やはりこの世界にオリキャラの居場所が無いのはまちがっていない。   作:バリ茶

12 / 12
ショートショート形式になってます



特別編 トラブル続きの後日談

 

 

 

 

 こんにちは休日、久しぶりに兄妹で出かけています。年始はいろいろバタバタしていたが、最近はようやく落ち着いてきた今日この頃。少し困ったことがある。

 

 退院してからというもの、美加が俺にべったりなのだ。別に悪い気はしないし、むしろお兄ちゃん感動でむせび泣きそうなんですがね。

 

 ……いや、あのっ、一緒に風呂入ろうとするのはどうなんだ? このまえ湯船で鼻歌歌ってる途中で、急に風呂場に押し掛けてきたときは心臓止まるかと思ったわ……。

 

 どうやら俺の眠っている間に彼女の中では何かが変わったらしく、それにならって俺もたどたどしい雰囲気で接するのは辞めた。昔みたいに、もっと近い距離で。

 美加が積極的になってくれたのも、彼女と仲が良い比企谷妹のおかげかもしれない。グッジョブ、小町さん。

 

「ねぇ兄貴、お昼どこで食べる?」

 

 もこもこの温かそうなパーカーを着て隣を歩いている美加が、俺の袖を引いて声を投げかけてきた。

 現在俺たちがいるのは街中で、これといって目的もなくぶらついている。そろそろ時間帯もいい頃だし、がっつり食える場所にでも行こうか。

 

「そうだなぁ。んじゃあ、巨匠比企谷八幡氏おススメのラーメン屋でも行くか」

「なにそれ……」

 

 呆れたような表情の妹を引き連れて、路地裏を歩いていく。

 これから向かう先は、あの一色いろはにも「うまい」と言わせた最強のラーメン屋である。

 10.5巻よかったよね……。

 

 

 

 訪れた店内に腰を下ろし、二人して同じ種類のラーメンを注文した。別に合わせなくてもいいと言ったのだが、同じものが食べたい、とのこと。お前俺のことが好きなのか?(自意識過剰)

 

 数分待てば、俺たちの前には湯気の立った熱々のラーメンが運ばれてきていた。二人して手を合わせて、食事のあいさつをしてから割り箸を手に取る。

 俺はレンゲでスープを味わいつつ、隣を見る。そこにはなにやら目をキラキラさせて麺を頬張る妹の姿が。気に入ってくれようでなによりである。 

 その様子に安堵し、俺も麺に手を付けていく。うむ、美味なり。こんなラーメン屋も知っているし、比企谷兄妹は有能ぞろいだな。

 

 

 ───ふと、美加とは反対の隣……つまり俺の左側から、妙に甘ったるい声が聞こえてきた。

 

「あの~、先輩。あれって……」

 

 ふわふわな栗色の髪の毛に、大きい宝石のような瞳。どこまでも見覚えのある、サッカー部のマネージャー。

 

 

 やせいの いろはすが あらわれた!

 

 

「うわっ、あれってハチじゃねぇか?」

 

 その隣には見慣れた友人、比企谷八幡。二人とも私服で、店内の天井を見つめている。

 ……あっ、10.5巻だこれ。めちゃくちゃいろはす成分高めの番外編だぁ。

 なんだったかな、確かデートプランの予行練習? だか何だかで、ヒッキーをいろはすが連れまわす話だったような。

 

「ねっ、ねぇ、兄貴っ、ハチが飛んでるし、逃げよ……!」

 

 相変わらずかわいいなぁ、いろはす。あざとさと殊勝さとまっすぐさを兼ね備えた、完璧後輩。ヒッキー、この子を選ぶ選択肢も考えておいてくれると嬉しいぞ。この世界はもう俺ガイルの世界じゃないし、アナザールートを進んでくれても一向にかまわん。

 

「あっ、一色! そっち行ったぞ、逃げろ!」

「うわわぁっ、こっち来るな──あっ」

 

