燃え盛る炎と強い風の中、私は紫音おじさんの姿を捜す。黒くて熱い空気が、四方八方から吹き付けた。
足元には、木材や瓦礫や死体が広がっている。それはまさに、地獄絵図と呼ぶに相応しい光景だった。
この惨劇の元凶である精霊-エスプリ-は、今も逃亡中らしい。
今まで、小さな事件ならあったけれど、こんな大災害が起きるなんて、考えもしなかった。
『彼等』が早く解決してくれるといいのだが。
いや、「早く」など、もう使って良い言葉ではない。こんなに死者、負傷者が出ているのだ。その言葉を使うには、遅すぎる。
汗のせいで視界が滲む。およそ冬の夜には合わないこの灼熱の嵐の中、私はさまよい続ける。
一体おじさんは何処にいるのだろう。自分で言うのもなんだが、あの人は凄く私を大切にしてくれて、例えばこんな時、真っ先に私の身を案じてくれる筈なのだけれど。
暑さのせいで頭がぼんやりとしてくる。彼を探し、自分も助かることにだけ集中したいのに。
母の兄であるおじさんは、私が産まれる前に亡くなったという父と、私を産むときに亡くなったという母の代わりに、私を育ててくれた。
だから、探さなくては。こんなところでおじさんを死なせてしまってはいけない。
熱い熱い、と叫ぶ人の声がするが、それはおじさんのものではなかったので、聞こえないふりをする。必死でもがき瓦礫の下から脱しようとする手があるが、おじさんのものではなかったので、見ないふりをする。救おうとすれば、自らも危険にさらされてしまう。
これほどの規模の被害をもたらすなんて、今回出現したのは、よっぽど強力な精霊なのだろう。
自分かわいさに誰も救えないのが憎らしかった。何かを護る為に自分自身を捨てることなんて、私にはできなかった。
おじさんなら、どうだろう。おじさんの為に私は、果たして自分を捧げられるだろうか?もちろんだ、と答えたいところだが、やはり私は迷っている。おじさんと私、二人の心臓を天秤にかけた時、どちらに傾くんだろう。
突然、顔の皮膚が焼けるような感覚を味わい、前を向く。
少し先に、オレンジ色の塊と、見間違いようのないデザインの制服を着た男が立っているのが見えた。きっとあれが『彼等』の一員だ。
私は彼におじさんの捜索を頼もうと駆け寄る。
そして私は、二つの重大な事実に気付く。
一つは、先程から見えていたオレンジ色の塊は、狐の尻尾だったということ。ただの狐ではない。体長は人のそれを倍近く超え、黒い体毛に身を包んでいる。そして、その尻尾はこの世全てを焼き尽くしそうな程に燃え盛る業火であったのだ。
もう一つは、私が助けを求め近づいていった彼、『霊能警察』の一員の正体だ。
「危ないから下がって!」と言って私の方を振り向いた彼は、
「紫音おじさん……?」
「紅里!?」
私の探す彼その人だったのだ。
「早く逃げるんだ!出来るだけ遠くへ!」
「でもおじさんは……!」
「いいんだよ!これが僕の、仕事なんだから」
「でも今までそんな……」
普通に会社で働いてた筈じゃ……。
「今回は特別だ。状況がひどすぎる!」
目の前の黒狐が尾を振るたびに、大きな火の粉が飛び散る。幸い、周りに他の人達はいない。
「『あの時』以来だな。こうして闘うのも」
そう言っておじさんはふっと笑う。おじさんが警察の制服を着ていることに違和感を感じつつも、私は不思議と素直にその事実を受け入れていた。
そして、狐が体を大きく震わせた。すると尾の炎はさらに強さを増し、狐はこちらに向かって翔けてくる。
「うわぁぁ!!」
「危ない!!」
おじさんが私を押し倒し、飛び掛る火の粉から私を庇った。
「おじさん!」
黒狐の勢いは止まらない。おじさんめがけて物凄いスピードで迫る。しかし、その姿は何故か私の目にはしっかりと捉えられた。また、ガラガラと家屋が崩れ落ちる音も、ゆっくりと聞こえた。
