やはりこの世界にオリキャラの居場所が無いのはまちがっていない。   作:バリ茶

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10話 お前それマジ?

 

 

 ―――声が聞こえた。少しばかり音が遠く感じるが、確かに人間の話し声が鼓膜に響いたのだ。

 目の前は真っ暗で、意識はあるようで無い。自分でもよく分からない状態だ。気持ち的には休日の朝に二度寝をしようとしている時のような感覚だ。こう、起きていた筈なのに、気が付いたらいつの間にか数時間経過していた、みたいな。

 

 泥濘で彷徨うかのような感覚に、少しばかりの心地よさを感じつつも、直ぐに不快感が湧いて出た。

 手足が動かなかった。それどころか、瞼を開くことすら儘ならない。俗に言う、金縛りのような感覚に似ている。だが、ハッキリと意識があるのかと問われれば、ある――と断言できる自信はない。聞こえてくる会話はいつの間にか別の人間の声に変わっていたり、気が付いたら声は聞こえなくなっていたりする。微睡む感覚が永遠に続くように、体が常に宙に浮いているような感覚に体が支配されていた。

 

 されていた。そう、されて()()、だ。つまり過去形。俺は今、上述したような状態ではなくなっている。

 今、と言っても、正確に意識しているわけではない。いつの間にか、と言った方が正しいのだろう。さっきまで夢心地だったような気もするし、最初から意識が覚醒していたような気もする。

 

 軽く手さぐりする。柔らかい、滑らかな感触が手のひらに広がっていった。これは……毛布、掛布団かな? 俺は今、布団の中にいるのか? ――お、うん、なるほど。そう分かった途端、自分が布団の中で眠っているって理解できた。

 現状理解に満足したので手の触感から一旦意識を話し、次はもう少しで瞼を開けそうな顔の上部分に意識を集中してみる。

 何とか開けそうだ。まるでテープを張り付けられているかのように重い瞼に力を入れる。ぐぐぐっ、と力むと、次第にただ暗いだけの視界に別の色が差し込んできた。

 まだ目は全開にはならない。次第に、なんだか疲労感が湧いてきた。とりあえず今日のところは休もう。瞼を開くのはまた今度。そんな感情がふつふつと心中に広がっていく。

 

 いや、ダメだ。いい加減、現状をもどかしく思っているのだ。さっさと目覚めて、状況を確認したい。ずっと目を閉じているからなのか、脳も覚醒しきらない。そのせいかなんだか記憶もあやふやで、意識して思い出すことができない。起きないと、状況は前に進まない。

 僅かに動く指で、自分の太ももをつねった。

 

「………ぃ」

 

 痛い。そう言いたかったが、喉がからからで声が出ない。何だか口の中が気持ち悪いし、水が飲みたい。

 寝続けるよりも覚醒したい欲が上回り、起きなきゃダメだと思った瞬間、体が少しだけ言うことを聞くようになった気がした。

 ぐいっと無理やり上半身を起こした。腕を膝の上に乗せ、首はだらんと下に向いた。完全に力が入るわけではないが、なんとか起きるためのスタート地点に立てたようだ。

 しかしまだ瞼が鉛のように重い。このまま目を開かなかったらまた眠ってしまいそうだ。二度寝を危惧し、指で目を擦る。すると先程までとは打って変わり、瞼が軽くなった。ようやく目を開けられそうだ。

 ゆっくり、ゆっくりと眼を覆う外壁を上と下に開いていく。そして視界が次第に明るく――

 

「うげぇーッ!」

 

 思っていた以上に外の光が眩しく、眼球に深刻なダメージを負った俺はつい吸血鬼に殴り飛ばされた時の様な声が出てしまった。な、何だこのパワーはッ!? かふっ…。

 思わず再び瞼を閉じる。この光は眩しすぎる。外は朝方か、もしくは快晴の日中か。

 とりあえず目はゆっくりと慣らしていくとして、他に出来る事はあるだろうか、と思った時に、口元に違和感を覚えた。

 唇が妙に蒸れているし、少し息がしづらい。そっと右手を口元に寄せると、指先に硬い感触が伝わってきた。なんだ。

 薄目で口元を見ると、緑色の妙な物体が口と鼻を覆っていた。よく見ると小さい穴が幾つか空いていて、物体の端を触るとゴムの様な感触があった。

 

 少し、冷静に状況を整理して行こう。

 まず、俺が今いる場所。体の下の柔らかい感触や腰まで覆ってある布の存在から推測するに、俺は布団かベッドにいるのだろう。

 そして――眩しさに慣れたので、目を完全に開いた。目の前には白い掛布団、左には緑色の線が映し出されている機械、そして右には窓があった。

 窓の外を覗くと、沢山の車が止まっているとても広い駐車場が見えた。それも高所から見ているようだ。ここは建物の3、4階辺りか。

 そして口元の妙な機械。見た限りでは、ドラマ等で見たことのある人工呼吸器だ。そう、呼吸を補助する機械。

 

「え」

 

 マジ? え、なんで。

 なに、俺、もしかして……入院してんの? 全然体痛くないのに。恐らく長い間眠っていたので、久しぶりに体を動かす際にいろんな箇所が鈍かったり倦怠感もあったりする。だが致命的にどこかが痛むのかと問われれば、答えはNOだ。元気もーりもり!