 

 

「……(。´・ω・)ん?」

 

 

 唐突に股間を襲う、灼熱の感覚。自分の下腹部を見ると、そこにはひっくり返ったラーメンの器が。

 右を見れば口に手を当ててプルプルしている美加。左を見れば真顔のヒッキーと、絶句しているいろはすが。

 

 そしてほんの一瞬訪れる静寂。その瞬間、体の異常を脳が冷静に感知する。

 

 

 

「───あ゛ぁ゛ぁ゛っ゛っ゛ぢぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ッッ!!!」

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 

 週明けの月曜日は、放課後になっても倦怠感が抜けきらない。サッカー部の練習も気合が入らないし、今日はもう帰ろうかな。

 そんな適当な気持ちで戸部とボールのパスをしていると、校庭の端っこから悲鳴が聞こえてきた。俺も戸部も、思わずそっちに関心が向く。

 

「なんだ?」

「おっ、おー……霜月くん、あれハチだべ!」

 

 校庭の端に見えるのは、サッカー部の女子マネたちの周囲をブンブン飛び回るハチと、逃げ回る阿鼻叫喚の彼女たちの姿だった。

 

 またかよ! なんなの、最近はハチブームか何か?

 一昨日は股間にいろはすのラーメン(意味深)ぶちまけられて大変だったんだぞ、あのハチ野郎……(殺意)

 

「おい戸部っ、あのハチ殺すぞ!」

 

 了解っしょ! と元気な戸部の返事を聞き、二人してコールドスプレーやら殺虫剤やらを武装して、ハチのもとへ駆け出した。

 

 逃げ回っている女子マネたちを追いかけるハチの前に立ちふさがり、武器を構えた。

 しかし……。

 

「こえぇー! 霜月くんあとは頼むわ!」

「あっ、コラ逃げんな!」

 

 すたこらさっさと逃げた戸部は見限り、改めて正面を向いてハチと向かい合う。

 ───なっ、なんだこのプレッシャーは……! くぅ、敵前逃亡した戸部の気持ちもわかるぜ……。ていうか俺も逃げてぇ。

 

 ブゥン、とこちらに飛んでくるハチ。じょっ、じょじょ上等じゃい! かかってこいコラ!

 

「このコールドスプレーで凍らせて──」

 

 右から攻めてきたハチに、コールドスプレーを大量噴射した。

 

 

 しかし、いつの間にかハチは俺の左にいた。

 これは──デビルバットゴースト!? 素早いステップで幻影を作り出し、相手を欺く伝説の技……だと……。

 

「アイシー〇ド21かテメェェ!!」

 

 喚く俺の横を通り過ぎるハチ。あくまで狙いは女子マネってわけか、このエロ野郎!

 ……エロ野郎ってなんか語呂よくね?

 

「きゃぁっ! 葉山先輩たすけてぇ!」

 

 ハチが目前に迫って葉山の名を叫ぶ女子マネこといろはす。何で目の前の俺じゃないんじゃい!

 あーもう、くだらないことを考えている暇はない!

 

「うぅっ、先輩……!」

「いろはすぅっ!!」(いまの先輩ってヒッキーのことだよね!? いろはすルート来たか! 勝った、第三部完ッ!)

 

 脳内ラブコメが全力でフル回転している俺は、いろはすを庇うようにハチに背中を向けた。

 その瞬間、後頭部に言い知れぬ違和感と激痛が。

 

 

 プスッ。

 

 

「───ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ッッあ゛ぁ゛ぁ゛っ゛っ゛!!!」

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 保健室のベッドで寝転がっている俺は、ぽけーっとアホみたいな顔で寝ていた。寝ているといっても姿勢のことで、目は開いたままだ。

 どうやら俺を刺したハチは大して毒性がなかったらしく、保健室で応急処置を受けた俺は少し安静にしているだけでいい、とのこと。

 

