「……で、なんでうちを取材したいと思ったんや?」
神田明神の応接間に通された私は、東條希から質問を受けた。私は彼女に取材をしたいと申し出た。彼女なら、知っていると思うから。μ'sの、いまだに解明されていないことをきっと知っているだろうから。
「知りたいからです。μ'sのことを」
「どうしてなん?」
「高坂穂乃果さんに、頼まれたからです。μ'sのビデオを作ってくれ、と」
「ビデオ?」
「ええ」
そうなんかぁと、繰り返すように呟いた。だけれども迷いは隠せていない。決して面倒くさいと思っている訳じゃない。頼んでいる相手が、マスコミ関係者だと察しているからだ。
「そういえば、貴方は誰なん?」
「自己紹介が遅れましたね。三沢雪好です。しがないのジャーナリストです」
「ああ……穂乃果ちゃんが頼んだのもわかる気がするわ」
それは私がジャーナリストだから、ということだろうか。それとも別の意味があるのだろうか。
どっちでもいいか。
「貴方は、μ'sのファンだったん?」
唐突に東條希は聞いてきた。私はそっと首を振る。
「ファンではなかったですよ。ただ、娘がμ'sが好きで、よくテレビとかで見かけました」
「そうやったんか……」
「それで、取材の方は受けていただけるでしょうか?」
私が聞き出すと、黙って下をうつむく。考えているのだろうか。しかし……彼女になにか後ろめたい過去はあるのか。私は今までないと思っていたのだが、絢瀬絵里のように知られざる変化を遂げている可能性だってない訳じゃない。無理に取材を強要はできないだろう。
東條希は、顔をゆっくりとあげ、私を見る。いつになく真剣な眼差しのせいで、ドキッとしてしまった。
「条件があるんや」
「はい」
「うちの話すことは、そんな大したことじゃないけどな……世間に公表しないで貰いたいんや。ビデオを作るっていったけど、それは穂乃果ちゃんだけに持っててほしい」
つまり、ビデオを一般公開するなということか。一応まだ一般公開するかどうかは決めてはいないが、正直これは世間に公表できる代物ではないと思う。まず、マスコミ批判の内容が濃すぎる。ある程度は自重しないときっとこのビデオは発売されないだろう。アイドル業界にも悪い印象を与えてしまいかねないし、事務所からもストップがかけられる可能性は高い。
「恐らくこれは、世間に公表できる内容じゃないです。貴方の前にも、いろいろ話は聞いてきましたけど……これは酷すぎる。酷過ぎます」
麻薬、脱退、殺人、精神崩壊、誹謗中傷。
普通の人生を送っていれば無縁の存在に、触れてしまっている。こんな内容を、公表するべきではないと思う。私も年月だけはかなり経っているジャーナリスト生活を送っているが、ここまでアイドルの生々しい崩壊を見たことはない。もしかしたら、過去のトップアイドルの崩壊はこれくらいに、もしかしたらこれ以上に酷いものかもしれない。世間では隠されているだけで、とんでもない事実があるかもしれない。
知りたい。広めたい。過去の私ならばそう思っていた。
でも、今はやめるべきだと思っている。もしこんな事実が広まって、今でも傷を負い続けている彼女たちのそれを広げてしまったら、責任なんて取れない。
「そっか……あなたはいろいろもう、知っているんやね」
「ええ。でも、これだけじゃ、穂乃果さんに伝えられないんです。もっとほしいんです」
「……分かった。うちに話せることなら、何でも話す。穂乃果ちゃんのためやしね」
「ありがとうございます」
交渉成立だ。これでまた一つ解明される。何のために得るのか、はっきりしない謎の正体を。
結局私は知りたいのだろうか。知ってどうするのか。
当初は、単純に知りたいという好奇心だけが、私の足を動かしていた。まだ誰にも知られていない謎を知って、優越感を得ていた。µ's崩壊を紐解くのが、また楽しかった。
でも、話を聞いていくにつれ―――そうは思わなくなった。最初のほうこそは、次はどんな話があるんだろうと、ひそかに期待はした。でも、目の前で、傷を庇いながら過去のことを話す元アイドルたちの姿を見ていくと、つらくなってきた。内容はもちろん、こんなことを言わせている自分に吐き気がした。今まで自分が知ることのなかった、暗黒の世界。それも暴力団とか麻薬市場とかそういったアウトローな範囲ではなく、自分の心の闇が引き起こした、誰にでもありうる範囲。つまり、私だってそうなる可能性がないわけじゃないのだ。