 とりあえず、今は自分自身の力で呼吸できている。口元の鬱陶しい補助器具を外してしまおう。

 頬に張っているゴムを引っ張り、人工呼吸器を口から遠ざける。が、思った以上にゴムが固い。完全に外れないし、止め具をちゃんと外さないと壊れてしまうかもしれない。 

 だが、呼吸器をつけたままでは、少しばかり息が苦しい。まるでマスクを何重にも取り付けているような気分だ。

 ヤケになって、これでもかというほど呼吸器を引っ張って口から離す。機材と肌の間に隙間が出来ると、冷たくておいしい空気が口の中に入ってきた。あぁ、いい。とても。

 くっそー、この人工呼吸器ごときが生意気な。

 

「なんだこれ、ゴム硬いし全然外れねぇ……」

 

 思わず声に出た。そして邪魔くさい器具と格闘すること1秒。部屋の戸を引くような音が聞こえた。思わず、音がしたほうを向く。開いたのはこの部屋のドアだ。来客だろうか。しかしそれどころではない。

 

「―――あ、あに、き……?」

「やっぱナースコールでも――え?」

 

 聞き慣れた声が耳に入ってきたことにより、俺の手は硬直し、口元との格闘は一旦終わりを迎えた。

 目に映ったその人物を視認すると、俺の手は人工呼吸器からゆっくりと離れていった。そして手が膝に乗る頃には、俺の思考は少しばかり整理がついた。

 目の前にいるのは―――妹。そう、妹だ。俺の妹の美加。目を見開いて、小さく口をぱくぱくしている。この世のものとは思えない光景を見たような表情だ。

 俺は今病院にいて、俺がいる部屋に家族が入ってきた。つまり――お見舞いか。にしても、美加の様子はまともではない。彼女は一体どうしたのか。

 心配になったので、とりあえず声をかけることにする。

 

「み、美加?」

「――ッ!」

 

 俺が呟くようにそう言った瞬間、美加は急にこちらへ駈け出してきた。え、なに、刺されるの? 俺の妹ってそんなに病んでた? やばい、くる、間に合わない! せっかく意識取り戻したと思ったら何故かってあぁもう目の前じゃん終わったさよなら我が人生―――

 

「おぉっ」

 

 体全体に揺れを感じ、思わず声が漏れ出た。俺の思考が纏まらないうちに、美加は俺に抱き着いてきた。胸に顔をうずめ、背中には手が回っている。ちなみに腹には何も刺さっていない。安心。

 

 ―――って、そうじゃない。違う。待って。ちょ、なに、えっ、俺の妹が、俺に? はい? 抱き着いてきた?

 えっと、その、ちょっと待って。確か、持ち合わせている記憶を頼りに思い出してみると、俺ってこの子に嫌われていたはずなんだが。挨拶は返してくれないし挨拶も無。もう凄いレベルで嫌われていたはず。それが言い過ぎにしたって、兄に飛びついてくるほどお兄ちゃん大好きっ子ではなかったような。

 なんと、声をかければいいのか。なんだよどうしたー、とか、おぉ可愛い妹よー、とか? もしくはもっと茶化した方がいいのだろうか。

 俺がくだらない脳内会議をしている間も、懐にいる妹は何も言ってこなかった。それどころか、顔は胸に押し付けてくるし、背中に回っている手は更に力が入ってきた。襟首辺りの所で切り揃えたボブカットの黒髪からは、シャンプーの匂いと女の子特有の不思議な香りが混ざり合って脳を刺激する甘くて危険な香りが漂ってくるし、思わず体が固まってしまった。

 これ、もしかして冗談を言っちゃあいけない雰囲気なのかしら。こう、なんとなーく優しく受け止めないと逆に空気読んでない駄目な男みたいな?

 不安なので、とりあえず俺も美加の背中に左手を回した。―――うん、何も言ってこない。もしかして俺が自分から触れたら「調子のんな変態」とか言って殴りかかって来るかもしれないと思ってたが、どうやら杞憂に終わったようだ。

 これなら、もう一度別のアクションを起こしても怒られなさそうだ。よし――と意気込んだ俺は、使っていない右手をそっと美加の頭に乗せた。そして何も言ってこないことを確認し、そのまま右手を動かして頭を撫でた。そして、それを何回も繰り返す。

 お、おぉ? どうした、どうしたのだ妹よ。マジで何もしてこないぞ。お兄ちゃん大好きアピールして俺を勘違いさせて、狼狽する俺の様子を見て笑いに来たんじゃないのか。

 気が付けば、胸元が少し湿っていることに気が付いた。なんだ、もしかして涎か鼻水? あぁ、俺が気が付かないうちに服を汚しに来たのかしら。それなら納得できますねぇ!

 

 ……えっと、本当にどうした。言い訳みたいに色々と逡巡したが、胸を濡らしているのは涙だともう気が付いている。

 泣いてる。いつも家では俺の相手をせず、友達を呼ぶ日は家から俺を追い出し、二人で町内清掃に出かけたらいつの間にか近所の子と何処かに行ってしまうような、俺に無関心なあの妹が。

 心の底から狼狽して落ち着かない。とりあえず、一旦声をかけよう。

 

「美加?」

「……っ!」

 

 声をかけた瞬間、美加がビクッと肩を揺らした。そして殆ど聞こえないほど小さい声で、まるで嗚咽するかのように何かを呟いた。声が震えているし、自分自身も焦っているのか、うまく美加の言葉が聞き取れない。

 美加、と名前を呼んでみると、破ける程強く俺の服を掴んでいる彼女は絞り出すように声を出して返事をした。

 ―――今は、何も言わないで。彼女はそう懇願すると、再び声を殺しながら泣き始めた。

 なに、何なの? 本当にどうした。起きて直ぐに妹にすすり泣きを超至近距離でやられて、お兄ちゃんもわけがわからないよ。

 だがしかし、いつまでも戸惑っていては状況は好転しない。冷静に、そして落ち着こう。

 おぉ、よしよし大丈夫だぞ、お兄ちゃんはここにいるからなー。小声で宥める様にそう言いながら、妹の背中を軽くぽんぽんする。

 ん? 何も言うな、と言われた直後? 知らん、そんなことは俺の管轄外だ。何もしないで固まっているより、安心できるような言葉をかけて背中を摩ってあげる方がいいに決まっている。かのヒキペディアには載っていない情報、出来るお兄ちゃんの常識だ。