 それにしても暇だ。これならサッカーの練習してたほうがマシだったな。

 そんなことを考えながらボーっとしていると、ガラガラと保健室の戸が引かれた。誰かが来たみたいだ。

 ちょっとドキドキしていると、俺のベッドを覆っているカーテンが少し開かれた。そこから見えた人物の顔は、とても見慣れたもので。

 

「霜月先輩……だいじょぶですか……」

 

 心配そうな表情をしているのは、つい数十分前に俺が助けたいろはすだ。どうやら練習を切り上げたらしく、その服装は制服に変わっている。

 俺は上半身を起こし、軽く笑って見せて無事を伝えた。するといろはすはホッと胸をなでおろし、後ろ手に持っていた缶ジュースを手渡してくれた。これは……。

 

「なんでマッ缶?」

「何持ってけばいいか分からなくて、葉山先輩に聞いたら『霜月は昼休みいつも比企谷と一緒にマッ缶飲んでるよ☆』て言ってたので……」

「だからって病人にこれか……いやまぁ飲むけど。サンキュな」

 

 カシュっとプルタブを開け、缶の中にある非常識な甘さの液体を口に流し込んでいく。うむ、旨い。

 

「あの、霜月先輩……ありがとうございました」

「いいってことよ」

 

 なんだか遠慮がちに礼を言ういろはす。結局最後まで俺の名前は呼ばれなかったけど、ヒッキーへの好感度が垣間見れたから許すぞ。

 俺の平気そうな表情を見て、何を思ったのか、いろはすはベッドの横の椅子に腰かけた。

 特別何かを話すつもりも無いので、そのまま俺はマッ缶を味わう。

 

 

 数分後、ふといろはすから声がかかった。

 

「霜月先輩って、先輩と仲いいんですか?」

「その先輩って誰だよ」

 

 俺の意地悪な返事に、いろはすはムッとした表情で返す。ほっぺが膨らんでてかわいいね。

 いや、まぁ、分かってるけども。いろはすが名前を呼ばずに『先輩』とだけ呼ぶ人物なんて一人しか心当たりないしな。

 

「……比企谷とは友達だよ」

 

 観念して、溜息を吐きながらそう言った。いろはすは意外そうな顔をしていたが、別に嘘じゃないので訂正はしない。

 まぁヒッキー、俺以外にも戸塚とか材木座とか友達いるけどね。

 

「意外ですね、霜月先輩って友達いたんですか」

「おもて出ろお前」

「冗談ですよ~」

 

 にひひ、といたずらっぽい笑みを浮かべる女子マネ。ヒッキーじゃなくて俺の心配かよ、余計なお世話じゃいアホ。

 

 

 ……ていうか、一色いろはとまともに会話したの、今日が初めてじゃないか? なんだかんだラーメンの時はすぐに帰宅して、それ以前は論外。むしろ修学旅行前の時期なんか「原作通りに~」なんて考えて、自ら彼女を避けてたほど。今思うとアホみたいだな。

 てかそう考えると、最初から一色いろはに「からかうような接し方」をされるのって、めちゃくちゃ距離感おかしくないか? ほとんど話したことも無い先輩相手なんて、あのいろはすならすぐに会話を切り上げてすぐに退出しそうなものだが。

 

 一色いろはという少女は、興味の無い人間にはとことん興味がない人間だったはず。戸部との会話とか見てたら分かるぞ。猫すら被らずに、正面から「面倒くさい」オーラを出すような性格だ。

 生徒会長になって、意識を改めたのだろうか。彼女が生徒会長に就任した時期は、俺は病院のベッドの上で眠りこけていたので、意識の変化などはこの目で確認していないのだが……。

 

 ──あぁ、そうか、分かったぞ。

 

「最近比企谷とはどうなの、うまくやっていけそう?」

「……はっ?」

「あいつ結構面倒くさいから、もっと積極的でも大丈夫だぞ」

 