ということは、この話を聞く意味というのは、人間の中にありながら実のところよくわかっていない心の闇の一部を深くえぐり取るということになる。果たしてそれは、いいことなのだろうか。
でも、そうでもしなければ情報は得られない。でも、私たちはそれを無視してきた。無意識のうちに、人の心の内をえぐって無理矢理情報をかっさらってきた。それは果たして、許されることだったのだろうか。
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。せっかくのチャンスを無駄にしてはならないんだ。くだらない哲学をするなら、あとでしよう。
沸いてきた疑念を無理矢理払い、質問を口に出した。
「では、早速質問しますが……あなたは絢瀬絵里を止めることは、できなかったんですか?」
これは、私が前からずっと気になっていたことだ。
東條希は、µ'sの中でお母さん的なポジションであると言われていた。暴走するメンバーをなだめて、止めてくれるという、重要な存在であったはず。しかも、絢瀬絵里と仲が特によかったというのだから、なおさら不思議だ。明らかに暴走してしまった彼女を止められるのは、東條希しかいないのに。もっと言えば、µ'sの崩壊の一因となった絢瀬絵里を抑え込めたはずなのに。
東條希は、机に置かれているコーヒーカップを手に取り、口に含む。何かを考え込むような、深刻な表情を浮かべ、俯く。話すのをためらっているようだ。ということは、これは心の闇の一部なのか。
つまるところ、私のやってきていることはこういうことなのだ。ナイフを突き入れ、心臓をえぐり取って、それを持ち帰って好き勝手に弄ぶ。それと変わらないことをしている。それを今の今まで無意識にやってきたのだ。
聞くのをやめるべきだ。そう心の内で叫ぶ。でも、握りしめたナイフは、もう離せない。好奇心という、麻薬に似た何かが握力を緩めさせない。結局、私は好奇心に縛られる、いや、踊らされる畜生なのかもしれない。
彼女は、ふと顔をあげた。コーヒーカップをゆっくりと机に置いて、口を開く。
「うちはな、旅行に行ってたんや」
「旅行……?」
私は聞き返していた。旅行していたことに驚いたわけじゃなく、自分の世界に入り込んであれこれ考えていたところに現実へと呼び戻されたからだ。無論、そんな話は聞いたことがない。もっとも東條希が旅行したとかそういうことはニュースにはならないが。
「そう。うち、旅行が趣味になったんや」
「……どこにいかれたのですか?」
「アメリカのラスベガス」
クスリと笑いながら携帯を開き、写真を見せる。ラスベガスのカジノの前に、東條希とひとりの男性が映っている。容姿はいいほうで、体格はガッチリしている白人だ。東條希は、海外旅行番組でレギュラーを務めていたので、きっとその縁で仲良くなったのだろう。
「でもな、それが取り返しのつかんことになるとは、思いもしなかった」
彼女はそういうと、憂うような目で窓を見た。
「もしかしたら―――うちが引き金を引いたのかもしれんなあ」
「……聞かせてください。あなたの、過ちを」
ナイフを刺す音がした。彼女は痛むように、わずかに目を細める。以前は、聞くことが楽しかったのに、今は胸が痛む。後悔が襲い掛かる。でも、そんなものは好奇心に一蹴されていき。
「分かった。全部話すで」
心臓をくりぬき始めた。
***
うちは、オリコンチャートを見て、思った。もうµ’sの時代は終わったって。
µ’sは大きくなった。途方もなく、私たちが夢も見ていなかった、高みへとたどり着けた。でも、その高みは永遠にとどまれる場所じゃなかった。人間という、最も不確定な生き物が決める、あいまいな頂上では、その場所に君臨するものがコロコロ変わるのは、当たり前だった。
でもそれを分かっていなかった。うちと、花陽ちゃんと、にこっちと、穂乃果ちゃん以外は。みんな一度たどり着いた高みに、もう一度のぼりつめようと必死やった。でもそれは、間違っていた。見ていてつらかった。皆血眼になってトップを睨み続け、すべてを犠牲にして力を注ぎこんだ。でも、うちは嫌だった。こんなの、かつてのµ’sじゃないから。