 受け手一辺倒ではなく、妹を想って行動するのがお兄ちゃんなのだよ。ふはは、これが俺の包容力。

 

「……ぅうっ、ばかぁ…」

 

 調子に乗ってたら様子が悪化したような気がする。今必要なのは包容力じゃなくて空気を読む力らしい。はっきりわかんだね。はぇ~。

 未だ懐で丸まっている妹を宥めつつ、再び入り口に目を向けた。そこにはポカンとして立ちすくんでいる、俺と同い年くらいの少年と、およよとハンカチで自分の涙を拭いている女の子がいた。

 ―――って、ちょっと待って。あの女の子、小町じゃね? チラリと見える八重歯にぴょこんと跳ねた触覚みたいな数本の髪の毛。見紛うことの無い、妹キャラランキングで常にランクインしている本物のあの人。

 はぁー、マジかー。遂に比企谷妹と邂逅したかー。うわぁ、可愛いなぁ。整ってるなぁ。何アレ、もうかわいさの暴力でしょ。川なんとかさんの弟くんが必死に追い縋ろうとするのも頷けるなぁ。

 顔に添えているハンカチもクマさん柄でかわいさポイント高い。

 

 っていうか、もしかして彼女、この光景をみて涙しているのか? よかったねぇ、感動だねぇ、とか呟きながらぺしぺしと隣の少年の腕を叩いている。

 あぁ、なるほど、そうか。俺も馬鹿だな。本当に馬鹿だ、ようやくいい加減に気がついた。

 つい数分前まで、俺は手探りで少しずつ自分の状態を確認していた。そうしなければならないほど、体がどういう状況なのか忘れていた。一言で言えば、俺は記憶が薄れるほど長く眠っていたかもしれないのだ。

 こうなる前の記憶はまだあやふやだが、少なくとも俺は病室で誰かと会話した記憶は無い。つまり何かしらあって気を失ったまま入院し、今の今まで意識を取り戻さなかったのだろう。

 偶然見舞いに来たらずっと眠っていた人物が意識を取り戻していて、それを見た友人がその人物に飛びついて泣きじゃくっていたら、困惑するかもしれないが確かに少しは感動しそうな場面だ。

 まぁ俺への好感度がマイナスに振り切っていた妹が、こんなに身を案じてくれるほど距離が縮まってしまっている現象については、未だ不明瞭な点が多いが。

 それとも、あの美加がこんなになるほど、俺の状態は酷かったのだろうか? そこが気になるが、今は現状の把握で手一杯だ。こうなった理由は追々思い出す事にしよう。

 

 ふと、入り口の妹系ヒロインから目を離し、胸元の美加の様子を見てみた。ずっとしがみ付いて泣いていたようだが、どうやら少しは落ち着いたらしい。荒かった呼吸は静かになり、体の震えも既に治まっている。

 そのうち自分から離れるだろうと思い、摩っていた右手を一旦止める。入り口にいる客人には、少し見苦しい場面を見せていたかもしれない。気を遣わせていただろうし、謝罪も込めて挨拶をしようと妹から目を離して顔を上げた。

 そこに居た比企谷小町と少年は―――うん? 少年、……少年? 小町の隣にいる少年は―――あぁ、マジか。うーん、困った。大変困った。一体どうすればいいだろうか。

 目を細め、ほんの数秒の間だけ逡巡する。次第に浮かび上がって来た案を実行すべく、美加の背中から離した左手を彼女の肩に移動させ、数回肩を軽く揺らす。

 そして鬱陶しかった人工呼吸器をむりやり外し取り、彼女の耳元に口を近づけた。

 

「美加。俺ちょっと喉が渇いたから、病院の売店で何か飲み物を買って来てくれないか?」

 

 優しくそう呟くと、美加は「ぇっ、あっ」とほんの少し狼狽したが、こくんと頷いたあと俺から離れて立ち上がり、早足で病室から出て行った。そんな様子の美加を目で追った小町はハっと我に返ったような表情になり、俺に一度お辞儀をすると美加の後を追いかけて行った。

 残った少年はその様子を見た後、何を如何したらいいのか分からないのか、少し身じろぎをしたあとに俺の方を見てきた。

 俺は少年の顔をじっと見つめた。いや、顔では無くその先にある瞳をじっと見た。そして目を細め、下を向いて彼との視線を外し、小さな溜息を漏らした。

 

「……まぁ、とりあえず、入れよ」

 

 そう言うと、少年は頷いてから遠慮がちなゆっくりとした足取りで病室の中に入ってきた。その後ベッドの隣にある腰かけを俺が軽く叩くと、少年は意図を察してそこに座った。

 ……あー、えっと。そんな風に、少年は自ら話の切り口を探している。そして何か思いついたのか、あぁそうだ、と言った。

 

「体の具合……どうだ?」

「あー、まぁ、大丈夫」

 

 返事を返したが、少々素っ気なかったか。自分自身が何を言って欲しかったか分かっていないのに、こんな態度では失礼極まりないだろうに。……なんか、面倒くさい彼女みたいだな、俺。いやまぁ、女性に失礼なんだけどさ。

 目の前のに座っている少年―――比企谷八幡は、俺の返事を受けて押し黙ってしまった。普段の学校でのやり取りなら「こいつ面倒くせぇ…」と呆れるのかもしれないが、生憎俺は今覚醒したばかりの病人。余計に気を遣わせてしまっているのだろう。

 申し訳なく感じた俺は、今度は自分から会話を切り出すことにした。

 

