school live! ~ようせい~ 作:どっかのだれか
しかしわたしの願いは叶わず、明日は過酷で壮絶な一日となるのでした。
「ふう……」
まだ明日は来てませんけれど。でもそんな予感がしてなりません。
色々と考えることもありますし、普段わたしが就寝するには早い時間帯なので、わたしはこっそり床から起きて学校内をふらふらと歩いていました。
周りにはおじいさんもめぐみさんもおらず、わたし一人だけが取り残された気分。昔は一人ぼっちが嫌なくせに孤独で良いと意地を張ってましたけれど、今は素直にほっとします。わたしの数少ない成長したところの一つでしょうか。
「いいつきよですな」
……まあ、この方達の存在も原因にあるんでしょうけれど。
「こんばんは、妖精さん」
「こんばんわー」
傍にいるだけで安心と信頼と期待と不安と恐怖と諦観とを分け隔てなく与えてくれる妖精さん。考えるものの一つとして、もちろん妖精さんのことがあります。
今回は異例の事件……おほん。
今回は異例の事象なので、特に妖精さんの存在がポイントになります。基本的にわたしではどうにもならない事態なので、終始妖精さんに頼ることになるでしょう。ですがここは人様のテリトリーなのですから、羽目を外してお菓子の国の出来上がり~なんてのは許されないことです。妖精さんに対してはします、させます、させませんの心構えで挑む所存。
「今はお一人だけなんですね」
「いっぴきおおかみってはんじゅくたまご?」
「ハードボイルドの間違いでしょうか?」
「うまくはしゃげないはんぱものー」
「はしゃがないで下さい」
しかしおかしいですね。妖精さんは大体こんな素敵な夜にはこそこそ働いてそうなんですが。周囲に彼らの気配はなく、本当に一人でいるように思えます。
「大人しい。逆に怪しいですね」
「ぼくたちうたがわれてる~」
「どうして一人なんですか? 大体一人見たら百人はいるはずなのですが」
比喩ではありません。本来、妖精さんが目の前で十人増えれば、その水面下で数百人程度は動いています。見えている範囲を抑えても、動き出した妖精さんは止められません。なのに今は不活性状態。
暴れられるのも困りますが、大人しすぎても困るのです。その原因は?
「あるといえばばぐとかもろもろありますが、あらぬといえばえむぴーがありませぬで」
「バグ? いやそれよりも、エムピーですって?」
「まじっくぽいんと? まじっくぱわー?」
それってゲームとかに出てきたあれですよね。確か魔法とかを使うパワー的な何かだったはず。でもそんなものが空気中に漂ってるわけありませんし、わたしの時代にもないは、ず?
……魔法の力? それって”わたしたち”が投げ捨てたものですよね?
「そう言えば、わたしって種としては絶滅危惧種に相当するのでは?」
「きちょーなさんぷる、ほるまりんづけー」
「きっとあなた達の方が貴重なサンプルだと思いますよ」
「ひえー」
そう、”わたしたち”の種はこの時代の人類とは違うわけです。妖精さんは”わたしたち”の産物。わたしがここに来たから妖精さんも来たわけで。
ってことはつまり、わたしが元の時代へ帰ったあと、この時代には妖精さんが存在しなくなると言うこと? じゃあ妖精さんの力が乱用されて歴史改変なんてこともなくなる? となればわたしの心配事も無くなります?
……かちげーでは?