µ’sとは楽しいものだった。うちは、内気で友達も全然いなかったから、アイドル活動というのがまぶしくて、楽しくて仕方がなかった。笑って、時にふざけて、真剣に向き合い、泣いた。悪く言えば、お遊びで。よく言えば、青春で。そんな感じのµ’sが好きやった。
でも、もうそんなµ’sは存在しない。そんなうちの唯一の癒しは―――旅行番組やった。
日本という、狭い島国の外をちょっとだけ出てみたこともない景色に感動し、おいしそうなものを見てよだれをたらし、面白そうな遊びに胸を弾ませる。画面の中でしか見えない、未知の世界にうちは憧れた。時々ブログで行ってみたいと書いてみたりもした。
そんな時、うちにあるオファーが来た。旅行番組に出演してほしいとのことやった。うちは飛びつくように承諾し、最初のロケを迎えた。
「うわぁ……!!」
うちは忘れなかった。あのラスベガスの夜の景色を。光り輝くネオン、大音量で流れる音楽と、人の喧騒。それに大きな劇場で行われるショーの美しい広告、そして数えきれないほどのカジノ。
うちはカジノに入ってみた。日本では賭け事は禁止されているから、興味が沸いてきた。たばこや酒を楽しみながら、ルーレットに乗る玉の行く末を真剣になって見守る姿も、ちょっと新鮮だった。
「Congratulation!! You’re the winner!!(おめでとう、あんたの勝ちだよ!)」
「Yeaaaaaaaarr!!(いよっしゃあああああーーーー!!)」
「Shit!! It can’t be!!(クソッタレ!! そんなはずはねぇんだ!!)」
「Oh,my god……I have no money!!(ああ、そんな……もうお金がないよ!!)」
たくさんの外国人が叫んでいた。掛け金をぱぁにしてしまう人もいれば、大当たりして儲かる人もいる。そういうのって、とっても面白いなと思った。一応その番組の都合上、カジノをやってみなくてはいけないが、うちはやりたくなってきた。ディーラーらしき人に、尋ねてみる。
「Excuse me. I want to join the game(すみません、うちもやりたいんやけど)」
「OK. Bet your coin(分かりました、お金をかけてください)」
お金を賭けろと言われたのでうちは10ドルを親に差し出した。親は気前よく受け取ると、どの番号にかけるか言ってくれと言った。うちがやるのはルーレットゲームで、番号、もしくは数字列などを指定することができる。数字列というのは例えば、偶数とか、奇数とか、そういったもので倍率は低くなるけど当たりやすい。一方数字を指定するのは、当たる確率は低いけどその分倍率が高い。そういう特徴がある。
所詮ゲームだ。うちは9の番号を指定した。倍率は36倍だ。
「Ok. Roulette Starts!!(オッケー、ルーレットスタート!!)」
ディーラーの合図とともに玉が転がり、ルーレートが回り始めた。みな口々に、自分の賭けた番号を叫び続ける。
「7!! 7!!」
「31!! 31!!」
「9や9!!」
うちも思わず叫んでしまっていた。アイドルだってことを忘れて、必死に叫んでいた。誰も、うちの事を知らない中、とても開放的だった。社会の目を気にして生きる必要は、ここにはない。それだけで、ここに来てよかったと思う。
銀の玉が、ルーレット場をぐるぐると回り続けるが、やがてその動きが緩慢になってきた。どこに止まるか、全員の視線を集めた銀の玉。それが選んだ番号は―――。
「Red 9!!」
赤の9.即ち……うちやった。
「あれ? うち、当たったん!? やったぁ!! やったぁっ!!」
うちはうれしかった。人生初めてのルーレットゲームに、勝ったのだ。報酬の360ドルをもらい、胸に抱えて店を出た後でも、充足感を感じていた。携帯で写真を撮り、財布に賞金をしまい込むと、誰かに肩を叩かれた。
「Good evening. You won roulette,didn’t you?(こんばんは、さっきルーレットで勝ちましたね?)」