「そういえばさ、今日って何月何日だか、わかる?」

「今日は……12月26日、だな」

「あー、なるほど。今年は俺、クリスマス寝過ごしちまったかー」

 

 ははは、とわざとらしく笑った。だがまだ比企谷は俺に気を使っているのか、小さく苦笑いをしただけだった。

 ここはちゃんと話さないと、彼も納得しないか。本題に入らないと、話は進まない。

 

「比企谷」

「……あぁ」

「何で、来たんだ? 俺の見舞い」

 

 それは、と言って、比企谷は俯いて口を噤んだ。

 実は先程入り口で彼を見て、思い出したことがあるのだ。彼と交わした約束。いや、交わしたなんて烏滸がましい。約束などではなく、俺が一方的に押し付けただけのただの願望。

 俺の見舞いには来るな。確か、そう言った記憶がある。断片的にだが、その周辺の記憶も思い出してきた。

 

「あの時言ったこと、覚えてるか。忘れてたんなら、別にかまわないんだけどさ」

「お、覚えてるに決まってるだろ。あんなときに言われたこと、そう簡単には忘れるわけ無い」

 

 比企谷は焦って弁明し、しかし俺と目は合わせず視線を泳がせていた。その様子を見て、まぁ本人は忘れてはいなかったのだろうと確信した。美加か、もしくは比企谷小町に半ば強制的に連れてこられたに違いない。

 そして何より、こうやって彼を問い詰める様にしているのは、全くの筋違いだ。

 根本的に、俺が比企谷――いや、ヒッキーに見舞いに来ないで欲しかった理由は、彼を攻め立てる理由にはならない。何故なら、来ないで欲しかった理由は、見舞いに来たらヒッキ―に大きな問題が降りかかるとか、俺が迷惑するとか、そういう事では無く、完全な俺のエゴだからだ。

 

 かなり、思い出してきた。ていうか完全に記憶が戻った。

 そう、俺がヒッキ―に見舞いに来ないで欲しかったのは、単に時間が惜しいと思ったからだ。

 ヒッキ―は修学旅行のあと、生徒会選挙や奉仕部間の仲の亀裂や一色いろはの応援やクリスマス会など、過労死するレベルで短期間にイベントが盛りだくさんある。

 そんな一分一秒も惜しいときに、わざわざ俺の見舞いになんて来たら、絶対に時間が足りなくなるし余計な事を考えさせてしまう。俺ガイルの物語に、入院した友人に謝るとか、勝手に死にかけた人間について思い悩む、なんてイベントは存在しないのだ。

 俺の大怪我とヒッキ―を取り巻く問題に、共通点など一つも無い。いろいろ悩んで抱え込んだヒッキ―が眠っている俺の前で「なぁ、俺、どうしたらいいんだ?」なんて悲劇の主人公みたいな独白なんてしてしまったら、それこそ原作崩壊だ。

 奉仕部を取り巻く問題を解決したり、本物を望む身勝手な自分自身に思い悩んだり、それでも個性的な仲間たちに助言を貰いつつ最終的に自ら自分の道を切り開くからこそ、ヒッキ―は比企谷八幡――主人公たり得るのだ。そこにスプラッタよろしく惨い怪我をして入院する意味分からない変なキャラクターの影は必要ない。

  

 つまり、時間がもったいないから俺の所には来ないで、原作通り自分の事を解決して♡ ということである。

 それとクリスマス会が終了してから夕方の奉仕部でのイベント後、正月まで大した出来事は無かったはずなので、12月26日から30日までの間なら、俺の見舞いに来てもあまり問題は無いはず。

 なので年内のイベントを無事終わらせたヒッキーは、別に俺の見舞いに来て委縮なんてしなくていいのだ。

 

 あー、ちょっと待って。ヒッキー、本当に無事にイベント終わらせたのかな? 何故か修学旅行での俺の影響をまるっと無視して考えてたけど、あの時ゆきのんとかガハマさんも近くにいたよね…? 何か悪影響出てないかしらっ、いや少しは出てるかもしれないけどしっかり物語通り進んでいるのかしらっ!? もしかしたら、まだ奉仕部の二人と喧嘩してたりする? ていうか戸部の告白現場に間に合った? ちゃんと本物が欲しいって言った?

 あぁ、まずい、心配だ。聞こう。本人から、怪しまれない程度に探りを入れよう。

 

「でも、霜月。俺、約束破っちまって――」

「それはいい、別にいいよ! 許すマジ許す超許す」

「――は?」

「それより!」

 

 ぐいっと身を乗り出して、顔をヒッキ―の近くに寄せた。興奮のあまり、自制が効いていない可能性が無きにしも非ず。

 とりあえず、聞かせてもらおうか。俺が眠っていた間、何があったかを。全て喋ってもらうぞ!

 

 

 

 ★  ★

 

 

  

 昼ごろに美加が買ってきてくれたペットボトルの水の、最後の一口を飲み終えてキャップを絞めた。そしてペットボトルをベッドの隣の腰かけに置き、ふと外が気になったので窓から外を眺めた。

 俺に間抜けな悲鳴を上げさせた陽の光は跡形も無く、ガラスの一枚向こうは寒風が吹き荒ぶ真っ暗で冷たい闇が広がっていた。

 美加が持ってきてくれた俺の携帯を起動させると、時刻は深夜の2時を示していた。夜勤の看護師以外は眠って静まり返った夜の病院の一室で、貸切部屋なのを良い事に暖色の小さい明かりを点けて夜更かしをしているのが、今の俺だ。見つかったら怒られるが、結局見つからなければどうということは無い。バレなければ犯罪じゃない精神だ。

 結局のところ、幸いにもヒッキーからは沢山の事を聞き出せた。聞いてはいけないことまで知ってしまったような気もするが、既にいろいろ盛大にやらかしているのでもう少しだけ開き直ってもいいだろう。