 俺の急な発言を聞いて、いろはすは一瞬呆然とした。

 そして脳内で言葉の意味を理解していくと同時に、みるみる耳が赤くなっていく。

 

「なななっ、なに言ってるんですか!」

「ちょろはすかわいい」

「私が可愛いのは当然ですよ! それより誰がチョロインですって!?」

 

 赤面して激高するいろはす。そこまで言ってないんだけどね。

 

 

 彼女が俺と距離感が近い理由。それは考えるまでもなく、比企谷八幡の影響だろう。あのヒッキー先輩の友達となれば、そいつがどんな人かはおのずと答えは出てくる。

 ありがとうヒッキー、可愛い後輩ができたよ。あといろはすルートに行け(豹変)

 

 

 ぷんぷんになってしまったいろはすは、もういいですと言って保健室から出ていった。帰り際に「……お大事に」と言ったのを、俺は聞き逃さなかった。おまえかわいいな!

 

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 

 数日後の放課後、俺はコンビニでお菓子やら飲み物やらを買い漁り、帰路に着いていた。明日は祝日なので、家でゴロゴロする用の贅沢セットを購入したのだ。美加の分もあるぞ!

 

「~♪」

 

 優雅に鼻歌を吹きながら歩く。少し前に保健室でいろはすとお話しできたので、気持ち的にかなり舞い上がっているのは事実だ。いやぁ、後輩がいるっていいですねぇ。自分に敬語で話してくれる女の子なんて、今までコンビニバイトの店員くらいしかいなかったからなぁ。

 

 

 ちょうど街中を過ぎた辺りで、見慣れた住宅街の景色が見えてきた。このまま少し先まで歩けば、近所の公園もある。

 ……あの公園、いろんな意味で思い出深いんだよな。

 めぐり先輩と初めて会話した場所だし、俺が彼女に弱みを見せた場所でもある。なんかいい思い出と忘れたい記憶が交互に存在しているので、あの公園は妙に思い出深いのだ。

 

 んー、ちょっと寄ってみるか。別に何かするわけでもないけど、帰り道に公園があったらとりあえず寄る、みたいな習性ない? 俺はある。心はまだまだ中二病なので、主にブランコに揺られながら物思いに耽るとかやりたい。

 

 

 ───あっ、あれ?

 

「ニャァ」

「ふふっ……にゃぁ~♪」

 

 こっ、公園でノラ猫と戯れている、あのほんわかオーラを纏った女子生徒は!

 ──やせいの めぐりんが あらわれた!

 

「……あれっ、霜月くん?」

 

 脳内でいつも通りくだらない事を考えていたら、めぐり先輩に存在を気づかれてしまった。優しそうに微笑んだ彼女は、こちらに軽く手を振っている。どうやら俺はジッと彼女を見たままだったらしい。公園の入り口で、コンビニ袋を引っ提げて、女子高生を眺める男。……おっと、通報は待ってくれたまえ。

 無視するのは論外だが、だからといって馴れ馴れしく挨拶するのも憚られる。とりあえず軽く会釈をしてから、俺はゆっくりとほんわか女子の方へ歩いて行った。

 

 俺が近づいてもノラ猫は逃げるそぶりを見せず、むしろ俺の靴に顔を擦りつけてくるくらい人懐っこい。こんなに距離感が近い猫ならば、めぐり先輩が(ほだ)されてしまうのも無理ないな。

 ……ていうか、めぐり先輩の家ってこっち方面じゃなかったような。

 

 俺も彼女と同じように膝を曲げて屈み、猫を軽く撫でながらそれとなくめぐり先輩に声をかけた。

 

「どうしたんですか、こんなところで。めぐり先輩の家って、この公園とは反対の方向ですよね?」

「えっとね、友達のおうちへ泊まりに来たんだ~。……えへへぇ、にゃぉ~♪」

 

 微笑んだまま猫を撫でるめぐり先輩。……先輩のご友人、やはり神だったか。再びその恩恵に肖るときが来るとはな……! 