誰だろうと思い、うちは頭を巡らせる。すると、さっきカジノでうちの隣にいた人だと思い出す。白人で、ハンサムで、体格のいい人やった。
「Yes. I went there for the first time(はい、そこにはじめて行ったんです)」
「Wow……You are lucky. Do you have a time?(ワオ……ラッキーですねあなた。このあとお時間はありますか?)」
時間はあるかと聞かれた。すでに撮影は終わっているため、別に大丈夫である。うちは首を降った。
「OK. Let’s go! I know the best bar in America!!(OK、行きましょう! 僕はアメリカで一番素敵なバーを知っているんだ)」
旅というのはこういうこともある。知らない人にお茶に付き添われるなんてこと、日本じゃできない。うちはとってもワクワクしていた。
「So,you are a Japanese idol?(あー、じゃあ君は日本のアイドルってこと?)」
「Yes,my group‘s name is µ’s(そうやで。名前はμ'sって言うんや)」
「myusu……µ’s!! Oh,I’d heard the name often!!(ミューズ……μ's!! ああ、その名前はしばしば聞くよ!!)」
「Realy?(ほんとに?)」
「Yes!! My friend is fun of you!!(本当さ!! 僕の友達が君のファンなんだ!!)」
「Oh,my god!! Today is my happiest day!!(凄いなぁ!! 今日は一番幸せな日なんよ)」
うちは楽しかった。バーのお酒を含み、クラシックの音楽に耳を傾けながらまったく知らない人の話を聞いている。そんな、非日常を味わえるのはとっても楽しかった。
思えば、うちらはアイドルで男の人と話すだけで世間に取り上げられてしまう存在だった。よく言えば注目されているということなんだけど、悪く言えば―――監視されている。それがうちにはちょっと窮屈に思えた。
でも、ここはどうだろう。うちがアイドルだってことを、µ’sの一員だってことをみんな初めから知らない。だからうちを普通に見てくれるし、ゆっくりと羽を伸ばせる。変装もしなくてもいい、堂々としてもいい。この場所が好きだと、本気で感じるようになった。
その人と写真を撮って別れ、うちはホテルに泊まった。ベッドに寝転がり、ぼんやりと一日を振り返ってみると、とっても楽しい記憶が流れていった。ロケという仕事があったからだが、仕事だというのも忘れて大いにはしゃぎ、遊びまくった。ここまで遊んだのはいつ以来だろうかと思うくらいに。
ずっとここにいたい。日本に戻りたくない。本心からそう思うようになった。うちの心の中でアイドルよりも、この未知の世界のほうに、興味を持ち始めていたことに、気づいたのだった。
翌日には、帰国になったのだが、うちはしばらくアメリカにいたいと言い、スタッフの方だけ帰らせた。自分勝手だのと後で何言われても構わないくらい、うちはここにいたいと思った。しばらく帰らないことを絵里ちに伝えようとしたけれど電話に出なかったので、そのままにしておいた。
その日は、うちはすぐ近くにある、カルフォルニアのディズニーランドに行った。日本のディズニーランドは何度か行ったことはあるけれどやっぱり本場は違った。キャラクターたちが、うちを出迎え、一人だったけれどとっても楽しかった。格好いい男の子も内を誘ってくれて、一緒に遊んだりもした。迷子になっちゃった子供と一緒にお母さんを探した。きれいな夜のショーを見て、胸をときめかせた。孤独な少女時代を塗り替えてくれるような輝きを、うちに届けてくれた。
その日は近くのビジネスホテルに泊まり、夜を過ごした。でも、うちの部屋に置かれてあるたくさんのグッズ、そして胸の中にある思い出は、もう持ちきれないほどだった。
こうなったらアメリカにとことんいてやろう。うちはラスベガスの安いホテルを拠点として、様々なところに行った。お金は銀行から引き出せば山ほどあったので、困ることはなかった。まずアリゾナ州のグランドキャニオン、次に世界の中心ニューヨークに行き、そこでミュージカルを何本も見てきた。一度でも見たかったライオン・キングを始めて見たときは、涙が出てしまった。