「にんげんさーん?」
「……ねえ妖精さん。楽しいこと、しません?」
きらりと、妖精さんの目が光ります。
「そのはなし、いちまいかんでも?」
「もちろん」
むしろ何枚でも噛んでください。妖精さんの力さえれば怖いものなしです。ここを生活するにあたって、普段と変わらぬ文化的生活レベルを獲得すれば、わたしも生徒四人もハッピーです。なんて素晴らしいアイデア。やはりわたしは天才か。
「まずは物資の供給です。食べ物飲み物作っちゃってください。報酬はドーナツ一山」
「おおー!」「これは!」「ゆうりょうぶっけん!」
「次にライフライン。水道ガス電気その他諸々整備してください。報酬はケーキ1ホール」
「ひゃー!」「なんとー!」「ほわいとなしょくば!」「おどろきのしろさ!」
「そして警備。外の感染者が入れないような要塞にしてください。報酬はビスケット山盛り」
「きゃー!」「わあー!」「すてきー!」「ふとっぱらー!」「いっしょうついてくー!」
「おまけに何もかんも素敵仕様にして、明日は優雅な紅茶タイムにしましょう!」
「ふぁー!」「うひゃー!」「かった!」「こぼれそうなおかしのやま!」「ここがてんごくです?」「にんげんさまはかみさまー!」「おこえかかったー!」「ひとはたひとはたー!」
これだけ発破をかければ良いでしょう。やりすぎかも知れませんが、こんな世界にはやりすぎが丁度いいくらいです。
「はたらかざるものくうべからず」「おこぼれにあずかるです?」「おこぼれをかじっていきてく」「かじるためにはたらくー」「ほんまつてんとうでは?」「しごととおかし、どっちのため?」「しごとをするとおかしがもらえます」「なんというほわいとなしょくば!」「それてんどん」「ありゃ」「こんなにぜいたくでいいのかしらん?」
よしよし。順調に増殖していってますね。やっぱり妖精さんは頼りになります。ことこんな暗い所では妖精さんが最終手段かつご都合手段ですから、どんどん増やしてどんどん使ってどんどん楽しくして行きましょう!
「やめんか馬鹿者」
「うわーっ!」「ひゃーっ!」「ぴーっ!」「にゃーっ!」「みゃーっ!」「きゃー!」
ちなみに最後の悲鳴はわたしのものです。目の前におじいさんの幽霊が。ひえっ。
おじいさんは現れると同時に強く手を打ち、妖精さんたちを全て丸めてしまいました。ああ、なんてことを。これでは妖精さんが動けないじゃないですか。
「ああ、夢のマイカントリーが」
「なにが自分の国だ。お前は帰りたいのだろう。むやみやたらに充実させてどうする」
「そりゃあ帰るまでの拠点にするんですよ」
「お前は堕落するからな。下手に満足させるといけない」
わたしが堕落するのは確定なようです。堕落して何が悪いんですか。いや悪いけれど。
「とにかく、そう安易に妖精さんに頼るな」
「そんなあんまりな」
「世界に満足したら帰る方法が見つからなくなるのでな。ありがたく受け取って考えなさい」
「むう」
小さな親切大きなお世話。そもそも親切で助言してくれているとも思えませんが。
けれどそこまで言われては仕方ありません。もう少しゆっくり考えてみることにしましょう。幸い、ここでの暮らしはそこまで不便ではありませんからね。
「……不便じゃないと思っているから、まだ分からないのだろうが」
なんかおじいさんが勝手に心を読んで呟いた気がしますが、わたしはおじいさんからの新たな情報を頼りに思考考察考案を開始していて、それを聞き取ることが出来ませんでした。
とりあえず今は眠たくありませんから、徹夜する勢いで考えを巡らせてみましょう。人は考える葦らしいですから、わたしたちもそれに倣わねば。
…………。
「先生。朝ですよ」
「朝」
朝とな? ついさっき情報分析を行っていたはずなのに。と思って外を見れば明るい。この時代の月は明るいんですねー。
目に焼きつく光線! 灼熱の熱線! 肌に痛い紫外線! まるで太陽みたい!