 というか、可愛い。猫の真似をする先輩が宇宙破壊するレベルでかわいいんだけど、どうしたらいんだこれ。そろそろ俺の心臓止まるぞ。その心臓貰い受ける!

 

 しかし会話が途切れて気まずくなるのはダメだ。とりあえず俺から話題を振っていこう。

 

「てことは先輩、明日はお友達と遊ぶ予定なんですか」

 

 ……あれっ、なんか気持ち悪い質問になってんぞ? なっ、なんかこの質問キモくねぇ!? 泊まるってことはすなわち遊ぶってことも同義なのに、改めてそれを聞くって「俺とは遊んでくれないんですか?」みたいな意味に聞こえないか!? やべー!!(緊張で混乱しているため冷静な判断ができていない)

 

「んーん、明日も学校でお昼まで用事があってね。こっちの方が総武高に近いから、泊めてもらうの」

 

 猫を見ながら呟く先輩。どうやら質問を深読みされることは無かったようで安心だ。

 それにしても、明日も学校で何かしらやるなんて忙しいな。せっかくの休日なのだし、友達と遊ぶか家で休むかしたいだろうに。

 

「お疲れ様です、めぐり先輩」

「えぇ~、霜月くん、それ皮肉に聞こえるけど」

「え゛っ、あっ……すっ、すいません!」

 

 目を細めためぐり先輩に軽く肩を小突かれる。というより、ツンツンと触られているだけのような。

 やっ、やめてぇ! 思春期の男子に気安いボディタッチは……マ°っ! あぁ゛↑ッ!!(好きになる音)

 ……ちょっとおちつけけけ。取り敢えずだけど、こんな所で会えたのはとてつもない幸運だ。とにかく会話を続けて……なにかアピールしよう。いつまでも奥手じゃ、先輩に振り向いては貰えない。

 

 

「あのっ、困ったことがあったら手伝いを───」

 

 

 言いかけた瞬間、めぐり先輩の目の前を『ハチ』が通過した。

 その不快感を掻き立てる羽音を聞いためぐり先輩は吃驚して、思わず体勢を崩してしまい── 

 

「わっ、ハチっ! こっち来ないで──」

「うわっ──」

 

 

 まさしく神のいたずらか。

 こちらに倒れてきた先輩に押され、俺は仰向けの体勢で地面に寝転がってしまい……めぐり先輩は俺の上に覆いかぶさった。

 

 先輩の両手が俺の顔の真横に置かれ、下半身は完全に俺の身体の上に乗り、顔は野球ボール一個分もないほどの近距離。

 

「あっ……」

「……せっ、先輩……」

 

 お互いの息が当たるぐらい、呼吸が大きく聞こえるほどの、ほぼゼロ距離。もう一歩間違っていたら、彼女の顔は俺の顔面に覆いかぶさり、その唇も重なってしまっていたかもしれない……そんな風に思えてしまう程、彼女との距離は近すぎた。

 なんだか腰や胸辺りに柔らかい感触が当たってるし、目の前の宝石のような輝く瞳から目を離せない。

 

 

 気がつけば、不快感を煽るようなハチの羽音は聞こえなくなっており、俺たちの周囲は静寂が支配していた。

 近くの道路は車も通行人も通らず、近くにいたはずのノラ猫すら姿を消し───まるでこの世界に俺たち二人だけしかいないのでは、なんて思えてしまう程に、目の前の音しか聞こえない。

 トクン、トクンと、俺の上半身に当たっている彼女のシャツ越しの大きな胸から、俺と同じ……あるいはそれ以上に激しい心臓の鼓動を感じる。

 お互いの眼と眼が合い、相手の少し火照った頬から視線を逸らせない。瞬きすらできず、息と息が交差する。

 