 どうやら殆ど本筋通りの結果になっているらしい。いろはすが生徒会長になって、デスティニーランドも行き、クリスマス会も無事に終わったと。

 その部分を聞いているときは、俺は心底安堵していた。問題なく進んだということは、正月明けも通常通りの展開が待っているということだ。安心して年を越せる。

 

 と、それだけで話は終わらなかった。聞いた限りでは、疑いようも無く物語通りなのだが、その人物たちが少しばかり不自然だった。

 救急車が俺を搬送しているときに、既に奉仕部の女子二人がその場から居なくなっていた、と聞いた。ヒッキーは俺が「お前は自分の事だけやれ」と言ったことを覚えていたので、二人に俺とあの男の事は深く聞かなかったらしいが、二人が冷静さを取り戻すのが思ったより早かった、とヒッキーは感心していた。

 うん、それはいいこと、の筈なんだけど。そんな速攻で立ち直れるなんて、鋼のメンタルすぎないか。ゆきのんに至ってはガハマさんの盾になる、なんて危険な真似までしたのに。

 本筋道りに進むに越したことは無い。ない……のだが、やはり少し不自然だ。

 

 コンコン、と、突然入り口のドアをノックする音が響いた。まずい、看護師さんが様子を見に来た。俺は思慮を中断し、明かりを消して布団の中に潜り込んだ。とりあえず間に合ったか? 

 布団の中で警戒を続けていると、ドアを開けて室内に人が入ってくる足音が聞こえた。

 かつんかつん、と、刻一刻と音がこちらに近づいてくる。一体、こんな夜更けにどうしたのかというのか。良く考えたら様子を見に来るような時間ではないし、ドアの外に漏れ出るほど強い明かりは使っていなかった。

 しゅる、と音が聞こえた。俺の掛布団も、爪や指先で触るとそんな音が出る。って、まさか俺の掛布団を触ってんのか?

 

「あの、起きてますか」

 

 病室に入ってきた人物は幼い子供のような声で、掛布団の上から俺を揺らし始めた。

 え、誰だ。明らかに看護士さんの声じゃないし、でもこの時間にこの場所に来れるのは病院の関係者くらいだし……。

 警戒した俺は未だ返事を返さずにいるが、あのー、あのー、と自信なさげにその人物は呼びかけを続けた。

 うぅ……、と落ち込み始めたあたりで、俺は途端に焦燥感に駆られた。何というか、もうこれ以上無視を続けてはいけない気がする。そのうち起きているのがバレそうだし、なにより俺を呼び掛けている人物が泣きそうになっているのだ。このままでは俺の良心が耐えられない。

 

「お、起きてるよ」

「ほぇっ」

 

 返事を返して布団を退け、上半身を持ち上げて首をその人物のほうへ向けた。見た限り齢10前後の少年だか少女だか判別が難しい子は、そんな俺の反応に変な声を上げて吃驚した。

 起き上がったはいいものの、どう会話をしたらいいのか分からないので、とりあえずじっと目の前にいる子供観察した。

 背丈は小学校高学年の平均くらいで、肩まで伸びている髪の毛は金色。瞳は黒いが、恰好はとても普通の子供のそれでは無かった。

 背中に見える白い小さな翼。頭のてっぺんにある黄色い輪。そして純白の大きな布をそのまま上からかぶったような服装。

 

 本格的に自分の頭が心配になってきた。目の前のこれ、俺の脳が誤認識してるだけだよな。こんなコッテコテの、いかにも天使ですよ~みたいな見た目の子供が、こんな真夜中の病院に化けて出るなんてありえない。

 それとも、もしかしてガチのお迎え? ヒッキ―達が帰った後、実は死んじゃってたとかそういうオチ? さぁ共に逝きましょうとか言われちゃうやつ?

 

「嫌だ、逝きたくない! 我が生涯に沢山の悔いあり!」

「何を言っているのですか……?」

 

 布団に包まって抵抗する俺を、子供は本当に心配するような瞳で見つめた。間違いなく困惑している。いやまぁ、俺もかなり混乱してるんだけど。

 しかし子供の反応を見るに、お迎えではない可能性がある。話さないと事は進まないだろうし、取り敢えず質問でもいいから会話をしなければ。

 布団を退け、改めて子供の方に体を向ける。じっと見ていると分かったが、目の前の子はとても整った顔立ちをしている。ぶっちゃけ可愛い。ミニ雪ノ下な鶴見留美といい勝負だ。

 と、そんなこと考えてる場合じゃないか。

 

「えっと、取り乱してごめん。俺、霜月大悟っていうんだ。きみは?」

「あ、はいっ。わたし、ハルと申します。こちらから名乗らず、申し訳ございません」

 

 そう言ってハルと名乗る少年……少女? あー、面倒くさい、少女でいいや。かわいいし。そんなあどけない印象を受けるハルは、俺に頭を下げた。

 小さな子に謝られると、なんだか罪悪感が押し寄せてくる。気にしていないよ、と俺が優しく言うと、あっはい、すみません、と言ってハルは申し訳なさそうにしつつ頭を上げた。

 

「……そんなことより、ハル…ちゃん? は、どうしてこんな所に来たの?」

 

 よ、呼び捨てで構いません、と言いながら、ハルはベッドの近くにスリッパを置いた。そういえば今日は一歩もベッドから動いていないので、誰かにスリッパを持ってきてもらうのを忘れていた。昏睡状態だったので、何ヶ月も履物を近くに置いておく必要がなかったからか、近くにスリッパの類は見当たらなかった。

 どうぞ、とハルが言ったので、俺はスリッパを履き、ベッドから立ち上がった。

 

「これから霜月様においで頂きたい場所があるので、そちらへ向かうとつっ。……途中でご説明させていただきますねっ」

 

 台詞を噛んだことが恥ずかしいのか、明らかに赤面しつつハルは俺を病室の外に連れて行った。

 うぅ…、と少し俯くハル。うん、かわいい。饒舌に言葉を喋れない年齢の子が、頑張って難しい言葉を喋ろうとする様子は、なんとも微笑ましいものを感じる。ちょっとむつかしかったな、お兄ちゃんきにしてないぞ! がんばったな!