太陽でした。
「寝落ちとは不覚……」
「ほら、朝ごはんできてますよ」
それは楽しみです。昨晩のごはんはとても美味しかったですから、きっと今朝のごはんも美味しいのでしょう。これから始まる至福の時を思い、ひとまず思考を放棄して、わたしは起こしてくれたみきさんの後ろをついていきました。
(・ワ・)
もっさもっさ。もっさもっさ。
「乾パン美味しいですねー」
「つっても、毎日食べてるからそこまで新鮮味はないけどな」
「そうなんですかー」
「乾パンや缶詰はまだ余裕がありますからね」
だから毎朝乾パンなんですね。あははうふふ。ふう。
これは食事とは言いません。おやつです。それも適当に摘まむ感じのおつまみです。昨日の食べ物は保存性に優れていたから食べることのできたもの。普段はこうして乾パンや缶詰と言った保存食が主食だそうです。
正直、避難生活と言うものを舐めていました。今までは配給や支援の物資が運ばれてきていたため、クスノキの里では飢えと言うものがほぼありませんでした。遺跡調査の時にひもじさは経験しましたが、それも今は昔。物が足りないとはこう言うこと。物質文明の哀れな末路とはよく言ったものです。
しかしながら、子供が文句も言わずに食べているのに、わたしが駄々を捏ねるわけにもいきません。肉なし具なし食料なしはもうすでに通った道。これくらいは耐えられる範疇です。むしろ三食寝床付きなんてかなり良い職場なのでは……なんて考え出したら立派な社会の歯車です。文献では社蓄とも言いますね。わたしの職場って真っ黒。
「りーさんお水ちょーだい」
「あ、私もー」
「はいはい。先生はどうします?」
「ではお願いします」
しかしながら、これが普通と言うのも考え物です。やはり妖精さんに……おじいさんが駄目って言うんでしたっけ。なんで駄目なんでしょう? 食料問題を解決するだけでも、現状のどうしようもなさは薄れると思うのですが。
「ごちそうさま」
とにもかくにも、わたしたちは朝食と言う軽食を終え、日々の身の振り方をなぞります。ゆきさんは授業。くるみ、ゆうりさん、みきさんの三人は後から各設備の点検及び手入れ。わたしは先生なので、ゆきさんと三人の間を行ったり来たりします。
「じゃあ、いってくるねー!」
「いってらー」
「いってらっしゃい」
「気をつけて下さいよ」
「また後でね」
「うむ」
ゆきさんは騒がしく部屋を出て行きました。それを見送った五人は……って、めぐみさんとおじいさん。いつの間に。幽霊らしく消えたり現れたり自由自在ですね。
さあわたしも行動を開始しましょう。ところで何をすればいいの?
「わたしは具体的にどうすればいいのでしょう?」
「私達のお手伝いと、ゆきちゃんの授業をお願いします」
「授業のタイミングは私が指示しますが、教える内容はそちらにお任せします」
ふむ。授業はそこまで頻繁にはないでしょうから、基本的には手伝いがメインになりそうですね。でもちょっとまって。わたしはお手伝いできますが、おじいさんは実体が無いので出来ませんよね。これっておじいさんだけ暇人になるのでは?
その辺りをおじいさんに訊ねてみたところ。
「そうなるな」
と真顔で返されました。え?
「私は本来居ない者だ。未来ある者の邪魔をするわけにはいかんだろう」
あれぇ? 昨晩わたしの邪魔をしてましたよねぇ?
「そもそも見えなければ何も出来ない。実に残念だが仕方が無い」
「あ、おじいさんは丈槍さんの授業の方に専念して頂けるとありがたいです」
「……何時間も同じ授業をするのは如何なものかと思うのだが」
「その辺は丈槍さんが融通を利かせてくれますので大丈夫ですよ」
「……そうか」
めぐみさんの言葉に、おじいさんはすぐに沈黙しました。
ねえめぐみさん。調停官と言う職業に興味はありませんか? 今なら無茶苦茶を言う老人を止めるだけで三食昼寝付きですよ。是非。
それにしても、ゆきさんはやはり何処かで現実を認識しているようですね。めぐみさんを介さずとも、学校の時間でもないのに空気を察して部屋を出たり、同じ授業が続くことに疑問を持たなかったり。その辺の矛盾を突けば簡単にボロが出るでしょうが、そこを敢えて訊ねるような空気の読めない人はここにはいません。
……一番安定しているのはゆきさんかも。あとで菓子折りもってお近づきになっとこ。なにせ爆発しない癒し成分は貴重なものですからね。
さて。今日も元気に明るく見せて、一日頑張ってみましょうか。
(・ワ・)
「上の方、固定しましたよ」
「おーありがと、やっぱり背が高いっていいなー」
最初のお手伝いはバリケードの補強です。机や椅子を組み合わせて、ちょっとやそっとじゃ崩れないように固定。縛るのに使うのは有刺鉄線なので、時々チクチクと刺さって痛いです。
なお、バリケードの補強は主にわたしが担当して、その間くるみは周囲の見回りだとか。普通は役割逆じゃないですか?