「──」

 

 まるで時間が止まったかのような錯覚に陥る。お互い何も言葉にできず、また思考すらも止まっているのか、ただ目の前の瞳を見続けている。

 

 

 

 

 

「──ッ!」

 

 一体どれほどそうしていたのか。一分か、十秒か。

 気がついた時には、顔を真っ赤にしためぐり先輩は俺の上から離れ、二人して立ち上がった後に顔を反らした。

 何とも言えない気まずさと羞恥心がせめぎ合い、お互い相手にどんな声をかければいいのかが分からない。

 

 ……それでも俺は男なので、やっぱりここは俺から!

 

「あのっ、先輩」

「わっ、忘れて! ごめんねっ、変なの押し付けちゃって……! あのっ、ふっ、不可抗力だから!」

「こっこ、こちらこそすいません!」

 

 とにかく相手に謝り倒す両者。普通に考えて元凶はあのハチなのだし、お互い罪は無いはずなのだが、なんというか、謝りたかった。というか、言うべき言葉がそれしか見つからない。

 

 

 

 ──数分後。ほんの少しは落ち着いたので、いまは二人でベンチに座っている。

 真っ赤だった肌はまだ少し熱いが、頭はそれとなく冷静だ。

 とりあえず会話を持ち直して、ハチが来る前に俺の言いかけていた言葉を告げる。

 

「あのっ、なにか手伝えることとか……ありませんか」

「……うーん、明日は個人的な用事だから、特に無いかなっ」

 

 あまりにも笑顔であっけらかんと言い放つめぐり先輩に、思わず苦笑いしてしまう。なんつーか、容赦ない……。

 

 いやまぁ、出来る事が無いなら、でしゃばるのは良くないって分かってるけども。

 だけど、めぐり先輩は三年生だし、そろそろ自由登校の時期になる。そうなれば、高校で会う機会なんてほとんど無くなるだろう。

 奉仕部が開催するバレンタインのイベントで、姿を確認することはできた。でもこの世界で同じようになるとは限らないし、そもそもそのタイミングしか会えないなんて、いくらなんでもチャンスが少なすぎる。

 

 ……めぐり先輩にアピールする時間が、圧倒的に足りない。せっかく振り向いてもらえるような機会を彼女から貰えたのに、このままじゃ意味が無い。

 どうすりゃいい。もういっそのこと、思い切ってデートにでも誘ってみるか? いや段階飛ばしすぎだな。もっと距離感を縮めてからじゃないと、普通に断られちまう。

 えぇっと……何かないか。

 

 ──あっ、明日の用事は確か午前中で終わるって、先輩は言ってた。そのあとの時間が暇なら……こう、何かできるんじゃないか?

 

 思いついたように顔を上げて、期待の眼差しでめぐり先輩の方を向いた。

 

「先輩っ、明日のお昼過ぎとか──」

「そういえば明日ってお昼から雨らしいね!」

「………そっ、そうっすね……」

 

 俺の瞳から光が消えた。ははは……なんて乾いた笑いが口から漏れて出ていく。

 終わったぁぁ!! はいっ、終わりぃぃぃ!! 一発KOッ! カンカンカン!(ゴングの鳴る音)

 

(もっ、もう潔く諦めよう……)

 

 心にケリがついてしまった俺は、ゆっくりと立ち上がった。これ以上この場に留まっても辛いだけである。もう会話は切り上げて、めぐり先輩をお友達の家まで送り届けたら、帰ろう。

 

 

 先輩の方を向いた。そろそろ帰りましょう、そう言おうとして───制服の袖を、軽く引っ張られた。

 何事かと思ったら……先輩が、なんというか、目を細めていたずらっぽい笑みを浮かべて俺を見上げている。なっ、なんだ……?