 

「あ、あの、霜月様」

「ん、なに?」

「その、差し出がましいことは承知しているのですがっ。……あの、満面の笑みでずっとわたしを見つめるのは、遠慮して頂きたく……」

 

 隣を歩いていたハルは、目を逸らしながらそう言ってきた。おっと、しまった。保護者モードが入ってしまっていたか。

 俺がごめんごめんと平謝りすると、ハルはすみませんと言いつつ、俺の隣を歩きながら事の説明を始めた。

 

 ―――曰く、俺とあの男の戦いの結果を巡って、数名の神々が賭け事をしていた、らしい。

 身体能力や意識の差などで俺よりあの男の勝利に賭けた神々の方が多く、ハルの上司に当たる神も当然、そちらに賭けていた。そして判定の結果俺が勝ったので、ハルは勝負に負けた上司の尻拭いをさせられている、とか。

 うん、おかしいね。神様ってなんだろうね。なに、それとも転生者の争いを賭け事にするほど、他にやること無いの? 暇を持て余した神々の遊びなの?

 どうやら、一定時間ガハマさんを誘拐し続けられたらあの男の勝ちで、それを完全に阻止出来たら俺の勝ちだったそうだ。あの男には、俺とヒッキ―とゆきのんを捻じ伏せて、ガハマさんを誘拐して長い間逃亡できるくらいのポテンシャルがあった。ので、神々は(こぞ)ってあの男に賭けた。

 しかしあいつは直前の俺の煽りもあってか、少々冷静さを欠いてしまった。そのせいもあり、ほぼ負け確定だった俺が勝ってしまったのだった。

 

 賭けに負けたハルの上司は、賭博に使用した人間に衝突による世界の歪みの修正を任された。しかし俺やあの男がこの世界に干渉した時間があまりにも長かったため、俺たち二人の存在を無にすることは出来ず、現状を無理矢理もとの方向にずらす、という決定を下した。

 そのため、ゆきのんやガハマさんは目の前で起こった惨劇に不思議と関心を見せず、それを訝しんだヒッキ―も深くは追及しなかった。

 それに加え、俺はもともと、あの事故で瀕死だったらしい。それどころか、本当なら即座に死んでいた、とハルに言われた。

 腹に深い刺し傷を負い、体の数か所を殴打され、吐血し、車両にブッ飛ばされてコンクリートに叩きつけられる。……うん。たしかに、これで死なない方がおかしい。こんなになって二ヶ月で全回復したら、絶対そいつ人間じゃないね。あれ、もしかして俺って人間じゃないのでは……。

 

「なぁハル。俺って実は改造人間とかアマゾンとかだったりする? 腹に風穴空けられても人間の肉を食えば治っちゃうアレ?」

「そ、そんなわけないじゃないですかっ。怖いこと言わないでください……」

 

 ハルは頭を横にぶんぶん振った。どうやら実はバケモノでしたーみたいなオチではないらしい。

 

「治ったのは上司の神の権能です。もはや自然治癒で回復できる状態では無かったので、後で完全に傷が癒える……えっと、いわばおまじないの様なものをかけさせて頂きました」

「なるほど。……え、でもさ、俺を助ける必要あったのかな。存在を完全に消そうとするぐらい邪魔なのに」

「貴方に賭けた神様からの要請です。せっかく転生させたんだから殺すな、とのことで。負けた私の上司は言うことを聞くしかなく――」

 

 なるほどなぁ、と俺が相槌を打っていると、ハルは急に立ち止まった。

 目の前には病室の入り口があり、その近くには鉄パイプの椅子が一つ置いてあった。そしてそこには一人の男性が眠りながら座っていた。服装を見る限り、この男性は警察官とか、その類の職業だろうか。にしても、何でこんなところに。

 俺が顎に手を添えて訝しんでいると、隣のハルがこっちを向いた。

 

「この病室の中にいる人は現行犯なので、目覚めるまでこうやって交代で警察の方が監視しているんです。霜月様をご案内するために、今は眠ってもらっていますが……」

 

 え、現行犯? 俺がそう聞き返すと、ハルは頷きつつ病室のドアを開けた。

 中はカーテンに完全に包まれていて様子を確認できないベッドが一つと、完全に個室だった。部屋の照明は点いていないが、うっすらと暖色の明かりがカーテンを透過していた。どうやらあのベッドの周辺だけ明かりがあるようだ。

 ハルに案内され、ベッドに向かう。そしてカーテンの隙間から中に入ると、そこには男性が寝転がっていた。

 俺とハルに気づき、その男性は顔だけを此方に向けた。

 

「やぁ、霜月大悟」

「お前……」

 

 無表情で語りかけてきたのは、まぎれも無くあのストーカー男だった。枕元には無理に取り外したであろう人工呼吸器があり、右目と左足は包帯でぐるぐるに巻かれていた。

 どう見てもひどい状態だった。しかし男は何事も無いように、ここに座りなよ、とベッドの隣に置いてあった椅子に俺を手招きした。

 俺が困惑していると、ハルは「彼との会話が、貴方には必要なことだと思ったので…」と言いバツの悪そうな顔をしてから俺に頭を下げた。

 