その後フロリダに行き、ユニバーサルスタジオに行った。いろんな映画を見ているので、親しみが持て、馴染みのキャラクターが出るとわくわくが止まらなかった。さらにケネディ宇宙センターにも向かい、ロケットについて勉強した。普段は知ることのないことだったので、とってもおもしろかったな。
また戻ってきて、今度はハリウッドに向かった。映画の本場だけあって、たくさんのハリウッド俳優が道を歩いていたり、キャラクターのコスプレをしている人がたくさんいたりと、映画の要素であふれていた。うちも一度ハリウッド俳優と共演させてもらったことはあるけれど、こんな場所に来たことはなかった。
全てがあっという間に過ぎていった。夢のような時間は、泡のようにはじけていった。でも、余韻はいつまでも胸の中を漂い、やんわりとうちの心を癒していった。
そろそろ帰ろう。もうすっかり堪能した。
うちは飛行機の予約を取り、日本行きの便に乗り込んだ。その足取りはとっても重い。でも、いやではなかった。日本で厳しいアイドル生活が待っているのは、確かにつらい。でも、うちは新たな趣味を見つけた。たまには旅行に行けばいい。そう思うと、わくわくすらしてきた。
アメリカを発ち、何時間もかけて日本につくと、懐かしい空気がうちを迎えてくれた。おにぎりがとってもおいしかったのを覚えている。花陽ちゃんにたくさん食べさせてもらおうかなと、考えながら音乃木坂に向かう。
「ちょっとのどが渇いたなぁ……」
うちは音乃木坂にあるコンビニでコーヒーを買おうと、中に入った。ふと、うちは週刊誌に目が映る。週刊誌を気にする癖が、もうできてしまっているのだろう。うちは苦笑しながらも、手に取ってパラパラとめくってみる。
だが、うちはあるページで手を止めた。
「え……?」
うちは目を大きく広げ、目の端に映る、不吉な文字を凝視する。
“解散”。
何の解散だろうか。政党か? 歌手グループ? お笑い芸人?
……µ’s?
嘘だ。嘘や。そんなはずはない。うちがいなくても、どうにかやっていけるやろ?
うちは、息が浅くなっていく。震える手を必死に抑えながら記事を睨む。だが、非情にも……見出しにはこう書かれていた。
『µ’s、突然の解散!! いったい彼女たちに何が!?』
読み進めていくと、µ’sは解散を発表したと書かれてあるのが見えた。何で? どうして? なんで解散を?
どうせデマだ。週刊誌なんてデマをふくのが得意だから、きっとデマ。そうに決まっている。
うちは恐る恐る携帯を取り出し、穂乃果ちゃんに電話した。穂乃果ちゃんなら、笑い飛ばしてくれる。そう思ったから。
何度か呼び出し音が鳴り、どうにかつながった。
「……はい、高坂です」
電話に出たのは、暗い穂乃果ちゃんの声だった。いつものあの明るい声が、ちょっとうんざりしてしまうほどに元気いっぱいな声がごっそり持っていかれてしまったかのような、そんな声だった。
「穂乃果ちゃん、久しぶり。うちやけど」
「希ちゃんか……。で、どうしたの?」
「あ、いや、その……週刊誌を読んでな。µ’sは解散したっていうのがあったんやけど」
「……」
「あれ、デマやろ? µ’sは今でも活動しているんやろ?」
うちは、ここで分かるべきだった。認めるべきだった。穂乃果ちゃんの話し方と覇気のなさで。でも、うちは信じたくなかった。この先に待つであろう言葉を。
「なあ、そうなんやろ穂乃果ちゃん? µ’sは終わっちゃいな―――」
「解散したよ」
ぽつりと、つぶやかれたその言葉は、淡白で軽くて、そして重かった。
感情が一切こもっていないその言葉を聞いたうちは、何を言っているかわからなかった。
カイサンシタヨ。
かいさんしたよ。
解散したよ。
膝の力が抜け、地面に崩れ落ちる。たったワンフレーズがうちの、楽しい思い出に満たされた胸を打ち砕く。
「ど、どうしてなん……?」
声が震えるのを抑えることができず、穂乃果ちゃんに聞く。
「もう、何もかも終わってしまったから」
「どういうこと……?」
終わった? 何が? うちのいない間にいったい何が起こったの?