 

「そういえば明日って、お昼から雨がふるらしいね」

「……へっ? えっ、えっと、それは、さっき……」

 

「あぁー、私ってうっかりさんだからなぁー。もしかしたらぁ───カサ、忘れちゃうかもなぁー」

 

 わざとらしく大袈裟に告げたあと、ベンチに座ったまま、その蠱惑的な眼差しでチラッと俺を見つめる先輩。

 そんな彼女の行動に狼狽してしまい、俺は何も言うことが出来ない。何を言えばいいか分からない。

 なんだっ、どっ、どういうことだ!? これは、これは何だ!?

 

「せっ、先輩っ、それってどういう」

「………聞いちゃうの?」

「──ッ!」

 

 その、まるで挑発するかのような瞳は、俺の言葉を塞き止めた。口角を少しだけ上げ、怪しげに微笑んでいる。

 一種の妖艶さを感じるその笑みを見て、後ずさりそうになった足を踏ん張って止めた。

 

 

 これって、もしかしなくても──またチャンスを与えてくれているのか。

 明日は雨がふるけれど、カサを忘れるかもしれない。その言葉から想像できる、俺の言うべき言葉を、彼女は知ってて待っている。

 いや、むしろ言わされようとしているのか。この状況、もはや自分に他の選択肢なんてない。目の前の小悪魔は、完全に俺の退路を断ってしまったのだ。

 

 ……なっ、なんか掌の上で転がされているように感じるな!?  

 めぐり先輩は、あえて俺から誘う形で事を運ぼうとしている。それは彼女の優しさか、それとも……。

 いやっ、迷ってる暇なんてないだろ。どんな形であれ、これは俺にとって絶好の機会だ。

 言ってやるさ、先輩が言わせようとしている言葉を。……その上で、明日は先輩の予想を上回る行動をしてやる。負けたままじゃいられねぇからな!

 

 

「あのっ、お昼頃! 俺がカサを持って先輩を迎えに行きます!」

「本当? やったぁ、霜月くんは優しいなぁ~」

 

 えへへ、なんて笑いながら、俺の手を借りてベンチから立ち上がる先輩。まるでエスコートをしているかのようだ。

 

 

(……ふっふっふ、めぐりん先輩、今のうちに余裕ぶっているがいい! 明日の俺は、あなたの予想を上回る立ち回りをして見せましょう! そしてあっという間に……惚れさせてやるぜッ!!)

 

 今世紀最大のやる気に満ち溢れた俺の内心を知ってか知らずか、彼女はやさしく微笑んだ。せいぜい頑張りな……そういう意味だろうか。

 心の中では既に明日の予定を組み始めている。まだ完全に決まりはしないが、きっと先輩の想像を遥かに超える行動をしてやる。

 

 

 

 

 そんなふうに意気込んでいたら、いつのまにかめぐり先輩は俺の耳元に顔を近づけていて

 

 

 

 

「明日の夜、私の家(ウチ)───誰もいないんだけど」

 

 

 

 

 

 小さな声で、そう囁いた

 

 

 

 

 

 

 

 ───??????????????

 

 

 

 

 

 

 

 それだけ言い残し、めぐり先輩は「またねっ♪」と手を振りながら公園を小走りで去っていった。

 その場に残されたのは、哀れにも最後までほんわか小悪魔に弄ばれていた少年のみ。

 

 

「………………うぅっ、すっ、すきっ……」

 

 

 頭の中を支配した思考が、口から簡単に漏れ出る。リンゴのように赤くなった自分の顔を両手で覆い隠して、その場にうずくまった。

 惚れさせるなんて、夢のまた夢。逆に自分が惚れさせられてしまった。

 俺が彼女に勝てる日は、果たして訪れるのだろうか。 

 

 たぶん無理なんだろうな、なんて思いつつ、頭の中で散らばってしまった明日のプランを組み直すのだった。

 

 

 

 

 




ハチ「また俺なにかやっちゃいました?」

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。