなんて。
だから私は決めた。他の兄弟たちには、こんなひどい結末を味合わせないと。アイドルには、させないと。ここあやこころはにこに憧れていたけれど、諦めさせた。虎太郎は楽器に夢中になった。
でも、これでよかったのかなと私は思う。夢を縛ってもよかったのかと。虎太郎はアイドルにはなりたいとは思っていないけれど、ここあやこころは心からなりたいと言っていた。それを潰してしまったのだ。今やあの二人はオフィスレディとして働いているけれど、覇気はない。それも私のせいなのかもしれない。
私たちは、どこで間違えたんだろう。それを知っているのは……誰もいない。
***
「……にこは、アイドルが本当に好きでした」
話し終えたお母さんは、唐突に呟いた。
「でも……こんな結末があったとは、本人はきっと思っていなかった。私だって、こんなことになるとは思っていなかったんです。にこの死を聞いたときは、頭が真っ白になりました」
僅かに微笑を浮かべながら話すその姿は痛々しく見える。すごく辛そうだ。もう話さなくてもいい。そう私は初めて思った。
「私は、この事件で変わった気がします。残された子供たちの夢を縛り、心がすさんでいったんです。少し時期がたってから、ようやく気づくものなんですね」
「でも……娘さんたちはきっと貴方のことをもう恨んではいないと思います。お気持ちもきっともう解ってくれると思います」
「そうだといいですね。でも……私は今でも思います。にこは、矢澤家の誇りだと」
「私も、そう思います。彼女について取材できて、嬉しいです」
お母さんは、ありがとうございますと言ってお茶を含む。そろそろいこう。私は立ち上がり、ペコリと頭を下げる。
「今日はお忙しいなか取材に応じてくださり、ありがとうございます」
「いえいえ……また、娘に会いに来てください」
「はい、それでは」
私は会釈をして家を出た。お母さんはいつまでも手を振ってくれた。
μ'sのマスコットにして太陽だと呼ばれた矢澤にこ。彼女が消えたことにより、μ'sは木っ端微塵に砕けた。いや、正確には彼女の死によって、麻薬だのスランプなどで壊れそうなμ'sが限界に達して潰れてしまったのだ。
しかし裁判を聞いていると、私は絢瀬絵里という人間の豹変ぶりに驚かされる。以前の彼女は絶対に言い逃れをしなかった。過去のブログなどを漁っていて、不祥事を起こした記事があったのだが誠心誠意を込めて謝っていた。その誠実さと賢さで人気を獲得していったのに……あの裁判での絢瀬絵里は醜かった。自分の地位のために、汚く抗っていた。まるで別人のようだと思う。
結局、絢瀬絵里についてつかむことはできなかった。一体誰に訪ねればいいんだ。
私は駅の方へと向かう道を歩きながら考えていた。
「はっ……はっ……!」
ふと、誰かが階段をかけ上がっているのが見えた。その階段は急で、大人でもひぃひぃ喘いでしまうほどだ。そんな階段を高校生に見える少女が全速力でかけ上がっていた。この先にあるのは、確か神田明神じゃなかったか。気がつくと、私はその少女の走りを見ていた。
足がもつれてきているのだろうが、体がふらついている。しかし、叱咤する声が上から聞こえる。階段を上ったところに、もう一人の少女が叫んでいた。
「ほらこんなところでへばんないの!」
「だ、だってぇ……もう何回もやってるよ~……」
何部の子達なんだろう。陸上部か? 球技系か? それとも吹奏楽の体力作りの一貫か?
「だらしないわね……そんなんじゃ、μ'sにはとてもじゃないけど、追い付けないわよ!! μ'sは、この坂で体力作りをしていたって、この神社の巫女さんが言ってたじゃん」
「そ、そうなの……? よーし、頑張るぞーーー!! μ'sに追い付くんだー!!」
μ'sの名前を出したとたん、彼女は急にやる気を出して、階段をかけ上がった。彼女たちは、アイドルを目指しているんだ。それも、μ'sのような。
でも……これでいいのか? 彼女たちがアイドルになったとして、果たしてμ'sのようにならないとは言い切れるのだろうか。彼女たちは、別の道を歩むべきではないのか。
「覗き見はあかんで?」
「う、うわっ!?」
ふと、後ろから声をかけられた。慌てて振り向くと、そこには箒を持った巫女さんがいた。穏やかな笑みを浮かべながら、私を見る。
「す、すみません……つい目に留まっちゃって」
「まあ、うちがここ使ってもいいっていったからなぁ。でも、犯罪だと疑われるから気ぃつけや」
「疚しい目的なんてありませんよ。ただ、気になっちゃって……」
確かに勝手に女子高生を眺める行為は、犯罪だと疑われても仕方がない。そろそろ立ち去ろうとかと思ったその時。
「あれ……?」
私は呼び止めた巫女さんを見た。ふわっと膨らみのある髪と胸、独特のしゃべり方、神田明神。この要素が揃っている人物で、思い当たるのは一人しかいない。
「あなたは、東條希さんですか?」
「なんや、気づかなかったんか? そうやで」
東條希だったのか。だが、なぜこんなところに。
いや……そんなことはどうでもいい。
私は思い立った。彼女に取材しようと。まだ、分かっていない謎が解明される、手かがりにもなる。携帯の電話番号が変わっていてコンタクトがとれなかったところだ。ならば、このチャンスを利用しないわけにはいかない。
「あの、突然ですけどお願いがあります。取材させてください!」
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