疑問が頭の中で錯綜するなか、穂乃果ちゃんの暗い声が、鼓膜を揺らす。
「そのままの意味。もう、穂乃果じゃどうしようもないレベルになったんだ」
穂乃果ちゃんは諦めている。でもそれは絶対に有り得ないこと。穂乃果ちゃんは誰にも負けないくらい負けん気が強くて、粘り強かった。諦めるなんてこと、しなかった。このμ'sだって、穂乃果ちゃんが諦めなかったから上手くいったのだ。うちは声をあげて叫ぶ。
「穂乃果ちゃんは、こんなことで諦めたりしないよ!? 何があっても、必ず立ち上がるってーーー」
「海未ちゃんは、麻薬で捕まった」
唐突に、穂乃果ちゃんの声が聞こえた。
何て言った?
マヤク?
まやく?
麻薬?
……そんな馬鹿な。
うちは笑い飛ばそうとした。でも、出来なかった。喉が締まって、まともに声が出せない。
「ことりちゃんも、それで捕まった。真姫ちゃんはスランプに陥ってμ’sを最初にやめた。凛ちゃんはネットで叩かれて炎上した」
無意味な熟語を延々と連ねるような淡白さと、ブローのように重い言葉が持つ濃厚さが混ざりあい、頭が一杯になる。どうして? どうしてや? 嘘は要らないから、止めて。そう言いたいのに、言えない。
「絵里ちゃんは、にこちゃんを……」
「お願いもう止めて穂乃果ちゃん!! そんなの嘘や、嘘やから止めてよぉ!!」
うちは、怖かった。これは真実だと認めていく自分が怖かった。もう止めてほしかった。きっとこれは真実だ。疑っても無駄だ。そう、自分に言い聞かせている気がする。穂乃果ちゃんの言うことは嘘じゃない。でも嘘であってほしい。正反対な想いが錯綜するなか、うちの言葉を無視した穂乃果ちゃんは言い放った。
「ーーー殺した。これでもう、μ'sはお仕舞いだよ」
うちはその瞬間、倒れた。プツンと何かが切れる音がした。
旅行になんか……行かなきゃよかった……。
遅すぎた後悔の念を抱きながら、暗闇に堕ちていく。旅行の楽しかった思い出がすべて黒く染まり始めていくのが分かる。それをうちはぼぉっと見つめるだけしか出来ない。うちのたった一ヶ月の旅行のせいで、かけがえのないものを失ってしまったのだ。
気がついたときには病院にいた。
病院で起きて、なんとなしにテレビを付けると、μ's解散のニュースが流れていた。
うちのせいや。そう思った。うちが日本にいればこんなことにはならなかった。
うちは悔しかった。どうしてこんな終わり方だったのか、理解できなかった。自然に涙が溢れ、泣き叫ぶしかすることがなく、その日は声が枯れるまで叫び続けたのだった。
***
「引き金の意味、分かった?」
「……ええ」
彼女の言った、引き金の意味。それは、崩壊していくμ’sを止められず、旅行にいってしまったということ。彼女は仕事で離れていた期間を大幅に伸ばして、現を抜かしていた。つまり、μ'sを見捨てた、放っておいたということだ。でも、まさかその間にµ’sが滅びるとは、誰も思いはしなかったであろう。私としては、東條希にはそんなに責を負うことはないと思う。
「でも、おこがましいですがそこまで気に病むことはないと思います」
「いや、うちのせいでもある。あの時サッサと戻っていれば、こんなことにはならなかったんや。遊んだツケが、回ってきてしまったんや」
攻めるように、顔をしかめて言う。何はともあれ彼女が崩壊の一因であることは間違いないのだ。その罪が重いか軽いかなんて、彼女たちにとってはどうでもいいかもしれない。
私はこの話を聞いて、芸能界は窮屈な印象を覚えさせるという印象を抱いた。でも実際そうなのかもしれない。動向を常に何十万人に監視され、問題を起こせばすぐにマスコミに祭り上げられてしまう。それで窮屈に思えないなんてあり得ない話かもしれない。東條希の、世間に対する細やかな反抗が、このような結果を招いてしまった。そう言ってもいいかもしれない。だが、これは起こるべくして起こったことかと言われたら、そうではない気がする。結局のところ、μ's衰退の原因はいろんな要因が混ざりあって初めて出来たものだと言うことだろう。