「お申し付けの通り、上の一箇所は通れるように空けときましたよ」
「おう、ご苦労様」
「でもなんで上の方を空けておくのです?」
「主に私が向こうへ行くために。一回渡る度にバリケードを崩すのは危ないからな」
ちなみに、空けた部分はわたしが手を伸ばして漸く届く所にあります。わたしが上って向こう側へ渡るには時間が掛かりますが、くるみはひょいひょいと机を踏み台にして渡れるようです。体力と運動神経には自身が有るのだとか。やっぱり役割逆じゃないですかね?
「……と言いますか、なんであなたが通れるようにしたの?」
「ん? そりゃ、向こう側に用事がある時に必要だからな。いる物を取ってきたり、それと」
くるみの言葉を遮るように、呻き声が聞こえました。
「……こんな時とかに通るんだよ」
「……おやまあ」
ここにも出てくるんですね。”彼ら”。
数は1。数え方は人? 体? 匹? まあなんでもいいですが。ふらふらと覚束無い足取りで、こっちに視線を向けてきます。目と目が合ったので軽く会釈。するとその歩みはこちらへ向いてしまいました。や、別に挨拶のためにこっちに来なくてもいいですよ。
しっかし何回見ても酷い身体だなーと思っていると、くるみがシャベルを背負ってバリケードを上っているではありませんか。あのシャベル結構重かったはずなんですが。
「先生は見ててくれよな」
「言われずとも」
「うーん、教師としてその返答はどうなんだろ」
ぶつくさいいながらも慣れた様子でバリケードの上へ。流れるようなその作業は日常茶飯事であることの裏返し。ならばわたしが止めるようなことじゃありません。
くるみはそのままポケットからピンポン玉なるボールを取り出し、緩く投げます。しかし軽い玉は簡単に”彼”を越え、接地と同時に廊下に音を響かせました。”彼”はその音に気を取られ、目を逸らし、玉を見て、足を動かし……
「お休みなさい」
くるみが着地して、シャベルを振るうには十分な時間でした。
その切っ先は空気を切るように鋭く、面で叩くと言う慈悲もなく、狙いは違わず首へ。緩慢な動きしか出来ない”彼”に避けられるはずもなく、シャベルは吸い込まれるように首を……
ここから先は見ません。わざわざ不快になることも無いでしょう。
一仕事終えたくるみさんは、そのまま”彼”を近くの教室へ運んでいきました。いずれ焼却とかするんでしょうか。そのお手伝いは嫌だなあ。
「よっと、ただいま」
「あ、お帰りなさい」
戻ってきたくるみの体に血の跡はありません。返り血が凄かった気がしましたが、それを浴びないように上手く立ち回っていたのでしょう。ただ、仕事に使った獲物はそう言うわけにもいかず、持っているシャベルは赤黒い色に染まっています。
くるみはわたしと目が合うと、ぽりぽりと頬を掻き、ちょっと目を逸らしました。
「あー、ちょっと引いた?」
「ちょっとどころじゃなく、かなり引きました」
「だよなー……」
たははと笑うくるみの笑顔は、けれどどこか陰のあるものでした。原因はわたしの心無い言葉のせい? 仕方ないじゃないですか。引いたのは事実ですし。
「さすがにシャベル振り回して叩き潰すのはちょっとキツイです」
「そう、だよね……」
「わたしも生身の人間相手にショットガンを放ったくらいしか経験がありません」
「……いやいや待て!? どんな状況!? そっちの方が引くよな!?」
「あの時は我を忘れていましたから。若気の至りと言う奴です」
「どんだけ世紀末な子供時代を送ってたんだ!?」
「失礼なことを言われたので、ついカッとなって」
「動機が結構くだらねえ!?」
「あ、でも大丈夫です。ちゃんと相手に当たらないように狙って撃ちましたから」
「それショットガンだよな!?」
鬱から一気に躁へ。ゆきさんに負けず劣らず煩い子ですねえ。
一気に叫んだくるみは、深呼吸をしたあとでため息を吐きました。その呼吸って二度手間では?