 ――まぁ正直驚いたが、話さないと駄目か。思えば直ぐに殴り合いになって、こいつとまともに会話した事は殆ど無かった。この状態なら動けないだろうし、暴れはしないだろう。

 俺は覚悟を決めて、椅子に座った。男の表情は一切変わらず、上半身だけを起き上がらせて首を回してコキコキと音を鳴らした。

 そして俺の顔を見て、軽いため息をついた。

 

「相変わらず、君は憎たらしい顔をしているな」

「随分なご挨拶だな。なに、俺の顔を見たら煽らずにはいられない体質なの?」

「多分そうかもしれない。僕は君の事が好きじゃないから」

 

 男が少しだけ笑った。くっそ、相変わらず性格悪いぜコイツ。だがここで「俺だってお前なんか好きじゃないんだからねっ」とか言い返したら、それこそ変にツンデレっぽくなっちまう。安易な言い返しは我慢しよう。

 俺は喉まで出かかった言葉を一旦引き止め、それを飲み込んでから会話を切り出した。

 

「ていうか、何で生きてるんだよお前」

「君と同じさ」

 

 男はそう言いながら、ハルの方に少しだけ目を向けた。あぁ、なるほど。

 せっかく転生させたんだから殺すな。その神の言葉の中には、俺だけじゃなくコイツも入っていたのか。

 何故それを知っているのか、と聞こうとしたが、それは直前で思い留まった。そんなことは愚問だ。どうせ俺より先にハルから聞かされたのだろう。

 

「そんなことより、君をここに呼んだわけだが」

「お前がハルに頼んだのか?」

 

 そうさ、と言いながら、男は枕の下に手を突っ込んだ。そしてそこからカバーがかかっている一冊の本を取り出し、片手で俺に差し出してきた。

 

「はい、これ」

「え、なに」

「この本を渡したくて、君を呼んだんだ」

 

 男は微笑しつつ本を俺に押し付けた。

 一体、何の真似だろうか。目覚める前は凶器を持ち出してまで戦った憎いはずの相手に、本を渡す? えぇ…(困惑)

 とち狂ったのか、はたまたハルの天使の光にでも当てられて親切に目覚めたのか。いや、絶対前者だな。コイツに限って改心とか絶対ありえない。現にコイツから謝罪の言葉は一つも聞いてない。

 どうせ悪趣味か嫌がらせの為の本だろうな、と確信しつつ、受け取った本のカバーを外して表紙を確認した。すると目の前の男から一言。

 

「それ、僕たちが転生した後に発売した俺ガイルの新刊」

「やりますねぇ!!(歓喜)(感謝)(涙がにじむ)(ほぼ新品の状態)(この世界では入手不可)(コーナーで差を付けろ)」

 

 俺は思わず大声を出してしまった。そしてハルが出来ればお静かにと涙目で言ってきたが、それを無視して俺は表紙を食い入るように見つめた。

 あ゛っ!!!!!(絶命)

 

「……き、きみ、少し大げさじゃないか?」

「うるせぇよバカ黙ってろよバカふざけんなバカマジほんとありがとう」

 

 なんか男が狼狽してるが知らん!

 ゆっっっっきのん!!! わ、わた、ぽ、ぽんかん―――うわあぁあぁ!!(爆発)ウンメイノー

「何でお前が新刊持ってるんだ!?」

「ちょ、ちょっと霜月様――」

「んむぐっ!」

 

 背後からハルに手で口を押えられた。落ち着いて、落ち着いてくださいーっ、と小声ながらも必死になっているハルの声を聞いて、俺は少しだけ冷静さを取り戻した。少しだけ。

 軽くハルの手の甲をペチペチ叩いて一応は大丈夫だという意志を伝えると、ハルは「絶対もう叫ばないでくださいね…」とだけ言うと、口から手を放してくれた。

 俺は椅子から退き、男に詰め寄った。今度はなるべく大きな声は出さずにしないと。

 

「改めて聞くがっ、なんで、持ってるんだ…!」

「え、えっとね。僕を転生させた神様が、勝負には負けたけど結衣以外に欲しい物ある? って聞いてきたから、最新刊をくださいって言ったら、それが枕の下に」

「お、お前もう読んだのか?」

 

 当然、と言いながら詰め寄る俺をグイグイと手で引き離す。そうか、もう読んだか。じゃあこれは暫く俺が預かってもいいと言うことだな。

 

「じゃあこれ、借りていいんだな?」

「ていうかあげるよ。貰ったのは二冊だし。君には僕が読んだあとの開封済みで十分でしょ」

「うわっ、マジか、助かるわ……。サンキューな本当に」

「……うん」

 

 本に再びカバーをかけ、両手で握って自分の胸元に寄せた。やった、やったぞ! これで地球の危機は去った!

 俺が感涙していると、男は軽いため息をはいた。何だ、もう返せって言っても返さないぞ。

 

「呆れたな。自分を殺しかけた人間に礼を言うなんて」

「え、いや、それとコレとは別だろ。俺なんて別に転生させてくれた神様と話なんてしてないし」

 

 俺がそう言うと、男は自分の眉間に手を寄せた。まるで頭痛を押えるように。

 どうした、と声をかけると、男は手を離して此方を向いた。

 

「それを譲る代わりに、一つ頼み事をしてもいいかな」

「ん? まぁ、変な事じゃなければ」

 

 改まって頼み事なんて、一体どういう風の吹き回しだろうか。俺に出来る事は少ないし、頼みが犯罪だったら俺には聞けない。

 今までの事を許してくれ、なんて言う奴じゃないことは知ってるし、逃亡を手伝ってくれ、なんて言われても駄目だ。本の事は感謝しているが、さっき言った通りそれとコレとは別。

 真剣な顔の男を見て、俺も表情を引き締めた。

 