そして、私はその変化もしっかりと目に焼き付けていた。
おじさんの両腕が、急に巨大化したのだ。否、ただ大きくなっただけではない。その手は最早もう人間のそれではなかった。紫色に輝き、紋様の刻まれた腕は鬼のように大きく、手の先に7本の指を有していた。
しかしそれでも、猛進する狐をそこに留めるのが精一杯なようで、彼の腕も体も徐々に炎により焦がされていく。その火の勢いは、ますます激しくなる。
「くっ……!」
「おじさん、逃げようよ!」
「駄目だ!僕が逃げたら更に被害が広がる!もう手遅れかもしれないけど、まだ救える命がある可能性だってある!」
いいじゃん、自分だけ助かってしまえば。他の人なんて気にすることないのに。と、そう言いたいのに、私は言えなかった。
「それに僕は『二人に』約束したんだ」
君を守るって、とそう言った後で、おじさんは咆哮を上げた。
彼の腕の紫が強みを増す。狐が苦しそうに暴れる。私の眼前のおじさんは、さらに火傷を負う。
「……!!」
私は言葉にならない悲鳴を上げた。狐の炎が、ほとんど爆発に近い勢いで広がり、おじさんの全身を包んだ。
彼は、化物のような腕で狐を殴り飛ばしたが、それと同時に彼もまた狐に薙ぎ払われ、数メートル先へ吹っ飛んだ。
メラメラという音がやけに大きく聞こえる中、私は叫びながら、おじさんのもとへ駆け寄った。
「おじさん!」
まだ、狐が立ち上がり向かって来る気配はない。今のうちに逃げなければ。
おじさんは、黒く焦げてしまった顔を歪ませ言った。
「僕はもう無理みたいだ。だから君だけでも逃げて……」
「でも……」
彼の腕は既に人間のものに戻っていて、右腕には崩れた木片が突き刺さっていた。
彼は続ける。
「もうすぐなんだ。もうすぐきっと……」
「待たせた」
私の背後から、男の声がした。彼は長身で、おじさんと同じ精霊警察の制服を着ていた。
「そろそろだと思っていた。本当に『随分長く』待たされた」
おじさんは、男に微笑んだ。対して男は、ニコリともしない。
「その火傷ではもう……」
「ああ、頼むよ……。アオイ」
アオイと呼ばれた男は、腰に差していた刀を抜く。
「紅里」
おじさんは、私に呼びかける。
「自分の信じるものを守り抜け。お前ならきっとやれる」
私は無我夢中で頷いて、袖で涙を拭う。
「アオイ、次は『お前の番』だぞ」
男は、おじさんの首へ刀を振り落とした。鮮血が飛び散り、私の頬を濡らす。
救えなかった。
そして、私は生き残った。
私は黒く赤い遺体を見つめる。
不意に、爆発音がして、橙の火花が大きく広がった。どうやら黒狐が息を吹き返したらしい。
「アオイ……さん?」
業火の方を見つめていた男は振り向いた。
「死なないで、ください」
彼は無言で頷き、再び狐へ向きなおる。
そして言った。
「死ねない。約束があるから」
アオイさんは、おじさんの首を断ったその刀を構える。
業火をまとった狐が翔ける。これまでとは桁違いの炎とスピードだ。
アオイさんの持つその刃が、青く輝いた。その青は、今までに見た何よりも、鮮やかで、美しく、残忍だった。
次の瞬間、狐は斬られ、倒れていた。
何が起きたか知る暇もなく、まるで時を飛ばしたかのように、静かに決着が着いた。刃の青い輝きは、もうすっかり消えてしまっていた。
アオイさんは、私の方へ歩いてきて、こう言った。
「僕のところに来い。紫音からの頼まれ事だ」
私はおじさんの亡骸を撫でる。彼の最後の言葉を心の中で反芻する。
「アオイさん、私を精霊警察に入れてください」
彼は少し面食らったような顔をしたが、すぐに真面目な顔になって、
「厳しいぞ」と言った。
私は立ち上がり、未だ燃え盛る炎の中を、歩き出した。