「……ありがと」
「なんのことです?」
「先生の冗談のおかげで、少しは気が楽になったからさ」
冗談ではないのですが。まあ訂正しなくても良いでしょう。
「教師は生徒の心理的負担を軽減する義務があるそうです」
「そこは当然の事をしたまでですって言って欲しかったなー」
「そんな誤解を招くようなことは言いません。それにあなたは十分強いでしょうに」
「……あたしが強い、か。ならいいや」
ああ、これは覚悟を決めた人の顔です。苦情不可避の仕事を強制された時のわたしの表情に近い。さっきの言葉は訂正。これは強いように見せてるだけですね。
考えてみれば、わずか一年足らずで同じ学校の生徒を処理できると言うのは異常なことでした。例え意思疎通が出来ずとも、人の姿をしているってだけで、傷を負わせる時の心理的負担と言うのは計り知れない。そんな行動を慣れるまで続けているくるみは、もうとっくに越えてはいけない線を踏み越えたのでしょうね。
その最後の線は、一体何だったのか。それは恐らく”彼ら”を処理することを厭わなくなるような出来事。この中で戦闘が可能なのはくるみだけ。くるみだけが味わった経験……家族か友人でも死んだのでしょうか。
止めとこ。これ以上は聞かなければ分かりません。考えても暗くなるばかりです。
「さ、次の場所に向かおうぜ」
「そうですね。でもそのシャベルはどうするんです?」
「仕事が終わったら洗い流してくるよ」
血は洗い流せても、シャベルの重みは洗い流せない。とか考えてそうな表情ですね。
あのシャベルも本来は土を掘るための道具。そしてこの少女も本来は生意気に遊び呆けている年齢。でもそんな常識は周囲の全てが歪めてしまう。嫌ですね。そこは気付かれずにゆっくりと歪めるべきでしょうに。
結論。くるみがシャベルを振り回すのも、わたしがちょっと腹黒いのも、全て世界が悪い。
(・ワ・)
無事に補強作業が終わり、くるみのシャベルを洗い流したところで別れて、そのまま屋上へ行きます。屋上ではゆうりさんが菜園を管理しているそうなので、それはそれでお手伝いが必要とか。先ほどまでの力仕事よりは楽でいいのですが。
「あ、先生。バリケードの方は大丈夫でしたか?」
「素人目で見るなら大丈夫だと思いますよ」
「そうですか……あれ、くるみは?」
「くるみなら水洗場で別れてそのままです。部室とかじゃないですかね?」
「水洗場……あの子、また一人で行動したのね……」
憂鬱そうにため息を溢し、こちらに非難の目を向けてくるゆうりさん……あれっ、なんでわたしにそんな目を向けるんです?
「先生が傍にいたなら、止めてくれても良かったのに」
「そりゃあ無茶ですよ。わたしはあれが普通のことだと思ってたのですから」
「まさか、そんな危険なことが普通なわけありません」
「今の状況では普通でしょう。あなたたちは、もう異常のラインを踏み越えてしまっている」
「そんなことありません! 私たちは……!」
その先の言葉を、ゆうりさんは口にしませんでした。きっとその先の言葉は、今のこの環境ではあまりにふざけた物言いだと気付いたからでしょう。
わたしたちは、普通の少女だ―――言おうとした言葉はこんなところでしょうかね。けれど今は普通ではいけない。この先生き残るには、皆さんが言った通り、日常では触れられない様々なことを経験する必要があります。そしてこの環境にいち早く適応した例が、くるみであり、ゆきさんであり。そしてみきさんとゆうりさんも少しずつ慣れていくのでしょう。
さっきは半分冗談でしたが、世界が悪いと言うのは結構核心を突いたのかも。
「状況的には普通のことでも、感情的には異常ですか」
「……私たちはまだ、普通でいたい。日常が終わったんだと認めたくない」
「普通の少女が生きていくには、この世界は厳しいですよ」
「それでも、こんな理不尽な出来事に、私たちの全てが壊されるのは嫌なんです」
毅然に振舞うゆうりさんを、強いと言うべきか脆いと言うべきか迷います。この子はまだ現状を受け入れていない。受け止めたままどうするべきか分からないでいる様子。
ゆうりさんはきっと、こんな事態にした世界全てを恨んでいるのでしょうね。
「すいませんね。少し言い過ぎました」
「……いえ。大丈夫です。菜園の水撒きをお願いできますか?」
「分かりました」
ホースを持って菜園の植物に水をやります。さらさらと水を撒いていると次第に無心になれます。おまけに太陽の陽気とそよ風が当たって心地いいです。寝はしません。寝はしませんが、けれども、こう、うとうととする事はあるわけですよ。学生を経験した人なら分かるはずです。分かりますよね?