「僕が目覚めたのは今日の夜。入り口の外に居る監視の警察官が眠らされてだ。そろそろ目覚めたことはバレるだろうし、怪我も殆ど治ってしまっているから明日のうちには警察病院に連行されるだろう」

「おう、そうだな。罪を償いに行って来い」

「馬鹿言わないでくれ。僕は自分のしたことを後悔していないし、話の根底はそこじゃない」

 

 じゃあ何だ? 俺が聞き返すと、男は少しだけ俺に顔を近づけた。

 目が据わっている。真剣な表情で、殆ど俺を睨みつけているような感じになっている。

 それほど大事な頼みごとだと言うことだろう。

 

「僕が牢の中に居る間だけでいい。結衣を守ってくれ」

「………ん?」

 

 よく分からなかったので、もう一度言ってくれと聞き返した。男は眉を潜めたが、繰り返す様に同じ言葉を俺に伝えた。

 ―――なんと、愚かな。俺はつい、吹きだしてしまった。そんな俺の様子を見て、男は分かりやすく不機嫌になった。おいおい、怒るなって。笑ったことは謝るけどさ。

 いやー、まさか()()そんなこと言うなんて。分かってないなぁ、この男は。

 

「僕の頼みは聞いてくれない、ということでいいのかな?」

「いやぁ、別に。他の頼みがあるなら聞いてやってもいい。でもさ、その頼みに関しては、俺がやる必要が全く無いんだよ」

 

 肩を竦めて言うと、男は首をかしげた。まぁ、説明しないと分からないか。全部を捨ててガハマさんを自分の物にしようとした奴だし。

 

「だって主人公がいるじゃん。比企谷八幡、お前も知ってるだろ」

「……い、いや、だからと言ってだな」

「この世界のヒロインは主人公が守ってくれるよ。最新刊読んだのなら、お前だってよく分かってるだろ」

 

 宥める様に言うが、男はまだ食い下がってくる。

 突然俺の後ろ隣りで待機していたハルに目を向けた。

 

「転生した人間が、結衣を狙うかもしれない…! いるんだろ、僕たちの他にも」

「えっ、あ、いいえっ! 貴方たちの他にこの世界に移り住んだ魂は、今の所ありません」

 

 ハルが胸の前で両手をぶんぶん振って説明した後、俺は「な?」と男に言った。

 男が心配するようなことは無い。結局俺たちが荒らしまわった後も、この世界の物語は順調に進んでいるのだ。モブが四六時中ヒロインを守る、なんて話は物語じゃない。もしそんな話があれば、そのモブにどんな生い立ちや設定などが組み込まれていても、モブはサブキャラ、上手くいけば主役にすらなれる。重要な役割を持ったキャラクターは創造主がどれ程ただの背景やモブだと言い張っても、大切な事を背負った時点でモブはモブでは無くなるのだ。

 俺はモブキャラだ。だから俺がガハマさんを守る必要などなく、主役である彼が彼女を守ってくれる。たとえ彼が不本意でも、きっと世界がそうさせる。

 ――だからこんなことを俺に頼む必要は無い。そういった意志を男に伝えると、男は不服そうな顔をしながらも身を引いてくれた。

 そこで俺はニカッと笑い、男の肩を軽く叩いた。

 

「ま、変な転生者がヒロインを奪おうだなんて言ってやって来たら、俺が止めてやるよ」

 

 お前と同じように、な。

 その言葉に男は観念したのか、呆れたようにフっと笑い飛ばして、再びベッドに寝転んだ。

 神は人間で賭け事をするくらい暇なのだし、新たな火種を求めて誰かを転生させてくるかもしれない。もしそうなったら、俺が何度でも止める。たとえそいつが良いヤツでも、ヒロインや主役に仇なす存在なら容赦はしない。

 

「殺し合った仲だしな。一応、部外者から彼女を守るっていう点なら、聞き届けたぜ」

「……そうか。なら、安心だな」

 

 男は穏やかな表情になり、もう寝るよ、と言って目を閉じた。俺もベッドから離れ、おやすみ、と言った。

 そしてカーテンを潜り抜け―――ようとした瞬間、クールに別れると言った空気をぶち壊してでも聞きたいことが、一つだけ思い浮かんだ。

 俺は振り返り、軽く男の肩を揺らした。男は目を開けて、体は起こさずに瞳だけを此方に向けた。

 

「わり、最後に聞きたいことがあるんだけどさ」

「なんだい?」

「お前の名前、聞いてなかった。よかったら教えてくれ」

 

 あぁ、そういえば。と男は思い出したように呟いた。機会があれば刑務所を訪ねて面会とかするかもしれないし、ハルからも名前は聞けるかもしれないが、本人から直接聞きたい。どうせ、今後顔を合わせる機会は極端に低い、もしくは会えないかもしれないのだ。名前くらいは、と思った。

 男は俺と目を合わせ、その口を開いた。

 

 

優希(ゆうき)。城廻優希だ。……あぁ、姉さんとは知り合いかい? できれば宜しく伝えておいてくれ」

「――――は?」

 

 こいつの名字、今なんつった? はぇ? しろ? めぐり? しろめぐりってあの城廻?

 

「マジ?」

「うん、マジ。……あ、姉さんはああ見えてガード硬いから、狙ってるなら頑張ってね」

 

 

 どうでもいいようにそう言った優希をよそに、今世紀最大の衝撃が俺の頭をかち割った。

 

 

 ―――――なに衝撃的な告白してんのお前ぇぇぇぇ!?

 

 

 ―――――いや、質問したのは君だろ。

 

 

 無意味な問答が暫く続いた。

 

 

 

 

 

 





早く投稿できませんでした。すいません。
すいません許してください何でもしません許して下さい(横暴)

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