「うちは、バカやった。うちがしっかりしていれば、皆辛い思いしなくて済んだのにね」
「…………」
しかし、いったいµ’sはどこで間違えたのだろうか。
どこが、ターニングポイントだったのだろうか。
それは、神にしかわからないことだ。でも、彼女たちはそれぞれどこがターニングポイントだったかを、きちんと決めている。そして後悔する。東條希の場合は、旅行の期間を延長しようと、決めた瞬間だったということだろう。
「穂乃果ちゃんには、悪いと思っている。穂乃果ちゃんには、謝りたいと思っている」
「だから……取材も受けてくれたんですか?」
「まあね。穂乃果ちゃんのために何かをするのが、償いだと思っているからね」
「これから、どうするおつもりですか?」
新しく見つけた旅行という趣味で、µ’sは壊れてしまった。そう思っている彼女は、これからどう生きたらいいのだろう。巫女を続けて、静かに見守ることしか、できないのだろうか。
「うちは、この音乃木坂で暮らしていこうと思ってる。だって、ほら」
東條希は、窓の外を指で指す。そこには、先ほど見かけた、μ'sを目指す二人の少女がまだトレーニングをしている姿が見えた。汗だくになり、へとへとにへばりながらも走っている。
「ああいう子がいるからね。ああいう子に、失敗してほしくないって、思っているから、見守りたいんや。ひっそり生きるというのもそうやけど、それでもいい気がしてきたそれがうちのやりたいことのひとつやから」
「そうですか……。今日は、本当にありがとうございました」
「いやいや、とんでもないよ。大した話はできんかったし」
「貴重なお話を聞かせていただきました。では、これで失礼します」
そういって、私は部屋から出た。帰る際に、東條希は入り口まで見送ってくれた。
「ここまででいいです」
「そう? わかった。気をつけてな」
私はぺこりと頭を下げて、神社を後にした。
東條希が話に出てこないのは、そもそも関わっていなかったからだ。でも、その関われなかったという事実は、彼女に重くのしかかっている。この重荷が取り払われるのは、いつになるだろうか。
さて、東條希に話を聞けば、絢瀬絵里について何か分かるかなと思った。しかし結局何も掴めなかった。
仕方がない。別の切り口から攻めるしか―――。
「あ、そうだそうだ」
「え?」
遠くから、急に呼び止められた。私は振り返り、駆け寄る。
「なんですか?」
「これ、何かの役に立つと思うから使って?」
東條希は、懐から一枚の紙切れを取り出した。
「これは?」
「誰かの、住所や」
私は受け取り、紙切れを開いてみる。すると、日本語ではない言語が書かれていた。
「これはまさか……ロシア語?」
「そう。ということは、誰だかわかるよね?」
ロシアに住んでいて、東條希の知り合い。といえば、一人しか思い浮かばない。
好機、来たれり。
私は頭を下げて感謝の言葉を述べた。
「気を付けてなぁ」
「ありがとうございます! これで失礼します!!」
私は急いで家路につく。急いで支度をしなくては。なんといったって、これから私はロシアへと行かなくてはならないのだから。今まで求めていた情報源の場所がわかったならば、どこへでも行かなくては。
情報をえぐり取るのは確かに良心が痛む。しかし、そうは言ってられない。私には使命がある。µ’sのすべてを脳に書き記し、高坂穂乃果さんに伝えなくてはならないという使命が。
私は、走り出す。全てをつなげるために……全てを解決するために。
絢瀬絵里の、狂った理由を、必ず紐解いてやる。
次章;絢瀬絵里