おっと目の前にトマトが。
「先生?」
「……危うく畑に突っ込むところでした」
「眠たそうにしてますけど、やっぱり布団が小さすぎて眠れませんでしたか?」
「いえいえ、昨日はちょっと夜遅くまで学校を徘徊してましたから」
「―――先生?」
むむっ、底知れぬ威圧感が。これはおじいさんの逆鱗に触れた時のような感覚です。今のうちに言い訳と弁論と屁理屈を用意しておかなければ。
と思って顔を上げたら、にこやかな笑顔のゆうりさんがいました。
「夜更かし、とは?」
「いやこれはそのあの、まあ眠れなかったものでして」
「先生は生徒の手本です。夜更かしや徘徊は止めて下さい」
「でもいつもは起きてる時間でして」
「だめです」
「少しだけですよ。少しだけ」
「だめ」
「はい」
Y曰く、強者の笑みは本来恐ろしいものなのだそうです。確かに妖精さんを見ていると、強い者は笑顔で恐ろしいことをすると理解できますね。つまり、絶えず笑顔でいるゆきさんとゆうりさんが、学園生活部の中で一番強いのです。
笑顔の使い方は互いに正反対ですが。
「今度から気をつけてくださいよ?」
「分かりましたよ……」
先生なのに立場が低い……等と思いながら、わたしとゆうりさんはせっせと菜園の手入れをしていきました。これはこれで結構体力を使いますね。特にわたしは背が高いので腰を曲げる必要があり、すごく腰が痛いです。
思えば調停官を目指したのは重労働を避けるためだったはず。しかし現状はどうでしょう。
「何故こんなことに……」
「……随分、辛そうですね」
若干前かがみになっているわたしを見て、ゆうりさんが苦笑しています。ゆうりさんの背丈なら立っていても作業が出来ます。わたしの背も標準くらいで良かったのに。
「それにしても、先生は一体何処の人なんでしょうか?」
「何処の人とは?」
「珍しい服装で背も私達より高いのに、同じ日本語を話していますから、日本の人なのか外国の人なのか分からなくって。最初に会った時も英語が必要かと考えていたんですよ」
「あー、未来では人種間の垣根やら文化の違いやらは無いんです」
そんなものに拘っていられるほど余裕はありませんでしたから。
「未来では、そんなにも衰退が進んでいるんですね」
「まあ未来がないと言う状況はここと同じですね」
「…………」
ゆうりさんは沈痛な表情で手を止めてしまいました。ちょっとしたジョークのつもりだったのですが、思いのほか大ダメージだったようです。
「まあ、あなたたちでも生き延びられたのですから、他にも退避している人はいるでしょう」
「そうでしょうか?」
「ええ。その人々と合流できれば、現状の打開策も出てくるかもしれません」
「そう、ですね」
しかし未来がないのは事実。状況を鑑みるに、わたしたちの時代より早く滅びる可能性が高いです。緩やかな衰退は諦観の念を抱くに十分ですが、突然の滅亡はそりゃ恐怖も絶望もしますよねえ。
……ん?
「……あれ?」
この状況って、おかしくないですか?
「……先生? どうかしましたか?」
「……ちょっと考え事です」
これは後でゆっくりと考えましょう。もしこの考えが正しいなら、何が間違っているかも分かります。けれどそれはあんまりにも突拍子も無いこと。
もしかして、この世界は間違っている……?
(・ワ・)
ゆうりさんの手伝いも終えて、わたしが教室に戻ってみると、そこにはみきさんとゆきさん、そしてめぐみさんとおじいさんがいました。ゆきさんの周りで小さな人影がうようよいるのには目を逸らします。好かれすぎじゃありません……?
「あ、先生。お帰りなさい」
「お帰りなさーい! ……じゃあ、きりぎりす!」
「ただいま戻りました。今は休憩ですか」
時刻はもうお昼近く。ゆきさんにとっては昼食を取るための休憩なのでしょう。
授業はどうだったのかとおじいさんを見てみると、何やら神妙な顔でこちらを見てきます。
「ああ、お前が少しは利口者で良かったよ」
「……なんですかおじいさん。今になって孫の有用性を認識するなんて」
「ものを教えることがこんなに大変だとは思わなかった」
「あ、あはは……」
隣でめぐみさんが苦笑いしています。どうやらゆきさんの頭は大変よろしくないようですね。幻覚とは違う意味で。
「ところで先生。妖精さんが結構増えてますけど、大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ」
「……本当ですか?」
「大丈夫です」
そう、大丈夫。何が起こっても命の危険はありませんから。ちょっとばかり気が遠くなることや寿命が縮む事が起きるかもしれませんが大丈夫です。
そして先ほどから何やら呟いているゆきさんは、妖精さんとしりとりをしている様子。
「砂かー。むむぅ……ナス!」
「なすとな」「おたんこなす」「またえらいものを」「ぼくらのこと?」「ばりぞうごんはにんげんさんのとっけんゆえー」「でもそこがすきー」「すきとな」「ではすきで」「すき!」
「すき? き、き……き、きらい!」
「なんとー!」「ぼくたち、いらないこ」「ひつようなし」「きらわれもの」「むしのようにちっぽけな」「でもそのむしにまけてます?」「むしいかかー……」「いかー……」「じゃ、いか」
「えーと、えーと……貝!」
「かい?」「かいとは」「かいこうかんのこと」「ぼくたちでんな」「あうー」「はらきってわびる?」「はらきり! はらきり!」「たまとったどー!」「おいのちちょうだーい!」「おいのちとったどー!」「おいのちー!」「いのちだー!」
「命、ち、ち……」
随分と根暗なしりとりですね。
「部屋に戻ってからずっと妖精さんと遊んでいます」
「妖精さんを纏めてしまうとは、ゆきさんってすごいですね」
「そんなに妖精さんを御すのは大変なんですか?」
「大変もなにも、そもそも御せるものではありません。一つのきっかけを起点として爆発的に増えて、異常な速度で文明を築き上げ、そしてまた小さな出来事によってあっけなく散っていく。その方向性をちょっと変えることはできても、走り出した彼らを止めることはできませんよ」
まあ、わたしは少々妖精さんと”話せます”から、ある程度抑制は出来ますけれど。それでも彼らの騒動が絶えることはありませんし、これからもその兆しはないでしょうね。
「一つのきっかけで、増えて文明を発展させる……まるで人類みたいですね」
ぽつりとみきさんが零した言葉。けれどそれは当たり前なのですよ。
元々は妖精さんもわたしたちと同じだったのですから、人類の真似事のようになるのは当然のこと。もとより妖精さんの集合離散の法則は、一つの目的を達するために集まり、それが叶えられたら簡単に離れる、人類史の縮図のようなものですから。
「新人類と言われるのも納得ですね」
「……先生は、そのきっかけを作ることが出来るんですよね?」
何かを問いかけてくるようなみきさんの目。これはきっと、Yの悪巧みに気付いた時のわたしの表情と同じなんでしょう。
どうやらまずいところに気付かれてしまったようですね。
「まあ、作れるかと言われれば否とは言えませんね」
「じゃあ、食べ物や水を生み出すことも出来るんじゃないでしょうか」
「出来ますとも」
「…………」
案外早く答えを返されたために、みきさんが言葉に詰まっています。人は予想外の即答に対して言葉を窮しますが、この程度の話術にひっかかってはこの先生きていけないですよ?
「それをしないと言う事は、何か理由があると言うことなんですね?」
そして代わりに言葉を次いだのはめぐみさん。察してくれているようで何よりです。
ま、その質問を昨日の時点でされたらお手上げだったんですけどね。
「わたしも昨晩までは妖精さんの力を用いようとしましたけれど、おじいさんに止められてしまいましたからね」
「なんでですか? 食料が増えることにデメリットはないはずです」
「ええその通り。だからさっきまで、わたしもこっそり増やそうかと考えていました」
「ならどうして……!」
みきさんからの目線がきつくなってきました。めぐみさんからも説明を求める視線が強い。
先ほどまでのわたしなら、これだけの賛同者を従えておじいさんを強引に説得しにかかっていたところです。ですが今なら、食料を増やしてはいけない理由が分かります。多分分かってるはず。多分。きっと。
「恐らく、食料を増やしても意味がないからでしょう」
「意味がない……?」
「ええ。その前に、おじいさんに確認したいことがあります」
「なんだ」
さして衝撃のないおじいさんの表情が、答えだと言う確信を強めます。わたしは飛ばしてしまったけれど、おじいさんはそれを全て見ているもの。
考えてみれば、わたしがこの時代に飛ばされた時、旅に出ていたはずのおじいさんが傍にいたことがおかしかったんです。偶然か何かだと思っていましたが、今にして思えば、きっとこの時代に飛ばされる頃だと思ったから、わたしの傍に憑いていたのでしょう。
この世界についておじいさんが知っているとしたら、それはあの車窓から見た風景だけ。
「”あの列車”の中の光景に、こんな事態はなかったんですね?」
「いや、あったぞ?」
あれ? ……ああそっか。失礼。
「そう、この状態からわたしたちの未来に収束するための過程を、知っているんですね?」
「ああ」
「そしてそれを解決させるための手段が、妖精さんですか」
「そう言うことだ。と言っても、流し見程度だがな」
「なんでこんな重大事態を流し目で見られるんですか」
「妖精さんがなんとかしてくれるだろ」
「これが旧人類が衰退した原因か」
誰も彼も妖精さんに頼り過ぎじゃありませんか? いつかの衛星着陸時のように、妖精さんがいなくなった時、大変な目に遭いますよ?
けれど妖精さんの不思議パワーが消えれば旧人類もいよいよ滅びるのは事実。そしてわたしも妖精さん抜きでは生きていられない旧人類の一人。今回の件も、最終的に妖精さんの力を借りることになりそうですね。
「あの、一体何の会話をしているんですか?」
「列車とか収束とは、どう言う意味なんでしょう?」
「それを説明するにはおじいさんが死んだ事のあらましを説明せねばなりませんので、ひとまずは簡単に簡潔に分かりやすく、事実を述べます」
水や食料を増やしても意味がないこと。バイオハザードによる終末的世界。妖精さんでも帰る術のない現状。おじいさんがこの事態に巻き込まれた理由。
そう、全部ご都合主義の展開だったのですよ。
「最初から予定調和だったんです。わたしがここにいるのも、何をするのかも」
「予定、調和?」
「それってどう言う……」
改めて思い返すと、その下らなさにほとほと疲れが出てしまいます。結局妖精さんに端を発した事件は、妖精さんの手によって纏められるんです。それは時々、とても強引な手によって。妖精さん絡みのトラブルなんて、毎回そんなものでしょう?
いつも通りってことですよ。今回の件もね。
「さあ、みきさん、めぐみさん。調理室に案内して下さい。購買でも良いですよ。まずは砂糖や小麦粉や使える菓子類の確保です。そしてその後は、お望みどおり食べ物を量産します。野菜や果物。乳製品はお菓子に入るかな。まあとにかく、くるみもゆうりさんも呼び戻して、皆で手伝ってもらいましょう。何を手伝うのかって? そんなの決まっています。妖精さんが大好きな、甘くて美味しいお菓子作りですよ」
さあ、素敵なお茶会を開きましょう。お菓子をいっぱい散りばめた、愉快で楽しいお茶会を。
砂糖とスパイスを加えることが、彼らと付き合うコツなのですから。